第3章
「えーっと、あたしの勇者ってこいつ?」
特別契約室と書かれた、やけにだだっ広い部屋。
リュカと名乗った赤毛の女は、まるで珍しい虫でも見るかのように上から下までじろじろと俺を眺め回した。
「……俺は、ナオだ」
かろうじて、それだけは声に出せた。
自分の声が、やけに遠くから聞こえるような気がする。
「ナオ? ふーん、ナオねえ」
リュカは、興味なさそうに俺の名前を反芻する。
「製造番号NA-0774。ナオは……その略称だ。好きに呼べばいい」
自分で言ってて悲しくなってきた。
名前すらまともに与えられていないのか、俺という存在は。
まるで、どこかの工場のラインで流れ作業で作られた、記号付きの製品みたいじゃないか。
まあ、実際そうなんだけども。
「ダッサ!」
リュカは遠慮というものを一切持ち合わせていない大声でそう言い放った。
こいつ、本当にデリカシーってやつが搭載されてないな。
いや、搭載されてたとしても、とっくの昔に爆破してそうだ。
「君たちの適合率は97%。これは過去に前例のない驚異的な数値だ。我々のシステムがそう判断した」
部屋の隅で腕を組んでいたクラウスが、まるで他人事のように淡々と、それでいてどこか満足げに説明する。
その声は、相変わらず温度というものが感じられない、無機質なものだった。
「へー、つまり相性バッチリってこと?」
リュカは、俺の周りを興味津々といった様子でくるくると回り始めた。
その動きは、どこか人間離れしているというか、妙にカクカクとしていて機械的に見えた。
気のせいだろうか。
いや、気のせいじゃない。
こいつ、時々動きがプログラムされたロボットみたいになるぞ。
まさかとは思うが、こいつも……。
「でもさー、なんか全体的に暗いのよねー、このナオ君。もっとこう、太陽みたいにキラキラした、見るからに勇者!って感じの子がよかったなー、あたしとしては」
リュカは、心底残念そうに大きなため息をついた。
おい、キラキラした勇者ってどんなのだよ。
全身から金粉でも撒き散らしてるのか?
それは勇者じゃなくて、もはや歩く公害だろ。
「……俺は、不良品だ」
思わず、そんな自嘲的な言葉が口から漏れた。
事実だから仕方ない。
「勇者として致命的な欠陥を抱えた、廃棄予定品だったんだ。君も、他のもっとまともな、それこそキラキラしたヤツを選んだ方が、絶対にいいと思うが……」
俺がそこまで言いかけた、まさにその瞬間だった。
バシッ!
乾いた破壊音が部屋中に響き渡った。
リュカの繰り出した、見た目からは想像もつかないほど強烈な平手が、俺の左頬に見事なまでにクリーンヒット。
一瞬、何が起こったのかまったく理解できなかった。
視界の端で、無数の星がチカチカと楽しそうに乱舞している。
「自分で自分を不良品とか言うんじゃないわよ、このヘタレ!」
リュカの大きな瞳が、まるでマグマのように怒りで燃え盛って赤く染まっていた。
その一瞬、彼女の瞳の奥で、何か赤い警告ランプのようなものが、チカチカと不気味に点滅したのを、俺は見逃さなかった。
なんだ、あれは?
「いい? あんたはあたしと組むことになったんだから、今日からあんたは世界で一番最高の勇者なの! それに文句あるわけ?」
リュカは、腰に手を当てて仁王立ちになり、俺を威圧するように睨みつけてくる。
俺は、ジンジンと熱を持って腫れ上がっていく左頬を恐る恐る押さえながら、ただ呆然と彼女の顔を見つめていた。
痛い。間違いなく、猛烈に痛い。
だが、それ以上に――。
「……理解不能だ」
「は? 何よ、聞こえないんだけど」
「だから、君という存在そのものが、俺のデータベースと照合しても、情報処理が追いつかず、まったくもって理解できない、と言っているんだ」
俺の精密なはずのプログラムでは、こんな規格外で破天荒な生物の行動パターンは、まったく想定されていなかった。
「当たり前でしょ! このあたしを、あんたなんかが簡単に理解しようなんて、それこそ100万年早いわよ!」
リュカは、なぜか心底得意げにふんぞり返って、自分の胸をドンと叩いた。
いや、だから別に、お前のことなんかこれっぽっちも理解したいわけじゃないんだがな。
「さあ、グズグズしてないで、とっとと契約するわよ、ナオ!」
「待て、俺はまだ心の準備というものが……それに、契約って一体何なんだ……」
「問答無用! 説明は後よ、後!」
リュカは、俺の必死の静止などまるで意に介さず、床に白チョークで(どこから取り出したんだ、そのチョークは)何やら複雑怪奇な魔法陣を、驚くべき速さで描き始めた。
そして、最後の仕上げとばかりに、魔法陣の中央に力強く円を描き、俺の手を強引に引っ張ってその中心に立たせた。
足元から、眩いばかりの青白い光が溢れ出し、部屋全体を包み込んでいく。
そして――。
ドカーン!
「またしても爆発しただとぉ!?」
部屋の隅で、固唾を飲んで俺たちの様子を見守っていた白衣の技術員たちの、悲鳴とも断末魔ともつかない絶叫が、無駄に広い契約室に木霊した。
おい、その「またしても」ってことは、こいつ、以前にも何かとんでもないことをやらかした前科があるのか。
もうもうと立ち込める黒煙が、換気扇によってゆっくりと晴れていくと、そこには煤と埃で真っ黒になった俺とリュカが、なぜか手を繋いで立っていた。
お互いの手の甲には、契約が無事に(?)完了した証である、複雑なデザインの紋章が、まるでタトゥーのように赤黒く刻まれている。
どうやら、俺は正式にこの爆弾娘の「勇者」とやらにされてしまったらしい。
「あれ? なんでまた爆発したのかしら? 今回は完璧だと思ったんだけどなー」
リュカは、心底不思議そうに小首を傾げながら、自分の手の甲に浮かんだ紋章を興味深そうに眺めている。
お前のせいだよ、と喉まで出かかったが、なんだかもう色々と疲れたので黙っておいた。
「……君の魔力制御が、あまりにも雑で、おまけに暴走気味だからだ。それ以外に理由があるか?」
「えー、やっぱりあたしのせいなのー? しっかたないなー、そういう日もあるよね!」
口を尖らせて、まったく反省の色を見せないリュカ。
これが、俺と彼女の初めてのまともな(?)会話であり、そして、これから始まる波乱万丈な日々の、記念すべき第一歩だった。
クラウスは、俺たちのそんなコントみたいなやり取りを、どこか満足そうに、それでいて何か底知れないものを試すような冷たい目で見つめていた。
「実に興味深い。HP-001……いや、リュカといったかな。君は、やはり私の期待を裏切らない逸材のようだ」
「は? HP-001って、だから何なのよ、それ? さっきから気になってんだけど!」
リュカが、クラウスの言葉にピクリと鋭く反応して、詰め寄るように問い質した。
その一瞬、またしても彼女の動きが、ほんの僅かだが不自然にカクンと止まったように見えたのは、決して俺の気のせいではなかったはずだ。
「……なんでもない。気にする必要はないさ。それよりも、君たちには、これから直ちに異世界へと派遣されることになった。任務は、『魔王討伐』だ。準備はいいな、ナオ、リュカ?」
クラウスは、リュカの鋭い疑問を、まるで柳に風と受け流すかのようにあっさりと無視して、俺たちに有無を言わせぬ口調で最終通告を叩きつけた。
おいおい、魔王討伐って、そんな物騒な話、俺はこれっぽっちも聞いてないぞ!
しかも、今すぐってどういうことだ!