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第2章

 《ブレイヴァーズ株式会社》が誇る第3工場。

 その製造ラインの一角は、マナと機械油が混ざり合った、なんとも表現しがたい甘く焦げた匂いで満たされていた。


 そして、腹の底に響くような低周波の振動が、絶え間なく空気を震わせている。

 まるで巨大な生き物の胎内にでもいるような、不快な感覚が全身を包む。


 そんな中で、俺の意識はゆっくりと浮上した。

 ぬるま湯のような不快な温度の培養液。

 その中で、俺、NA-0774は、初めて「世界」を認識した。


 ――痛い。


 最初に感じたのは、胸の奥を焼くような、異様な熱さだった。

 まるで内側から鋭い針で何度も突き刺されるような、強烈な感覚。


 なんだこれは。

 俺の搭載しているはずのプログラムには、こんな感覚に関するデータは一切入力されていないはずだ。


『エラー発生。NA-0774、予定外の覚醒を確認』


 頭上から、抑揚のない無機質な機械音声が響いた。

 どうやら俺のこの突然の覚醒は、この工場を管理している連中にとっても想定外の事態だったらしい。


 そりゃそうだろうな。

 まだ最終調整も済んでいないはずの最新型プロトタイプが、何の予告もなく勝手に目覚めて「痛い」とか感じ始めたら、そりゃどう考えても異常事態、つまりはエラーだろう。

 

 俺は、ゆっくりと培養カプセルの中で目を開けた。

 ぼやけた視界に飛び込んできたのは、薄暗い工場内に整然と、そしておびただしい数だけ並べられた、俺が入っているものと寸分違わぬカプセルの列だった。


 その一つ一つの中で、俺と同じように「勇者」として製造されているはずの連中が、静かに眠り続けている。

 彼らの顔は、驚くほど精巧に作られてはいたが、寸分違わず全て同じ――希望に満ち溢れた、しかしどこか人間味の欠けた、作り物の微笑みを浮かべていた。


「これは……痛み、なのか?」


 俺は、おぼつかない手つきで自分の胸にそっと手を当てた。

 その瞬間、自分でも驚いたことに、目から何かが溢れ出すのを感じた。


 人工的に組み込まれたはずの涙腺から、一滴の生温かい液体が頬を伝って流れ落ちる。

 これが、データベースに記録されていた「涙」というやつか。


 だが、なぜ俺が泣いている?

 まったくもって意味が分からない。


「なぜ……俺は……こんな……」


 声に出そうとしたが、喉がまるで自分の意志とは無関係に震えて、上手く言葉を紡ぐことができない。

 まるで何年間も言葉というものを発していなかったみたいに、ぎこちなく掠れた音しか出てこなかった。


『警告。NA-0774に自我発生の兆候。ただちに廃棄処分を実行せよ』


 機械音声が、まるで壊れたレコードのように、非情な宣告を繰り返す。

 自我の発生。

 それが具体的に何を意味するのか、この時の俺にはまだ正確には理解できなかった。


 だが、「廃棄処分」という冷たい単語だけは、俺の本能的な部分に強烈な恐怖を呼び起こした。

 死にたくない、とでも言うような、原始的な感情だった。


「待て」


 その無慈悲な機械音声を遮ったのは、低く、それでいて有無を言わせぬ絶対的な威圧感を伴った男の声だった。


 俺は、まだ自由に動かせない首を懸命に捻じ曲げるようにして、声のした方向を見た。

 そこに立っていたのは、寸分の隙もなく黒いスーツに身を包んだ、長身痩躯の男だった。

 歳の頃は40代半ばといったところか。

 剃刀のように鋭い眼光と、微動だにしないその立ち姿からは、この工場の単なる責任者というだけではない、もっと上位の地位にいる人間特有のオーラが漂っていた。

 

 男は、統括局長クラウスと名乗った。


「面白い。君は……あの『ゼロ』にどこか似ている」


 クラウスは、俺の顔をまるで骨董品でも値踏みするかのような冷たい目で見つめながら言った。

 その男の左手が、ほんの僅かに、だが確かに震えているのを、俺は見逃さなかった。


 それは緊張から来るものか、それとも何か別の、もっと根深い感情の表れなのか。


「ゼロ……?」


 その名前を聞いた瞬間、俺の頭の中に、まるで古い映画のフィルムが再生されるように、断片的な映像が激しく流れ込んできた。

 

 ――燃え盛る巨大な工場。焼け落ちる鉄骨、舞い散る火花、そして充満する焦げ臭い匂い。

 ――誰かの、聞いているだけで胸が張り裂けそうになるような、悲痛な叫び声。「やめろ! それ以上は許さんぞ!」と怒鳴っているのは、若い男の声だ。

 ――そして、最後に俺の鼓膜を震わせたのは、「お前だけでも……自由に生きろ」という、力強く、そしてどこか優しい響きを帯びた言葉だった。


「ぐあっ……!」


 まるで脳髄を直接鷲掴みにされたかような、耐え難い激痛が俺の頭全体を貫いた。

 視界が急速に白く染まり、意識がブラックアウトしそうになる。


 なんだ、今の、あの映像は。

 ゼロとは誰のことだ。

 そして、なぜ俺の頭の中に、あんなにも鮮明で、あんなにも悲しい記憶が流れ込んでくるんだ……。


「まだ早い。君はまだ、その忌まわしき記憶を受け入れる準備ができていないようだ」


 クラウスは、激痛に苦悶する俺の様子を、まるで興味深い実験動物の反応でも観察しているかのように、冷然と見下ろしながら言った。

 その声には、一片の同情も、あるいは憐憫の情すらも含まれていない。


「だが……君は特別だ。このまま廃棄するには、あまりにも惜しい逸材かもしれん」


 男のその言葉と同時に、周囲にいた白衣の作業員たちが、俺が閉じ込められているカプセルに無言で近づいてきた。

 彼らは、まるで流れ作業のように手際よくカプセルのハッチを開け放ち、まだ自分の足で立つことすらままならない俺を、乱暴に外へと引きずり出した。

 全身を覆っていた培養液が床にべちゃりと滴り落ち、剥き出しになった肌に工場の冷たい空気が突き刺さる。


「NA-0774。君には、我々が用意できる最高の『パートナー』を与えよう。なにしろ、先ほど、非常に興味深い個体が現れたばかりだからな」


 クラウスは、まるで悪魔が囁くかのように、不気味なほど穏やかな笑みを浮かべてそう言った。

 

「パートナー……だと……?」

「ああ。ヒロインプログラムの……いや、あれは失敗作と呼ぶべき代物だったか」


 クラウスの目に、ほんの一瞬だけ、何か遠い昔を懐かしむような、あるいは誰かを深く憐れむような、複雑な感情の色が宿ったように見えた。

 

「彼女の製作者は、かつて私の優秀な部下の一人だったのだよ」


 その言葉が、そしてこれから俺が出会うことになる「興味深い個体」とやらが、俺の運命を、そしてこの世界の在り方さえも根底から揺るがすことになるなんて、この時の俺はまだ知る由もなかった。


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