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涙の魔王  作者: pole
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思い出の涙1

その魂は魔王を貫いた。

もう二度と、後ろは振り返らぬであろう。

レンガの街道を抜けて1か月、季節の移り変わりを堪能すると、すぐにポーラという町に着く。

ポーラは古くから港町として栄えており、各地の様々な物が商人の手中に収まる。

港から少し離れた石畳の上に小奇麗なラグを敷いて幾つか物を広げている駆け出し商人でさえ、名前も分からないような魚の彫刻を自信満々に売り捌いている。

正に商人の為の最初の町として相応しい雰囲気が漂っている。

この町にこれほど商品が集まるのには、ポーラが出来るよりも前に住み着いたルサールカの協力あってこそだろう。


そんな潮騒に懐かしさを感じながら荷車に揺られる屈強な青年、ロイドは、旅の仲間に自分の町を紹介したくてしょうがない様子だった。


「おい!起きろ!着いたぞ!ここがポーラだ!いい匂いがするだろう?」


屈強な体をしている正しく好青年といった風体の商人は、旅の仲間に目的地への到着を知らせるために声を上げた。町を見つめるその眼差しからは懐かしさが感じ取れる。


「えぇ...なにこの匂い...変な匂いするんだけど...」


荷車で眠りこけていた少女、ロニスはフィッシュボーンに束ねたブロンド髪を解き、荷車からの風を感じるために体を起こした。

しかし、変な匂いがするので反射的に鼻を摘まんでしかめ面をしてしまう。

彼女には何か得体のしれない腐りかけの物がこの先にあるとしか思えなかった。


「なんだ?ロニー、海を見たことが無いのか?それなら俺の実家に行く前に海を見に行こうか!」


ロイドは町一番の屋敷に向かう荷車の方向を変え、港に向かう。

段々と匂いが強くなるにつれて、水平線や大小様々な船が見えてくる。

ロニスの瞳からもまだ見ぬ物への好奇心が溢れ出していた。

その傍らで白いドラゴンは丸くなって猫の様に眠っている。

身体には陽光が反射し、もうすぐ見えるであろう海の煌きが散りばめられていた。

物凄く気持ちよさそうな顔をしている。

寝てばかりのドラゴンをバシバシ叩きながら、ロニスは馬車から身を乗り出していた。


「すご~い!海ってこんなに綺麗なの!?少し変な匂いはするけど全然気にならないくらい綺麗!」


ポートも目を覚まし、青く煌めく水面をじっと眺めている。

港の端まで行ったところでロイドは荷車を止め、縁に皆で座りながら海を楽しむことにした。


「知ってるか?海の水はしょっぱいんだ!ちょっと舐めてみるか?」


ロイドは荷車からバケツと紐を取り出し、それを括って投げ入れる。


「うん!...しょっぱ!!!なにこれ!魚はこんな水の中に住んでるの?!」


「俺も昔はここに座って釣りしたもんだなあ...懐かしい...昔と何も変わってないな。

それが安心するってやつなんだろうけど。」


「私も釣りやってみたいな!ね!ポート!」


ポートは海をじっと見つめながら尻尾を揺らしている。

視線は少し下を向いている様で、先には魚が群れで泳いでいるのが見えた。

ポートが腰を上げるとゆっくり突撃の姿勢を取った。

本能が疼くのだろう。ポートの狩りの様子はこれまでも度々見てきた二人だったが、直近の勝率は5割といったところだ。

今回はどうなるのかと賭けの対象になるほどには見ごたえがある代物に仕上がっている。

魚の群れとの距離は約20m。ポートの狩り成功率の高い突撃射程距離は約25m。

標的の数が多く動いていることも考慮すると、どちらに賭けてもオッズはそう変わらなさそうだ。


「これは...いけるわ!いける時の尻尾よ!成功するに賭けるわ!」


「こんなに標的がいて惑わされずに仕留められるか?獲物が多い時の勝率は低い、無理だな。」


「分かってるでしょうけど、負けたらお昼は奢りだからね!釣りの仕方もついでに教えてもらうわ!」


「よし!のった!」


ポートは全身に力を込めると水面までまっすぐ突進して大きな水しぶきを上げた。

しぶきが引き、ポートの姿が見えた時、爪には魚が一匹食い込んでいた。

ポートは随分満足そうだ。


「やったあ!!私の勝ち!お昼よろしく!」


「...」


ロイドが落ち込んでいる傍ら、ポートは彼の隣で魚を丸呑みにする。

その後、励ますように吐き出した魚の尾びれをバケツの中に差し出した。

確かに綺麗な物だったが、唾液のてかりで触りがたい状況と匂いでロイドは目線を再び海に戻した。


「...それにしてもスノードラゴンっていうのは成長が遅い部類なのか?俺が初めて見た時からあまり大きくなってないように見えるんだが?」



「スノードラゴンは大人でも50cmくらいにしか成らないんだよ。

それでも素早さは一級品!になる筈なんだけど...この子はマイペースだからなぁ...」


「一度専門家に見て貰ってもいいんじゃないか?誰だったっけ?

確かフィヨルにいるんだよな?それならこの町から偶に船が出てる。

フィヨルに行くには推薦状が必要だが親父に頼めば大丈夫だろう!

さあ、俺の実家に帰るとするか。」


一行は荷車に戻る。

背を向けた一瞬の隙に海から大きな飛沫と共に何かが飛び上がった。

皆が目線を戻すとそこには、上半身は女体、下半身は魚の様な生き物が飛び上がっていた。

顔までは見えなかったが、よく編み込まれた金色の髪と瞳がほんの一瞬ロニスを収めていた。


「あれは...!人魚!?そんな生物がホントにいるなんて!なんで教えてくれなかったのロイド!」


「あれは人魚じゃなくてルサールカだ。この近海に住んでるんだが、言ってなかったか?港の傍に出てくるなんて珍しい!そういえばもうすぐ儀式の時期か!これはいい経験が出来るかもしれないぞ!ロニス!確かに嬢は顔がいいからな!」


「なにその話?全然見えてこないんだけど...」


「それはもうすぐ分かることだ。それまでのんびりこの町を観光しようロニス!

俺が案内してやるよ!さ!実家に行こう!」


「まあいいか...その時まで楽しみにしているわ。」


一行はポーラの町長屋敷へと向かう。

屋敷はこの町一大きいが、この町一小奇麗である。

レンガ造りに漆喰が塗られ、窓枠には白い塗料を塗られた木材が使われている。

窓のガラスはどれも新しく、最近買い替えられた様だ。

透明なガラスの向こうから姿は見えないが視線を感じる。

戦闘力を感じさせる視線から、荷車に乗っている者の情報を少しでも得ておきたいと行った様子だ。

それも一窓ではないく幾つかの窓から刺されている。

その視線を感じていながら、ロニスはロイドの実家が楽しそうな所だとワクワクしていた。


玄関は新たに改築されたのだろう、真っ白な液体に黒いインクを垂らしたような模様の大岩を削りだして作られている。

全体の貫禄ある風貌にはミスマッチだが、初めてこの町に来る世間知らずなお嬢様を感嘆させるには十分だった。

傍付きの小さなドラゴンはこの白い玄関にどこか親近感を覚え、初めての場所にも関わらずリラックス出来ていた。


「わあ!!凄い綺麗な玄関ね!こんな真っ白な玄関見たことないわ!」


「親父...こんなもの揃えたところで何の威厳が出る訳でもないのに...

まあ趣味だと思えばいいか...」


「ロイド!おかえりなさい!もうすぐ帰ってくるんじゃないかと思ってたわ!

その子が新しい旅のお仲間ね!さ!上がって頂戴!」


背がすらっと高く、ロニスよりは落ち着いたブロンドの髪を、うなじが見えるように束ねている切れ長の目をした凛々しい姉は、弟の帰宅に普段は見せないような優しい笑顔を向けている。

ポーラの外交官として正式に任命された彼女の服装は固いものであったが、手はワインの瓶とグラス4つが乗ったカートに掛けられていた。

カートには特段装飾が施されているわけではなく、年季の入った木製で何処かに運ぶ途中だったようだ。


「ただいま、姉さん!仕事で忙しいみたいだね。

客室は開いてるだろう?連れを紹介させてくれ。ロニスだ。」


ロニスはヴェロニカの服装とこの屋敷の格を見て、どのような第一印象を相手に与えるのが良いかを考えていた。

そして、昔にエリンから教わった礼儀正しい挨拶を初めて実戦で使ってみることにした。


「お初に御目にかかります。フランからやって参りました。

ロニスと申します。しばらくの間お世話になりますわ。」


右足を一歩引いて腰を45度に曲げる。左手を背中に回し、右手は胸の中に収めた完璧な礼節だったが、動きやすそうで庶民的な大きめの白い長袖シャツに紺色のロングワイドパンツではかなりのギャップが生まれてしまう。

その可笑しさに周囲から笑いが起こる。

足元にいたポートは頭を下げたロニスを見て、少し遅れて伏せのような体制をとった。


「はは!なんだよそれ!そんなに畏まらなくてもいいって!いつも通りにしていてくれ!」


「え?こんなに立派なお屋敷なのにいいの?」


「確かに礼節は大事だけれど、それも自分の服装や置かれている立場によって変えるのが肝要よ。

今の自分の服装をご覧なさい。

ドレスを着て町の代表として来ているならそれで構わないけれど、今のあなたは一介の冒険者よ。

少しの会釈が終わった後は周りの様子に気を配りなさい。

ここはあなたにとって知らない物の宝庫の筈よ。警戒し過ぎるなんてことはないんだから。」


実に的確な指摘である。

冒険者という職は命が幾つあっても足りる仕事ではない。

特にポーラの冒険者ギルドでは魔物などの討伐依頼はほとんどなく、代わりに商人の護衛や倉庫番の依頼が多い。

その為、冒険者の戦闘能力低下が問題視されている中で冒険者の礼節の在り方についての側面から次代の頭首筆頭が解決策を模索していくのは素晴らしい事である。

実際にこの町の冒険者の死因の多くは、周囲の警戒不足による窃盗団の奇襲によるものだ。


「確かにその通りかもしれませんね!」


ポートは相棒の気分が晴れたのを確認して肩に飛び乗った。

その弾みでロニスの右肩も少し下がる。


「さあ!挨拶はこのあたりで、ロイド、客室に荷物を置いたら手伝ってほしいことがあるの。

ロニスさんと一緒に屋上まで来てくれるかしら?

新しく仕入れたワインの品評会があるのだけれど私飲めないから...

人は多い方がいいしお願いできる?」


「ああ、わかった。ロニス、こっちだ。」


外見や玄関は立派な物であるが、内装を注意深く見ると、古く格式高いレンガ漆喰屋敷を綺麗にモダンに見せようとする努力が垣間見える。

数年に一度のペースで左官を呼んでいる様だ。

客室に着くまでに何人かのメイドとすれ違ったが、誰一人としてロニスを信頼している様子はなかった。

どのような物を身に着けているのか、装備は何か、武器は何か、歩幅間合いは、どの様な魔法が得意なのか。

それにメイドの誰もが一切の足音を立てていない。

外から覗いていたのもメイド達だろう。


「すまないな。ここのメイドはこんな戦闘狂みたいな者しか常駐していなくて...」


「何で謝るの?戦えるに越したことはない筈よ!」


「それはそうかもしれないが...」


「それに町の人を見た?皆いい顔してた。

それって怖いものが無いって事でしょ?それっていいことなんだからそのままでいた方がいいよ!」


「やっぱりお前はそういう考えなんだな。俺とは違う視点だ。

お前をここに連れてきた俺の目は節穴じゃなかった。」


「あなたの目はいつも綺麗な青色よ?

さあ、私を屋上まで連れて行って!ワインが待ってるわ!」


「調子いいんだから。今夜は長くなるぞ。少し昼寝してから行こう。

そうしたら、ちょうどいい時間になる筈だ。」


客室は全体的な白と刺し色程度の金細工で成り立っているが、荷車の木板や干し草で夜を明かしていた者にとっては見た目だけで寝心地がいいと分かる天蓋ベット以外目に入らない。

暫く横になって体力を回復すると、やっと余裕が出てきて部屋を見渡す視野が確保出来る。

ベットの他には小さなテーブル、その上にはオイルランタンと引き出しの中にはポーラの成り立ちが書かれた本が入っている。

その本の第一章、「世界一イカれた冒険家」を読んでいた時、ロイドの支度が整ったらしい。

意外と興味深い内容が記載されていたが、ポーラを探索すれば全ては明らかになると割り切って、ロイド、ポートと共に屋上に向かうのであった。


屋上には新品の具合のいい、四人掛けの丸テーブルと椅子のセットが何セットも置かれ、10杯のワイングラスが乗ったカートと、水の入った瓶も一緒に席に座る御客人を待ち侘びている。

ヴェロニカはロイド達に今回の品評会司会から一番近くの席へと案内した。

その後少ししてから、貫禄のある商人達が執事に案内されて疎らと入り始めた。

どの要人も質のいい服装に革靴を履いており、庶民的な服を着ているロイド一行が場違いな雰囲気であるが、誰もそんな事を気に留めている様子はない。

商人なら誰しも、こんな場所に流暢な格好で入って許される人物の想像はつくだろう。

ましてやこの屋敷のご氏族を知らないことなどありえないことだ。

客が全ての席に着いた時、今回の司会を任された執事、ローレンツが会の進行を始めた。

日は沈んだが、まだ夕焼けが空を橙色と紫色のグラデーションに染めている。


「皆様、この度はお集まり頂きありがとうございます。

今回は私、執事筆頭のローレンツが進行を務めて参ります。どうぞよろしくお願い致します。

これから皆様には、先日入荷したワインの品定めをして頂きます。

酔い潰れてもご安心を。

皆様の今宵傍付きのメイドが貴方様方の醜態を晒すことが無いように務めます。

お気に召したお品物が御座いましたら、当家が皆様の貿易斡旋を致しますので、しばしの間では御座いますがご歓談をお楽しみください。」


掴みは上々な様で、来客の頬を緩ませる。

ローレンツが手を叩くと、待機していたメイドがテーブル一つ一つにワインの乗ったカートを運び始めた。

ロイド達のテーブルにはヴェロニカがカートを運んできた。

勿論メイドと服装は異なっており、整えられたワイシャツに黒のスラックスを身に着けてそのスタイルを存分に生かしている。


「お客様、ワインをお注ぎに参りましたわ。最初はどちらに致しましょう?

この後お食事もご用意が御座いますので、食前酒にこの「マリエ」は如何でしょう?」


「おいおい姉さん!そんな堅い言葉使いは辞めてくれよ!」


「ふふ!お慕えしている殿方がこの冗談をよく使っていらっしゃったのよ!」


「お慕えしてるだって?!それは本当か?!

良かったなあ姉さん!今度会わせてくれよ!」


「ええ、もちろん!あなたが次に帰ってきた時には、いい知らせを届けられるように頑張るわ!」


綺麗なお姉さんの吉報を聞いて、ロニスも嬉しそうだ。


「わあ!おめでとうございます!そうと決まれば祝宴ですね!ヴェロニカさんも一緒に飲みましょうよ!」


「ごめんなさいね、私お酒は強くないのよ。その代わりぶどうジュースで乾杯しましょう!」


ヴェロニカが自分の顔の前でグラスを傾けながら香りを発たせている。

マリエは青色の瓶に入っており、とても透明度が高い白ワインだ。

カートの近くに姿勢良く立ち、空をグラス越しに眺めている姿は、宛ら王子様役の舞台女優よりも夕日に映えていた。


「...すごい...ヴェロニカさん綺麗...」


「ありがとう!さあ、こちらマリエでございます。

このワインは東洋で神の加護を受けたブドウを使用しているらしいわ。」


出されたグラスを手に取ったロイドは、香りを確かめた後、ほんの少し含むようにしてワインを舌に乗せる。


「ありがとう。...確かにこれは食前にぴったりだ。

甘みが強いが爽やかで後味がスッキリしている。

頼めば幾つか取り寄せて貰えるのかい?俺も売りに出したい。」


「こんな時でも商魂逞しいわね。いいわ、3箱、特別に譲ってあげる。」


「姉さんがそんな簡単に物を渡してくれる訳ないのは分かってる。何が望みなんだ?」


「その前にロニスさんの護衛としての実力が知りたいわ。

今回のはちょっと危険かもしれないの。」


ロニスは差し出されたグラスを飲み干し、一息ついて喋り出した。


「それなら、私フラン冒険者ギルドの1ランクを持ってます!」


そう言いながら待ってましたと言わんばかりに自分のギルドカードを取り出す。

薄い鉄製のカードにある精巧な彫物と小さな白い宝石に、ヴェロニカは流し目で見ただけだったが信用に値すると判断した。


「あらそうなの!確か特殊環境ギルドだったわね、それなら話は早いわ!

実は今、冒険者の育成に力を入れているの。

この町に滞在する間、新米冒険者に稽古を付けて貰えないかしら?

近頃盗賊の被害が多くて冒険者が育たないの...」


言いながらヴェロニカは一枚のビラをロイドに手渡す。

新人冒険者育成!と書かれた物に一通り目を通す事にする。


「それは俺じゃなくてロニスにだな?俺は何をするんだ?」


「ロイドは...何もしなくていいわ!

この町も随分取り扱う品が違ってきてる。色々見て回ってきなさい!」


見終わったビラをロニスに回しながら、飽きれた様子を見せる。


「なんだそりゃ。ロニス!お前はそんなんでいいのか?」


「私は...面白そうだからいいわ!

稽古付けながらの方がポーラの事もよくわかりそうだしね!」


ロニスは特に目を通していないビラを元の持ち主に返す。


「それは良かったわ!もちろん報酬は弾むわよ!」


「そうこなくっちゃ姉さん!」


突然の姉さん呼びに、いきなり親近感


「ね、姉さんだなんて...」


ロニス「あ、だめでしたか...」


しょぼくれそうになるロニスに、ヴェロニカは嬉しさが溢れ出す勢いだ。


「そんな!嬉しいわ!前々から妹が欲しいと思ってたのよ!ロイド!この子を手放しちゃだめよ!」


そんな姉に、弟は別の話を切り出す。


「まったく...姉さん...そうだ、ここで一息ついたらフィヨルまで行こうと思っているんだが、次の便はいつになりそうだ?」


「フィヨルに行くの?そうねえ...

今フィヨルに行ける大型蒸気船は、出払ってるか整備中なのよ...

後2か月程先になるかしら...もちろん、フィヨルに行くための推薦状は書いておくわ!」


頭をわしゃわしゃされていたロニスは堪らず、ロイドに助けを求める様に質問をする。


「フィヨルに行くのに推薦状?」


「ああ、フィヨルは多くのドラゴン種の生息域だからな。

通行人にも相応の戦闘力を示してもらう為に、推薦状とか特別な通行手形を求めてるんだ。」


「そうなんだぁ~」


「ウチもフィヨルとの貿易をもっと活発化させたいと思ってるいんだけど、如何せん腕の立つ商人や冒険者は少なくてねえ...

推薦状を書く代わりと言っては何だけど、一往復分だけでいいからロイドの商売を手伝ってもらえないかしら?」


「もちろんいいですよ!」


「ロニスがどんどん口車に乗せられて仕事が増える前に次のワインを持ってきてくれ!

このペースで仕事が増えたら体が幾つあっても足りなくなるぞ!」


「くちぐるま...?」


「まあ今日はこのくらいにしておきましょうか!ここからは仕事の話は抜きにして楽しみましょう!

ロイド、他にいいと思ったワインがあったら言ってね!」


ヴェロニカは何故かやれやれといった様子で次のワインと運ばれてきた食事を嬉しそうに口に運んだ。

今夜の晩餐は、ポトフ、貝の入ったトマトパスタ、あまり見慣れない肉の薄切りとチーズのピザが用意された。

ロニスはその絢爛さに目を輝かせている。

それに、シャツのボタンを一つ開けた年上の美女がいる状況では胸の高鳴りが止まらないのであった。


夕日も完全に静まり、テーブルのランタン、浮遊するランタンが辺りを照らす時、ワインを何杯も飲んで傍らにバケツを用意する者も多い中、ロイド、ロニス、ヴェロニカの席だけは煌びやかさを保っていた。

ロイドは少量飲んでは真剣にテイスティングをし、ロニスはただただ楽しく瓶を開けまくり、ヴェロニカは解説を適度に挟み場を和ませる。

ロニスはいつもより笑顔が多くなりヴェロニカへのボディータッチも増えたが、まだまだ余裕がある。

品評会もそろそろお開きになるところで最後のワインが運ばれてきた。

ほとんどの卓が遠慮する中、ロイドは平然と手を叩き瓶を運ばせる。


「ロニスちゃんにこんなに楽しんでもらえるなんて嬉しい限りよ!でも今日はこれで最後。

このワインは特別だから最後に出すことにしたの。「テーブルワイン」よ。

今のワインは値が張って、一般人が買える物なんてほとんどない。

でも、このワインはウチの余っていた丘を利用して大量生産したブドウで造ったの!

だから値もお手頃になってポーラの一般家庭にも並ぶようになるわ!飲んでみて!」


「...そうだな、これは...若干の塩味を感じるな。

それに度数が低い。飲みやすいのにしっかりと後味も感じる、どんな製法で?」


「ここのブドウは潮風が強く当たるから皮に塩分が蓄積されるの。

そのブドウを大量に仕込むと、とっても塩辛いワインが出来上がるわ。

それを丘の湧き水で割ったらあら不思議!ちょうどいい味に、生産量も増えて今の形になったのよ!」


「なるほど。ロニスはどうだ?」


「これは程よくていいね!クールダウンにぴったりだよ!姉さん!もう一杯!」


「ふふ!任せて頂戴!」


「一般家庭にと言っていたが、市場ならいくらになる予定だ?」


「銀貨一枚よ。」


この町の駆け出し商人の一日の稼ぎは銀貨2枚である。

貨幣の価値は10枚ごとに銅貨、銀貨、金貨に両替が可能だ。

自給自足が一般的、大抵の食料や料理屋が銅貨1~5枚での取引や物々交換が主流な中、一本銀貨1枚という値段の「テーブルワイン」は強気な設定だと思われるかもしれないが、現在のワイン一本の価格は安くとも銀貨5枚であることを考えると、かなり価格低下に努めている。


「なるほど、いい価格だ。多少高いかもしれないが、多く仕入れて利益を最小限に抑えればもう少し安く提供できるかもしれないな。

しかし、どうするにしても近場でしか安値で売れないぞ。それでいいのか?」


「ええ。ワインが一般家庭にまで広がる町はそうそうないわ。

それにワインが浸透すれば、ワインの町としても噂が立って流通が更に活性化する流れよ。どうかしら?」


「ポーラの事は姉さんに任せるよ。そっちの方が上手く行きそうだ。

そうだ!父さんは何か意見を出したか?」


「いいえ...最近はもうすっかり隠居してしまったわ...」


「そうか...俺も明日あたり顔を見せてくるよ。」


「それがいいと思うわ。ロニスちゃん!お酒は足りてるかしら?」


「後一杯貰ったらもう大満足よ!私とっても楽しいわ!」


「それは良かった!ロニスちゃんが滞在してる間、あと数回は他の品評会をする予定だから楽しみにしててね!」


「やったあ!姉さん大好き!」


やっとアルコールが回って来たのだろうか。

ロニスはヴェロニカに抱き着き、万遍の笑みで頬を擦り付けている。

その間もヴェロニカはロニスのグラスに嬉しそうにワインを注いでいた。


「少々よろしいかな?お嬢さん方。」


突然、奥の卓から歩いてきた商人が話しかけてきた。

手には紫色の透き通った宝石を付けた指輪をした痩せ型の男である。

痩せているがガリガリという訳ではなく、無駄な筋肉がそぎ落とされた機能的な体といえる。

我に返ったロニスが辺りを見回してみると、まともに動けているのはロイド卓とこの商人だけの様だ。


「いやあ、ロイド、ヴェロニカ。久しぶり。大変な酒豪を連れているね。

早めに挨拶に行ければ良かったんだが、なんだか楽しそうにしていたので話しかけづらくて。」


「「オスカーさん!」」


「挨拶が遅れました。私、ポーラで商人のまとめ役を買って出ています。

オスカーと言います。その飲みっぷりを見るに、さぞ腕の立つ冒険者なのでしょう。」


「はい!ロニスはフランのランク1冒険者なんですよ!」


ロイドとヴェロニカのオスカーを見る目は尊敬そのものだ。

それもそのはず。彼は庶民の出身でありながら、先代町長の、教育を重視する方針の元育てられた秀才の一人である。

商人ばかりのこの町でも群を抜いて優秀な商人で、町商人の誰もが生活に困らない様に、ノウハウや新たな情報、個々に似合ったスタイルなどをポーラ全てに発信している。

その情報のほとんどは自らの足で稼いで見返りを求めない聖人さに、町長と並んで人望が厚い。

彼はあまり家に帰ることはないが、使用人達はいつも彼宛ての謝礼金、御礼品を整理するのに大半の時間を費やしている。


「ロニスさん、少し頼みごとがあるのですがお時間宜しいでしょうか?」


「今は気分がいいので何でも御座れですよ!」


「ロニスちゃん!私も一緒に話を聞いておくからね。

お姉さんちょっと心配になっちゃって...」


「なに、大したことじゃありませんよ。

ここだけの話なのですがね、最近この町を標的にしている盗賊団のアジトを発見したんですよ。

もし御手隙なら討伐隊に参加して頂けませんか?」


「いいよ!私も密猟者とか退治したことあるし!いいでしょ、お姉ちゃん!」


「そうね、ロイドはどう思う?」


「ロニスの実力をこのまま俺の護衛だけに使うのはもったいないからな。

色々やった方が今後の為にもなるだろう。」


「心配なんていらないよ!それに私、新しく考えた魔法も試してみたいしね!」


「なんと心強い返事なんでしょう!ありがとうございます!

作戦会議などの日程は後日秘密裏にお送りしますのでお待ちください。」


「それで、報酬はどれくらいになるんです?

貴方ほどの方がこの話を抜きにして会話を終わらせるとは思えない。」


オスカーは久しぶりに見る青年の逞しい成長ぶりに、思わず一息間を開けずにはいられなかった。


「いい商人になりましたね。報酬は、転移魔方陣です。」


全員がそれを想像するのに、あまりに文脈が違う物が提示された。


「!!!なんですって!そんな物が本当に存在するのですか!?」


ロニスは転移魔法に少し心当たりがあった。

魔法の師であるノエルが短距離転移魔方陣の研究をしていたが、その時に教わった事がある。

魔王と勇者の戦いにおいて、勇者陣営に転移魔法を得意としたジンという魔法使いがいると。

その便利さゆえに研究が進んでいるが、まだまだ時間のかかる分野である。

想像を絶する戦闘の最中、もしもの為に用意していた緊急脱出用転移魔方陣が世に出回っているらしい。

ロイド、ヴェロニカが存在を疑うのは当然のことである。


「私知ってる。魔法を教えてくれたノエル先生が転移の研究をしてるんだ。」


「なんと!あのロント一の魔女、ノエルさんの教え子だったとは!それなら話は早い!

明日お迎えに上がりますので一緒に確認して頂きたい!

お恥ずかしい話ですが、私も本物かどうか判断しかねておりまして...]


「なら明日の予定は開けておきますね。私も見て見たいので。ロイドは?」


「俺も行くよ。その前に親父に会いに行きたいから昼からでもいいか?」


「もちろんいいですよ!その方がスタニスも喜びます。

では明日のお昼に。ロニスさん。私はあなたといい関係を築きたい。

末永くよろしくお願いします。」


「おじさんいい人そうだし信じるよ!こちらこそよろしく!」


「はは!本当に良き仲間に出会いましたなあロイド!ではこれで失礼するよ。」


「ローレンツ!送って差し上げて!」


「了解しました。こちらです。」


幾らかの会話は交わすものだろうとは思っていたが、まさかここまで大きな話になるとは思ってもみなかったヴェロニカは、そっと肩を撫で下ろした。


「ふう...これで今日もひと段落ね...」


「ねえお姉ちゃん...」


「どうしたの?ロニスちゃん?」


「最後に...もう一杯だけ...」


「...」


こうして数時間の間に今後の流れを掌握されたロニスは、酒には飲まれずとも、気づかぬうちに商人の魔の手にかかるのだった。


翌日


青の綺麗さが前面に映し出される窓を開け放つと、清々しい朝の潮風を全身に浴びることが出来る。

まだ少し慣れない変な匂いにも負けず、ロニスは明るい声で、部屋の外で気配を殺しているメイドに話しかけた。


「おはよう!私が起きる10分前くらいからそこにいたよね?

たぶん昨日すれ違った黒い髪の人でしょう?

あなた常に私を一番に警戒してた。

そうした方がいいって自分で判断したんでしょう?

私はあなたのお眼鏡に叶いそうかしら?」


メイドは気配を殺すのをやめ、戸を開けてメイドとしての笑顔を作っていた。


「おはようございますロニス様。ご無礼をどうかお許しください。

私は当屋敷のメイド長を務めております。シュリと申します。

ロニス様が滞在されている間、身の回りのお世話を致します。お見知りおきを。」


シュリは黒い髪を肩程に伸ばして切り揃えており、よく手入れされていてサラサラだ。

二重だが目元は鋭く、肌の色が今まで見てきた人々とは異なり肌色に近い。

背丈は150cmほどでロニスとあまり変わらない。

武器を隠し持っているわけでは無さそうだが、いかなる時も交戦可能であるような風が立ち姿だけでも覗える。


「本日の予定ですが、お昼過ぎにオスカー様から皆様をお迎えに上がると言伝を預かっております。

それまでは自由にお過ごし下さい。今の早朝の時間ですと港を見て回るのがおススメです。」


「そうなの?どうして?」


「今日は天気もいいですし、魚が大量に上がっていることでしょう。

新鮮な物をそのまま捌いて提供してくれる商人もいらっしゃいます。」


「捌いてそのままって...もしかして生で?!」


「生でございます。」


雪の厳しい環境下で育ったロニスは、これまで魚といえば固く凍った物を薄く削り出し、スープに入れるなどの使用法が一般的であると思い込んでいたが、港町では生で食べるのが一般的な様で文化の違いに驚いていると、シュリから提案があった。


「...良かったら私も同行致しましょうか?私もお刺身食べたいですし。」


「ホントに?ありがとう!実はちょっと迷子にならないか心配だったんだよね...この町とっても道が多いから...」


「初めて訪れた方は皆そうおっしゃいます。

準備してまいりますので20分後に玄関に集合しましょう。」


「わかった!」


ロニスがいつものラフな格好でポートと玄関で待っていると、シュリは左腰のあたりに短めの剣を装着したベルトと黒いポケットの多いズボン、サイズ大きめの灰色シャツ、動きやすく蹴りのしやすそうな黒のブーツを身に纏っている。まるで極限まで無駄を省いた異界の冒険者だ。

戦える女性とはいえ、髪も含めて全身真っ黒で少し近寄りがたい姿である。

それに彼女の剣は普通より少し湾曲した物で、ロニスは初めて見る形状だった。


「その剣、初めて見る形をしてるんだけど、どうゆう物なの?」


「これですか?これは「カタナ」という家系に代々伝わる製法で作られた剣です。」


そういいながらシュリはカタナを抜いて見せた。

刃が反りの外側にしかなく、側面にはこの町に来た時初めて見た、海の波紋のような模様がついている。

反りの内側の切れない方を用いることで、相手を切らずに制圧することも出来る臨機応変な剣、優しい心の持ち主なのだとロニスは感じた。


「少し持ってみますか?切れ味が鋭すぎるので刃には触れないで下さいね。」


「ありがとう!」


すらっと細い刀身は温かい朝の光を冷たく反射している。

刀身は少し短く、ロニスの剣と比べると重心が手元に寄っていて片手で扱うのに適している様だ。

刃は言われた通り、ひと撫でで骨まで届くことだろう。

扱いやすそうに見えて気を抜くと装備者の首が飛ぶようで手汗が滲む。


「凄いね...これ。ありがとう。いい護衛がいる事だし港に行こうか!」


「はい。人が多いので私の後にしっかりついてきて下さい。」


二人は歩いて港に向かう。

辺りをきょろきょろしながら歩くロニスに対し、シュリは真っ直ぐ前を見ながらロニスの様子を確認する為、時々後ろに視線を向けている。

シュリはこの辺りでは有名人なようで、行きかう人々からひっきりなしに挨拶が飛んでくる。

仕事でしているハリボテの笑顔とは違い、感情の起伏を感じることができる声で挨拶を返している。


「シュリちゃん!おはよう!今度また居合を教えてくれよ!」


「おはよう!カロンさん!ええ!またきっと!」


「シュリ!おはよう!今日も勉強頑張って来るよ!」


「行ってらっしゃい!トミー!後で様子を見に行くからね!」


「おう!シュリか!おはよう!今日はいいのが揚がったよ!

おや?そっちの子は連れかい?キョロキョロしてるとこを見ると、ロイドが連れて来たっていう客人だろ?

ならウチの魚を食べていきな!嫁がこの近くで料理屋をやっってんだ!

シュリ!お前も朝飯はまだだろう?寄ってけよ!」


「そうね!そうさせてもらうわ!あ、それとこの魚と...あれとこれも屋敷までお願い出来るかしら?」


「おう!流石だな!今日は上物揃いだがそれでも抜け目がねぇ!

任しときな!それと隣の嬢ちゃん!この町で物を買うならシュリと一緒にな!コイツは顔が効くから!

ガハハハ!!!」


魚屋の主人は豪快に笑って、シュリは少し照れくさそうだ。

その顔で少しずつこちらの様子を伺ってくるシュリに、ロニスは少し胸がときめいた。

更に少し歩くと魚料理屋に行き着く。

ロニスには嗅いだことのない魚介の美味しい匂いが顔の周りを囲い、心地よい脱力感が腹のあたりから登ってくる。


「やあ!シュリじゃないか!そのカワイイ嬢ちゃんも一緒かい?

さ!こっち座んな!今日は刺身がイイのあるからね!それでいいね!」


「うん!ありがとう!ロニスは生魚初めてだから美味しいのお願い!」


「任しときな!」


店の中は太いロープを編み込むことで出来る装飾を壁にあしらっている。

普通の部屋を少しでもオシャレな空間にしようという努力が感じられ、ポートは乗り易そうな場所を見つけてハンモックの様に揺られている。


「シュリ、魚ってどんな味するの?」


「それは食べてみてのお楽しみです。ほら、来ましたよ。」


「お待たせ!シュリ、あんた仕事ではそんな不愛想な感じなのかい?

それがやり易いならいいけどね、私はもっと普段の感じでやったらどうかと思うよ!」


「う、うるさいなあ!いいでしょ別に!ロニスさん!食べましょ!」


ロニスは態度がころころ変わるシュリに笑顔になりながら、初めての刺身を食べてみることにした。

新鮮な鯛の切り身が皿一面花の様に並べられており、フルーティーな香りのする黄色いソースが薄くかかっている。

切り身は皿の綺麗な花の柄模様が透けて見えるほど薄い。

目の前に置かれた小皿には何もかかっていない3切の刺身と塩の入った物が置かれる。


「嬢ちゃん、まずは何もかかってないヤツを食べて見な!絶対気に入ってくれるわ!

お好みで塩付けてね!そこのドラゴンは小魚丸ごとの方がいいわよね?」


「わ!ありがとうございます!」


女将はポートをひと撫ですると、魚の匂いがするようで、鼻を鳴らす。

上機嫌で厨房に消えていく女将を尻目に、ロニスは一切れ刺身を口にした。

舌に触れてすぐにはどんな味か分からなかったが、咀嚼していくうちに少しずつ魚の脂が溶け出し、旨味が口に広がると、神妙だった面持が笑顔に変わる。


「...おいしい!魚ってこんなに美味しいんだ!こっちのソースのかかってる方も...」


ソースにはオレンジ、レモン、オリーブオイル、塩が混ざっている。

かなり酸味が効いていて初見では顔を窄めるだろうが、それが癖になってまた一枚と手が伸びる。


「すっぱい!!でもこれ癖になる!」


「そうでしょう!ここの味付けは最高ですよね!」


「そんなに褒めても何も出ないよ!ほら!小さなドラゴンさん、小魚の盛り合わせだ!」


女将は皿に売り物にならない小さな魚を盛り、そのままポートに出した。

いつもより尻尾の揺れが大きくなって目はもう釘付けだ。


「良かったね!ポート!」


「シュリ、そういえば今日シエラを見たよ。もうそろそろ儀式の時期だからねえ。今年は誰だと思う?」


「ん...どうだろうね...私にしてみれば、警備を強化しないといけなくなるからあんまり楽しみではないんだけど。」


「そんなこと言っちゃって!本当は選ばれたいんだろう?わかってるんだから!」


「そんなことないって!もう!勘弁してよ!

選ばれた女の子がその後どれだけ男どもに色目使われるか分かってるでしょう?!

私はあれが嫌なの!」


女将とシュリが何やら興奮気味に話しているのが気になって、ロニスは一旦手を止める。


「なんの話してるの?」


「なんだロニスちゃん知らないのかい?

ポーラにはルサールカとの友好を維持する為の儀式が年に一回あるんだ。

儀式と言ってもお祭りみたいなもんさ!

あと一か月後だったかな?ロニスちゃんも見たらいいよ!」


「その年、町にいる一番美しい女の子が選ばれて海の上でルサールカ達と歌うの。

それはそれは綺麗で、歌わないルサールカも陸に上がってくる者が多いわ!」


「へえ~。ん?...ルサールカって陸に上がるの?!」


「そうよ!知らなかったんですか?

彼女たちが陸に上がると、もう人間と見分けがつかないの。

だからそのまま意中の男性とゴールイン...なんてこともあるわ。」


「そ、それ、ちょっとうらやましいかも...」


「ははは!!!若いねぇ!ほら、食べちゃったらさっさと行った!

ずっとウチの店に留めておくなんてもったいないこと出来ないよ!

ポーラの朝はまだまだ見どころがあるんだからね!シュリ!銅貨5枚だよ!」


「それもそうね!ご馳走様!今日も美味しかったわ!」


シュリが女将の手に銅貨5枚を置く音を聞いて、魚を食べ終わり一休みしていたポートはロニスの肩に飛び乗って背中を尻尾でぺちぺち叩き始めた。

まるで早く行くぞと急かしている様だ。


「ハイハイ、行きますとも。シュリ、次はどこに行くの?」


「ありがとうね!」


「やっぱりこの町に来たからには買い物の仕方をマスターしてもらわないといけないわね。」


「買い物?買い物くらいした事あるわ!」


「ここでも同じことが言えるかしら?さあ!マーケットに行きましょう!」


港から少し内陸に歩いて行ったところにマーケットと呼ばれる場所がある。

海風の強く吹くポーラではあるが、周囲が建物に囲まれている空間にある為、大きな傘を建ててその中に商品の入った箱を処狭しと敷き詰める。

売り物の大半は日常雑貨、小物、お菓子類である。

まだ朝の込み合っていない時間であるが、散歩をしている子どもや老人、旅人が多く散見出来る。

よく見ると商人達は、旅人にはここでしか買えない貴重な物だと声をかけ、地域住民にはより質のいい物があるとそれを勧め、オマケまでしている。

これまで出会った人たちが言うように、この町で他所者が自分のやりたいように買い物をするのは難しいかもしれない。


「さあ、ここがマーケットよ。あなたには朝の内に良い買い物の仕方を学んで欲しいの。最初は難しいかもしれないけど、一緒に頑張りましょう!」


「確かに旅人と他の人とでは対応が少し違う気がする...でもそこまで気にしなくてもいいんじゃない?」


「じゃあ試しにあそこの商人が売っているクッキー、一袋買ってきてくれるかしら?

私は透明になって隠れておくから。」


「そんなことでいいの?簡単よ!すぐに買ってくるわ!世間知らずなんて言わせないんだから!」


意気込んだロニスは肩乗りドラゴンと共にクッキーを販売している商人の元まで歩き出す。

その商人の露店はクッキーを売っているだけあって自然由来の甘いいい香りを漂わせている。

子どもと買い出しに来ている母親がお菓子をねだられていたり、優しそうなおじいさんが孫の為にと買っていく姿も見られる。

この傘の下は地元の方が多いので、ロニスが近づいた時には皆が少し目線を向け、必然的に目立つ形になってしまった。


「すいません!その美味しそうなクッキーを一袋お願いします!」


商人のおじさんはロニスの全身を見た後、優しい笑顔を作り会話し始めた。

他の常連客を捌きながら会話を続ける。


「はいはい!ちょいとお待ちを!お嬢さんどっから来たんだい?」


「フランから来たのよ!仲間がこの町の出身で立ち寄ったの!」


「そうだったのかい!フランって事は...あの雪の多い所だろう?まだ若いのにすごいなぁ!」


「へへ...なんか嬉しいな!」


「ここいらで寒い時にはね、このジンジャーっていう根っこをクッキーに練り込んだり、お茶にいれたりして温まるんだ。」


そういいながら商人は傘にロープで縛って垂らしているジンジャーを指さした。

黄色く太い根っこはお菓子とは違うツーンとした独特の匂いをしている。


「へえ~これって美味しいの?」


「それは買ってみてのお楽しみだ!どうだい?

ちょうどジンジャー入りのクッキーもあるんだがそっちも買っていかないか?二袋で銅貨5枚に負けとくよ!」


「いいの?おじさん優しいのね!ちょうどジンジャーも食べて見たかったし嬉しいわ!ありがとう!」


ロニスは何のためらいもなく商人に銅貨5枚を渡し、シュリが待っている場所まで戻った。

足音は弾んでいる。


「シュリ!買って来たよ!買い物くらい一人で出来るに決まってるじゃない!

ジンジャーのもあるのよ!おじさんが負けてくれたの!」


「ロニス、不合格よ!」


シュリはため息を付いてやっぱりかという表情をしている。

それでも優しく教えんと表情を作り直した。


「いい?私はクッキー一袋買ってきてとお願いしたのよ?どうして二袋持っているの?」


「だってジンジャーも食べて見たかったし...」



「それなら家の厨房にもジンジャーはあるわ。

ジンジャーはクッキーに混ぜるより他の調理法をした方が効果が高まるのよ。

それにもう冬は過ぎたのに、商人に温まるからと言われて買ったわね?大きな減点です!」


「そ、そんな...で、でもそのほかは問題なかったでしょ!どう?」


「どう?って問題おおアリよ!あなた、クッキーがいくらかちゃんと確認したの?」


「え?二袋買ってオマケしてくれたから...一袋銅貨3枚?」


「違うわ...銅貨二枚よ。

あの露店はほとんど町の人しか行かないから皆値段を知っていて、わざわざ値札を出したりしていないのよ。ロニス、あなたは二袋を銅貨5枚で買わされたの。」


ロニスは自分が何を言われているのか理解できなかった。

優しい笑顔のおじさんが銅貨1枚をまさか自分から巻き上げただなんて考えもしなかったからだ。


「わ、わ、わ、わたしどうしたら...」


この世の終わりかの様にわなわなしているロニスに、シュリは少し笑いかけて励ます。


「でもまぁ、初めてならこれだけで済んでラッキーだと思いなさい!ほら、あそこの旅人を見てごらん?」


シュリはロニスの肩を掴んで一回転させ、背中に胸を密着させて、ロニスに分かりやすいように指をさした。

その方向には各地を旅してきたであろう年期の入った装備を身に着けた、30歳ほどの男女の旅人がいた。

男は女にガラス細工を買おうとしている。

会話の合間に、ガラス細工の商人とシュリと目が合う。

シュリが商人に向かってウィンクをすると、商人は不敵な笑みを浮かべた。


「このガラス玉のネックレス、とても綺麗だ。君によく似合いそうだな。」


男は丸いガラス玉の中に不規則な美しい模様を含んでいる物が胸の前で輝くネックレスに目をつけた。

商品の前には値札はなく、交渉の腕が試される。


「中々いい目をお持ちで!この町でガラス細工といえばこの店しか取り扱いがありませんよ。

その分いい物をそろえております!」


その商人の出で立ちは、商人とは思えない髪の纏まりのなさと、元は白かったであろうシャツには様々な染料が混ざって少し黒ずんでいる。

手も切り傷や手首にはやけどの跡が目立っていて、商人というより、自分で作った物を自ら売りに出している職人という方がしっくりくる。


「私もこれがいいと思うわ!あなたいい腕してるのね。」


「私なんてまだまだでございますよ!でもそんなこといわれちゃあ、銀貨2枚に負けるしかありませんね...」


「銀貨2枚か...他の町でもガラス細工を見たことがあるが、銀貨1枚銅貨3枚でしたよ?」


「ふふ!私たちから取ろうだなんて無理よ!」


「流石!いい装備してるだけのことはありますね!しょうがない!銀貨一枚でどうでしょう?」


「もう一声!それで即決するよ。」


「全く旦那は商売上手ですね!参りましたよ!銅貨9枚だ!これ以上は無理だ!」


「いいや、まだいけるという顔をしているね。私には分かるよ。どうなんだね?」


「これも破られるとは...分かった、銅貨8枚だ!これでダメなら他で買ってくれ!」


「よし、買った!実にいい買い物だったよ!」


男は得意そうな顔をしながら商人に銅貨8枚を渡し、ネックレスを女に掛けてあげた。

嬉しそうな表情のまま軽くキスした後、港の方に歩いて行った。

商人はやれやれとしょんぼりしている。


「ロニス、今のどう思った?」


「ちゃんと上手く買えてる様に見えたけど...」


「それじゃあ答え合わせに行きましょうか。」


二人はガラス細工の露店まで歩く。

ロニスには先程の攻防の何処に問題があるのか理解できず、足取りも少し重い。

ポートは何にも興味が無さそうに、ロニスの肩の上で眠りこけていた。尻尾は首に巻かれている。


「シュリ!いい商売させてもらったが、正直がっかりだ。」


「まあまあ、そういわずに!おじさん、いつもの見せてくれる?」


「あいよ。」


そういうと商人はガラス玉の棚を下げて、下に重ねてあった棚を見せた。

そこにはガラス玉など比べ物にならないほど精巧に作られた、魔物の形をした立体的なガラス細工が鎮座していた。

獣型なら毛並みの一本まで、ドラゴン種なら鱗の一枚まで綺麗に光を取り込んでいる。


「すご~い!!こんなのどうやって作るの?!」


「まあな!さっきのガラス玉なんてのはちょっとした遊びで作っただけだ。あんなのは銅貨1枚!端材の寄せ集めだからな!」


「え?銅貨1枚...あれ?さっきのお客さんには...」


「さっきのは装備が良かったから価値をちゃんとわかってくれると期待したんだがなあ...」


ロニスはまたも自分の頭で考えることが難しくなっていた。

あんなにベテランそうに見えた旅人でさえ、ここでは葱を背負った鴨なのだ。

もし自分が最初にこの店で買い物をしてたら、果たしていくら手元に残っただろうかと考えると、背筋が凍りつく思いになった。


「ポーラでは商人が客を選ぶのよ。値札が貼ってある商品は誰でもそれなりの値段で買えるけど、本当にいい物が欲しいならちゃんと”見る目”を養わないとね!」


「ち、ちなみにその狼のはいくらなんです...?」


「こっちの箱にあるのは皆金貨1枚だ。たまに王族もお忍びで来るなぁ。でも、大概は気分だ。俺が、この客には俺のガラス細工が相応しいと思ったら銀貨1枚でも譲ってやる!」


いつもそうしているのであろうシュリは、笑いながら事を返す。


「ふふ!いつもお世話になってるわ!」


「シュリには敵わなんな!隣の嬢ちゃん!明日またここに来な!

そのドラゴン、スノードラゴンだろう?今ちょうど新しい技法を試してるんだ。

練習台になってくれたら銀貨1枚で好きなの持ってっていいぞ!」


「ほんと?!でもどうして私の事そんなにすぐに信用しちゃうの?明日は来ないかもしれないのに。」


「それは...どうしてだかはこれから分かっていくことだ。

嬢ちゃんがこの町で立派に買い物できるようになったら自然と分かる事だから安心しな!」


「さあ!他の店も見て回りましょう!知識を付けなきゃね!」


「嬢ちゃん!この町でシュリより買い物が上手いヤツはいない!たくさん教えてもらいな!」


「うん!それじゃあまた明日!」


それから二人は様々な商人達と出会い、ロニスは見たことのない品に目を輝かせながら、シュリは後ろで目を光らせながら、露店を巡るのであった。

もうすぐ日が真上に差し掛かる頃、二人は屋敷に戻り、次の予定への準備をする。

忙しい一日を送っているのは彼女らだけではなく、何やら神妙な面持で合流したロイドもまた、ストレスのかかる時間を過ごしたようだ。


「ロイド様、顔色が少し良くないようですが、御父上と何かございましたか?」


「なに、何てことない会話だったよ。本当になんてことない。

声のトーンは変わらなくとも体を見れば分かる。

父さんはこの先長くないのかもしれない。声だけ衰えない様に頑張って張ってたんだろうな...

ずっと町の事を心配していたよ...俺の事は全く心配してなかったからちょっと安心したけどね。」


「ロイド...」


「でも大丈夫だ。この町には姉さんがいる!俺は自分のやりたい事をするよ。

それを父さんも望んでいる筈だ。」


「ロイド様、随分と前を向けるようになりましたね...

この屋敷を離れられた時間が貴方をここまで成長させるなんて、御父上が確かに心配する必要はないと思うのも納得です。」


「よしてくれよ。俺は勘当されたも同然で家を出たんだ。

ここまで帰って来れたのも運が良かっただけさ。」


「え!! ロイド、勘当されてたの?!」


「御父上がロイド様の才能を伸ばすための苦渋の決断だったのですが、当時のロイド様はそれを分かっているんだか、といった具合でどこか他人事の様でしたね!」


「そういうお前は俺が旅立つ時、今にも泣きだしそうだった癖に...」


「...!! それは言わない約束でしょう!」


「...意外とカワイイところもあるんだ...」


他愛のない会話に花を咲かせてあると、遅れて登場したヴェロニカは羨ましそうな表情を浮かべながら皆に挨拶をした。


「待たせたわね!もう外にオスカーさんの馬車が止まっているわ。

役者も揃ったことだし、転移魔方陣を見に行きましょう!」


ロニスは内心とてもワクワクしていた。

ノエル先生の研究を幼い頃から見ていた彼女は、賢明な指導のお陰で研究者には劣るものの、ある程度までは転移について理解を深めているつもりでいる。

転移というものは、どこからでも起こりえるが自然発生は極々低確率な現象の事で、何らかの生物が魔法を用いた結果発動するが、意図的に転移を発動させる事は困難を極める。

何故なら、誰も何かを転移させるというイメージを持つことが出来ないからである。

紙切れ一枚を掌から机の上に、何の力も加えず、一瞬で移動させる方法など、どう頭を捻っても出てくるものではない。

それでも、低確率ではあるが、この世界では転移が起きている。

この難題をたった一人で解決して見せたのがジンという男だが、彼の才能は時代を先取りし過ぎた産物であり、我々の様な凡夫には豚に真珠と言わざる負えなかった。

その真珠の価値が、近年になってようやく理解され始めたところなのだ。


屋敷の外に停車している馬車は、豪華絢爛という訳ではなく、全く目立たない、むしろ地味な印象を与える物だ。

座席には心ばかりのクッションが置いてあるだけで、とてもポーラをまとめ上げている男が手配した物とは思えない。


「皆様!お迎えに上がりました!こんな見窄らしい馬車で申し訳ない。

魔方陣はとても貴重な物なので、後をつけられると困るのです。どうかご容赦下さい。」


「御心使い大変感謝いたしますわ。それで、どちらまで行かれる予定ですの?」


「それは申し上げられません...

それから、皆様が馬車に乗っている間、外の景色を遮断する魔法をかけさせて頂きます。」


「まあ、それほどまでに貴重なんですのね...」


一行が馬車に乗り込み2時間ほど経過した頃、ようやく目的地に到着した。

道中、曲道も大きな揺れも感じなかった為、感覚を狂わす魔法もかけられていることを皆が察知していた。

下されたのは港町から離れた森の中にある小さなログハウスだった。

辺りを見回すと、これまで馬車で通ってきたはずの道に車輪の跡が無いことに気が付いた。

よく観察すると、車輪で潰れた道の雑草が、横たわった傍から生命力を取り戻している。

外見から見ても部屋は一室しかないであろうログハウスの四隅には、屈強な男たちが警備についている。

入口近くに張っていた警備員がオスカーの連れてきた客人をまじまじと観察した後、低い声で挨拶を始めた。

話が始まった途端、ポートは少し辺りを警戒し始めた、男の事が気になるようだ。


「お疲れ様です、オスカー様。そちらが連絡にあったお連れ様ですね。

確認しましたところ、悪意は無いようです。今鍵を開けます。」


「ここの警備員たちは人の悪意を感じ取れるんですの?」


「見た目は実に屈強でその実頼りがいのある者ばかりだか、根は優しいんです。

私は何か大切に保管しておかなければならない物が出来た時には、いつもここに置くようにしています。」


「それだけ信用に値するってことは、もしかしてこれまでに何回か襲われて撃退した経験があるんですか?」


「お恥ずかしながらそうなんです...それでも何か盗まれたことはこれまで一度もございません。

本当に素晴らしい仕事をしてくれますよ。」


「確かに凄く強そうだもんね、周りの警備員さんたちも姿は見せなくとも警戒してる圧を感じるよ。

それにこのログハウスもただの木の家じゃない、木に見せかけたもっと固い物を使ってる?」


ロニスはログハウスを叩きながらオスカーにキメ顔と共に尋ねた。幼い顔でありながら、デートの席で彼女にワインのテイスティングを披露する二枚目の様な気取った顔だ。


「ああ、それはよく間違われる方がいるのですが、硬化の魔法をかけているだけなんですよ。

この警備員のルジェ―ルがかなりの腕でしてね。」


「ありがとうございます。」


キチンとした受け答えで淑女の質問に回答した後、先ほどの警備員を指した。

ロニスは後ろから感じるシュリの視線に、ここから先はもう発言しまいと心に決めたのであった。


「ロニス、屋敷に戻ったら目利きの続きです。

深夜にしか店を開かない魔道具店も多くありますので、今夜は覚悟しておいてくださいね。」


「はい...分かりました...」


苦笑いの一行はルジェ―ルに案内され、ログハウスの中へと入る。

部屋は見立て道理一室で、玄関から見て左右の壁に1m四方の窓があるだけだ。

内部は暗く、光源となるものはないが、カーテンのかけられた窓から漏れる微かな木漏れ日が細やかな温かみを差し出してくれる。

目的の物が鎮座している部屋の中心までは意外と容易く、暗闇に飲まれることなく進むことが出来る。

その魔法陣は、鉄の檻に入れられ、仄かに光を放っていたのだ。


「皆様、これがジンが残したとされている転移魔方陣でございます。

仄かに放っている光は、転移先の光が漏れているからだと言われており、この町とは周期が違うようですが光が強まったり弱まったりを繰り返してるのは確かです。」


「なるほど...この光が出る現象は見たことがあるよ。

ノエル先生も同じ様な実験をしてたことがある。

転移魔方陣がいつでも使える状態にある証拠だ。

私が見た光の周期は町の日と一致してたから、此処からは遠い何処かに繋がってると思う。」


「流石ノエルさんのお弟子さんですね。

転移研究の情報は私でも掴むのが難しいのです。

彼らはこの技術が悪用されぬように生涯をかけて守り抜く覚悟のある者ばかり。

私はこれを実のところ持て余しているのです...

最初は研究者の方々に譲渡しようとしたのですが、こんな突拍子も無い物を引き取ろうとする方は居らず、命を狙われるのではと恐れ、実物を見に来られた方も居りません。

勿論ノエルさんにも声をかけてはみたのですが、返事は期待できない類でした...

冒険者の様に怖いもの知らずでありながら転移研究に精通してる夢のような者はいないかと妄想していました所、ロニス様が居られたのです。」


オスカーの何とも達成感のある熱弁を聞き流しながら、各々は鉄の檻に囚われている魔方陣を観察し始めた。

それはただの小さいテーブル程の、大判とは言えぬサイズでありながら、文字が左から右に小さく細かく羅列されている。

よく見て見ると現代で使われている文字と変わらない物で構成されている。

魔方陣とは特定の魔法を誰でも簡単に発動できるようにする為の文字の羅列である。

紙に描かなけれなならない決まりはなく、現にロニスが所有しているギルドカードの裏には魔方陣が刻まれており、魔力を込めるとその者が向かいべき場所を指し示す光が出る細工が施されている。

目を凝らして見ると解読可能な文章になっていて、その魔法についての情景がありありと浮かぶ描写がぎっしりと書かれている。

その文章に魔力を流し込むことで魔法を使用することが出来るのだが、誰でも理解し想像させる文章を描きたい物の一面に書き記さなくてはならない為、非常に手間と時間のかかる代物だ。

一枚の魔方陣を作成するのに1か月以上かかるのは当たり前で、失敗したなら、使用者ごとに違う魔法が飛び出す危険極まりない物が誕生する始末だ。

その為、たとえ目の前にある魔方陣が本物であったとしても、得体のしれない魔法を使った人間がどうなるかなんて、その時にならなければ分からない。


「オスカーさん、これどこに繋がってるか分かったりする?」


「それは分かりかねますね...魔方陣の解析を進めた所、どうやら勇者の仲間達にしか分からない場所のようでして...

つまりは、誰でも使える魔法陣ではなく勇者の仲間限定で決まった場所に転移出来る物の様です。」


「具体的にはなんと書いてあったんです?」


「”たとえ世界が滅びようとも皆の脳裏に刻み込まれた彼の地”という記載があります。

文章を読み込んでも推測は出来ませんでした。」


「俺もその勇者の事を調べた事はあるが、剣術で有名なギフケの出身者が多い事しか分からなかった。

仲間の情報はあまりに少なすぎる。」


「そうなると本当にどこに飛ぶか分からないね...」


「こんな代物をどうして報酬なんかにしようと?」


「これはどうしようもなく使い道も無い、と思われるのも無理はないでしょう。

しかし、私はロニスさんならではの使い道があると思っております。聞けば、フィオルに行かれるとか。

あの地はかなり腕のある冒険者でも苦戦強いられる地。

この魔法陣を緊急時の脱出用に御使い頂けるのではないでしょうか?」


この提案は、貴重な文化財とも言える物を、使い捨ての高級命綱として使ってくれないかという提案である。

馬鹿げている、そんな事はこの魔方陣の価値を分からない人間でも滅多に口にすることはないだろう。


「そんな!これは使い捨てていい様な物ではありませんわ!」


「確かに本来そんな使い方をしたら罰が当たりそうだが、俺にはそれ以外の使い道が思いつかないな...」


「ロイド!あなた正気なの?!これは保存しておく事に価値がある物よ!」


「でも、研究者にも渡せず、有効活用も出来ない。

ここに置いていても盗まれるのは時間の問題だ。」


「そんなことないわ!

私に任せて頂ければ、必ず相応しい引き取り手を探し出して見せます!」


「残念ですが、私も死力を尽くしたつもりです。

その結果出した答えがロニスさんに託す事。

それにこれ以上、ルジェ―ルに危険な思いをしてほしくはないのです。」


どうにか口を挟まないと、また何かに巻き込まれる気がして、ロニスは思わず口を挟む。


「そんなもの私に託されても困る気が...」


「あなたは黙っていなさい!」


険悪なムードが漂い始めた会話に、ヴェロニカがロニスを怒鳴ったことで、場に更に緊張感が走る。

怒鳴られるとは思ってもみなかったロニスはびっくりして固まってしまった。

肩に乗っていたポートは、机に降りてヴェロニカを見つめ警戒を始めた。


「おい!姉さんちょっと上がり過ぎだ。落ち着けよ。」


「これが落ち着いていられますか!ロイド!あなたもどうしてそう冷淡になったの?

そんなにこの町を離れた旅が良かったなら帰って来なければ良かったじゃない!」


「どうしてそう偏った事を言うんだ...冷静に考えてもみてくれよ。

オスカーさんほどの人が信用を得られなかったんだぞ。

姉さんが他を当たっても無駄だろ?何を根拠にそんなこと...」


「根拠なんてないわ!

オスカーさんがここに置くのが無理だというのなら、ウチの屋敷に置いておけばいい!

警備もちゃんと付けられるわ!」


「警備を付けられてもルジェ―ルほどの者を常に付けられる程、この町の冒険者の質は高くない。

メイド達だって給仕がある。感情的に物事を決めるのは危険だ。」


「それをこれから上げていこうとしてるじゃない!

ロニスちゃん!明日は冒険者ギルドに行くわよ!」


ロニスはもう断れる雰囲気ではなかった。

無言のまま首を縦に振り、睨みつけているポートの尻尾を優しく掴み、自分の手元に引き戻した。

ロニスの明日の予定は露店のガラス細工商人の元に行き、ポートをガラスで再現してもらう事だったが、それは小さなドラゴンにおつかいさせるように仕向けよう。

果たして、上手く行くのだろうか。

そんな呑気な考え事をしていたが、ヴェロニカの表情と気迫を視界に収めていると、なんだか間違っている事をしている気がして、ロニスは真面目な顔をし始めた。

その一連の葛藤が顔に出ていたのか、ヴェロニカはロニスの表情の変化を見て、自分が感情的になって説得しているのが馬鹿馬鹿しくなり、くすっと笑ってしまった。

オスカーはその気の緩みを見逃さなかった。

彼は大きく一回、手を叩いて一瞬のうちに全員の視線を集め、流れを断ち切った。


「それでは皆さん、ポーラの冒険者ギルドに行ってみませんか?

きっと、冒険者のレベルを見ればロニスさんに託すのが正解であると分かってくれる筈です。」


「そうですね。ロニスもそれでいいよな?」


ロイドが柄にもなく片目でウィンクをしていて少し気持ちが悪かったが、ロニスはこの誘いに乗らないとこのログハウスから脱出できないと思い、一芝居打つことにした。


「わ、私?!私もそれがいいと思うわ!」


実力があるかどうかは別の話であるが。


「まあいいでしょう...私も少し言い過ぎましたわ。

こんなに取り乱したのは何年ぶりかしら。

ロイドが屋敷にいたころは頻繁にやっていた気がしますけれど、お互い大人になったって事かしらね?」


「正にその通りでございます。

お二人がまだ小さかった頃は喧嘩を止めるのが大変で、シュリはそれを見る度泣いていたんですから。」


「ちょ、ちょっと!なんでそんな事言うんですか?!ほら!もう行きましょうって!」


険悪な雰囲気が一気に流れ、今から皆でお昼ごはんでも食べに行くかの様な和やかな空気に変わり、ロニスは戦闘力とは違う、商人の力を身をもって体感したのであった。

小屋を出た一行は、ルジェ―ルに見送られながら再び馬車に乗り、港町まで戻って来た。

屋敷の前で全員が下りると、そこからは徒歩で冒険者ギルドへと向かう。

道中ロニスが全員に、肉と野菜のサンドウィッチを買うと、これはシュリに好評だったようで小言を言われることはなかった。


ポーラ冒険者ギルドは、フランの様に大きな屋敷ではなく、この町が出来て間もない頃に一区画を丸ごと買い取り、それをそのままギルドとして運用している。

名を「ポーラ冒険者組合」という味気の無い名をしているが、当時の建物そのままに、丁寧に使い込まれていることもあって観光地としても人気がある。

ギルドの敷地は広い上に部署ごとに建物が別れており、様々な人が往来している。

まもなく夕方になろうという時間帯もあってそれほど活気がある訳ではないが、お偉いさんが視察するにはちょうどいいだろう。


「さあ着きました。ヴェロニカ、貴方はここに来るまでもなく分かっているでしょうが、正直ポーラの冒険者のレベルは高いものではありません。

それを分かっていながら一時の激情に任せ口論したのです。

それは恥ずべき行為。

これから新人冒険者を指導してくださるように頼んだロニスさんに、どう顔向けするつもりだったのですか?」


「ロニスちゃん、ごめんなさい...私、ちょっとやりすぎちゃったわ。でも安心して!これから挽回していくから!」


「私は全然気にしてないよ!」


「これがこの兄弟の昔からのやり方なんです。大目に見てやって下さい。

では、私は他の用が御座いますのでここで失礼致します。ロイド、手を貸してくれますか?」


「俺?いいですよ!」


「ちょっと人手が要りましてね...ヴェロニカとこの町の冒険者を頼みます。それでは!」


そう言い残すと二人はまた屋敷の方に戻っていった。

ロイドはまだ頭にモヤがかかっているようだったが、それでも信頼できる人にはついていく性質の様だ。


「オスカーさんって凄く優しい人なんだね。本当にみんなから尊敬されてるんだ!」


「ここまでの会話でそんなことどうしてわかるの?」


「だってさ、ここまでの旅の中であんなに皆から暖かい視線を貰ってる人は見たことないから。」


「なんです、その理論は?どうゆう事なの?」


これは理論ではない。

その事を知っているシュリは、何かを掴みかけているロニスに関心した。


「ロニス、今日は随分と色んな事を学んだようですね。」


「うん!夜の露店も楽しみになって来たよ!」


「いい心がけです。」


「どうして二人は通じ合っているのかさっぱりだわ...」


ヴェロニカは心の何処かで、推し量れない商人としての才能が劣っている様な心細さを少しだけ感じたのであった。

冒険者ギルドまで来たのは視察の為であったが、その実、オスカーさんがヴェロニカの頭の冴えを取り戻すプロセスを彼女たちに気を使わせずに行ったのだと理解したのは翌日の明け方だった。


翌日


シュリとの夜の怪しい街歩きを楽しんだロニスは、持ち前の若さで朝も快調だ。

起きてすぐにポートの足に手紙を括り付け、窓の縁からガラス細工商人の元へ送り出した。

昨日のうちにシュリが調達した魚の切り身を、お手製の調味料に漬け込んだ物を葉物野菜と一緒にパンに挟んだサンドイッチを厨房から貰い、手早く身支度を済ませる。

朝一番に屋敷を飛び出したロニスは、誇らしげだった。

ギルドに着いたロニスは、昨日知り合った新入りの嬢に挨拶をした。


「おはよう!チェシ!私の生徒はどこかな?」


「おはようございます!ロニスさん!もう皆集まってますよ!

新人さんだけでなくベテランさんまでも!

フランのランク1冒険者はやっぱり珍しいですもんね!」


茶髪を活発な雰囲気に合わせてベリーショートにしている新入りの嬢は昨日と変わらず元気であった。

ギルドの顔とは正にこの子のような者の事を言う。


「私、がぜんやる気出てきたよ!じゃあ頑張ってくるね!」


「行ってらっしゃい!」


ギルドの広い空き地には20人程の人だかりが出来ていた。

集まった皆が有名人でも見るかのような視線を向けてくるが、ただ一人、何か違う視線を向ける者がいる事をロニスは見逃さなかった。

とても綺麗な金髪で、その輝きは海の光をそのまま反射させたかのようだ。

観察すると、瞳の色も金色で、この町で最初に見たルサールカにそっくりだ。

お互い見つめる様な格好になってしまった時、どうやら先に到着していたヴェロニカが音頭をとる。


「ロニスちゃん!こっちよ!主役が到着したわ!

それじゃあこれから稽古を付けて貰う訳だけど、その前に何か質問ある人はいる?」


ここで一人の男が手を上げる。

ベテラン冒険者だろうが、まだ25歳ほどに見える。茶色味を帯びた赤毛を短く刈り込んだ威勢のいい男の体躯は、ロニスの1.5倍はありそうだ。

各関節に最低限の防具を付け、ロニス2人分はあろうかという鉄の大剣を担いでいる。

最近新調したのか、柄からは革の匂いがする。


「お嬢ちゃんがロニスか!俺はビッツだ!大剣のビッツ!

数少ない討伐依頼を引き受けてる者だ!

俺は正々堂々行く男だからな!お前が一番元気な内に立ち合いを申し込む!」


「本当に大丈夫?あなたがこの中で一番なら、私の期待を返して欲しいくらいなんだけど...」


「そんなこと言っていられるのも今の内だぜ!さあ!いくぜ!」


そう意気込んだビッツの大剣は、ロニスの脳天めがけて振り下ろされたが、軽いステップで右に避けられ、左手で発動させた青い火球によって溶解した。

ありえない物を見るような表情をしているビッツが自身の大剣から目が離せないでいる内に、ロニスは剣を抜き、ビッツの首の薄皮を切った。

針で刺されたような痛みを感じたビッツが視線を戻すと、自分の首に剣が向けられているではないか。

飄々としながら首を落とさんとしているロニスに、ビッツの足腰はもう限界だった。

その後は端の方で座って、新米冒険者が稽古を付けて貰っている様を観覧していた。


夕方までの平和な稽古を終えたロニスは、一日ずっと観覧していた女性に近づいた。

彼女が話したがっているのが手に取るように分かったからだ。


「あの、今日は退屈じゃなかったですか?」


ロニスも話がしたいのは山々だったが、相手が何を求めているのか分からず、自分でもどうしてそんなことを聞いたのか分からない話しかけ方をしてしまう。


「私、シエラって言うのよ。ロニスちゃん。」


シエラという名、ロニスはどこかで聞いたことのあると思ったが、思い出せない。


「この後、少し開いてるかしら?ちょっと港の方まで歩かない?」


彼女の声は不思議と良く通る声だった。

それにどこか懐かしさを感じる。


「...もしかして何処かで会った事ありますか?」


夕日が海に綺麗な光の道を作る。

港から海岸沿いにレンガが積み上げられており、生鮮品を売りさばいている商人のほとんどは帰りの支度を始めている。

売れ残った魚を寄って来た猫に振舞う者、今日一日の銭を数える者、隣同士で物々交換を始める者。

とろ火の中を潮風が通り抜け、ロニスの火照った頬を冷やす。

シエラは懐かしい風景を呼び起こす様にロニスを見つめている。


「ええ、あるわ...」


「!!本当ですか!何処で?」


打ち解けつつある雰囲気の中、ヴェロニカの呼び声が背後から響く。

とっさにロニスが振り向くと、ヴェロニカが万遍の笑みで駆けよってくる。


「ロニスちゃん!こんなところにいたのね!シエラさんと二人でお散歩かしら?」


「うん、なんかちょっと懐かしい感じがして...あれ?」


背後にいたヴェロニカと話している数秒の間にシエラはどこかに消えてしまった。


「あれ?手に何か持ってるようだけれど...」


ロニスはハっとして何も握っていなかった筈の左手を見る。

そこには、オーロラの様に輝く一枚の鱗が乗せられていた。

魚類特有の薄いものではなく、ある程度の厚みがあって、掌の中心に収まる形である。


「それ、あなた...選ばれたのね!凄いわ!」


「選ばれたって、どうゆうこと?」


「こうしては要られないわ!帰って皆に報告しなくちゃ!」


ヴェロニカは問答無用で腕を掴み、屋敷まで走り出す。

身体は疲れていたが、心は踊っていた。


「シュリ!これを見てちょうだい!ロニスちゃんが!」


「お帰りなさいませ。どうしたんですか、そんなに慌てて...」


ロニスの手の中にある綺麗な鱗を見るや、シュリは顔を赤らめ口元を抑える。

とても動揺しているようだ。


「シュリ、これ何なの?そんなに驚くような物?」


「...これは...その...あなたは今年の儀式の主役に選ばれたの...覚えてる?

初めて魚を食べたお店で。私が女将さんと話してたこと...」


「そんなの覚えてないわ!私これからどうなっちゃうの?」


「いい?これをシエラさんから渡されたって事は、ロニスは今、この町で一番美しい女の子って意味なの。

知らない男にこれを見せたりしたらどうなるか、わかる?」


「どうなっちゃうの?」


シュリは何か破廉恥な事を言い出す前に、ヴェロニカはこの話題を何とか逸らそうとする。


「それは...知らない方がいいかもしれないわ!とにかく!当日までそれは誰にも見せない方がいいわね...」


「でも、当日になったらバレちゃうんだよね?その時はどうするの?」


興奮している二人は押し黙ってしまった。

町一番の娘に選ばれた意味を、ロニスはまだ理解出来ていないようだ。


「帰ったぞ!お揃いでどうしたんだ?」


事情を知らない男が帰宅すると、ロニスは鱗を貰ったことを包み隠さず話した。

女性陣はハラハラしていたが、ロイドは意外にも冷静だった。


「凄いじゃないか!毎年、選ばれた者には相応の警備が付くんだが、いるか?」


「いや、大丈夫だよ。男の人が来たら逃げればいいんでしょ?」


「まあ、それもそうだな!」


「何でそんなに冷静なの?動揺も出来ない程お疲れなのかしら?」


「そりゃあ、姉さんが鱗を持ったロニスと一緒に走ってたって噂になってるからな。

姉さんはもうポーラの顔になりつつあるんだ。自覚が足りないよ!」


「もうそんなに...」


「商人の情報網を舐めちゃいけないな!姉さん!はは!」


肩を軽く叩かれたヴェロニカは、同時に重い責任を背負わされた気分になるのだった。


2週間後


美しい娘は、静かな時間を欲していた。

もはや自分の部屋でさえ、休まる空間ではなくなっていたからだ。

屋敷の外へ一歩足を出せば、男に嘗め回されるように視姦され、食事をとっている時でさえ、イヤらしい視線を執事からも感じる。

部屋の前には、毎日のように貴方は美しい旨の手紙が届き、嫌になって窓を開けると、外から愛を叫ぶ野太い声が耳を不愉快にする。

ロニスがようやく休まるのは皆が寝静まった夜だけだ。

ポートはここ最近帰ってこない。

よほどガラス細工職人の工房が気に入ったのか、入り浸っている。

鱗を貰ってから最初の一週間は外に出て追手を巻くことも楽しかったが、そのうち面倒になってきて、ヴェロニカやシュリの気にしていた通りになった。

もう引きこもりと言われてもしょうがないような生活が続いているのだが、今日ならいけるのではないか、と夜中の内に外に出ようという気になった。

深夜なら人も少ないとはいえ、ここは商人の町だ。道なんて歩いていたら必ず誰かに見つかるので、屋根を伝って行くことにした。

目的地はガラス細工職人の工房だ。


染料の独特な匂いのする工房は大きな煙突が目印で、いつでも明かりが灯っている。

常に誰かが技を磨いているからだ。

大きな岩盤を幾つも並べ立てたような構造の内部は、より一層濃い匂いと熱気に包まれている。

この匂いのお陰で、人はあまり寄り付かない。

ドラゴンは鼻が効く生き物のはずなのに、ポートがこの場所を気に入っているのは不思議でならない。

ここの頭領は露店で出会った商人その人で、名をミラという。

体格は大きくないが、いざ作業に取り掛かると優しい笑顔が消え、一点をじっと見つめる眼差しになる。

手の火傷や切り傷のせいで大雑把な性格に見えるかもしれないが、その実、繊細なタッチで素早く形を整えなければならない緻密な仕事である。

ロニスが重い鉄製の扉をゆっくり開けると、ミラは熱心に炉を見つめていた。


「...今ちょっといいかな?」


「悪いが話しかけないでくれ」


会話はそれだけで終わり、ロニスは近くにあったイスに座ってじっと終わりを待った。

炉から出したガラスはかろうじて固体としての原型を留めており、ミラはそれを素早く二つ折りにする。

その工程を素早く何度も何度も繰り返し、赤熱の色が抜ける寸前で一気に形を整える。

翼を生やし、四肢を作り、尻尾、頭部を伸ばす。

工具を持ち替え、細かい細工を施し終わる頃には、ガラスはほとんど固まり、目に見えない程の気泡を含んだ純白のポートのガラス細工が出来上がっていた。

躍動感がありながらも細部を決して疎かにしない生真面目さに、ロニスは思わず口を閉じるの事も忘れて見入ってしまう。


「...いい出来だ。これなら嬢ちゃんも喜んでくれる。」


「もう話しかけてもいいかな?」


「?なんだ!来てたのか!見てくれ!やっと完成したぞ!

おっと、まだ触らない方がいいぞ、熱いからな!」


「ここの所全然連絡をくれないと思ったら、もしかしてずっとこれを作ってたの?」


「そうだが?最近は外が妙に騒がしい気がするんだが、何かあったのか?」


「実はそうなんだ...これ見て」


そういいながら、ロニスは鱗を差し出す。

これを見た男なら誰もが目の色を変えるものだが、ロニスはミラになら見せてもいいのではないかと思い持ってきた。

何の確信も無いが、この人は信用してもいいのではないかと感じる。


「こりゃあ大事じゃねえか!なるほどわかった!祭りが近いんだな!

毎年選ばれた子は大変なのに、護衛無しとは流石ロニスだ!」


「はは...」


「気に入った!ポート!こっちに来な!」


主人が工房に入ってきても、端材のガラス片を食べる事を辞めなかったポートがとことこ歩いてやってきた。

以前よりも艶が増したのは気のせいだろうか。


「こいつに今から芸を仕込んでやる。ちょっと見てな!」


そう言うとミラは先程完成させたポートのガラス細工に魔法をかけた。

すると、細工はたちまちにして姿を透明にした。


「凄い!どうやったの!」


「これは光操作魔法と言ってな。この細工を作る上で最も重要なのが光の進み方なんだ。」


「光の進み方?」


「ああ、ガラス細工やってる人間じゃないと理解が難しいと思うが、光はガラスの中に入ると進み方を変えるんだ、まっすぐ行っていたのがガラスの中だと右に曲がったりな。」


「そんなこと本当にあるの?曲がる?」


「はは!大丈夫だロイス!お前が理解する必要はない!コイツがやってくれるさ!」


ミラはポートを指さす。

どうしてドラゴンが光の進み方を理解できると思っているのだろうか?


「コイツは俺の工房の良質なガラス端材をタンマリ食った。

だから、見ろ。表面に艶が出て、鱗も鋭くなってるだろう?

ガラスの性質を取り込んだ証だ。

後はコイツにこの魔法を何回か見せれば、自ずと使えるようになる筈だ。」


「そんなことで出来るようになるのかな?」


「スノードラゴンが数を減らし希少と言われるようになったのは、金持ちが乱獲したからだ。

俺は王族との付き合いもあるからよく知ってる。

この種の身体の小さいドラゴンは身を守るために、天敵の魔法を真似ることが出来るらしい。

それに目を付けられ、愛玩用にな。」


「そんな過去が...」


会話の間に何回か細工を出したり消したりしていると、なんとポートもゆっくりではあるが、消え始めたではないか。

ミラの魔法が5秒で完了するのに対し、30秒はかかっているが、確かに透明になりつつある。


「見て!凄いわ!本当に消え始めてる!」


「だから言っただろう!だが、俺も生で見るのは初めてだ!こりゃ凄いな!」


二人が興奮気味にゆっくりとした魔法の移り変わりを観察していると、ポートは数回やった程度で慣れてしまったのか、今度はロニスの肩に乗り始めた。

ミラはこの時を待っていたと言わんばかりに、ロニスから距離を取る。


「ワフ!」


気合を入れたポートが魔法を発動させると、ロニスの姿までもが消え始めた。

自分の掌が透けていくのをまじまじと見つめていたロニスは、完全に自分が消えてしまうとミラの方を向いた。

ミラは完全にロニスを視認できなくなったのか、目はこちらを向いているが、視線は少しずれている。


「やったぞ!完璧に消えやがった!

こんな短時間で自分だけじゃなくその周辺の光にも干渉出来るようになるなんて、お前は天才だ!ポート!」


「ワフ!ワフ!」


自分の得意分野の魔法をすぐに習得した者への賞賛は凄まじい叫び声であった。


それからというもの、ロニスは昼間でもこれまで通り外を出歩けるようになった。

男どもに見つかっても完璧に姿を隠し通せることでこれまで以上に得意になって、町の人々からは「不可視のロニス」という二つ名まで付けられる始末である。

ガラス細工職人の工房に良く出入りしている情報が出回ると、自分も光操作魔法を習得したいと男どもが扉を叩くが、3日も経たずに辞めていくそうだ。

実力の無い者は彼女を視野に収めることも出来ない一方で、不可視のロニスの肩に手を置くことが出来る人物も確かに存在する。

シュリもその中の一人という事を忘れてはいけない。


「ロニー!また勝手にほっつき歩いて!今日の目利きがまだ終わってないわ!」


「げっ...うまく巻けたと思ったのに...何で毎回バレるんだろう...」


「それはあなたが魔法を過信しているからよ!

ほら!早く!今日はナイフを見に行きましょう!」


この頃には、ロニスの尻を追う者も当初の6割ほどになっていた。

捕まえることは疎か、目に見えぬ存在としての敷居の高さに諦める者がようやく増え始めたのだ。

その様な輩は絶対に近づかない路地裏に、今回お目当ての商品がある。

儚い声が消え入りそうな少女に話しかける。


「あら?シュリがこんなところに来るなんて珍しいわね。

それに、あなたは不可視のロニスね。噂は聞いているわ。

毎年の女の子はとてもじゃないけど貴方のような楽し気な表情は出来ないもの。」


値踏みするようにロニスを見つめる少女は、路地裏に溶け込むにはあまりにお粗末な恰好をしている。

緩やかな金髪のショートヘアに真っ赤なロリータドレスを着た彼女は、地べたに黒い麻布を敷いて、自らは小さく粗末な椅子の上に丁寧に足を揃えて、ちょこんと座っている。

麻布の上には、無駄な装飾の一切ないナイフが所狭しと並んでおり、不気味さに拍車をかけている。

事件でも起こりそうな空間の中であってもここは商人の町、シュリがロニスに課す課題はいつもと同じだ。


「ロニーは今修行中だからね、今日はこれにしましょう。」


シュリが手に取ったナイフは、折り畳み式の小型ナイフだ。

構造はとてもシンプルで、木製の持ち手に10cm程の刃が収納できるスペースが彫られ、刃を出したい時には勢いを付けて半回転させると、カチッと音を立ててストッパーがかかる。

いわゆる一般的な物だ。

しかし、手に取って見なければ分からないフィット感と年代物の鋼が端正に研ぎ澄まされた時に出る光沢、動作のスムーズさには、悪魔が憑りついているとしか思えない、形容しがたさがある。


「ロニー、これはいくらかしらね?」


ロニスは少女を観察し始めた。

まずは目につく恰好からだ。

髪や肌、服はよく手入れされていて商人の恰好とは思えない。

何か趣味事の品を出しているだけなのだろうか?

それならなぜこんな危なげな場所に?

よく見て見ると、敷いてある麻布は、少し汚れているが新品同然だ。

身分が高い人間なのではないだろうか?

しかし、手先は少し荒れ気味である。

本人は気にせず、隠そうともしていない。

次に、他のナイフも合わせて観察してみる。

ナイフの種類は様々だが、どれも装飾は無くシンプルだ。

路地裏にロリータドレスで赴くような性格なので、こだわりの強い様子が伺える。

手が荒れている事を隠そうとしないのは、もしかしたらそれが関係しているのかも?

もし、身分が高く、それを隠してお忍びで人目に着かない場所を選び、こだわりが強いがために自らも工房で腕を振るうタイプの人間だとしたら?

30秒ほど大人しく考えた結果、出した答えはこうだ。


「たぶん、銀貨5枚。」


「それはどうして?」


「ここにあるナイフ達は素晴らしい品ばかりよ。

でもこの人は適正な価格を付けようとは思ってない。

自分のナイフの価値を分かってくれる人に見て貰いたいだけだと思うの。」


「それならそんなに高くする必要は無いはずよ。他の理由は?」


「身分の高い人だと思うから、ここまで来るのに相当な苦労があったはず。

周りに付き人の気配も無いし、もしかしたらお金もあんまり持たずに来たんじゃないかしら?

銀貨4枚利益が出れば、ポーラから出る大型船にもちょうど乗れるしね!」


「確かに銀貨4枚で船に乗れる。けどそれじゃあ余裕が全くないわ。

本当に銀貨5枚かしら?6枚かもよ?」


「それはないと思う。余裕を作りたい人間はこんなところで商売はしないし、格好も庶民に寄せるはず。

何でこんな危険な事をしてるのかは分からないけど。」


「なるほどね。それしゃあ答えを聞きましょうか。ローナ、これはいくらになるかしら?」


まるで人形の様に動かず、二人の問答を眺めていたローナは、少し微笑んだ。


「ふふ!ロニスさんの言う通り、銀貨5枚ですわ。

物珍しさに来た観光客から多めに頂くのも悪くありませんけれど、ピッタリ値段を当てられてしまうのも面白いものですわね。シュリ、ロニスさんが例の?」


「そうよ!やっと見つけたの。」


「それなら大事にしませんとね。」


「やったあ!当たった!これで二連続だね!」


「そうね!これでやっと一人前かしら?」


「そうですわね。私の品の値段を当ててしまおうなんて方は、そうそう現れませんもの。」


ロニスはとても誇らしい気持ちになった。

これでやっと一人で買い物をすることが許されるのだ。

気分は初めてお小遣いを貰った子どものようだ。


「一人前に成れた記念にそのナイフ、買うわ!」


「ありがとう、でもいいのよ。貴方は冒険者。

お金はちゃんととっておいた方がいいわ。

それに、プレゼントしようと思っていましたから、お金なんていいのよ。」


「そうはいかないわ!それにお金の事なら大丈夫よ!」


ロニスは得意そうに路地の入口を見た。

そこには二人を探しに来たであろうオスカーが慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる最中だった。


「シュリにロニスさん!やっと見つけました!」


「わかってるよ!やっと盗賊団のアジトを潰す算段が付いたのね!

皆を集めないと行けないから、決行は明日の夜とか?」


「どうしてそれを?!」


シュリはオスカーが珍しくたじろいでいる姿を見て、ロニスの成長を母親のような眼差しで見つめていた。


翌日 深夜


この町に巣食ってた盗賊団は、意外にもあっさり片付いた。

それもそのはず、不可視のロニスが全員を背後から瞬く間に切り裂いてしまったのだ。

想定外の事態に、集められた冒険者のほとんどは何もしないまま命を繋ぎ、オスカーはその強さに脱帽した。

今日の主役は、あまりにあっけなく終わった戦闘に体力を持て余している様で、眠気にも無縁の夜を過ごしている。

夜は寝ていなければ永遠に感じられる程長い。

誰もいない港で一人夜釣りをしていると、いつの間にか後ろに人の気配がした。

それは、シエラだった。

まだ人間の姿をしているが、彼女の正体はルサールカなのだ。


「ロニスちゃん...こんな夜更けに何してるの?」


シエラは会話をしながら自然に隣を陣取る。


「シエラさん!今日はちょっと眠れなくて...」


「そんな日もあるわよね。」


「あの...何で私に鱗を渡したんですか?」


「きっと大変な思いをしたわよね...本当にごめんなさい...でもちゃんとした理由があるのよ。」


「どんな理由があるの?それくらい話してくれなきゃ、今日は帰さないわ!」


「わかっているわ、でも全部は言えない。儀式の時に改めてちゃんと話がしたいの。」


「そんなに焦らさないでよ...ほら、今が一番落ち着いてる。」


ロニスはシエラの手を取り、自分の心臓に当てる。

しっとりとした手先はロニスの鼓動を捉え、力強くもどこか穏やかなリズムを刻んでいる。

水中生物特有の波の刺激を感じやすい性質を利用した行動は、ルサールカの心を打った。


「準備は出来てるのね...」


シエラは手を自分の胸に当て直し、一言呟いた。


「あなたの両親の記憶、私が預かっているの。」


数十秒の間、両者とも動くことが出来なかった。

ロニスは瞬時に臨戦態勢をとり、右手は剣の柄に掛かっているが、左手は剣の柄を抑えている。

顔は引きつり、重心も自然と前に移る。

覇気を纏ったロニスを他所に、シエラは見事に感情をコントロールしている。


「大丈夫よ。私はあなたの味方。絶対に、あなたをがっかりさせたりしないわ。」


ロニスはシエラの顔を凝視しながら徐々に膝を付く。

柄から手が離れると、シエラはロニスの胸に飛び込んだ。

糸が切れたロニスは急に眠気に襲われる。

シエラに頭を優しく撫でられると、呼応するように瞼が下がっていく。

心音が落ちて、母親腕に抱かれる夢を見ているであろうロニスは子どもの顔をしていた。

屋敷にロニスを送り届けたシエラは、港から姿を消した。

月明かりが伸び、ルサールカは歌う。

シエラは思い出に浸りながら、手ごろな岩の上で髪を溶かすのであった。


儀式当日


ポーラは朝から何処も彼処もお祭り騒ぎだ。

港は夜の儀式の為に、数週間前に帰港した大型蒸気船に松明を大量に取り付ける作業が進んでいる。

日が昇る前に漁を終えた漁師も、夜まで祭りの準備をするのだから大変だ。

町の方でも、いつも露店を出している商人達は風呂敷を広げるのではなく、簡易な木組の屋台を出し、いつもより質の良い物を提供しているが、その分観光客には容赦がない。

ロニスは一日にこんな大人数を視界に収めたことが無かった。

ポートは喧しいのが苦手らしく、部屋で留守番だ。

港の大通りは人で溢れかえっており、屋根の上に退避したロニスは、手頃な魚のフライサンドを食べつつ、両親との思い出を呼び起こそうとするが、どうしても記憶は出てこない。

あるのは、両親の評判だけだった。


「ロニー、大丈夫?ぼーっとしてたみたいだけど。」


「大丈夫よ!夜の事をちょっと考えてただけ!」


「今日まで長かったわね。儀式も終わればロニーともお別れか...」


「寂しくなるね...」


「でも大丈夫、私が教えた事はいつまでもロニーの中で生き続けるから!」


「何かちょっと気持ち悪いよ...」


「ふふ!今日は精一杯遊びましょう!」


「ヴェロニカは?」


「忙しくて朝から顔が死んでいたわ。」


「じゃあロイドは?」


「一日オスカーさんの手伝いよ。すっかり勉強熱心になっちゃったみたい。」


「ポーラに来てから優等生ぶっちゃってさ~」


「元から才能はあったのよ。こうなって御父様は喜んでるわ!」


「そんなもんかなぁ~」


夜まで賑わいは続いたが、儀式の時間が近づくにつれ、町はしんみりとし始めた。

屋台で扱う物もお祭り用の品から、大人な雰囲気のある酒の樽が並び、綺麗な女性が増えた様に思える。

ルサールカ達は儀式が終わるまで酒が飲めないので、海の美女を侍らせたい男どもは、アルコールの匂いがしない店を探し回っている。

ロイスは儀式の為に、大勢の人だかりに見守られながら、松明が一つ着いた小さな小舟に乗り込もうとしていた。

小舟の傍には、尾の長いルサールカが回遊している。

それは、シエラだった。

上半身は綺麗な模様の入った布で胸を隠し、髪は何かの細工がしているのか、海から上がってもサラサラしている。

下半身にはロニスが貰った鱗が規則正しく並んでおり、水中にいても松明の光を受けて、宝石の様に粒が輝いている。

ロニスが小舟の船首を背に座ると、誰も触れていないにも関わらずゆっくりと進み始めた。

人々が小舟に乗ったロニスを細目で見るようになった頃、シエラは船の後方に上がり、縁に腰かけた。

心の準備をしていたはずのロニスだったが、綺麗な背中と余裕のある表情の美しいシエラを見ると緊張が収まらない。


「緊張しているの?そのドレス、とっても似合っているわ。」


ロニスはシュリに青いドレスを借りていた。

シュリはローナから借りた、と言っていたドレスはもちろんロリータドレスだ。

いつもはしない青い宝石のイヤリングも付けて、緊張を紛らわせるために、赤面した顔を少し俯かせながら指でくるくる回していた。

自然と上目使いになるロニスを見て、シエラは少し苛めたくなるが、そっと抑えて、周りにルサールカを集める為の歌唱を始めた。


高く透き通っていて何処までも伸びやかな声に答える様に、ルサールカ達は船を囲みながら回り始める。

少しづつ音階を上げながら仲間の気配を集める。

二つ上げては一つ落とし、そうしている内に30体ほどのルサールカが周りを旋回していた。

人間達は松明を付けた漁船をルサールカの人数分出向させ、それぞれ一人ずつが船の縁に腰かける。

この光景は、ルサールカと人間が共存しているからこそ成り立つ奇跡の光景であった。


「ふふ!そんなに緊張しなくていいのよ!大丈夫、一緒に歌えるわ!」


「でも、今から何を歌うかなんてわからないし...」


「ほら、おでこを貸してみて。」


ロニスは恐る恐るシエラに自分の額を預ける。

シエラが手を翳すと、一瞬頭が真っ白になった後に、自分の知らない筈の歌の記憶が流れ込んでくる。

歌詞には何故だか懐かしさを覚える。

シエラの歌うこの歌を、聞いた記憶がどこかに存在するかのようだった。


「アリエルもこの歌が好きだったわ。この町であなたを見かけた時、運命だと思った。

だって顔がそっくりなんですもの!さあ歌ってみて!きっと上手に歌えるわ!」



探せ声を頼りに

孤独では歌えない

探せ虹の鱗を

我らが友の為に



歌の最中、辺りは静寂となり、ロニスのか細い声もシエラが全て乗せて、ポーラを覆い包んだ。

最後のビブラートが終わり、再び静けさが戻った時、港の方から盛大な歓声が波の様なうねりを伴って押し寄せてきた。

小舟から見る港はとても綺麗だった。

大型蒸気船に灯る松明や屋台に置かれたランタンが辺りを照らし、人々の羨望ある眼差しが全てロニスに向いている。

今宵一番輝いている少女の目は、宝石を見つめる純粋な瞳に変わった。

やっとの思いでロニスを笑顔にすることが出来たシエラは胸を撫で下ろし、周りを囲む船に合図を送った。


「楽しんでくれて本当に何よりだわ!でもね、このお祭りはここからが凄いのよ!」


海に出ていた船は港に戻り、人々は歌姫達を称える。

先ほどまで尾びれを付けていたシエラも、いつの間にか人間の姿になっている。

そこにはシュリが何やら怪しげな赤い液体の入った小瓶を大量に抱えて寄って来た。


「ロニー!お疲れ様!すっごく良かったよ!シエラさん!はいこれ!」


シュリはその小瓶をシエラに渡すと、彼女は待ってましたと言わんばかりに一気に飲み干した。


「これは何なの?」


「これはルサールカ専用の回復薬よ!

効き目が強烈だから人間は絶対飲めないし、濃度を変えると効果がなくなっちゃうんだけど、ルサールカは年に一回なら大丈夫!」


「え?それって劇薬なんじゃ...」


困惑しているロニスの肩を思いっきり掴んで自分の胸に押し当てるシエラは、これまでにない笑顔で答える。


「そうよ!劇薬!でもこれのお陰でルサールカと人間の関係は良好なの!何でだと思う?」


「さっぱり分からないわ?!」


「お酒よ!」


「は?」


「だ、か、ら!!お酒が飲めるようになるの!!」


ロニスは完全に思考を放棄した。

シュリはロニスを再起動させる為に、ちゃんと補足を挟む。


「はは...この薬、強すぎてアルコールを一瞬で分解しちゃうの。

元々アルコールに弱い種族だったルサールカが飲むことで、いくら飲んでも気分が高揚するだけの、一夜限りの大酒飲み達が誕生するのよ!」


「面白そうに言わないでよ!じゃあなに?

ルサールカと人間が仲良くなったのは、年に一回お酒が飲めるからって事??」


「そうよ!やっとわかったのね!」


両親の事を少しは聞きだせるのではないかと期待していたロニスは、あまりの粗末な儀式の真相に、力の全てが抜け落ちた。

シエラは昔にロニスの母親、アリエルをこの儀式に選び、仲の良い友達になったのかもしれないが、その他には何も深い事はなく、ただただシエラは知っているだけだった。

そんな結末でもいいじゃないか。

ロニスはそう自分に言い聞かせ、吹っ切れて、ルサールカ達と一緒に朝まで飲み明かすことにした。


「なんだ~!そんな事だったのか!深く考えて損しちゃったよ!

でも、今日だけはシエラさんも飲めるんでしょ?なら朝まで飲もう!」


「流石ロニスちゃん!シュリ!あなたのとこにも後で行くわ!覚悟してなさいよ!」


「はいはい...それじゃあ楽しんで!」


「うん!」


ロニスの記憶はここからまばらになって、後半はほとんど覚えていなかった。

次の日を丸々ベットの上で過ごし、その翌日は新米冒険者に稽古を付けた。

そして、ようやく、フィヨル行の大型蒸気船が出向の日を迎える。


フィヨル行の船は、他の規格の物と比べても装甲が厚く、バリスタや大砲などの装備も多く積んでいる。

ドラゴン種の多く住む地帯はそれだけ危険で、運が悪い時には年に一回も出向出来ない年があるほどだ。

ロイドはいつもの荷者に加え、もう2台も荷車を積んでいる。

この船には推薦状や交通手形がある者しか乗れない規則なので一般人は乗れないが、どんな猛者がいるのかと見物に来る者も少なくない。

ロニスの場合はお見送りに来てくれる人の方が多いようだ。


ヴェロニカは荷物を倍以上にしようとしていたが、何とか周りが宥めたのだ。


「ロニスちゃん!フィヨルは本当に危ない町よ!いざとなったらロイドを盾にしてでも逃げなさい!」


「おい、姉さん!」


「ふふ!ありがとう!ヴェロニカ!そうするよ!」


オスカーは渡すのを忘れていた報酬をロニスに預ける。


「ロニスさん!渡しそびれてしましたが、約束の魔法陣です。ぜひ有効にお使い下さい。」


「ありがとう!絶対に無駄にはしないよ!」


シュリは今にも泣きだしそうだ。


「ロニー、本当に行っちゃうのね...フィヨルからは一旦ポーラへ帰ってくるのよね?」


「一応そのつもりだよ。フィヨルからはポーラ行しか船は出てないしね!」


「ここを第二の故郷だと思っていつでも帰ってきてね...私待ってるから...」


「大げさだなあ!ちょっと、なにも泣かなくったって...」


ガラス工房の頭領はポートにも挨拶を忘れない。


「嬢ちゃん!ポート!また俺の所にも寄ってくれよ!」


「ワフ!」


一通りの挨拶を終えた後、ロニスはフィヨル行の大型蒸気船に搭乗した。

甲板からは皆が手を振って別れを惜しんでいる。

フランには、何処かへ旅立つ者を惜しむ文化はない。

また会えるのだからその時に積もる話をすればよい、という風習が根付いている。

だからこそ、温かい声援に思わず笑顔になってしまう。


「行ってきま~す!!」


大きな声で返事をしたロニスは、船が港を出て皆の姿が見えなくなるまで手を振り返すのであった。


その夜、船内で自分の荷物を漁っていると、中から見慣れない手紙がはらりと落ちてきた。

手紙なんて貰ったかしらと首を傾げていると、宛名にはロニスと名が入っており、差出人の名前はない。

ロニスは寝る前に手紙を読むことにした。

蝋燭の明かりを頼りに読み進めていくと手紙の最後に、シエラと名前が書いてある。

ロニスは一晩中涙が止まらなかった。

シエラは自らの行いを悔いていながら、それでも最後に、手紙を渡す事にしたのだ。


親友の、アリエルの、最後の願いを叶える為に__


思い出の涙1 完

ロイド「ロニー!もうすぐフィヨルに着くみたいだぞ!」


ロニス

「ロイド、気になってたんだけどさ。何で家族の前ではロニーって呼んでくれなかったの?」


ロイド「...言われてみれば確かに...何でだろうな?」


ロニス

「次からはちゃんと、どこへ行ってもロニーって呼んでよね!」


ロイドは少し照れくさそうにそっぽを向いて、そのまま甲板まで行ってしまった。


ロニス「?変なの!」

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