復讐の涙
何の証拠も残らなくとも、貴方の涙は道の上に痕を残していく。
そして魔王の糧となる。
フランの町から1週間ほど荷車で街道を進むとリヨンという町に出る。
これまでの雪は嘘のように消え、もうすぐ春を迎えようとしている草木は芽吹く準備をしている。
リヨンには昔ながらの黒い木造屋敷が多く点在している。
そのうちの一際大きな屋敷がこの町の町長の屋敷である。
この屋敷の用心棒であるシュナイダーは初めてここの敷居を跨いだ日の事を思い出しながら酒を飲んでいた。
「おいメイド、酒を持ってこい。こんな混ざりもんばっかの酒でこの屋敷の格が下がるとは思わねえのか。」
ドスの効いた低い声で唸る。
子どもが初めて聞いたら泣きだしそうな声だが、聞きなれた者にとってはただデカい犬が気怠そうに甘え声を出しているようにしか聞こえない。
かなり年期の入った革製のジャンパーに、ナイフがよく見えるように下げられたベルトと厚手のジーンズ。
あまり整えていない白髪はぼさぼさで肩のあたりまで伸びている。
それなのに髭を生やさないのは本人にしかわからないこだわりなのだろう。
部屋にはシングルより少し大きめのベットと小さな丸テーブル、イス2つ以外何も置いていない。
ジャンパーを脱いだらいつもベットの出っ張りに掛けるのがルーティーンである。
給仕をしているメイドのサラは、溜め息を付かずには居られなかった。
「はあ...シュナイダー、今日何杯目ですか?それに混ざりもんって言いますけどただの水です。」
「うるせえよ。水なんて入れたら酔えねえんだよ。」
「そろそろいい歳なんですから、少しは控えないと。」
「自分だけなら制御は効かない。いい女でもいればそいつが代わりに飲んでくれそうだ。
なあサラ、お前も少しはやったらどうだ?」
自分の持っているグラスをサラの方に傾ける。
グラスは先程卸された新品で、細かい細工が施されている。この町の工芸品という訳ではなく、彼に世話になった者が各地から様々な品を送ってくるのだ。
恰好も仕草も仕事ぶりも一目置かれる男からのラブコールであるが、彼女の目はいつも通り冷めきってた。
「仕事中です。」
「仕事ったって俺の世話するだけだろ?酒飲むのも仕事の内だ。飲めよ。」
「飲まない。」
「チッ、昔はこんな見え透いた手でもまあまあ釣られてた癖によぉ、もう男には興味ねえってか?」
サラはシュナイダーの戯言を躱すと部屋を出て行ってしまった。
ほとんど落ち切っているがほんのり香水の香りがする。
その香水の匂いはこの屋敷では嗅いだことが無い。
サラに晩酌をしてもらってから50分程だ。
その時既に消えかかっていたことを考えると香水を振ったのは5時間前あたりか。
彼女の給金からは上物は買えないだろうから、安物だろう。
多分最近出来た店の物だ。若い恋人同士がよく出入りするのを細目でいつも見ている。
心なしか遠ざかる足音がいつもより大きい気がする。
ありゃ男でも出来たか、と思ってもいない思考をしながら、でも少しありそうかも、と溜め息を付いたシュナイダーはサラが置いていったウイスキーの瓶を片手に外出の準備を始めた。
「あの頃とちっとも変わらずいい女だ。さて、ブラックと飲み直してくるか。」
部屋を出て幾つか階段を下ると外にでる。
ブラックはいつも星の見える夜になると森の中にある墓を拝みに行く。
最近、この町に「街灯」という夜でも一晩中ガス灯を付ける長い棒が、道に一定間隔で並んでいる。
これのお陰で町は街道が綺麗なレンガ張りになり、それを施工する為に若者が手に職を付けることが出来るし、夜になるとガス灯を一つずつ付ける仕事も恒久的になる。
おまけにフランに行く前の最後の町でもある為、町の活性化にも繋がるだろう。
良いこと尽くめの様に思えるが、何事にもデメリットはある。
星を見上げたい者が少し目を細めるようになってしまった。
シュナイダーはいつも苦い顔をしながら、気づかれない様に距離を取って傍観しているにすぎないが、今日は何故か喋りかける気になった。
いつもより早く酔いが回ったのだろうか。
「おい!ブラック!俺もそこに行っていいか?」
「あぁ、シュナイダーか。もちろんだ。」
ブラックは寝るとき以外はほぼ堅い恰好をしている、この町の町長である。
彼曰く、幼い頃からこのような恰好をしていたのでこっちの方が落ち着くのだそうだ。
少し小太りで頭にも別れを告げつつあるが、顔は優しさそのもので町の誰からも愛されている。
竜の様な威厳で外交に努める時もあれば、赤子の子守を進んで引き受ける様な、家庭的な愛情をも持つ事を皆が知っている。
真面目な者を茶化すのは、いつもシュナイダーの役割だ。
「なに時化た面してんだ。町長ともあろう者が。墓一つに泣きそうになってんじゃねえよ。」
「そんなこと言うなよシュナイダー、不運な事故でこの世を去った医者に掛ける言葉がそれでは、あまりに不憫ではないか。」
「そうかもしれねえが、そもそもそいつをやったのはお前だって何回言ったら分かってくれるんだ。
屋敷のもんはもう諦めた様だがな、俺は諦めないぜ。
職業柄自分がやって来た事はすべて覚えてる。
お前は職業柄嘘を突き通す事もある。だから時々お互いのやってる事を確かめ合うのだって、必要な作業だろ?」
「...」
珍しく真面目に話をする友人に、何も感じない程薄情ではないが、返せる言葉が何も無いのは仕方のない事だった。
「...あぁ、いいんだ本当に思い出せないのなら無理しなくてもいい。癇癪を起されたらたまらんからな。」
「すまないな、シュナイダー。何かがおかしいのは分かっているんだが自分ではさっぱりなんだ。」
「いいっていってるだろ、中に入って一緒に飲み直そうぜ。クロの顔でも見ながらな。外は冷える。」
「いい案だ。」
60過ぎのおじさん2人は一緒に屋敷まで歩き始めた。
屋敷一階にはクローネの部屋がある。ブラックの妻だ。
不運なことに医者が死んでしまった現場に居合わせたせいでショックを受け、何か心の病気になってしまった。
それまでは屋敷の最上階である5階に部屋を構えていたが、床に伏してからというもの、考え方が大きく変わった様に思える。
外で遊ぶ子供たちの声が聴きたいそうだ。
以前は高潔な令嬢を体現した女性という印象だったが、今は人間として精神的な弱さを、他人に悪い意味でひけらかしている様にシュナイダーは感じている。
元々強そうに見えて陰で泣いてるような人だ。今回の事件がきっかけでメッキが剥がれたんだろう。
ブラックはそんな奥さんに対して、いつも優しすぎる態度で接している。
「クローネ、入るよ。」
「...どうぞお入りになって、シュナイダーも一緒なのね。」
「入るぞ、クロ。酒はいるか?」
丁寧はブラックとは違い、用心棒は風格と同じく、づけづけと部屋に押し入る。
「相変わらずね、今日は調子が良いみたいだから少しだけ頂こうかしら。」
「本当に大丈夫なのかい?」
「おい!心配し過ぎだ。娘がいたら確実に嫌われてるぞ。
本人が大丈夫って言ってんだ。飲ませてやれよ。」
シュナイダーはクローネの傍にあったテーブルに目を向けた。
普段は何も置かれいていないが、この日はワイングラスが2つ置かれていた。
香水の匂いが残っているのを見るにサラがいたのだろう。
てっきり男遊びに町に繰り出したのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。
では、何故サラは足音を大きくして部屋を後にしたのだろう?
彼女はよくクローネとグラスを交わしているが、その時の彼女の足取りは、いつも通り物静かだ。
なら、クローネと飲み始める前に男と会っていたのか?
それならシュナイダーがこの屋敷に入る人間を感知できない筈はない。
屋敷の中だ、男は屋敷の執事に違いない。
この飲みが終わったらサラと同じ香水を振っている執事を探してみよう。
考え事をしていると、ご婦人から声がかかる。
「これはどこのウイスキーなんですの?」
「フィヨルって町のやつだ。なんでも、樽をドラゴンの炎で炙っているらしいぞ。
どおりで豪快で焦げ臭い風味が広がる訳だ。」
「ふふ、シュナイダーったら!」
「ブラック、あんまり飲んでないじゃないか。ドラゴンの炎はお気に召さなかったのか?」
冗談を交えて場を和ませたつもりでいたが、何かを間違えたらしい。
「?ああ、十分美味いよ。そうだ、何かつまみを厨房に頼んでこよう。待っていてくれ。」
ブラックはどこか寂しそうに部屋を出て行った。
嫉妬しているのだろう。
シュナイダーは、ブラックとクローネの中がいいのは知っているが、いつもあまり話が弾まない。
お互いに話したいことがある筈なのに世間話止まりなのだ。
いい年して何やってるんだと思う反面、いつまでも純情を忘れない、いい夫婦だとも思う。
子どもがいないのもあるかもしれないが、あまりデートもしていないのかもしれない。
この性格では屋敷の中にメイドや執事やシュナイダーがいればオチオチ営むことも難しいだろう。
今度あまり人も寄り付かない秘密の小屋を教えてやろう。
「クロ、ヤツはどうしたんだ?妙にしょぼくれてるじゃねえか。」
「多分、あなたが原因じゃありませんこと?」
意外な答えに少し怯んでしまう。中を取り持つ方法が悪かったのだろうか。
「俺が?何故だ?こんなに献身的にお前らのその辛気臭い感じを何とかしてやろうと頑張ってるのにか?」
「あなたが私と仲良くしているのに、何処か引け目を感じているのよ彼。
見た目はあんなだけど引っ込み思案なところがあるでしょう?」
「そりゃ本当か?俺に?確かに女を連れ込んだりしてたのは悪かったとは思ってるが、お前を盗るなんて考えもしなかった。」
何とも甘酸っぱい香りのする事だが、もうお互い良い歳なのだ。
ここ等辺で一つ仕掛けて置かないと、一生このまま何て事もあるかもしれない。
「よし、俺に考えがある。明日の夜は開けておけ。
久しぶりにデートでもして来い、クロはちっとも外に出てないだろう?
その間に町はかなり発展してきてる。
いいか、男なんてのはな、女から誘えば一発だ!何も心配することはない。」
「私から?そ、そんなこと...端無いと思われないかしら?」
「大丈夫だ、俺を信じろ。ブラックの予定は俺が全部無くして於いてやる。
お前は明日着ていく服のことだけ考えていればいい。」
「分かったわ。貴方はこう言う時が一番頼りになるものね。信じるわ。」
ブラックが帰ってきたら、それとなく雰囲気を出してチャンスを作ってあげればいい。
これでこの夫婦の中もこれまで以上に良くなり、周囲からの評判もさらに上がるだろう。
その時、ノックと共につまみを持ったブラックが戻ってきた。
「待たせたね、ナッツと果物を少し貰って来たよ。
ずいぶん盛り上がってるようじゃないか。何の話をしてたんだ?」
「実に面白い話だブラック君。君、私に嫉妬してるそうじゃぁないか。」
「いきなり何を言い出すかと思えば!嫉妬だって?私が?君に?何故そんな話になったんだ?」
早々に演技をする事が面倒になったシュナイダーはてきとうに事を進める。
「もう本音を話してもいいだろう。」
「まさか...」
「クローネがお前とデートに行きたいそうだ。
雰囲気作りだけにしようと思ってたんだがな、どうにも誘導は俺には似合わん。」
全く違う展開になってしまった事に、クローネは驚きを隠せない。
「ちょっとシュナイダー!話が違うじゃありませんか!?」
「いいから任せとけって。ブラック、明日は確か交易の料金改定かなんかで来客があっただろう。
それを俺に任せてお前はデートでもして来い。
こんなきれいな嫁を一生ベットに縛り付けておくつもりか?」
「...」
ブラックは押し黙るのが得意だ。
こうなったらもうシュナイダーは止まらない。
「決まりだな。どこに行くかは二人で酒でも飲みながら話し合うといい。
俺は今からサラの新しい男を見つけに行く。
執事の誰かだと睨んでるんだがなぁ。」
シュナイダーは言いたい事だけ言い終わるとクローネの顔をちらっと見た。
何でその事を知ってるの?とでも言いたげな顔だ。
サラがよくクローネと飲んでいることは知っている。
飲み過ぎると何でも自分の事を話し過ぎる性質な事も。
ビンゴだろう、シュナイダーは嬉々として二人を置いて部屋を出た。
自分では気づかないが、足音が少し大きくなっていたに違いない。
足の向かう先はもちろん2階の執事室だ。
夜も更けるこの時間は執事の仕事も終わり、部屋には誰も居ない。
部屋の中には執事の個人ロッカーがあるので、それを一つずつチェックすれば誰が色男なのか分かるだろう。
「さてさて、誰が俺のカワイイメイドをたぶらかしたんだろうなあ」
シュナイダーがロッカーの鍵をピッキングして確認していると、一つのロッカーから不自然な液体が垂れているのを見つけた。
彼はその液体の正体が何であるかすぐ分かった。
「血だ...」
ロッカーにはピオニーの名札が付いている。
手慣れた手付きでロッカーを開けると、そこには首から上だけになったピオニーがいた。
何の躊躇いもなく髪の毛を掴むと断面を観察し始めた。
かなり雑な切り口だ。まるで使い古したのこぎりで切り取った様だ。
ここの執事ならこんな無様な真似はしないだろう。
このボールを作り出した犯人はピオニーを知っていて、この屋敷で働いている事も知っている。
そうでなければ、胴体を屋敷の中に残す事になる筈だ。
完璧にピオニーの帰るタイミングを熟知出ている。
「この匂い...サラの香水と同じだ。
やはりコイツがそうか。
俺の女に手を出すからこうなるんだ。
まぁ、イケメンなら仕方ないか...」
サラに新しい男が出来たのではないか、という噂は、シュナイダーが推測を立てるより前からあった物だ。
それが確信に変わりつつあるのはあまりいい気分ではない。
動機は嫉妬と見ていいだろう。
しかし、誰にも、シュナイダーにも気づかれずにこの屋敷の階段を上がり、ロッカーをピッキングし、証拠を残さず屋敷を出た。
町の街道を綺麗なレンガに変えたせいだろう、足跡も残っていない。
でも一つ、奇妙な傷が額についている。
少し爪を食いこませたような跡だ。
犯人と争った時についたのかもしれないが、頭を上から掴んだ時に出来た様に思える。
確信は出来ないが、爪痕が少しばかり細いかもしれない。暗い場所なので何とも言えない。
そこでシュナイダーの出した考察はこうだ。
「犯人は頭の悪い男だが、他に手を貸した天才がいる。たぶん女...もしかしたら子供かもな...しかも同じ様な爪痕はこれ一つしかない。こいつは...自分が関わってる事を隠そうとしていない。何故だ?」
明日はブラックとクローネのデート、その代わりに引き受けた仕事で支障が出れば、もう仕事を任せて貰えなくなる。
ならこの事件は夜が明ける前に解決して、朝にはいつも通りサラに酒をせがめばいい。
誰にも知られずに解決するしかない。
シュナイダーにはありふれた、簡単ないつもの事だ。
屋敷の用心棒を務める前は殺し屋だった。造作もない。
シュナイダーはこれまでの生き方のせいで、自分事の証拠を消す魔法は一流以上だが、何かを探し出す様な魔法は点で使えない。
だから捜索はいつも自力だ。
「まずはサラに酒を貰いに行くか、ドラゴンの炎はクロの部屋に置いてきたしな。」
執事やメイドのほとんどは自分の家に帰るが、一部の仕事が出来る者は、こちらから頼み込んで屋敷に住み着いてもらっている。
好きな部屋を使っていいと言っているので、だいたいの者は最上階である5階に居座って、変わりゆく町の景色を堪能しているが、サラの部屋は3階だ。
理由を聞いたら、3階にいればどこの階で問題が起きたとしてもすぐに駆け付けられるからだそうだ。
母親譲りの真面目な性格だ。
彼女の父親は魔物に殺されてしまったが、サラには母親のララだけで十分だ。
ララはいいメイドだった。
腰を痛めてサラがここに住み着くようになるまで、シュナイダーの飲酒量もララが管理していた。
酒をどこに隠しても見つけ出され、一日グラス一杯まで。
その頃はブラックも日々笑っていたし、クローネも婦人会に出るほど元気があった。
ここまで聞いていれば、サラにどこか悪いところがある様に聞こえるが、全くそんな事はない。
何も可哀そうだからお世辞でそんな事を言っているのではなく、ララの頃より掃除も行き届いているし、徹底的な効率化のお陰で他の仕事に取れる時間も増えて、日々料理の腕も上がる一方だ。店を出せばたちまち王族から、宮廷専属料理人に着任する様に要請が出されるだろう。
どれもこれもララの頃より比べ物にならないくらい素晴らしく洗練されている。
それでも何かが違うことが、ブラックとクローネを変えたかもしれない。
誰も言語化は出来ないかもしれないが。
サラの部屋をノックした。いつもはノックなんてしないが、今日ばかりはそういう訳にはいかない。
恋人がサッカーボールになってしまったのだから。
「サラ、入ってもいいか?」
「シュナイダーなの?いつもは勝手に入ってくるくせに!
気味が悪いわ!早く入ってきてよ!気持ち悪い!」
今日は随分な嫌われ様である。
「そんなに言わなくてもいいだろう?
どうしても話をしないといけないと思って改まったんだ。」
「何?」
「実は...酒が足りないんだ...」
「......出てって...」
渾身の冗談も、この空気姦では流石に通用しなかった。
「嘘だよ蹴るんじゃねえよ!肋骨が折れるわ!」
「本当に話があって来たのは分かっているわ、何なの?」
「ピオニーが死んだ。」
「ピオニー?ああ最近入って来たイケメンの執事ね...死んだって...?」
あまり驚く事もしないサラに、何かがおかしいのではないかと、再度思考する。
「おいおい、お前の新しい恋人じゃないのか?
恋人が誰かって話題で持ち切りだから誰かの嫉妬で...」
「何言ってんのよ!勘違いもいいとこだわ!」でも、ピオニーが死んだの?大丈夫なのそれ?」
「なんだよ、同じ香水付けてたからてっきり...」
「ちょっと試しに付けて貰っただけよ!
でも、ピオニーが死んだの?それは大丈夫なの?」
「正直大丈夫じゃない。明日はブラックに外交を頼まれた。
仕事は外せない。だから事件は夜のうちに解決する。手を貸してくれるか?」
序でに、何故ピオニーに香水を付けて欲しいと頼んだのか聞き出したかったが、部屋を追い出されてはたまらないので、我慢する。
「いいわ、って言ってあげたい所だけど。無理よ。
私の出る幕じゃないでしょ?殺人事件なんてあなた以外に適任はいないわ。」
「それが、今回は勝手が違う。犯人はお前の彼を殺したと思ってる。
俺もピオニーがボーイフレンドだと騙されたんだぜ?
犯人がけろっとしてるお前を見たら、挙動不審になる筈だ。
その隙を俺が見逃すわけないだろう?今から俺と外をうろついてくれ。」
本当はデートしてくれ、と言いたかったが、例によってそれも割愛する。
「そう言う事ならいいわ、付き合ってあげるわよ。
でもお酒はもう終わり。飲み過ぎよ。
さて、どこに連れて行ってくれるのかしら?」
やっと冗談が通じる空気になって来た。
これを逃す手はないだろう。
「今宵のエスコートは任せてくれ、姫。」
「全く調子いいんだから。ほら、さっさと行くわよ。」
シュナイダーはいつもの皮ジャンを着て手早く準備を済ませたが、サラは少し時間がかかっている。
「おい!いつまで待たせるんだ、お預けを喰らって気が狂いそうだ。」
「もう...5分くらい待てないの?それより、この服どう?最近出来た流行りのお店で買ったのよ。」
今日のサラはいつにも増して綺麗だった。
思えばサラとは屋敷以外で交わったことが無かった。
髪はブロンドだが先の方を少し脱色させている。
可愛らしい顔には流行りの店で買ったであろう化粧品をあしらっている。
すっぴんの方がそそるが、あまり見ない装いに、これはこれでありだと思う。
服は赤いワンピースに、レディースの黒い革ジャンを羽織っている。
顔が一級品なので何を着てもよく似合う。
靴はあまり見たことのない黒いものを履いている。シュナイダーにはそれが何か分からなかった。
その靴は何て言うんだ?」
「これはヒールって言うのよ。初めて見たかしら?
新しい街道によく合うのよ。身長も高く見えるでしょ?」
サラはその場で一回転して見せた。
ワンピースがふわりと浮き上がって、綺麗にお辞儀した後の彼女はとても満足そうだった。
シュナイダーは一瞬目をそらした後、いつもの調子に戻ってエスコートを始めた。
「それじゃあ行こうか、俺が率先するべきなんだろうがその様子だとお前の方がこの町の地理に詳しそうだ。」
「リヨンで他の若い殺し屋に狙われたら、あなたはもう終わりね♪」
「違いない。」
「それじゃあ行きましょうか。」
「仰せのままに。」
二人は夜の街に繰り出した。
こんな夜更けだというのに街道は男女の淡い暖かさに包まれている。
街灯の下は絶好のキススポットの様だ。
サラはその光景を見て少し顔を赤くしている。
意外に恋愛経験の少ない彼女は少し足を速めた。
その様子を見てシュナイダーは少しほほ笑んだ。
町を案内するサラは幾つか良さげな店を見繕う。
「あそこのお店の料理、最近評判がいいのよ。行きましょ!」
「そうだな、いいパスタを出してくれそうだ。」
「知ってたのね!それならあそこのカフェ...」
「チョコレートケーキとコーヒー」
「結構詳しいじゃない...」
「拍子抜けだな、意外と浅い、もっと遊んでるもんだと思ってたのに。」
「...だって...彼氏も...出来たことないし...」
「これまた衝撃の事実だ。こっちの路地に入ろう。昔からの馴染みがやってる店がある。」
街道から外れ、路地に入ると街道のレンガ舗装は無くなり砂利道になる。
舗装の予定はあるがまだ行き届いていないらしい。
ヒールが歩きずらくて不満そうにしているサラを見て、シュナイダーはサラを抱き上げた、お姫様抱っこというやつだ。
「ちょ、ちょっと!何してんの?!」
「いいからちょっとじっとしてろ。」
そう言うとシュナイダーは路地を走り始めた。
どんどん行き止まりの壁にに近づくにつれ速度を上げる。
壁のレンガ模様が残像で分からなくなる程の速度に達した時、壁の中に突っ込んだ。
中はどろどろした粘液の様な暗い空間になっていて、少し息がしづらい。
暫く歩き続けると急に目の前の空間が変わり、明るいレストランの様な空間にいた。
「はあ...まったく、この魔法は改良しておけって言ったろう...」
「ここはどこなの?なんか途中動きずらかった気がするんだけど...」
「俺の行きつけなんだ。ノエルのカクテルは最高だ。ここのテーブルに座ろう。」
レストランには幾つかのテーブルにイス2つのセット、空中に浮いてるランタンにメニューと呼び出し用のベルが置いてあるだけだ。他には何もない。
今日は見慣れない先客がいる様だ。
長いローブを羽織っていて一人は性別すら分からないが、もう一人は筋骨隆々の若い男だ。
この場所に入れるという事は、ここのマスターに気に入られている証拠だ。
あまり見ない顔だが悪い奴らじゃないだろう。
サラはテーブルに着いた時から、不思議そうにあたりを見回している。
少し恰好を付ける様に酒を注文した。
「そうだな...俺にはモスコミュールと、サラにはマティーニだ。チョコレートも付けてくれ。」
テーブルの上に硬貨を置いてベルを鳴らすと、硬貨は消え、代わりに紙が一枚出現した。
「何か書いてあるわ、わざわざここに来なくても、って。」
「余計なお世話だ。ブラックの看病をしないといけないからな。」
「何それ、だからまだ用心棒を続けてるの?
もう何10年もいるんでしょ?そろそろ別の事をしてもいいんじゃない?」
「そうはいかない。アイツは、行く当てのない俺に酒を奢ってくれた。
そんなお人好しには一生付き纏ってやるのが人情ってもんさ。」
「そう言うところだけ変に律儀なんだから。」
そんな会話をしていると注文していた物が出現した。
少し遅れてステーキ数切れも出現してきた。更にメモが一枚。
「わ~!凄い綺麗ね!私のマティーニ光ってるし!」
「またか...なに、サービスよ、はーと、そんな事しなくていいんだよ...」
「気の利くマスターなのね!私ここ気に入っちゃったわ!」
「そうか、また来たくなったらエスコートしてやるよ。」
「今日のはエスコートがどうか怪しかったけどね。」
「黙ってろよ」
傍から見たらそう思わないかもしれないが、和やかな会話に酒の進みもゆっくりになりながら、楽しい時間が過ぎていった。
他愛のない会話が続いていた。
最近の仕事の話、新しく出来た店の話、友達との出来事など。
ほとんどがサラの話であったが、サラはそれでも幸せを感じ、シュナイダーも笑顔の彼女を眺めているのが嬉しかった。
2時間程たっただろうか。
そろそろバーも閉店の時間だ。
「いいお店だったわ。」
「当たり前だ。」
「次はどうする?」
「流石にもうどこの店も開いてないだろう。
散歩しながらちょっと行きたい場所がある。」
「どこ?」
「それはついてからのお楽しみだ。」
二人は酔い覚ましに街道を歩いている。
先程までいた恋人達はもう居なくなっていて、宿屋や民家の方からまだまだ続く夜の気配を感じる。
奥の街灯、この空気にそぐわない殺気を漏らしている者がいる事に、シュナイダーだけは気が付いていた。
「もうすぐ着く?」
「ああ。」
着いたのは、町の一番端にある見張り櫓だった。
「ここに登ろう、大丈夫だ。ここの守衛とはダチだからな。」
シュナイダーは又もサラを抱き上げると、櫓の上まで飛び上がった。5mはあるだろうか。
サラはまんざらでもなさそうだ。
櫓の上に立つと守衛に合図を送った。
守衛が笑顔で手を振り返すと、二人がいる櫓が3倍の高さに再構築され始めた。
驚愕している娘を尻目にシュナイダーは笑顔だった。
「きゃああああ!!!」
構築が終わった櫓は新たな素材を使った訳ではないので、足場は安定しているがそれ以外はほとんどスカスカだ。
幸い風が弱いので揺れはない。天気のいい日しか使えない裏技だ。
「大丈夫か?」
「...びっくりしただけ、大丈夫よ。」
落ち着きを取り戻したサラが辺りを見ると、そこには街灯や民家の明かりに照らされた夜景が広がっていた。
点々と光が存在する様は、夜空の一部が町に降り注いだみたいだった。
「きれい...」
「ブラックに無理言って改造させてもらったんだ。俺もこの景色が見たくてな。
こんなに街灯が出来たならもしかしたらこうやって上から見たら綺麗なんじゃないかってね。
当たりだったな。本当に星みたいだ。」
「しばらくここに居てもいいかな?」
「ああ...もちろん。そうだ、忘れていた。」
シュナイダーは、革ジャンの内から小箱を取り出し中を見せた。
そこには上品な青い色の宝石があしらわれたネックレスが飾られていた。
「あら!綺麗なネックレス!こんなのどうしたの?」
「やっぱりか、お前仕事のし過ぎだぞ。
お前は覚えてないかもしれないが、今日はお前の誕生日だ。」
「そうだったかしら?誕生日なんてもうすっかり忘れてたのに...
変なところで律儀なんだから...」
「付き合いが長いんだ。それくらい当然だろ?世の男は何故か忘れっちまうみたいだけどな。」
「そう、でも私はあなたしか知らないわ。そんな男達なんて、知らないの。」
「...ああ、そうかもな。」
「だからね...少しくらい罪悪感を感じて欲しい。」
「...」
「シュナイダー、サラって呼んで、そのまま...キスして...これくらい...してくれても...いいでしょ...」
サラは顔を赤らめながら目を瞑っている。
シュナイダーは少し困った顔をしながらゆっくりキスをした。
サラの初めての男はシュナイダーだった。
色んな女に手を出していた事を彼女が知っていない筈はなかったが、経験ない彼女にはそんな男が何故だか魅力的に感じてしまう。
その後、シュナイダーはサラと手を繋ぎながら屋敷まで帰った。
二人とも一言も喋らなかったがもうそんな雰囲気ではなかった。
いつもならがっつくシュナイダーは落ち着いていた。
彼女はこの先の展開を知っている様だ。
「まだやることがあるんでしょ?」
「残念ながら」
シュナイダーはサラの部屋の前で額にキスをした。
そのまま振り返らずに外に出る姿には、うっすら香水が振られていた。
夢見心地のまま鼻歌を歌って町へ再度繰り出す。
街道の真ん中を一人歩いている姿は、年甲斐もなく酔っ払って徘徊する老人だが、そんなやつに話しかける更なるイカレ野郎が大声で彼を呼び止めた。
「おい!クズ野郎!とまれ!」
完璧な展開だ。
こうまで上手く行くと、気分も上がる。
「なんだお前?癇癪持ちは今日日流行らんぞ。消えろ。」
男の戯言を雑に躱すと、更に頭に血が上った様だ。
「黙れ!何でそんな平気な顔をしてサラを誑かせるんだ!答えろ!」
「やっぱりお前だったか...殺気が駄々洩れなんだよ...名前は?」
「そんなのはどうでもいい!サラは俺のモノだ!
せっかくストーカーを追っ払ったっていうのに!誰にも渡さない!
俺のモノだ!もうサラに近ずくな!」
「そうか!サラはお前のモノだったのか!知らなかった!でも悪いな。
もう食っちまって残飯しか残ってねえよ。俺の唾付きでいいなら持ってきな。」
シュナイダーはそう言うと、背中を向けてひらひらと手を振って歩きだしてしまう。
男はもう限界だった。
「っっっ!!!!ふざけやがって!!!殺してやる!!!クソがあああ!!!」
挑発に乗ってしまった男は、隠し持っていたのこぎりで襲い掛かって来た。
その時を持ってましたと言わんばかりに、シュナイダーは振り返り、男との間合いを一瞬で詰めた。
男が右手でのこぎりを振り上げているのを見るや、左手に持っていたナイフを右手に持ち替え男の目の前で急停止した。
男はそのまま脳天めがけて振り下ろしたが、シュナイダーはあっさりと左足を引いて躱し、瞬時に左ひざ裏、左わき腹、肺、鎖骨、首を刺した。
血が噴き出しているが、隣にいるシュナイダーのナイフや服装には血が付着していない。
彼の魔法によるものだ。
これまでの仕事のお陰で、無意識にでも魔法を発動出来る様になった。
返り血は一滴も浴びないし、犯行に使用したナイフは消える。
今回腰に下げていたナイフは、人の目につきやすい新品だが、一週間前に購入した安物だ。
ちゃんと消えたのを確認したシュナイダーは、隠し持っていた代わりのナイフを手に取った。
新品の様に光を受けると輝く物ではなく、毎日手に触られて極限まで価値を高められた、盆石の色をしている。
その切れ味もこれまでの比ではなく、死体の肉はもちろん、骨でさえも腕を振り下ろしただけで断ち切ってしまうだろう。
手早い仕草で目の前の死体を手のひらサイズに裁断して立ち上がった。
「さて、死体の処理だ。地面がレンガで助かったぜ。これで誰も見つけられない。」
手を死体に翳すと、肉塊はレンガの隙間から地面に吸い込まれていった。
まるで排水溝に流れる水の様に隙間から血の一滴まで消えた。
全てが終わった後には何も残っていない。
ストーカーは最初から存在せずに、酔っ払った男が一人、夜風にあたりながら帰路についている様にしか見えない。
この日はそのまま帰路に就いた。
屋敷に入り、ふと思い返しサラの部屋へ向かった。
気配も足音も立てずにドアを開け、ベットで眠っているサラの顔を覗き込んだ。
寝相もいいし綺麗な寝顔だ。
起こしたくなる衝動を抑えながら、少しだけ開けた布団を肩までかけて部屋を出た。
表面上は汚れていないが、手を触れるのは躊躇った。
その後、シャワーを浴びたシュナイダーはろくに髪も乾かさないまま自室に戻った。
部屋の机の上には果物が心ばかり置いてあった。
完全犯罪をしたつもりでも、誰かが夜な夜な仕事終わりに置いてくれる。
今回はサラだろうが、ブラックが置いている時もあれば、料理長の頼みを聞いたときは中々凝ったデザートと上等な酒があったこともあった。
「これは、ブドウか。こんな季節によく手に入ったもんだ。それに...こんなに甘いとはな。」
疲れた体に染み渡る甘さを感じながら水を一杯飲んだ。
甘みがくどいほど広がった後に水がすっと程よい間隔まで導いてくれる。
急に眠気が襲って来たのでベットに倒れ込んだ。
そうやって彼の一日は終わっていくのであった。
翌日
朝日と共に起きて顔を洗い、厨房に入り堅い黒パンを一切れ盗むのがシュナイダーの朝のルーティーンだ。
そこにブラックが機嫌のよさそうな顔をして話しかけてきた。
いつもはやらない、パンを一切れ盗むという悪い行為をしている。
「おはようシュナイダー。昨日は...その...ありがとう。」
「いいんだよ、そういうって事は今日は任せて貰えるって事か?」
「ああ!少し不安ではあるが何回かは任せている事だしね。私は一日休ませてもらうとするよ。」
「サラも一日借りてくぞ、町長には秘書が必要だろ?」
「言われなくても、サラは君のモノだろ?」
「は?」
「なんだ?昨日あんなにロマンチックな事をしておいてまだ自分のモノじゃないって言うのか?
君らしくない、風邪でも引いてるんじゃないか?」
「...サラから聞いたのか?」
「君の後をつけた。」
「嘘だろ。そんなこと出来る訳がない。」
「出来るさ!30.5m。それが君の感知できる範囲だ。
自分でも気づかなかっただろう?もう何年関わってると思ってるんだ。」
「一本取られたな。もう行けよ、いつ殺されるかわかったもんじゃない。」
「ではお言葉に甘えて!」
ブラックは朝も始まったばかりだと言うのに、陽気に厨房を後にした。
どうやらすれ違う使用人全員に挨拶して回ってるらしい。
いつもなら会釈をするだけなのに、皆不思議でならないといった顔だ。
今日シュナイダーが任された仕事はポーラという町との、年に一度行われる交易料金改定の会議である。
関係はかなり良好なので、誰に任せても結果は変わらないだろうが、彼にとっては大仕事だ。
何しろポーラでは町長が体調を崩してしまい、町から能力のある者を集めて経済を回しているらしい。
外交担当は町長の娘が担当している。
シュナイダーも彼女と会った事があるが、大事に育てられている様で、腰にナイフを下げている人間を見た事が無いらしく、興味津々で眺められていた。
箱入り娘の癖に、何事にも好奇心旺盛で善悪の判断を付けずに、凄いものは凄いと言って、それに身を委ねる事の出来る貴重な存在だ。
物知らずだからこその怖いもの知らずが、今日の会談を混乱に陥れなければいいとシュナイダーは願っている。
その頃、ポーラ町長の娘、ヴェロニカは馬車の外を眺めながら嬉々としていた。
「はあ...リヨンが待ち遠しいわ。この一年でかなりの発展を遂げたと聞きましたし楽しみね。
久しぶりに弟にも会えそうだし、元気にしているかしら?」
ヴェロニカの傍付き執事、ローレンツは、そんな彼女の弟を思いやる気持ちに普段通りの口調で答える。
「ええ、きっと元気でしょう。ロイドは強いし家族を思いやる余裕もある。それに新しく旅の仲間が出来たようですよ。これから更に大きくなるでしょうね。」
「あら?そうなの?私宛の手紙には何も書いてなかったのに、あなたの方には書いてあったの?」
「そうですよ。私のには書いてありました。何でだと思います?」
ブロンドの長髪をうなじが見えるように束ねている、いわゆるポニーテールだ。切れ長の目をした凛々しい女性はヴェロニカ、ポーラ町長の娘で外交を担当している。
彼女には何故弟からの手紙に違いがあったのか、理解出来ない様だった。
「あなたがいちいち内容について問い詰める返事を書くからですよ。
直さないと次からの手紙が一行だけになっても文句は言えません。」
白髪の背広を着た執事はローレンツ、生まれつき怖い顔をしているが、彼女の専属執事だ。
理由は単純に危なっかしいからだ。彼女が無自覚な事も症状を加速させている。
執事は溜め息を付きながら、彼女のやる気を沸き立たせる情報を話す事にした。
「こんな調子じゃ今日の会談、シュナイダーに無礼を働くかもしれませんね?」
「それはどうして?」
「先程入った情報ですが、今日の会談はシュナイダーが担当するそうですよ。」
耳より情報を聞いた外交官は、頬を真っ赤にする。
「!!それを早く言ってよ!どうしましょう...
今日の服にはあまり自信がないわ...どこか寄れないかしら?」
「大丈夫ですよ。シュナイダーの好みは私がよく知ってます。今日はイケると思いますけど。」
「...なら...いいわ...」
何故かシュナイダーの好みを知っている執事に、少し疑問を抱きながらも、それは流すことにする
「もうすぐ着きますよ。会談後は馬車が壊れる予定にしてあります。数日はご自由に。」
「...ありがとう」
「彼の好みの体位も教えましょうか?」
「やめてよ...」
「ああ、それから酒はほどほどにしておいて下さいね。あまり飲めないのを忘れないで。」
「分かってるって」
「そうかな?まあいいでしょう、シュナイダーが上手くやるはずですので。」
「もう!静かにしてて!」
「はあ...」
ヴェロニカは気怠そうに窓の外を再び眺め始めた。
外にはレンガで舗装された街道と、背の高い街灯が規則的に並んでいる。
ずっと見ていると心地よい振動と共に眠気が襲ってくる。
夢に落ちそうになった瞬間に、ローレンツに声をかけられた。
「ヴェロニカ、着きました。」
「ありがとう。ドアを開けてくれる?」
ローレンツはそっとドアを開けた。
そこにはいつものラフな格好ではなく、背広で決めたシュナイダーとメイドのサラが一歩下がってお辞儀していた。
シュナイダーは完璧な作法で来賓を迎える。
「長旅ご苦労様です。ヴェロニカ嬢。さあこちらに、最近の工事のお陰もあって足元が大変いい具合にございます。手を。」
華麗にも可笑しな雰囲気に、ヴェロニカは笑ってしまう。
「ふふ!シュナイダーったら!ありがとう!ローレンツ!荷物をお願いね!」
ヴェロニカはシュナイダーと手を繋ぎながら屋敷に入っていった。
サラはジト目でその行方を追っていたが、執事に話しかけられ我に返った。
「サラ、今日からの予定なんだが...馬車の車輪の調子が悪い。念のため数日止めて欲しいんだが...」
「...承知しました、車輪の検査はそちらに任せます。
私は...部屋の準備と...間違えが起きないように監視しておきます。」
「そうだな。頼むよ。でも夜は二人きりにしてやれ。」
「なぜ?」
「嬢が愚図野郎とくっついて欲しく無いからだ。
ヤツには俺から頼んでおく。嬢はヤツのタイプだが、顔と性格のパターンからしてやり捨てだろう。
手塩にかけた娘があんな奴になんて...ぞっとするわ」
「そこまで分かっているのなら、何故私に夜の見張りをしない様に言うんです?」
「3Pになるからだ。」
優秀な執事は肉体関係の情報も早く仕入れる様だ。
サラはやはりかといった様子で荷物を運ぶのを手伝い始めた。
しばらくして1階の応接間に役者が揃った。
応接間の内装は他の部屋と比べても金がかかっている様には見えないが壁に掛かっている絵画だけは価値が高そうだ。
この町が舗装される前の夕日に照らされたリヨンが画かれている。
それ以外は大きな机とソファーが二つあるだけだ。
ヴェロニカが会議の音頭を取り始めると、一同は真剣な顔になる。
「それでは料金改定の会議を始めましょう。」
シュナイダーは普段見せない完璧な外交を見せる。
「今年の貿易収益はリヨンの改修のお陰でかなりのものだ。
それに伴い、労働者も増えて活気に満ちている。
またフランとの連絡網も順調、魔物の活性化に伴い素材の交易も順調。
だがフランには今人手が足りない。
そこでなんだが、ポーラとの関税を少し下げる代わりに冒険者の斡旋を頼みたいんだ。
ウチは潤ってるし、もっと周りに助力すべきだと思っている。どうだ、ヴェロニカ?」
「いい案だわ。冒険者の斡旋を進めましょう。
それとポーラは商人の町よ。そして冒険者と商人の関係は深い。
潤っているのなら、ポーラに冒険者育成所と商人との交流会に各所が出資してくれるように推薦状を書いてくれないかしら?
今一番勢いに乗っている町が寄付金と共に声を上げてくれればよりよいものが出来る筈よ。
どうかしら?」
「まったくいい案だ。いくらかの出資と推薦状を書いてくれるようにブラックに頼んでおこう。
サラ、今回の事を書いてもらう書類を頼む。」
「もう出来てます、ここに。」
「話を聞きながら書類を作ったのか?なんて優秀なんだ!」
「白々しい...」
サラから受け取った書類をヴェロニカに渡す。
受け渡しをする時に、両者の手が触れ合ったのを、サラは見逃さなかった。
「ではここにサインを。」
「はい!ローレンツ、チェックを頼みます。」
「畏まりました。んん...問題はないようです。」
終わりを悟ったリヨンの外交代理は、ネクタイを緩め始める。
「では今回はこれでお開きってことでよろしいかな?」
「はい。有意義な時間でしたわ!」
「よし!それじゃあ町に繰り出そう!窮屈なのはもうこれっきりだ。」
「もちろんです!今すぐにでも!」
そのまま強姦に連れ去られそうになる嬢を、優秀な執事が引き留める。
「その前に着替えて。」
シュナイダーに釘を刺す為に、サラも牽制に入る。
「30分後にまた集合しましょう。部屋に案内致します。」
「ありがとう!このお屋敷のお部屋、質素で落ち着くんです!」
「では行きましょう。」
ローレンツはどうしてもシュナイダーと話がある様だ。
「シュナイダー、ちょっと。」
「なんだ?」
「わかってると思うが、ヴェロニカとやったら殺す。」
とんでもない剣幕である。
両者は兼ねてからの仲で、互いの事を知り尽くしている。
嘘を言ってみた所で通用しない。
シュナイダーの返事はそれでもいい加減な物だ。
「わかってるって。俺にはサラだけで十分だ。確かに彼女はやばい。
だがお前の娘に手を出すほどクズじゃない。」
「いいや、お前はクズでゴミだ。俺の娘にも手を出すだろう。
でも今日、ヴェロニカを振ってくれたら、代わりの女を用意しよう。」
「代わりの女?あれは替えが効かない一級品だぞ。みすみす手放すもんか。」
「開き直るなよ!とにかく辞めてくれ!これは警告だ!
殺すって言葉は嘘じゃないぞ。マジだ。」
いい歳した白髪の男が、殺す、と言う浅はかな言葉を使うのは何とも滑稽だ。
「お前がそこまで言うなら何か俺を止める手立てがあるんだろうが、この町で何をした所で地の利を取れると思うなよ。」
「それはどうかな?ヴェロニカだけは何としても守るからな。」
「そうか...かなりマジなようだ。なら俺はそのヒリヒリしたゲームを楽しむとしよう。」
「...明日まで命があるといいけどな。」
激戦の予感を感じさせながら、ローレンツは応接間を後にした。
ローレンツとシュナイダーは昔からの付き合いで互いの事をよく知っている。
本当に殺されるかもしれないと思っていてもいつも最後に出し抜くのはシュナイダーだ。
彼は本気でただのワンナイトゲームだと思っている。
「まあなるようになるだろ。」
そう言い残すと身支度に行ってしまった。
早々にいつもの恰好に着替えると、ヴェロニカが来る少し前に玄関で待機した。
少し香水が振られており、髪も束ねられている。髭の剃り残しもない。
ヴェロニカの足音が聞こえると、わざとらしく腕時計をチラ見して視線を外す。
「お待たせしました。それじゃあ行きましょうか!」
「ああ、荷物持ちは任せてくれ。」
これからの数日間、ヴェロニカはシュナイダーと夢のような時間を過ごしただろう。
買い物を楽しんだり、オシャレなカフェに寄ったり、少しだけ仕事の話をしたり、一緒のホテルに泊まったり。
意外にもシュナイダーはその間手を出さなかった。
ヴェロニカの初々しくはにかんだ誘いにも乗らなかった。
最初こそやる気があったが、どうゆう訳か時が経つにつれ気分が薄れていった。
彼女は美しいし嫌いになったわけではない。
ローレンツに言われた言葉が今になって響いたわけでもない。
彼自身も気づかぬうちに、彼女の未来や自分の辿る先を見て、一つの考えが芽生えたのかもしれない。
やっぱタイプじゃなかった、と。。。
「シュナイダー、今夜でここにいるのも最後ね。また会えるのはいつになるのかしら?待ち遠しくてたまらないわ。」
似合わない男女はヴェロニカの部屋で最後の夜を過ごしていた。
シュナイダーはワインを、ヴェロニカはブドウジュースで同じ気分を共有していた。
飲みたいとお願いされるたびに心の悪魔が囁いてくるが、毎回妥協案を考えて間違いが起こらない様に尽力している。
「さあな、俺はここ数日でだいぶお前の元気をもらったから3年後とかにしてくれるとありがたい。」
「ふふ!でも最後に私を抱いて欲しいの。」
「ん?」
何かの聞き間違えだろうか。
「抱いて欲しい。意味わかる?」
「酒飲んでるのか?飲むなっていっただろう!何やってんだ!」
ヴェロニカのグラスを嗅いでみるとほんの少しワインの香りがする。
目を離した隙に少し入れたのだろう。
とんでもない下戸であるのに何故だか飲みたがるこの娘の考えは分からないが、どうにでもなれと思っていることは確かだろう。
「だってしょうがないじゃない!あなたは私がいくら誘っても乗らなかった!あなたが気づかない訳ないのに!私はあなたが好きなの!
この数日私頑張ったのよ...でも...上手く行かなかった...あなたのお眼鏡に叶わなかったのね...だったら最後に一回だけでいいから抱いてよ!私それですっかり忘れるから!」
ヴェロニカには勢いがあった。
いつもとは全く異なる様子にシュナイダーはたじろいだが、それも少しの間だけだった。
彼の心はもう決まっていた。
「キスだけだ。それならいい。どんなに激しくしt...」
シュナイダーが言い終わる前にヴェロニカは彼の唇を奪っていた。
やわらかい唇は勢いとは裏腹にとても繊細なタッチで唇だけに触れていた。
目を瞑ってほんの少し唇を尖らせる様子にシュナイダーは思わず腰に手を掛けそうになったが、そのまま頭を押さえ舌を中に入れた。
ヴェロニカを驚いて体が震えたが、彼はとても冷静に口に含んでいた液体を彼女の中に流し込んだ。
彼女は受け入れてゆっくり喉奥に収めていく。
永遠に思える30秒の後、ヴェロニカは口を離すと、そのまま倒れるように眠ってしまった。
シュナイダーは軽々抱きかかえると、誰もいない虚空に向かって会話し始めた。
「ローレンツ、すまないな。キスだけやっちまった。」
窓辺からゆっくりと透明度を失う様に姿を現したローレンツはやれやれといった様子だった。
「お前にしては上出来どころか、どうしちまったんだ。こんな事言うのもなんだがチャンスはいくらでもあった筈だろう?」
「チャンス?よく言うぜ、あんな化け物雇ってた癖に!いい女逃しちまった。」
「まあ何であれ、お前もやっと大人になったって事だ!めでたいねえ!飲みに行くぞ!」
「全く調子のいいやつだ。いつもの場所でいいか?」
この日の二人は朝まで屋敷に戻ることはなかった。
翌日
いつもの様に厨房に行き、シュナイダーはブラックと顔を合わせる。
両者とも疲れが溜まっている様だ。
ブラックは昨日に続き、パンを盗む。
「おはよう、シュナイダー。昨日はよく自分を抑えたと聞いているよ。
お嬢さん達は日が昇る前に屋敷を出た。
それにしてもあそこの執事さんは優秀だねえ。
出る前に私に全部話してくれたよ。」
「アイツはそうゆうヤツだ。
確かに優秀だが根は俺と同じ、信用しすぎるな。」
「いいや、君とは違う。本心を表に出さないだけ君より上さ。今日の予定は?」
「最近色々ありすぎた。今日は酒でも飲んで寝てるとするよ。」
「そうか...おいその道を通ると危ないぞ!」
ブラックは厨房にある何の変哲もない動線の一つを指した。そこは料理人達が通る厨房内の普通の道に過ぎなかった。
彼はその道の近くにある窓の方に目線を向けながらどこか怯えている様だった。
「誰かに見られていたらどうするんだ...」
「?見られてるって...こんな早くに誰も見ちゃいないよ。
お前も疲れてるんだろ。一緒に飯でも食いに行こう。いい気晴らしになるぜ。」
「私はいい...」
「そんなこと言うなよ、そうだ。クロも呼ぼう!
デートして来たときにだいぶ外にも慣れただろう。
そういえばデートはどうだったんだ?後で聞かせろよ!」
「いいって言ってるだろ!」
ブラックは珍しく感情的になっていたが、何処か遠くに意識が向いている様な雰囲気だった。
シュナイダーの脳内には嫌な思い出がフラッシュバックした。
その瞬間にこれから起こる出来事を回避する様に尽力する決意を固めた。
「...おい、お前、薬はどうした...昨日は飲んでないのか?」
「...飲んでない、後10錠ほど残っていたはずなんだが私の思い違いだったようだ。」
「俺が貰ってきてやるよ。今日はおとなしくしてろ。」
「何度も言ってるが私は病気じゃないだろう。
薬を飲ませてもさほど意味ないと思うが、なんでそんなに執着するんだ。」
「...心配なんだ。お前が変わっちまって、まともに会話も出来ない様になって、大切な人に暴力を振るう事にも罪悪感が無くなる狂人になる前に何とかしてやりたい。」
シュナイダーはいつにも増して切実だ。
似合わない正義感を漂わせている。
ブラックにはそれが可笑しくてしょうがなかった。
「なんだそれ。私がそんなアホになると本気で思ってるのか?
そりゃいつかは老いぼれるだろうけどな。まだまだ現役のつもりだ。
でも、君にそう思わせてしまった私にも原因があるのは間違いないな。」
ブラックはいつもこうだ。
追いつめられると大衆受けのいい返事を返す。
シュナイダーにはそれが気に食わなかった。
「そうやっていい子ぶるのは辞めろ。ほら部屋に戻るんだ。メシはサラに運ばせる。」
「悪いな。そうさせてもらうよ。」
シュナイダーはさっとジャケットを取って朝早くに屋敷を出た。
ブラックにはちゃんと毎週医者に掛かってもらい、毎回シュナイダーも付き添っていた。
薬が切れていたと言っていたがありえない話だ。
シュナイダーは処方箋の数を全て覚えているし、10錠ほどあったという話も本当だ。
あの性格の人間がうっかりなくすなんて考えられないし、十中八九誰かが盗んだのだろう。
最近どうも犯人が曖昧な出来事が多すぎる。
サラの恋人(仮)殺人事件、行きつけのバーに居た知らない二人組の正体、ローレンツが雇った得体のしれない目付け役、薬の盗難。
何か靄がかかっている様な場合には大抵、復讐絡みなのがこれまでの経験則だが、どれも生ぬるい。
そろそろ本命がプロポーズしに来てもいいはずだが、ずいぶん奥手な様でまだ時間がかかるかもしれない。
「なんだ...今日は休みなのか...」
今回で何回目の訪問なのか分からないかかりつけの診療所は気分で暖簾を上げるか決める。
ついてない自分を慰めながら帰路についていると、こんな早朝に明かりがついている店を見つけた。
最近は色んな店が出店していて日々活気が押し寄せてくる。
朝からやっている店があるならば、これからは一日中やっている店も出来たりするのだろうか、その時はどうやって店を回すのがいいのだろうと物思いに耽りながら店に入る。
店の外観はシンプルなもので、グレーに近いレンガに木枠の窓や扉が付けられた簡素な作りだ。
出入り口のドアノブに赤い看板が紐で引っかけられているのでかろうじて店だと分かる程度である。
「お~い、やってるか?」
中には青年が一人いた。
見たところ、まだ20歳にもなっていないような若者だ。
「おはよう!やってるよ!こちらにどうぞ!」
こんな青年でも店を出す時代になったのかと感心しながら案内されたカウンターについたシュナイダーは、目の前に置かれた水のグラスを不審に思った。
「おい、水は頼んでないぞ。後メニューが無いようだが...」
「水はサービスなんだ!いくらでも飲んでもいいですよ!
あと朝方はモーニングセットしか出してないんだ!それでいい?」
「ずいぶん気前がいいな!じゃあそのセットを頼む。」
「は~い!少々お待ちを!」
店員はさっとバケットを取り出し、よく手入れさせているブレットナイフで切り分けた後、小奇麗な籠からバターを取り出し満遍なく塗り始めた。
同時進行で魔法を使いコーヒー豆とミルを宙に浮かべ、コンロのガスをつけマッチを擦って鍋で湯を沸かし始めた。
バターを塗ったバケットを皿に盛り付け、魔法で軽く表面を焦がした後、ドリップコーヒーに牛乳を注いだ。
普段朝はあまり食べないシュナイダーでも、いい香りと手際の良さに見入ってしまい、お腹の空きが増えるのを感じていた。
「お待ち同様!バターバケットと牛乳入りコーヒーだよ!」
「コーヒーだけでも珍しいって言うのにそこに牛乳を入れるなんて大胆な発想だな...旨いのか?」
「それが最高の組み合わせでね、朝にはぴったりなのさ!」
シュナイダーがその奇怪な液体を口に入れると、驚いたことにコーヒーの苦みが抑えられ、とてもクリーミーになっている。
新しいものをこんなに早く独自に進化させる彼の腕に才能がないなんて言える筈がない。
「これは...旨い!よくもこんなことが思いつくもんだ。バケットも頂くよ。」
バケットは、バターを塗ってから炙っているおかげで染みていて、麦の香りもかなりのものだ。
「良かったらバケットをコーヒーに付けて見て!きっと気にいるよ!」
言われた通りにバケットを付けて食べる。
コーヒーに溶けたバターが深みを与えて更においしくなった液体を優雅に飲みながら、シュナイダーはこの青年に興味が湧いたので詮索してみることにした。
「お前さん名前は?」
「ダニエルです。」
「どうして一人で店をやってるんだ?ほかに仲間は?」
「いないよ。実は越して来たんだ。それで前からやってみたかった店を始めたんだ。」
「いい趣味だ。たまに来ようと思ってるから末永く頼むよ。
それにしても、コーヒーも然ることながらこのバケットが旨いな。どこで仕入れてるんだ。」
「これは家の母さんが作ったものなんだ。残念だけど俺にしか卸してくれないよ。」
「これを君の母さんが?さぞ名の知れたパン屋なんだろう。」
「いいや違う。これは母さんの趣味だ。
実はここに越してきたのは...母の具合があまりよくない気がしたからなんだ。」
「病気なのか?」
「どうだろう、わからない。日常生活では問題ないんだが、どこか怯えている様な、何かから逃げている様な、そんな感じがするんだ...
自分ではどうしたらいいか分からなくて...それである日ご近所さんとトラブルになったんだ。
母が言うには、私の事を監視してるとか...近所は皆仲が良かったしそんなことをする人たちじゃないって母が一番良く分かっていた筈だった。
どうしたらいいのか分からなくなって引っ越してきたんだ...なんか情けないよな...」
「そんなことはない。お前は立派だ。父親はどうした?」
「父さんは冒険者なんだ。でも年に一度会えるかどうか。
置手紙はして来たけどここに越してきたことはまだ知らないだろうな。」
「...そうか、俺がいい医者を紹介しよう。実は俺はここの町長の用心棒をやってる。
過去にも同じような症状の患者を診てる医者だ。信用できる。
それに、俺よりこの町に詳しいヤツはそうはいない。これで少しは肩の荷が下りただろう?」
「用心棒...ってまさかシュナイダー!?噂になってるんですよ!あなたが旨いといった店は繁盛するって!
そんな人が...ウチの店を美味しいって言ってくれるだけでなく、いい医者を紹介してくれるだなんて...」
「いいんだよ、こうゆうのは助け合いだ。噂になってたのは頂けないが...」
「本当にありがとう!今日の代金は無料でいいですよ!」
「そんなわけにはいかない。俺は金はしっかり払う男なんだ。
診療所はこの道をまっすぐ行ったところだ。
診療所とか目印になる看板は無いが、妙に薬臭い建物がそうだ。
今日は休みだから明日行ってみな。」
「わかった!また寄ってくれよ!」
シュナイダーは去り際に手をひらひらさせながら立ち去った。
彼は店主を手助けすると同時にお互い良き理解者になれると確信していた。
これからは週一でお邪魔しようと決めながら、ブラックの様子を覗くことにした。
いい気分の朝だが、どうしても酒が恋しくなる。
コーヒーの後に酒なんて最悪の組み合わせだと思うが、いいことの後には悪いことを起こして眠気を誘わないと整合性が取れないような気がしてならない。
ダニエルの問題が解決しつつあるのに自分の友人との関係はあまり進展がしていないような気がして、無意識に酒で流し込み、流れを変えようとしているのかもしれない。
なんにせよ、一度屋敷に帰らないといけない。
そんなもやもやした気持ちで帰路に就く。
ブラックはいつも仕事部屋である5階の町長室にいる。
何も予定が無い日でも暇になったらそこにいる。
誰か困っている人が訪ねてくるかもしれないからだそうだ。
内装は他の部屋と何も変わらず、ベットが取り払われ、代わりに年期の入った作業机があるだけだ。
書類は綺麗にファイリングされ、雑に触ろうものなら罪悪感が湧きそうだ。
机の上のオイルランプだけは目新しいものになっている。
ララが真面目過ぎる事を不憫に思い、若者の文化を取り入れたようなデザインを見繕ったようだ。
感性が付いていかないブラックはたまに困ったような顔をしている。
「ブラック。体調は大丈夫か?」
「ああ。今このランプを解体してる途中なんだ。邪魔しないでくれるか?」
「は?何で?」
「何か仕掛けがあるような気がするんだよ。」
「そんなものはないだろう!今すぐやめろ!」
ブラック「気になってしょうがないんだ...好きにさせてくれ。」
「ダメだ。お前の好きにさせたらランプがいくらあっても足りない。今日はもう町長室から出ろ。こんなのは見てられない。」
「どうしてだ?私は何か悪いことをしたか?」
「ああ、してる!それが分からなくなってることも問題なんだ!今日だけでいいから、何もするな!」
「どうしてだ、何故そんな事を言うんだ。もしや何か企んでいるのか?わかったぞ、お前がララと結託してこのランプを置いたんだな。」
「何訳の分からん事を言ってんだ。いいからもう何も考えるな。こっちに来いよ。」
そういいながらゆっくり肩に触れたが、事態は悪くなる一方だった。
「触るな!!もう構うんじゃない!出ていけ!」
「...わかったよ。また後で様子を見に来る。」
シュナイダーはこのような状況にかなり心が傷つけられる様だ。
この男がこれしきの事で傷心するのは意外かもしれないが、どうしても拭い切れない過去は誰にでもあるものだ。
何度目の状況でも辛いものは何度喰らっても辛い。
今日一日は何もしてやれることはないのかもしれない。
部屋に籠って酒を飲むしかやることはないのかもしれない。
部屋でうじうじ酒を飲んでいると、いつの間にか寝てしまっていた様だ。
辺りは薄暗くなっている。
朝から夕方までぐっすりだったらしい。
「ぎゃああああ!!!」
上から突然ララの悲鳴が聞こえた。
悲鳴を聞いてからのシュナイダーの行動は早かった。
ナイフを下げていることを確認し、部屋のドアを蹴破り階段を10段飛ばしながら現場に向かった。
どうやら町長室で騒ぎが起こったらしい。
たまたま傍にいた執事が開け放たれたドアの外で驚愕の表情を浮かべながら腰を抜かしていた。
シュナイダーが部屋に入るとそこには、右手が血まみれになったララとナイフを構えて震えるブラックの姿があった。
ブラックの表情は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。
自分でララの腕を切っただろうにまるで被害者の様な顔だ。
ララは切られた手を抑えながらブラックを信じられないといった顔で見ていた。
誰かの次の言葉を聞くより先にシュナイダーは距離を詰め、ブラックの持っているナイフを手から外し、そのナイフをブラックの首に付けた。
「何やってんだよ!ブラック!」
「アイツだ!アイツなんだよ!シュナイダー!ランプに盗聴の魔法をかけたんだ!
俺が確認した時にはもう痕跡はなかったが絶対そうだ!信じてくれ!おい!離せ!シュナイダー!アイツなんだよ!」
全員の視線がララに集まるが、ララはただただ怯えきっていた。
「な、なにを言ってるんですか...?私はただ夕食の準備が出来たと伝えに来ただけで...
そ、そのランプはサラと一緒に選んだものです...盗聴だなんてとんでもない!
今まで献身的にこの屋敷に努めてきました!それがどうして...どうして...」
ララはその場に崩れて泣き出した。
それでもブラックは怯えながら今にも彼女に突進していきそうな勢いがある。
外の執事は口を開けて足を振るわせているし、現場は混沌極まる状態だった。
シュナイダーは事態を収める為にまずブラックを気絶させた。
よく見る首に一撃入れるやり方ではなかなか成功率は期待できないのでシュナイダーはいつも、首、腹、背中に一発ずつ入れるようにしている。
その技は0.5秒に3発叩き込むような早業だ。
殺しの技だが、この場においては周囲の人間を安心させるものだった。
「ララ、大丈夫か?手当をしよう。おい執事!動けるか!手当だ!」
「は、はい!」
これをかけられた執事はやっと我に返り、すぐに動き始めた。
いつもはテキパキ動いて非常に優秀な者だが、どうしてもこのような慣れない状況になると正常な判断が出来なくなる。
正気に戻ってくれたことは不幸中の幸いだ。
執事がララを連れ出してしばらく茫然と現場を眺めた後、シュナイダーは水の入った瓶の栓を開けブラックにぶっかけた。
「...シュナイダー...なんでこんな事を...」
「お前はもう取り返しのつかないところまで来てる。これからどうするつもりなんだ。
この町から離れるならついていくぜ。もう潮時だろ。隠居しても誰も文句は言わないさ。」
「...だめだ...この問題を解決しないまま町長を退くわけにはいかない。...そうだ...」
「どうした?」
「殺すんだ。」
これを言われてしまうと、後の展開は決まったも同然になってしまう。
「...」
「ララをやってくれないか、シュナイダー」
命令されれば、殺すしかないのだ。
病に侵されて入る者に、その事を考える余裕はない。
「お前、とうとう落ちるところまで落ちたか。それでも俺は自分の決めたことを曲げるつもりはない。お前がこの先最悪の精神異常者になったとしても命を救ってくれた恩があることには変わりない。」
「頼むよ...シュナイダー...頼む...この通りだ...」
ブラックはシュナイダーのズボンにしがみついて泣き出し始めた。
顔は涙と鼻水でいっぱいだ。
老人の情けなくて力ない顔は見ていられない。
こんな奴は今すぐに引き剝がして一発殴ってやりたい。
だが、そんな事をしてもシュナイダーの気持ちが晴れる訳でも問題が解決する訳でもない。
彼のやるべきことはただ主についていくことだけだ。
着いていかなければこの男は犯罪者になってしまう。
罪を被るのは自分でなくてはならないとシュナイダーは考えている。
「...もう寝ていろ...これは悪い夢だ...そうだろ?」
「ああ...そうだな...朝になったら...全部が...片付いている...そうだろう?」
「...そうだ...」
ブラックは安心したような顔をして気絶した。
シュナイダーは彼をベットに運ぼうとは思わなかった。
執事に頼むべきだと思ったが、何故だか行動には移さなかった。
「今日の仕事は割に合わなそうだ。」
シュナイダーは町長室の扉を閉めてララが傷の手当てをしているメイド室を目指した。
メイド室には屋敷のメイドの大半が集まっていた。
話題はブラックの事で持ち切りらしい、当然だ。
シュナイダーはその実力でララを救った英雄の様な扱いで話が広がっている。
これならば、ララを人気のない場所に連れ込んでも何も疑われないだろう。
しかし、シュナイダーはどのような態度で彼女に話しかけたらいいのか分からなくなりつつあった。
いつものようにポーカーフェイスを保つことは簡単だが、それではララに通じない。
それでもいつもと違う事を感じ取って安易についてきてくれるだろう。
メイド室を開けると、サラがシュナイダーに駆け寄って来た。
「シュナイダー!あなた大丈夫なの?!母さんを助けてくれてありがとう...それで何が起こったの?」
「...ブラックはかなり酔っ払ってたんだ。アイツがあんなになるまで飲むなんてよほどのことがあったんだろうな...
俺にも話してくれなかったなんて。でももう大丈夫だ。明日になったら忘れてるさ。しかし、仕事が忙しいのは何とかしないといけない。新しく彼のサポートを誰か頼めないか?」
シュナイダーがメイド室に問いかけると皆が少し考える様な顔をして決意を固めた顔で見つめ返す者が何人か現れた。
明日には当番制でブラックのサポート隊が結成されていることだろう。
町長は皆から慕われている。
全員の為に普段から身を削っている彼が倒れたとあれば、手を差し伸べない者はこの町にはいないだろう。
それだけの事をブラックはして来たのだ。
「ララ、ちょっと来てくれないか?話がしたい。」
「...分かったわ。一緒にお酒でも飲みましょうか。ずいぶん世話になっちゃったしね。さっき具合のいい苺ケーキが出来たのよ。サラ、後でシュナイダーの部屋に持ってきて。」
「わかったわ!」
メイド達には彼が事件の後にメンタルケアまでこなす仕事人に移っているだろうが、シュナイダーの心境は穏やかではない。
去り際にサラがシュナイダーの頬にキスした。噂はすでに広まっている様で、初々しいメイドは持っているお盆を自分の胸に強く抱いていた。
暫く二人はシュナイダーの部屋でマティーニを煽っていた。
ケーキもあっていつもならいい雰囲気になってもいいはずだが、今日はそんな気分ではない。
だがしかし、どんな気分であろうとこのケーキが絶品であることには変わりない。
素材の風味が引き出されたふわふわのスポンジに後味がさっぱりのクリーム、そして甘みが少なく酸味の強い苺が薄切りに乗せられている。
全ては彼の好みそのものだった。
これからどんな話をするにしてもこのケーキは届けてくれたに違いない。
「それでどうなんだい?本当のところは。」
「もうダメだろうな。明日の朝一に薬を調達してくるが、それまでブラックが眠っていてくれればいいんだが...」
「薬って...あんたまだあの妙な薬を飲ませてるのかい?
その薬がこれまで効いていて、今回たまたま薬が切れたから錯乱したって言いたいのかい?
でも妙だねえ、あなたが薬を切らすなんて真似するかしら?あなたが嘘をついているか、誰かが薬を隠したか。
どっちにしてもこれはあなたが解決すべき問題だわ。」
至極全うな答えだが、殺し屋にはもう考えるだけの気力は残っていない。
「そうだな。でももう解決策は見つかってるんだ。」
その瞬間、ララの首は地面に落ちた。
ララの目には何も見えなかった。
何の苦痛も感じなかっただろう。
そうでなければならないとシュナイダーは信じている。
シュナイダーが手を翳すと、ララの死体は塵となって窓から外に流れていった。
月明かりに照らされて星の様に輝いている。
今日の夜空はいつもより綺麗だった。
「さてどうしたもんかな。こんなやり方じゃすぐに足が付いちまう。
今日はダメだな...どうも気が動転して冷静な判断が出来ない。
しばらくは何とかごまかすことが出来るだろうがそれまでだろうな。その後はどうするかな...」
いつもなら自分のアリバイを作ってから行動に移す彼だが、今日は何の準備もせずに殺しをしてしまった。
相手がララなのもあるだろうが、親しい人間をやる時でも先手を打たない日はこれまでなかった。
シュナイダーの精神ももう限界が近いことは彼が一番よく理解していた。
眠りにつく前に適当な言い訳を考える。
これなら何とかなるだろうと思いついたところで意識は眠気に刈り取られていた。
翌日
「シュナイダー!起きて!」
部屋の戸を何度もノックする音でシュナイダーは目を覚ました。サラの声だ。
ララがいなくなったんだからこんな起こされ方をしても文句は言えない。
「はいよ、今起きた。どうしたんだ?朝早くから騒々しい。」
「母さんを見なかった?朝から姿が見えなくて...昨日一緒に飲んでたでしょ?その後どうしたか知らない?」
「あー...もしかしたらもうこの屋敷にはいないかもしれない。」
「え?なに?どうゆう事?説明して!」
「まあ落ち着けよ。中に入ってくれ。」
シュナイダーはサラを部屋に招き入れた。
昨晩の皿をまだ机に残したままだったので、サラをベットに座らせ、自分も隣に座った。
昨日寝る前に思いついた言い訳をもう試す時が来たかと内心ため息を着いた。
「落ち着いて聞いてくれ。...ララがいなくなったのは、たぶん俺のせいだ...」
「そんな気は少ししてたけど...何を話したの?」
「実はな、ブラックの調子は皆が思ってるより酷いんだ。アイツは隠してるんだがな。
もう限界が近い。薬を毎日飲まないと危ないくらいなんだ。皆が知らないのも無理はない。
このことは他に話すなって言われててな。知ってるのは、俺とララだけだ。」
「そんな...」
「今回...その...あんな事件があっただろ?それで俺がララに提案したんだ。
この前来たヴェロニカがこれから忙しくなるから新しくメイドを募集してる。
しばらくブラックと距離を開けてみてもいいんじゃないか?ってな。
そしたら、少し考えるわって言ってそのまま俺の部屋を後にしたんだ。
そこから俺は寝ちまったからそれっきりだ。
...まさか娘にも別れを言わず出ていくなんて...相当溜まってたのかも知れないな...」
「...」
サラは何か言おうとしているようだが、言葉が見つからず、ずっと目線を下に向けている。
シュナイダーも彼女にかける言葉なんて持ち合わせていなかった。
気まずい空気が流れる中、シュナイダーが唯一出来ることは、彼女の肩を優しく抱き寄せることだけだった。
気づいた頃には昼になってた。
二人で寝てしまったらしい。
サラの目には涙の痕が付いていた。
自分の嘘が通じたと思っていても涙を見ると怯んでしまうのは男の定めだ。
「起きてるか?」
「んん...あ、寝ちゃってた...仕事しなきゃね...お皿片づけるね。」
「ありがとう。俺も薬を取りに行ってくる。そしたら今日はもう休もう。いいな?」
「うん...」
「サラの部屋で待っていてくれ、二人でのんびりしよう。」
「分かったわ、待ってるから。ちゃんと来てよね?」
「もちろんだ。」
シュナイダーはいつもの皮ジャンを着て早々に外に飛び出した。
とにかく早く事を済ませて休みたかった。
これが済んだら休暇を取るのもいいかもしれない。
用心棒なんて毎日休みみたいなものだと思うかもしれないが、周囲を警戒して行きかう人々を少なからず敵対するような目線を向けなければならないのは精神的にしんどいものだ。
自分でどうしても解決できないものから逃げるのは悪い事ではない。
逃げてばかりではなく少し距離を取って一度客観的にみる事が必要な時もある。
その時はもうすぐ来ると肌で分かる。
こういう時は大抵心が徐々に軽くなっていく。
「おい!来たぞ!開けてくれ!」
看板もかかっていない診療所ではあるが、薬の匂いが扉の外にも匂ってくる。
珍しく鍵のかかっていない戸を開けると、ツンとした匂いが流れてくる。
初めは反射的に鼻を覆っていたが、今ではもうすっかり慣れてしまった。
中には寝るスペース以外足の踏み場もないほどの本と、安定した大きい本の上にガラスで出来た実験道具が置かれている。
壁には大きな薬棚が隙間なく埋まっているのが部屋の狭さを助長させている。
「...クソ...いないのか...こんな時に限って何でなんだよ...」
シュナイダーが部屋を物色していると、本の上に書置きが置いてあるのを見つけた。
書置き
「シュナイダーへ。
暫くの間ここを開けます。ここより南のニリールという一面砂漠の町で新たな薬が発見されたらしいんです。
半年は帰ってこれないだろうから、いつも取りに来る薬を右棚の上から3列目右から5番目に入れておきました。半年分は用意したのでうまくやって下さい。
もし足りなくなっても別紙に調合方法を書いておきました。
素材の入手方法も記しておきますのでご安心を。
追記 新しい顧客が出来ました。その方も同じ薬を欲しがっているのでもしお会いしたら仲良くしてあげて下さい。」
「はぁ...なんだよ...クソ...もういい」
シュナイダーはそれからずかずかと部屋の中まで入り、入用の薬を全て取って、早々に出て行ってしまった。
次にここに来るのはもうどれほど先になるのか分からない。
ふと、気分転換にまたモーニングを食べに行こうと足の向きを変えた。
彼に手紙の事を話そうと思った。
そしたら少しはいい気分になるかもしれない。
酒を飲める年齢ではないかもしれないが、夕食に招待するくらいはしてもいいのかもしれない。
「なんだ...今日は休みか...」
ドアには休みの看板が掛けてあった。
特に何も考えることも無く、屋敷に帰った。
「おい、ブラック、いるか。薬貰って来たぞ。」
ブラックの寝室をノックしたが返事は帰って来なかった。
そのまま部屋に入り、机の上に薬と水の入ったグラスを置くと、顔も見ずに出て行った。
このままサラに会ってのんびりすれば今日はもう終わる。
休暇を取るのはサラと一緒にしよう。
そうすればどこに行っても楽しいだろう。
ニリールとかいう町にも行ってみたい。
「サラ、いるか」
「入って!」
「ありがとう、やっと休憩できる。」
「あなたは...本当によくやってるわ。」
「これからの話がしたいんだ。」
「何?」
「一緒に休暇を取って旅行に行かないか?しばらくここから離れるのも悪くないと思ってな。」
「私の母さんみたいに?まあそれも悪くないわね。」
「二人とも傷心旅行だ。」
「ふふ!そうね!いつからにする?」
「一週間後にしよう。この話はもう終わりだ。今日は優しくしてくれよ?」
「それはこっちのセリフよ。」
深い時間を過ごした後、深夜に一人シュナイダーは目を覚ましてしまった。
興奮冷めやらぬせいか、外に出て風に当たりたくなった。
今日はガス灯が故障している様でいつもより暗く、星は輝いていた。
いつもブラックの通っている墓のあたりがこの辺では一番暗く星がよく見える。
シュナイダーもそこに足を運ぶことにした。
こんなセンチメンタルな真似事は性に合わないがたまにやる分にはリラックスになる。
「ブラック!こんな時間に何やってんだ。薬は飲んだのか?」
「ああ、シュナイダーか。ああ、もう飲んだよ。私が不甲斐ないばかりに迷惑をかけたな...本当に申し訳ない。」
「いいんだ。いつもの事だろう?」
「ここに来たってことは何か悩み事があるのか?ここは考え事をするには最適だからな。ちょっと話してみないか?」
薬は確実に効いている。
全く別人じゃないか。
「...実はな、休暇を取ろうと思ってる。サラと一緒にな。」
「いいじゃないか。理由は話してくれないのかい?」
「...すまないな。羽を伸ばしたいんだ。」
「まあ、そんなこともある。代わりの番はてきとうに雇うとするよ。」
「もう行くことにする。町を散歩してくるよ。」
「そうか、また明日頼むよ。」
他愛のない会話だが、それが出来るだけでも安心できる。
このまま街道をのんびり散歩する。
何処の建物も明かりが着いていない。
ガス灯もないので月明かりだけが頼りだ。
目はだいぶ慣れて来て、ぼんやりとではあるが確実に辺りが見える。
迫ってくる足音もちゃんと聞こえている。
「誰かいるんだろう?もう出てきてくれ。ずっと付き纏われて気分が悪い。」
それを聞いて、物陰から全身が隠れるほどのローブを被った何者かが現れた。
その姿を見てシュナイダーは直感した。
「お前、俺の屋敷の執事を殺したな?しかもブラックの薬もくすねた。
ヴェロニカとのデートの時も最悪だった。ここに現れたってことは、もう俺を削るのは十分だという事か?
だとしたら舐められたもんだな。」
へらへらするのは余裕の表れではない。
これで正気を保っているのだ。
「...」
「分かってるよ。喋らなくてもいい。お前が喋るのは俺を殺した後でいい。
その代わり、俺がお前を殺したらその時は死姦でもさせてもらうとしよう、冗談だ。ほら、かかって来いよ。」
シュナイダーは腰に掛けたナイフを抜かずに、革ジャンの内側にある一回り小さなナイフを取り出した。
対してローブの刺客は黒ずんだ色の剣を抜いた。刀身を下げている為、夜の色と相まって長さが上手く隠れている。
刺客は信じられない速さで突進してきた。
おおよそ剣の間合いに入ったところでシュナイダーは迎え撃つ決断をする。
刺客はローブで全身を覆い隠すように脱ぎ捨て、一瞬にして気配を消した。
シュナイダーがローブを断ち切ると、断面が焦げた。
しかし、シュナイダーの攻撃はそこで途切れることになった。
背後から背骨を貫いて剣を通されたからだ。
シュナイダーはもう諦めていた。
自然と痛みは感じない。
呼吸も出来ないが、苦しくない。
シュナイダーがナイフを落とした後、刺客は剣をゆっくり抜いた。
剣を赤い光が照らしている。汚れを落としているのだろう。
シュナイダーが仰向けで倒れると、やっと刺客の顔が見えた。
彼女は成人しているのだろうが、まだ幼い顔をしていて、その金色の髪が月明かりに輝いていた。
よく見ると剣も中々の上物だし、顔立ちも素晴らしい。良い所の出身だろう。
十中八九誰かの復讐だろうが、こんな娘を持つ家があっただろうか?
「...私の事を覚えていないのか?」
「!!ああ...思い出したぞ...その声...ギフケの所の娘か!
まだ赤ん坊の時に見た切りだったな...その時はまだウチとの付き合いも良かった
...疎遠になったのは...まあ言わなくてもいいか...」
「...」
「喋らないでくれ...俺には時間が無い、言えることは言っとかないとな。
お前の両親を消したのは俺だ。殺し屋でな、仕事だったんだ。それ以外の理由はない。
復讐したかった相手がこんなのですまんな。それでもお前の親殺しはなかなか楽しい仕事だった。
殺したのはデカい蒸気船でのことだった。船から人が逃げ出さない様に小さな事件をいくつか散りばめて全員の喉元にナイフを翳した。
そこでお前の両親と来たら凄かった。
一つ一つ事件を凡人にも分かるように説明しながら紐解いて、気づいたら蒸気船内のヒエラルキーの頂点に立っていた。
これが人の上に立つ才能あるヤツかって思ったぜ。だからこそ殺すのも惜しいと思った。
だが、こっちも仕事だからな。やらなかったら俺が死んでた。
まあ、これで全部かな。何か他に知りたいことはあるか?
何故か今は体が軽い。なんでも出来そうだ!体は動かないけどな!はは!」
少女は話を聞き終えると、そのまま剣を鞘に納め、何も聞かずに歩いて行ってしまった。
その後ろ姿から見るに、聞きたいことは本当にもう何も無いようだ。
シュナイダーには彼女が本当に復讐の為に自分を殺したのかどうか分からなくなっていた。
もしかしたら他に目的があったのでは?
だが、そのようなことを探る術はもう彼にはない。
最後に心残りを置いて行くのは自分らしくないと思ったシュナイダーは最後に、どうせならもっと謎を残してやろうと少年の様な悪だくみを考えた。
殺人の証拠を残さない為に、証拠隠滅の魔法を自らにかけることにしたのだ。
彼が自分の胸に手を当てると同時に、身体が透明になっていく。
最後に何か大声で叫んでやろうと思ったが、声はもう出せないようだ。
自然に涙があふれる。
完全に消えかかる瞬間、ふとそばを離れた自分のナイフが消えていないことに気が付いた。
証拠が残ってしまう...
そう思うことは出来たが、たったそれだけの事だった。彼が生きている証拠は消えてしまったのだ。
ほとんど人の目に触れたことのないナイフは、もう誰の物だか分からない。
復讐の涙 完
オマケ
「嬢、この町では大分別行動をしてますけどその間何をしてたんですか?」
「なんでもいいでしょ。あと敬語は使わなくていいわ!」
「わかった。まあ俺もいい商売させてもらったし、しばらく金には困らない。次はどこに行く?嬢」
「その嬢って言うのもやめて!ロニーでいいわ!これから長い付き合いになるんだから!」
「わかった、ロニー」
「次は、そうねえ...やっぱりポーラにしましょう!商人の町を見て見たいし!」
「俺にとっては里帰りだがな...」
「あなたもふらふらしてないで偶には家族と過ごして来たら?」
「それもいいかもな」
二人の荷車は綺麗なレンガ張りの街道から土の道を進むのであった。




