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第4章

 異世界への転送装置へと向かう、薄暗くカビ臭い地下通路。

 

 その途中、俺は思わず足を止めた。

 何か、強烈に不快なものが鼻腔を刺激したからだ。

 

「どうしたのよ、ナオ? まさか、もう異世界に行くのが怖くなっちゃったわけ?」

 

 リュカが、俺の異変に気づいて不思議そうに顔を覗き込んでくる。

 

 鼻腔を執拗に突き刺す、この強烈な異臭。

 それは、腐敗したマナの匂いと、何かが焼け焦げたような、吐き気を催すほど甘ったるい匂いが複雑に混ざり合った、おぞましいものだった。


 この匂いは、以前どこかで……いや、思い出せない。

 だが、俺の本能が警鐘を鳴らしている。

 この先には、何かとんでもなくヤバいものがある、と。


「……ここは、一体……」

「ああ、第3工場の地下廃棄場だ。気にするな。お前たちが見る必要も、知る必要もない場所だ」

 

 俺たちの案内をしている無表情な作業員の一人が、まるでゴミでも見るかのような忌まわしげな表情で顔を歪め、俺の言葉を遮ろうとする。

 だが、俺はそんな作業員の制止などまるで意に介さず、通路の壁に頑丈に設けられた、小さな鉄格子の嵌った窓にゆっくりと近づいた。


 そして、その先に広がっていたのは、まさしくこの世の地獄を具現化したかのような、おぞましくも悲しい光景だった。


 薄暗く、どこまでも広大に見える巨大な空間。

 そこに、まるで粗大ゴミの最終処分場のように、無造作に山積みになっているのは、かつて「勇者」と呼ばれた、あるいはこれから勇者になるはずだった者たちの、無残な残骸の山だった。


 そのどれもが、まだ死んではいないのか、微かに体からマナの光を放ち続けている。


 まだ、彼らは生きているのだ。

 絶望の中で、ゆっくりと確実に死に向かって。


 意識を保ったまま、なすすべもなく自分の体からマナが抜け落ちていくのを、ただ黙って見つめるしかない勇者たち。

 彼らの目は、虚ろではあったが、その奥にはまだ確かな生命いのちの光が、諦めきれない何かの光が宿っていた。

 

「助け……て……くれ……」


 まるで虫の鳴くような、か細い声が俺の耳に届いた。

 瓦礫と化した勇者の残骸の山の中から、一本の震える手が、必死に俺に向かって伸ばされている。

 

「俺も……俺だって……本当の勇者に……なりたかったんだ……ただ、それだけなのに……」


 その声は、聞いているだけで胸が張り裂けそうになるほど、絶望と諦観と、そしてほんの少しの怒りに満ちていた。

 俺の全身が、プログラムされたものではない、俺自身の意志による本能的な震えに襲われた。

 指先が氷のように冷たくなり、呼吸が浅く速くなるのを感じる。


 これは、俺の辿るはずだった運命だったのかもしれない。

 もし、あのリュカというとんでもない規格外の爆弾娘と、出会っていなければ。

 もし、統括局長のクラウスが、ほんの気まぐれを起こして俺を生かすという判断を下さなければ。


 俺も、この無間地獄のようなゴミ山の一部となって、誰にも知られることなく朽ち果てていくはずだったのだ。


「最低ね、あんたたち」


 俺のすぐ隣で、リュカの声が、まるで絶対零度の氷のように冷たく、そして静かに響いた。


「命を自分たちの都合で勝手に作り出しておいて、使えないから、規格外だからって、簡単にゴミみたいに捨てるわけ? あんたたちのやっていること、反吐が出るほど胸糞悪いわ」


 俺たちを護送していた作業員の顔色が、サッと音を立てて変わるのが分かった。

 

「こ、これは必要な処理だ……規格外の不良品は、他の正常な製品に悪影響を及ぼす可能性がある……社の規定に従い……」

「うるさい、黙れ」

 

 リュカの赤い髪が、まるで彼女の怒りに呼応するかのように、バチバチと音を立てて逆立った。

 その瞳は、先ほどの無邪気さなど微塵も感じさせない、燃えるような怒りの炎を宿している。

 

「あたし、こういう自分勝手な理屈を振りかざして、弱い者いじめする奴ら、大っ嫌いなのよ」


 その瞬間、リュカの表情が一瞬だけ、ほんの僅かな間だけだったが、まるでフリーズしたかのように空白になった。

 まるで、彼女の内部に存在する複数のプログラムが、互いに激しく衝突し合って、処理が一時的に追いつかなくなっているかのようだった。


「兄ちゃんも……きっと……こんな、理不尽な気持ちだったんでしょうね……。許せないって、思ってたはずよ……」


 ポツリと、リュカの桜色の唇から、そんな言葉が漏れた。

 

「兄……だと?」


 俺が聞き返すが、リュカはハッと我に返ったかのように、自分の口元を押さえて激しく首を横に振った。

 

「な、なんでもないわよ!」


 彼女の小さな体から、先ほどあの特別契約室を半壊させた時以上の、凄まじい破壊的な魔力が、まるでダムが決壊したかのように一気に膨れ上がった。


 まずい、こいつ、またやる気だ!

 

「おい、待て、リュカ! ここでそんな力を解放したら……!」


 俺が必死に、ほとんど悲鳴に近い声で止めようとした、まさにその瞬間――。


 ドカーン!


 地下廃棄場を覆っていた、何重にも補強された特殊合金製の分厚い鉄壁が、まるで最初からそこには何もなかったかのように、内側から綺麗さっぱりと吹き飛んだ。

 爆風と衝撃波が、俺たちの体を容赦なく叩きのめし、通路の壁に叩きつける。


「さあ、逃げなさい! 全員、ここから一刻も早く出るのよ!」


 リュカが、もうもうと立ち込める土煙の向こうで、何が起こったのか理解できずに呆然とこちらを見ている、廃棄寸前の勇者たちに向かって力強く叫んだ。

 

「で、でも……俺たちは、どうせ失敗作で……どこへ行ったって、まともに生きていけるはずなんて……」


 瓦礫の山の中から、一人の若い勇者が、力なく、そして諦めきったように呟く。

 

「だから何だっていうのよ! そんなの関係ないじゃない!」


 リュカは、吹き飛んだ壁の残骸の上に仁王立ちになって、彼らを鼓舞するように振り返った。

 その姿は、夕日の逆光を浴びて、まるで神話に出てくる気高き破壊の女神のようにも見えた。

 いや、やっぱりただの爆弾娘か。

 

「失敗作だって、不良品だって、そんなの関係ない! 生きてるんなら、生きる権利くらい誰にだってあるでしょ! 他の誰にも、それを勝手に奪う権利なんてこれっぽっちもないのよ!」


 俺は、ただ呆然と、そんなリュカの姿を見つめていた。

 この破天荒で、デリカシーがなくて、おまけにすぐに手が出る(物理的な意味で)とんでもない少女の中に、何かとてつもなく眩しくて、そして温かいものを見たような気がした。

 それは、俺が今まで知らなかった、俺のプログラムには一切組み込まれていなかった、初めて感じる種類の感情だった。


「……君は、本当に、何から何まで理解不能なヤツだな」


 俺の口から、思わずそんな言葉が、まるでため息のように漏れた。

 

「ふふん! それって最高の褒め言葉じゃない! 光栄に思っとくわ!」


 リュカは、ニカッと太陽のように眩しい笑顔を見せてそう言った。

 

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