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涙の魔王  作者: pole
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旅立ちの涙

凍える夜が明け、細長い葉から朝露が地面に消えてゆくのと同刻、ある屋敷で一人の女の子が誕生した。

彼女の一生を語れる者は少ない。人々は恐れているのだ。瞳から涙が地面に溶け落ちる事を。

白い屋敷は珍しく雨に包まれている。

雲の流れは速いが風は穏やかで、温まり切った室内の少し赤くなっている頬を冷やすのにちょうどいい。

ほとんど雪しか降らない気候のお陰で、真っ白な屋敷と同化する絨毯が庭一面に敷かれている。

玄関から縦長の空間があり、奥に口が2つ開いている大きめなレンガ製暖炉に、所狭しと並んでいる調理器具、暖炉の前に堂々と陣取る革製ソファー、よく手入れがされている剣や杖が掛けられたラック、左右への廊下に繋がる味わい深い木製ドア、使い込まれ年季の入ったファミリーサイズのテーブルに優しいオレンジ色の光を放つランタンが一つあるばかりである。

パーティーでも開けそうなくらい広い空間に光源が一つだが、何故だか部屋全体がほんのり明るく包まれている。

暖炉横にある勝手口が少し開いているのを見てエリンはため息をついた。


エリン「ロニー、そろそろ中に入ったら?」


エリンはこの屋敷のメイド。

清廉潔白なイメージのあるメイドだが、屋敷の主がフランの町の路地裏で拾って来た過去を持つ。

その証拠にこの地域ではまず見かけない茶色の髪に黒い瞳をしている。

髪はポニーテールを白いタオルで纏めて、手先は白くしなやか、メイドといえばの黒いスカートは履いていないが、紺色のズボンにきちんと着こなしたエプロン姿からはスタイルの良さがうかがえる。

メイド服なんて創作の中だけで十分というのが彼女の見解である。


ロニス「ん、もう少しだけいいでしょ?あと少しだから...」


エリン「分かったわ、風引く前に切り上げるのよ?もうすぐ夕食の時間なんだから。」


ロニスは雨の中じっとテラス屋根から外を眺めていた。

彼女にとって雨が降る様子というのは、焚火を長時間眺める事と大差ないものだ。

そこに自分の知らない知識が隠されていると発見してからは更にのめり込むようになった。


通りすぎる雨粒の一つ一つに青い瞳とフィッシュボーンに編まれたブロンドの髪、整った儚い笑顔の顔立ちが写る。

ロニスはこの屋敷の一人娘。両親はこの町の有力地主であったが彼女が幼い頃に亡くなっている。

才能に溢れ、天真爛漫、誠実でまっすぐなところが、親譲りだと評判で彼女も誇りに思っている。


ロニス「やっぱり違う。あ!今度はエリア草の形だ!」


そう呟きながら彼女はスケッチブックに形を書き記していく。

もう彼女の研究ノートには100種類以上の形状と一言コメントが添えられている。

今日も3種ほど新たな発見をしたところで身震いするような冷たい風が吹いた。


そろそろエリンから小言を言われそうなので部屋に戻ることにした。


ロニス「エリン!見て!今日は3種類よ!」


エリン「ロニーはホントに目がイイわね!私にはさっぱりよ。」


ロニス「そんなことないわ!エリンも集中すればきっと見えるはずよ!」


ロニスは雨粒観察ノートをパラパラめくりながらほほ笑んでいた。

手早く夕食の下ごしらえを済ませて周りを掃除し終えたエリンはエプロンをたたみ、少し声を大きくして暖炉の傍の老人に話しかけた。


エリン「アスタ先生!ロニスのお楽しみが終わったわよ!夕食前に一稽古してあげて!」


アスタ「そうだな...よっこいしょ...ロニス、健康のためにちょいと付き合ってくれるか?」


この白髪の老人はアスタ。

この世界では珍しく魔法が一切使えない。

しかし、剣術の腕は一流以上で、剣術だけで魔法使いとも渡り合ってきた。

ロニスが5歳の時からほぼ毎日剣術の指導を任されているが、その剣は衰えを知らない。

経歴の多くは彼の口から語らないが、どこかの剣術大会でとんでもない実力を披露した事で名をあげたらしい。


ロニス「しょ、しょうがないな~、ちょっとだけだよ...ほんとにちょっとね...」


アスタ「は!そんなこと言わずに!」


この時期のフランは肌寒く霙が多い。

だがアスタ先生との稽古の時だけは何故かいつも晴れるのだ。

一時の晴れ間に雪の窪みに出来た水溜まりがきらめきながら木刀の心地いい音が響く。

稽古をつけて貰ってもうすぐ10年になるが、いまだにアスタ先生に傷を負わせることはできていない。

雨粒を正確にとらえることが出来る眼をもってしてもアスタ先生の太刀筋をとらえることは容易ではない。

先日79歳のお祝いをしたのが噓のようだ。


今日は30分ばかりのの稽古ではあるが、ロニスはとても充実感を感じていた。

アスタの構えは、一般的に構えと呼べるものではなく、ただ剣を右手に持っているだけである。いつでもこれだ、まだまだ本気を出すまでもない様子。

対してロニスは、上段に構え、目の前に大木があったなら今にも真っ二つにしてしまいそうな気迫に満ちている。


ロニスが足に貯めた力を解放した瞬間に5mの距離が一気に縮まる。

神速の太刀が左足を引いただけで躱され、右下から切り上げた燕返しが簡単に左に流されると同時に首筋に返しの太刀、これを予期していたロニスはしゃがんで回避し、背を通して左手に持ち替えていた逆手のカウンターを決めようとするも、刀身を理解しきっているバックステップで躱される。

そこから右手に持ち替えた踏み込み切り返し水平切りをする。胴に打ち込んだ筈が木刀で防がれ、尋常ではない衝撃が手に帰ってくる。まるで素手で巨岩に打ち込んだかのようだ。

ロニスの右手に意識が一瞬行った刹那に頭をコツンと打たれた。

その間2秒である。


ロニス「っっったぁ...」


アスタ

「よ~し、ロニス!その調子だ!ふぅ...今日はこのくらいにしておこうか。また雨が降りそうだ。」


ロニス「そう...あ!また木刀がボロボロになってる...直さなきゃ」


ロニスは手をかざしてそっと木刀をなでる。

ゆっくりと木刀全体が赤く光りはじめ、新品同様になる。


アスタ「いつ見てもすごいなぁ、今度ノエルに教えてもらうか」


ロニス「アスタ先生いつも同じこと言ってるよ...」


アスタ「...そうか?年には勝てんな~」


エリン

「二人とも~!そろそろ夕食ですよ~!ロニー、ノエル先生を呼んできて!多分いつもの場所にいるわ!」


ノエルは2階の蔵書室が気に入っている様だ。

ロニスに魔法を教える時間以外はほとんど紅茶を飲みながら本を読んでいるように見える。

しかし、それは幻影で、本当は近くの酒屋を趣味で営んでいる。

ロニスが6歳の時、奥から12番目の棚にある「魔法カクテルとその効果」という本の32ページ8行目にある「ここでユニコーンの唾液1mlとドラゴンの爪垢0.1mgを③に入れる」を口に出して読んだところ、いきなり景色が変わりノエルがいるバーカウンターの椅子にちょこんと座っていたことがある。

ちなみに上記のレシピで出来るカクテルは「自分に好意のある人に飲ませると一日昏睡するギムレット」である。


ロニス「ノエル先生!夕食が出来たって!」


ノエル

「ロニーかい?おやおやもうこんな時間なのね。ちょいと店の掃き掃除を頼めるかい?終わったら内緒で特性フルーツジュースをあげるわ。」


この妙齢の女性はノエル。

アスタの妻である。

実はアスタと幼馴染で同じ魔法の町ロントで生まれ育った。

ロント最高の魔女と謳われたが、今はフランの町に落ち着いて、幻影魔法と短距離転移魔方陣の研究をする傍ら、子供たちへの魔術指導や酒屋の経営をしている。


ロニス「本当?!わかったわ!すぐに終わらせるから!」


ロニスが木製で味のある掃除用具入れに左手をかざすと箒が飛び出し、右手を入口のドアにかざすと子気味良いカランコロンと音を立てて、つむじ風が箒と踊りだした。

ロニスは掃除するのが好きだ。まるで自分が舞踏会のオーケストラ指揮者になったような気分になって、手を振りかざし、箒でしゃしゃっとリズムを刻んで、鼻歌を歌いながら床を綺麗に掃く。最近では楽しそうに掃除をする看板娘に釣られて昼間の客も増えてるそうだ。


ノエル「ロニー!ジュースが出来たよ!」


ロニス「はーい!こっちももうすぐ終わるよ!」


掃除を終わらせカウンターでジュースを飲み終えた時、あまり見たことのない鍋が火に掛けられていることに気が付いた。


ロニス「ノエル先生、あの鍋は何を作ってるの?もしかして、”森食い熊”が出たとか?」


森食い熊とは、このあたりの森に生息する木を食性にする熊が狂暴化した個体を指す。

討伐が推奨されているが、高級食材としての価値が高いので無謀に挑戦する者が後を絶たない。


ノエル

「これはね、ロニスの誕生日の時のための仕込みだよ。もうすぐ15の誕生日だろう?楽しみに待ってておくれ。」


ロニス「そうだった!すっかり忘れてたわ!お友達に招待状を書かなくっちゃ!」


ノエル「ほらほら、その前に夕ご飯を食べに戻りましょ。」


来たる2月1日はロニスの15歳をお祝いする誕生日だ。

15歳は大人への第一歩として、これまでは過保護にしていた親でも、子に何でも一人でやらせないと周りから白い目で見られる年齢である。


ロニスの両親は周辺地域においてとても献身的に貢献している地主であり、人柄も素晴らしかった為にロニスも誠実で周りからも信頼を集めている。

エリン等は両親が残した貯金をロニスに残しつつ、近隣の協力も得て家事代行、読み書き指導、剣術魔術指導、酒屋で生活を成り立たせている。

読み書き剣術魔術指導は、屋敷の空き部屋を使用している為、人の往来も多く、地域の中心のような場所になっている。

ロニスの世話や屋敷の家事をこなしながらこれだけの仕事をこなせる彼らは紛れもなく優秀であるが、どれもこれも夫妻への恩返し、ロニスの才能に引かれているからに他ならない。


そんなことを知ってか知らずか、野望を持った少女が一人、夕食の席で腹の虫を鳴らしていた。


今日の夕食は、いつもの固めのパンに干し肉入りのシチュー、チーズと芋のガレット、デザートにザッハトルテと紅茶が用意してある。


ロニス「ねえみんな、食べ始める前に聞きたいことがあるの。」


エリン「どうしたの?あらたまちゃって。」


ロニス「みんなは15歳になったら何かやりたいことはあった?」


エリン

「そうねえ...私はやりたいことはあんまりなかったかな~、でも15歳になってから任せて貰える仕事が増えたような気がするわ。それに新しく本を貰えたことが嬉しかったな~」


アスタ「私はノエルと旅に出始めたのが15歳ごろだったかな?なあノエル」


ノエル「そうねえ、思えばロントからずいぶん遠くで腰を据えちゃったわね。」


アスタ「はは!そうだな!ロニスが独り立ちしたら一度ロントに戻ってみようか?」


ノエル「それもいいかもね。」


ロニス「私も行ってみたいな~ロント、魔法が得意な人がいっぱいいるんでしょ?」


ノエル「そうよ、いつかロニーも自分の足で尋ねてみるといいわ!」


エリン

「みんなこの先やりたいことがあるのね...私はどうしようかな...?みんな屋敷を開けるみたいだし私もゆっくりする時間が出来るかもね!」


アスタ

「それでなんだが...エリンさえよければ私たちがここを開けた後、新しくギルドをやってみる気はないか?」


エリン「ギルドを?確かに数年の間に魔物の生態が崩れてるって噂になってるわね。」


アスタ「そうだ、今までは町の若いのに頼んでいたんだが、数が多くてな...」


エリン「もしかしたらこの地域の"ドラゴン食い"が繁殖期に入ったのかもしれないわ。ノエル先生どう思う?」


ドラゴン食いとは、その地に巣食うドラゴン種を食べるドラゴンの事である。

基本的に生態系の頂点捕食者であるが、繁殖期に入ると自分の縄張りを出ることがある為、生態系が崩れることがある。

この地のドラゴン食いは純白で飛行能力が高く、業火を操ることで知られている。


ノエル

「流石エリンね!頭の回転が速いわ!でも今回は少し違うの。ドラゴン食いが繁殖期に入ったのは正解、実はもう一つ大きな原因があるのよ。」


ロニス「何?」


ノエル「それは”魔王”の命が尽きたことよ。」


アスタ「...そうか」


ロニス「魔王って何?」


ノエル

「魔王とは魔王の書という本を読んだ者のことよ、人と魔物の懸け橋になる内容が書いてあるとされているわ。」


ロニス「悪い人じゃなさそうだね、どうして死んじゃったの?」


ノエル「...わからないわ、私も魔王を見たことが無いし、寿命かもしれないわね。」


ロニス「そっか、でもどうして魔王が死ぬと魔物の生態が崩れるの?」


ノエル「それもはっきりとは分かっていないの、昔からの言い伝えがあるだけ。」


エリン「魔王尽きる時、魔物は荒れ、世界は荒廃に向かうだろう...」


アスタ

「そうだエリン、よく勉強しているな、魔王は魔物全体のエネルギーをコントロールしている言われている。新たな魔王が生まれない限り、この町の魔物も収まらないだろう。」


エリン「だからギルドが必要なんですね。...分かった、私やってみます!」


アスタ

「それは良かった!町の若いのと協力してやってくれ、皆やる気がすごくてなぁ、エリンを是非ギルドのマスターにと言われてしまってのう...」


エリン

「そんなことだろうと思ってましたよ先生!でも私も新しいことを始めて見たかったしちょうどいいタイミングでした!」


アスタ「そう言ってもらえると私も嬉しいよ。」


ノエル

「話がまとまったみたいね、私が明日あたりギルドの本部にギルド新設の書類を寄越すように手紙を出しておくよ。名前、考えとくんだよエリン!」


エリン「名前か...何がいいかなロニー」


ロニス「私?!こうゆうのはエリンの方が得意でしょ!?」


和やかな夕食の中、とんとん拍子にフランの新たなギルドマスターが誕生した。

いつもの会話の中で話が大きく進むのはこの家庭ではよくあることだ。

ロニスはエリンに尊敬の眼差しを向けていた。

いつか私もこんなかっこいい大人になりたいと思いながら食後のザッハトルテを紅茶で流し込むのであった。



2月1日



今日は待ちに待ったロニスの15歳の誕生日、そして、フランギルド「雪樹のエルフ」新設パーティーの同時開催だ。


エリンは暫くの間毎日名付けに悩み、屋敷の使われなくなって久しい部屋たちをここを訪れる冒険者の為使いやすいように模様替えを済ませていた。

一階にある暖炉には、更にキチンとした設備が整えられ、それに沿うようにカウンターテーブルが並んでいる。

壁に掛けられていた物は2階の部屋を改装して用意した武器屋、道具屋に提供された。壁には代わりにコルクボードを敷き詰め、「皆が使える掲示板」という張り紙が一つ張られている。

その他の空きスペースにはテーブルと四つのイス、メニュー表の紙が一枚置いてある。

天井は2階まで吹き抜けになっており、鉄製の重厚感あふれるシャンデリアがぶら下がっている。

ギルドといえば受付だが、屋敷一階右側の部屋の壁を全て取り払って繋げた一つの大部屋に『依頼受付』『依頼紹介』カウンターが設置され、小奇麗な棚とフラン周辺の生物などに関する蔵書が並べられている。

テーブルとボードがセットで用意されており、冒険者の作戦会議にも使える知的な空間に仕上がっている。

一階左側はほとんどそのままに、約20部屋の宿として提供される手筈だ。

ギルド運営はエリンを長として、自らの足で声をかけた町娘に新しい仕事を紹介したそうだ。

昔から顔が通っているので連携も申し分ないだろう。


これだけの改造をしたのも今夜限りでいつもの日常からそれぞれの道へと進んでいくからだ。

エリンはギルド運営、アスタノエルは故郷へ、ロニスは世界へ。


一晩大いに盛り上がった後はもう顔を合わせることもない者も少なくない。

今日限りのいつもの家族、まだ寒い昼前に、面々はまだ公開されていないギルドの中でロニスに祝いと別れのプレゼントを渡そうとしていた。


エリン「ロニー!目隠しを外して!」


ロニス「?このカードは?」


エリンが渡したのは手触りのいい薄い鉄の真ん中に小指の先ほどの白い宝石が埋められているカードだ。

表面には綺麗な雪の森の中にエルフが佇む彫装飾とロニスの名前、裏面には細かい文字がびっしり詰まっている。これは魔方陣と同じで、魔力を流せばその者が向かうべき場所を示してくれる光が出る。

ギルドカードにここまでの細工が出来るギルドは資金が潤沢である証拠でもあるが、お抱えの素晴らしい魔法使いがいる証拠でもある。

ノエルのおかげで「雪樹のエルフ」ギルドカードは大きな町のギルドカードに引けを取らない逸品に仕上がっている。


エリン

「このカードはギルドカードよ。このギルドの一員であることの証拠なの。いつでも戻ってきてね。私はここで待ってるから!」


ロニス「エリン...ありがとう。いつか必ず戻ってくるわ!約束する!」


エリン

「本当に立派になったわね...これから色んな町を回るんでしょ?もし道中お金に困ったり宿に困ったりしたらギルドに行くといいわ!きっと力になってくれる筈よ!」


ロニス「そんな凄いカードなんだ...大事にするね!」


ロニスがギルドカードに見入っていると、アスタが後ろにプレゼントを隠して近寄って来た。


アスタ「おっほん!次は私だな!ではこれを...ロニス、誕生日おめでとう。」


アスタが渡したのは一振りの剣だった。

鞘から抜かれたそれは銀色ではなく、やや黒くくすんだ色をしている。


アスタ

「この剣はな、昔から私が使っていた剣の鉄を混ぜて貰った。私は昔から魔法が使えんでな、剣にここまで生かされた。色んな魔法に立ち向かった。鍛冶屋に言わせるとここまで魔法に耐えた鉄は珍しいそうでな、魔法を切り伏せやすく、魔法は使いやすくなるそうだ。ロニス、世界に一振りの剣、是非君の旅のお供にしておくれ。」


ロニス「凄い...これ凄いよ!自分の体の一部みたい!ありがとう!アスタ先生!」


アスタ「孫にも衣装だな...俺の分まで楽しんでくれ!」


ノエル「そろそろいいかいね?」


最後はノエルだ。

大きめのミトンをして大鍋を運んでいる。

鍋は底が少し赤くなるまで熱せられ、素手で触れたらタダでは済まさそうな装いだ。


ロニス「ノエル先生、これは?」


ノエル「これが私からのプレゼントだよ!さぁ、開けてごらん。もうすぐなはずだ。」


ロニスは不思議そうに慎重に蓋を開けた。

そこには20cm程の白く輝く灼熱の卵が入っていた。


ロニス「この卵...」


ノエル「ロニーは見たことあるかい?これはね、スノードラゴンの卵だよ。」


フラン周辺の森には珍しいドラゴン種が生息している。

雪に隠れる白い体に素早く小さいので、目撃例が少ない。

ロニスもよく森で遊んでいるが、スノードラゴンは本で見た切りであった。


ノエル

「ほら、覚えてるかい?7月頃に私の友達のチャーリーが来ただろう。実はドラゴン研究をしててね。親が病気で亡くなってしまった卵を持て余してたんだ。

ドラゴンってのはいい親がいないと厳しい世界の中では生きていけない。私らももう年だし代わりにロニーはどうかって勧めたらこの卵を託してくれたよ。」


ロニス「そ、それじゃあ私、この子のお母さんになるの...?」


ノエル

「それはロニーが決めることだ。確かにドラゴンには強い親が望ましい。だけどね、非常に珍しい事例だけれど子等だけで生き残ることが出来る場合がある。

その子等は強い親が育てた個体と比べて傷が多くて少し小さかったけれど、狩りの腕は一流以上だった。

だからねロニー、私はね、真に必要なのは互いに生きる術を研鑽しあえる関係だと思ってる。この子と生きてやってほしい。」


ロニスはいつになく真剣なノエル先生の言葉に震えていた。

魔物と共に行動する人間は少ないながらも存在しているが、ドラゴンと共になんて聞いたことがない。

ましてや、卵から育てるなんて!


なんて、なんて最高なプレゼントでしょう!こんな奇跡的な出会いがあるなんて!名前は何がいいかしら!


ロニス「もちろん、もちろん!私がこの子を世界で一番強いドラゴンにして見せるわ!!!」


ノエル

「...ロニーならそういってくれると思っていたよ。そうだ、忘れるところだったわ。卵が孵る前に自分の魔力を流しておくんだよ。刷り込みにはこれが一番だ。」


ロニス「わかったわ!」


ロニスは卵に手をかざす。

優しく包み込むような炎が卵を覆った瞬間、卵に亀裂が入った。

一つ、また一つと亀裂が入るたびに中の体が見えそうになる。

殻が綺麗に二つに割れた時、赤い体が見えたが、すぐに白く染まっていった。


ドラゴン「コフっ...」


小さく火の粉を飛ばしたドラゴンは、ロニスの方をじっと見つめた後、身体を丸めて眠ってしまった。


ロニス「ずいぶんマイペースなのね...」


エリン「ドラゴンって初めて見たんだけどみんなこんな感じなの?」


ノエル

「いいや、生まれたばかりなら飛びついてきたりするんだけどね...この子はずいぶんマイペースだね...」


アスタ

「まあこんなドラゴンがいてもいいじゃないか!ロニス、その鍋のゆりかごと一緒に外に行こうか。そろそろギルドの新設パーティーの時間だろう?」


ロニス「そうね、外の世界見たさに起きてくるかもしれないし。」


エリン「私ちょっと準備してくるから!みんなは外で楽しんできて!」


ノエル「わかったわ、それじゃいきましょうか。」


玄関から外に出るとすぐ庭があるが、大きな丸テーブルに料理が敷き詰められた物が空間を彩っていた。

各所に松明が設けられ、この町ではあまり見ない装いの者も大勢いる。

度々このような人たちを見たことがあるので、冒険者達だろうと粗方予想はつく。

新たなギルド開設に合わせてこの町でしばらくお世話になろうという者達が多いという印象だ。


ロニス「わあ!凄いわ!人がいっぱいよ!」


ノエル「この町にこんなに人が集まるのは何年ぶりだろうねえ。」


アスタ「そうだな。これからはもっと賑わうかもしれないな!」


ノエル「そうなるとこの町を離れる名残惜しさも増しますね。」


アスタ「なに、エリンがいるんだ。いつでも帰ってこれるさ。」


ロニス「ノエル先生!あのテントで色んな物を並べてる人はなに?」


ノエル「ああ、あれは旅の商人だねえ。旅をしながら商売をしてるんだ。」


アスタ

「商人とは仲良くしておいた方がいいぞ!この世界で一番物を知ってるのは彼らだ。荷車を使う者がほとんどだから、道中腕の立つ冒険者を必要としてるだろう。

ロニス、ここを出発するときは一緒に乗せてもらうといい。」


ロニス「そうね!そうする!」


ノエル「そういえばロニー、その子の名前は決まったの?」


ノエルはロニスが揺らす鍋の揺り籠を指した。


ロニス「うん...でもこの子まだ寝れるから、起きた時にちゃんと伝えたいんだ!」


アスタ「いい心がけだ、きっと気に入ってくれるさ。」


ノエル「さあ、出店でも見て回ろうかね!」




外は寒さを感じさせない活気に包まれているが、屋敷の中は冷ややかであった。


ルネ「きゃあ!」


このギルドで一番身長の高い、赤毛でボブヘア、胸が周囲より大きい子が盛大に尻餅をついていた。

どうやら長いスカートに足を引っかけたらしい。


エリン「ルネ...書類をぶちまけるのは何回目かしら?」


ルネ「ご、ごめんなさい!このスカート長くて...」


エリン「すぐ慣れるわ、頑張って!」


ルネ「私もエリンさんみたいにズボンがいいんですけど...」


エリン

「それはだめよ!あなたはこのギルドで一番スカートが似合うんだから!看板娘になって貰わないと困るわ!ほら立って!」


ルネ「は、はい!(看板娘なんて...♡)」


エリンは屋敷中を隈なく廻り、各所に指示を飛ばしている。

これから一緒に働く娘たちはその姿に尊敬の眼差しを向けていた。


モルガー「エリンさんあんなに動いて凄いわ!」


ミレーユ「私、明日からお姉さまって呼ぶことにするわ...」


ミシェル「え、何それずるい...」


エリン「モル、ミーユ、ミシェル!カウンターの掃除は終わった?」


モルガー、ミレーユ、ミシェル「「「はいお姉さま!」」」


エリン「...」


エリンは静かに戸を閉めるのだった。




ロニス等が楽しい時間を過ごしている時、屋敷から一発の花火が上がった。


ロニス「花火だ!」


アスタ「屋敷からだな、もうそろそろギルドが開く時間かな?行ってみるか!」


屋敷の前にはすでにギルドの新設を待ちわびた冒険者であふれていた。

おもむろに正面玄関が開かれるとそこには、いつもよりビシッと決まっている服装に身を包んだエリンが立っていた。


エリン

「皆さん!雪樹のエルフへようこそ!今日からフランの町が更なる発展へ進める様に精進してまいります!よろしく!」


辺りから暖かい拍手が起こる。

はにかんだ笑顔のエリンに同性のロニスでさえキュンとしてしまいそうだ。


エリン

「ありがとう!じゃあこれからギルドの説明をするね!ここフラン町周辺は雪が多くて特殊な環境だ。だから他のギルドでのランクは使えない。皆ランク3から。

ランクに応じて受けられる依頼は変わってくるよ。ランクを上げる方法はその都度受付で聴いてね!

でも今日は初日だから、実力のある人達にはランクを上げて貰いたい。周辺の森には色んな魔物がいてね、その中でも狂暴な”森食い熊”の討伐者にはランク1を与える!両耳を持って帰ることが条件だ!」


エリンの発表に周囲はざわついている。

ギルドのランクは1,2,3に別れており、一日でランク1に昇格するのは通常不可能である。

しかも条件は森食い熊討伐。慣れない環境の中、これを達成できる者はこの中に何人いるだろうか?

それでもエリンはほほ笑んでいた。

こんな苛烈な条件を出しても、真っ先に森に駆け出す者が何人いるか分かっているからだ。

答えは一人。日没までには戻ってくるはずだ。


エリン

「このランク上げ依頼は10日後まで完了報告を受け付けてるからね!ギルドの設備を見て回って、活用しながら、森を探索してね!

あと、無謀な魔物には挑まないこと!最初の仕事が死体処理は嫌だからね!

これでギルドからの挨拶は終わり!冬の篝火を絶やさぬように!以上!解散!

あ!ギルド入会の人はルネから入会書類を貰ってね!ルネ、皆に配って!」


ルネ「は、はい!」


そういって、正面玄関階段一歩目を踏み外し、盛大に書類をぶちまけたのであった。


ルネ「きゃああああ!!!!」


エリン「はぁ...ルネ...」


その日の入会者は男が多かったそうだ。


こんなお茶目なハプニングは知る由もない、いの一番に飛び出した少女は雪の深い森の中を進んでいた。

ひざ下まで埋まりそうな雪の中を長時間歩くには色々な方法が考えられる。

力技でそのままずんずん進む?

魔法で雪を溶かしながら進む?

それとも固い雪を見分けながら?

どの方法も雪の中を確実に進めるが、駆けられる方法ではない。

雪中を疾走したいなら足を地面につくときに、点ではなく面でつくことだ。

そうすれば意外にも雪に足を取られにくい。これを魔法で強化する。

自分の足に掛かる体重を、見える範囲の雪全てに平等に掛けるイメージをすると、土の上を走っている時と変わらない速度で走ることが出来る。

しかし、このような魔法を扱える者は豪雪地帯に住んでいる者達の中でも稀だ。

多くの住人たちは雪への恐怖心が強く植え付けられ、このような考えには至らない。

それこそ、雪の中を駆け回る犬のような人間でなければ。


鍋の少女は息も絶え絶え駆けていた。

もうすでに2時間程は走っているだろうか。


ロニス「もう少しだよ!さっきより齧られた木が増えてきたでしょ?ってまだ寝てるか...」


辺りに乱立する木々には、明らかに傷跡が増え、齧られた後も散見出来る。

そこから更に奥に進むと、木々が徐々に減りはじめ、やがて開けた場所に出る。

その場所は雪が固く踏み鳴らされ、辺りには木くずや小枝が散らばっている。

自分の縄張りを主張しているようにみえるが、雪に染み付いた赤色、散らばった骨や歯が事態を深刻化させている。


ロニス

「あ!やっと起きたのね!まあ、こんな雰囲気の場所に来たら誰だって起きるわよね...私ね、これからあなたのパートナーとして相応しい女になろうと思うの。

これであなたが私を認めてくれるかどうかは分からないけど...

もし認めてくれるなら、その時は...私と一緒に世界最強のドラゴンを目指しましょ!」


小さなドラゴンはロニスの瞳をじっと見つめた後、ゆっくりと鍋の中から出てきて、軽く火の粉を吐いた。


ロニスは優しく微笑みかけて頭を一撫でした後、森食い熊に対峙した。


体長は5mといったところだろうか。

全身が鋼と見紛うような質感の体毛に覆われ、どす黒く日光を反射している。

爪は30cm程だろうか、軽く撫でただけで木が倒れそうなくらい凶悪だ。


熊が咆哮をあげた刹那、ロニスは懐に飛び込み突きを一撃くりだした。


ロニス

「熊の急所は色々あるよね。鼻?心臓?肺?脊髄?

確かに有効だと思う。でもね、それじゃああなたは認めてくれないでしょう?

私が今できる全力を見せなきゃいけない。絶対にあなたのパートナーになるのは私しかいないって、そう思わせる!」


一瞬の閃光が辺りを包んだ後、轟音と共に視界が開けた。

ロニスが繰り出した突きはおおよそ突きといえる威力ではなかった。

森食い熊の残っている部位は頭部と手足の爪数本のみ。

後方にあった雪の地面は消え去り、その下の地面は燃え上っている。

更に奥の森の木々さえも10本程焼け落ちている。


ロニス「どうだった?雷の真似してみたんだ。あ!良かった!頭は残ってる!耳は持って帰れるね!」


一部始終をまじまじと見ていた小さなドラゴンはテクテクとロニスの傍に近づいて行き、肩に飛び乗ってきた。


ロニス「私のことパートナーにする気になった?」


ドラゴンは小さく尻尾をぺちぺち動かして意思を伝えた。


ロニス「そう!じゃあこれからよろしくね!ポート!」


日没まであと30分といったところだろうか。

日中よりも軽やかな足取りで走る。

空の鍋を下げた少女とポートがギルドに戻って来たのであった。




ロニスがギルドの戸を開けると、そこにはロニスが初めて見る光景が広がっていた。

明るいシャンデリアの元で冒険者がテーブルを囲って陽気に酒を飲み、料理が次々に運ばれ、愉快な音楽を奏でる者までいる。

自分の知っているはずの場所に今まで味わったことのない風景が広がっていたのだ。

わくわくするような、何処か寂しいような、不思議な感覚がロニスを包んでいる。


エリン「お帰り!ロニー!待ってたよ!こっち来て!」


ロニス「エリン!今行く!」


エリン「どう?熊は討伐出来た?」


ロニス「もちろんだよ!はい!これ耳!」


エリン

「うん!間違いなく森食い熊の耳ね!これでロニーもランク1、と言いたいところだけど、実はもうロニーは最初からランク1なんだ。」


ロニス「どうゆうこと?」


エリン

「私には最初からこうなることは分かってた!時々アスタ先生とノエル先生と狩りに行っていたでしょう?ロニーならもう大丈夫だって二人がニッコニコで話してくれるのよ!」


ロニス「そうだったんだ...」


エリン

「ギルドカードを見せて。ここに白い石が埋まってるでしょう?これがランク1の証なの。ちなみにランク2は紫、ランク3は青よ。このギルドは特殊でね。

特殊環境ギルドっていう部類になるそうよ。ほら、雪が凄いでしょ?こうゆう場所でランク1を獲得出来る実力があるならもうどこへ行ってもやっていける筈よ、私が保証する!」


ロニス「エリン...」


エリン「はら!そんな顔しないで!アスタ先生が外で待ってるよ!可愛いドラゴンの顔見せておいで!」


ロニス「うん!...エリン、ありがとう!」


ロニスは再び外に出た。

きっと街はずれの広場にいるに違いない。

そこは芝生の上に心地よいサラサラな雪が積もり、のんびり綺麗な星空を眺めることが出来る。

しかし、たまに魔物が出るためここに来る人は少ない。

アスタはなにか重要な決断をする時には必ず独りでに剣を持って広場に向かう。

剣を持っていくのは魔物に備えてのことでは無く、素振りをして深く考え事に集中する為である。

アスタがいる時に魔物は何故か姿を現さないので剣に血が付くことはない。

直近で、アスタが広場から帰った翌日はノエルの誕生日だった。


ロニス「アスタ先生?」


アスタ「...ああ。ロニスか。待ってたよ。」


ロニス

「今日もここで考え事?私森食い熊倒してきたんだよ!今回は派手にやりすぎちゃって肉は取れなかったけど...」


アスタ「そんなこと気にするな、その子に懐いてもらうためだろう?わかっているさ。」


ロニス「先生?そんな真剣な顔しちゃって...そんなに深刻な悩みがあるの?」


アスタ「ああ...どうしても決心がつかないことがある。」


ロニス「なに?」


アスタ「世界で一番大事な物を手放す決心だ。」


ロニス「大事な物って、何?」


アスタ「...」


ロニス「先生?」


アスタ「明日の朝旅立つんだろう?」


ロニス「うん」


アスタ「その前にまたここに来てくれ。最後に...ロニスと本気でぶつかりたいんだ。」


ロニス

「先生そんなことで悩んでたの?わかったわ!明日の日の出と共にここに来るから!最後に目にもの見せてやるんだから!」


アスタ「そうだな、期待してるよ。」


ロニス

「じゃあギルドに戻りましょ!エリンのキッチンがもう凄いのよ!みんなわちゃわちゃしててお祭りみたいになってるの!」


アスタは何年かぶりに手を引かれた。

久しぶりに握られる手の力強さに決意が固まった。


アスタ「いや。ちょっと待ってくれロニス。」


ロニス「どうしたの?」


アスタ「今にしよう。」


そう言うとアスタは剣を鞘からゆっくり引き抜いた。いつもなら静かに置かれる鞘もこの日ばかりは乱雑に放られている。

羽織っていたブランケットを地面に落とすとそこには、先ほどまでの寂しげで優しい面影は無くなっていた。

そこにいるのは剣を中段に構えた恐ろしいまでの強大な力と決意に満ち満ちた、一人の剣鬼であった。

剣を構えてすぐに辺りで聞こえていた鳥のさえずりは消え、空気が揺らいでいるのではないかと思うほどの錯覚を覚える。


ロニス

「わかったよ...今なんだね...私この時をずっと待ってたんだ。やっと決心してくれて私とっても嬉しいの!今まで稽古の時は魔法使わなかったけど今日は私も本気で行くよ!」


アスタ「私の決心が遅いばかりに待たせてすまなかった。もう逃げたりはしない。いつでもおいで。」


ロニス「!! ポート、下がってるんだ。君も危ないかもしれない。」


ポートは15mほど遠ざかった場所で止まったが、更に5m後ろに下がった。

いつにも増して興味を示しているようだ。


アスタ「それじゃあ、行くぞ。」


ロニスが剣を中段に構えた瞬間にアスタは目の前にいた。


ロニス「え...」


左肩口に太刀が到達する寸前に体を半身にして躱す。

深く振り下ろされた刀を目視するより先に燕返しが右脇腹を掠める。

大きく飛びのいたロニスの右脇と左肩からは血が流れている。

アスタが踏み込んだ足跡からは白い煙が上がっていた。

後から風圧が流れてくる。


アスタの剣、ここまで早いとは想像もしていなかった。

こんなに本気のアスタと戦いたいと思っていたのに。

ロニスの表情は笑っているが、目には何故か涙が溜まっている。

声を出そうとしても何故かかすれ声しか出ない。

少ししか動いていない筈なのに、足がつま先から痺れる。


アスタ

「どうした、魔法を使うんじゃなかったのか。俺なら魔法を使う前に切り殺す。ノエルは、剣士対魔術師は剣士が圧倒的に有利と言われる中で魔法だけで戦ってきたんだ。

さあ、構えろ。ノエルの顔に泥を塗るつもりか。」


ロニスはゆっくり剣を構え直しながら、眼光を光らせていた。

怖くて息も詰まりそうなのに、こんなに酷く怖がらせられたことに対する怒りが、何故か少しずつ湧いてくる。

この感覚はいくら丁寧に説明しても平和ボケした人間には伝わらないだろう。

ロニスは何とか一矢報いてやろうと、やっと決心出来た。


ロニス「ごめん。もう大丈夫だから。」


そこからロニスは魔法で炎の渦を体の周りに纏い始めた。


アスタ「お前の発動速度は遅すぎる!ノエルはもっと早かったぞ!」


アスタが左から水平に切りかかる。

ロニスは自分が感じられるよりも早く炎の出力を上げてアスタを遠ざける。

どんどん火柱を上げながら火力を上げる。

それに反して渦の半径は小さくなる一方だ。

アスタは全く動じることなく剣を上段に構えなおした。

周りの雪や草木はすべて燃え落ちてしまっている。

炎の高さが木々と遜色なく、半径が人一人分になった時、アスタはこれまで以上のスピードで切りかかった。


ロニスの準備は整った。

一瞬の揺らぎを見せた後、これまでの炎が嘘のように消え、代わりに淡い青色のドレスを身に纏ったロニスが現れた。

それは15歳の少女が身に纏うには大人っぽすぎる、長いウエディングドレスだった。

いつか見た結婚式の新婦を参考に作り上げたのだろう。

手には花束の代わりに剣が握られているが、優美さは少しも損なわれていない。


それでもアスタは怯むことなく切りかかる。

依然としてロニスには完全にアスタの太刀を読み切ることは出来ない。

しかし、剣が右肩のドレスに触れた時、アスタはすぐさま攻撃をやめて距離を取った。

ドレスに当たった剣の端が赤熱し、溶けていたからだ。

アスタは中段に構え、ロニスをつぶさに観察し始めた。


これまでに着ていた服は着おらず、半透明のような青いドレス。

髪留めが無い、剣は髪には触れていない。

剣はアスタがプレゼントしたものだが、少し青みがかっている。

靴を履いていない。何処かへやった形跡もない。


アスタ「...燃えているのか?」


ノエルも炎の魔法はよく使っていたが、このような青い炎を出しているのは見たことが無い。

炎を使う魔法使いは、自分の炎に熱を感じない訳ではない。

火力を上げるために自分から少し遠ざけた位置の火球を操るのが一般的であるが、ロニスはそれを遥かに上回る火力をドレスにして肌身に触れることを可能にしている。

これには何かトリックがある筈だ、と冷静に思考していたアスタだったが、導きだした戦術は至ってシンプルであった。


更に”スピード”を上げる事である。


ロニスはこの魔法に絶対的な自信があった。

ノエルにこの魔法を見せた時には涙を流しながら気絶していたし、エリンに見せた時には目を輝かせてギルドで働かないかと誘われた。

魔物相手には自分から攻撃する必要すらなかった。

だが、どんどん大きくなるアスタの気迫に身震いが止まらなかった。

もしこの魔法が通用しなかったらどうゆう行動をとればいいのか見当もつかない。


アスタが中段に構え直すと、剣を少し右に傾け、いつも以上に姿勢を低くし、突きを繰り出す体制だ。

アスタが前に飛んだ瞬間に地面が割れた。

流れる剣の軌道からは指笛のような高い音が鳴り響く。

ロニスは軽く躱して剣をドレスに当てた。

しかし、剣を触れた先から融解させるドレスは風圧によって貫かれていた。


ロニス「どうして!?」


アスタはロニスの心の揺らぎを見逃さなかった。

間髪入れずに、そのまま左に切り伏せ、ソニックブームを起こし、剣に触れていないのにも関わらずドレスを切り裂きロニスを吹っ飛ばした。

ロニスはそのまま木に背中から激突しずるずる地面まで落ちていった。

ドレスは原型を留めれてておらず炎が散乱しており、半裸のロニスは腹に酷い切り傷と全身に酷い火傷痕が生々しく残っている。

どうやら肋骨が折れて肺に刺さっているらしい。

背中から全身に電流か走っているように麻痺が残る。

呼吸は出来ないのに口から血が垂れてくる。

身体の末端から徐々に力が抜けると同時に麻痺も無くなるが、視界の隅から仄暗くなってくる。

視界の端に、今まで気にする余裕もなかったポートが写る。

どうやら吠えているらしい。

耳も遠くなってきた。


ロニス「...だめ...逃げて...」


アスタは優勢とはいえ服や顔の所々が焦げており、剣も左右から半分は溶けて原型を留めていない。

それでもまだアスタの気迫は健在だ。

ポートはアスタが近づいてくるにつれて徐々に叫ぶ声が小さくなり、とうとう木の後ろに隠れてしまった。


ロニス「...それで...いいの...」


アスタ「ロニス、まだ気があるか?」


ロニス「...逃げなきゃ...」


アスタ「そうだ、逃げるんだ。」


逃げるために手を伸ばそうと体重を傾けた瞬間、意識が飛んだ。


アスタ「おい、ロニス。」


ロニス「...」


アスタ「はぁ...もういいぞ。出てきてくれノエル。」


合図の後に茂みに隠れていたノエルが徐々に透明な姿から元に戻りながらロニスの様子を観察しに来た。

容体が酷いとみると、すぐに懐からギフケ特産の回復薬を全身にかけ始めた。

半分ほどかけたところで残りをロニスの口に流し込んだ。


ノエル「それにしてもこれはやりすぎじゃないかい?」


アスタ

「すまないな、手加減が出来るような実力じゃなかった。まさかあんな魔法を...もう少し年を取っていたら俺の方が危なかった。」


ノエル

「そうかい。まあ何であれ両方無事で良かったわ、私たちもこれで教えられることは全部教えた。

この子は才能もあって努力を楽しめる。だから今まで負けた経験があまりにも少ない。

これでロニーの選択肢に”逃げる”って行動がちゃんと身についてくれればいいんだけど...」


アスタ

「きっと大丈夫さ。それにロニスに負けをプレゼントするなんてもう二度と出来そうにないしな!」


ノエル

「それもそうね。じゃあ今からギルド初の1ランク冒険者を倒した老人として称えられに行きましょうか。」


アスタ「どうやらそれは無理そうだ。」


ノエル「どうして?」


アスタ「俺の足がもう立たないからだ。負ぶってくれノエル...」


ノエル「...」


全く情けない顔をしているアスタはノエルに魔法で宙ぶらりんにされて、ロニスは丁寧にブランケットに包まれて抱きかかえられながら、ギルドまで戻っていくのであった。

その後、ポートはそんな皆の後を様子を伺いながらちょこちょこついてくるのであった。


夜になっても騒ぎ足りない冒険者がギルドに入り浸っている中、疲れ果てた者たちを連れたノエルが戸を開いた。


エリン「あ!おかえりなさい!どうしたの?!アスタ先生は何やってんの...?」


ノエル

「エリン!ロニスを運んでくれないかい?アスタと最後の決闘をしててねぇ...疲れが酷いみたいなんだ。」


エリン「わかった!ルネ!後は任せたよ!」


ルネ「は、はい!」


そういいながらフライパンの肉を豪快にフランベしていた。

勢いそのままにサラダ用の葉物を刻み、果物を盛り付ける。

危なげな手さばきで見ていて冷や冷やするが、どれもこれもが上手く行って周囲の冒険者からは声援が送られている。

出来上がった料理をミッシェルが運びながら追加のオーダーを取り、一人の冒険者にウィンクした。

鼻の下を伸ばしているが、明日の朝は原因不明の筋肉痛が酷くて部屋に籠ることになるだろう。


ノエル「あの子、大丈夫なのかい?」


エリン「大丈夫よ。何故か料理だけはいくら派手にしても上手くいくのよ。ホント不思議。」


ノエル「よくもまぁ才能をひきだすもんだねぇ、私も見習いたいよ。」


ロニスとアスタを開いている部屋に寝かせ、お喋りをしながら端のテーブルにエリンが案内をする。

酒のグラスと心ばかりの熊ステーキ、それにかけるスパイスと干しブドウが運ばれてくる。

ミシェルが持ってきたウイスキーの瓶には12年と書かれた紙が貼られている。


エリン「で、明日はどうするの?もう旅にでちゃうんでしょう?」


ノエル「そうだねえ、アスタの状態が思ったより悪くて...まだしばらくこの町にいるとするよ。」


エリン「そう!そうゆうことなら先生たちのギルドカードも作っておくね!もちろんランク1よ!」


ノエル「まだまだ私もアスタも、こき使われそうだね...いいよ、乗ってあげるよ!」


エリン「そう来なくっちゃ!」


ノエルは小走りで作業に取り掛かりに向かった。

ギルドカードは1枚作るのに1時間はかかる。

一人分のグラスに酒を注ぎ、ステーキを一切れ頂きながらウイスキーを流し込む。

大変な一日を噛みしめながら干しブドウを一粒つまむのであった。



2月2日



この日の朝はいつも通り雪が降っている。

商人が連れている馬が朝の運動をして体から湯気が出ている。

湯気が雪の結晶に触れる瞬間、粒が解け蒸発する様子を観察しながらギルドの正面玄関階段に座っている少女とドラゴンは、エリンと商人の話し合いが終わるのを待っている。

この商人、ロイドはポーラという町で商人をやっていたが一年前から各地を巡るようになったそうだ。

見た目はかなり若く20程に見える。ブロンドの狩り込んである髪に商人とは思えない恰幅のいい体をしている。

行動にキレがあってとても感じのいい好青年だ。

フランにはポーラ特産の酒や貴金属を取引に来たらしい。


エリン「よし1これで取引成立ですね!これからよろしく!」


ロイド

「はい!こちらこそよろしくお願いします!ロニス嬢も無事に送り届けます!それでは、準備をしてきますのでこれで。」


アスタ「おはようロニス。いつもと変わらない朝だな。」


ロニス

「アスタ先生!おはよう!昨日はありがとう。私がまだまだ弱いばっかりに...次は一太刀浴びせて見せるよ!」


ノエル「ロニー、そのことは考えなくていい。もう次は無いんだ。」


ロニス「ノエル先生?何でそんなこと言うの?!」


ノエル

「いいかい、ロニス。これからはもう一回なんて言える勝負は一度も来ない。もし負けることがあればそれは死ぬ時だ。」


ロニス「わかってるよ...私が弱いから...」


ノエル

「わかってない。負けちゃダメだと言ってるんじゃないよ、負けないことが大事なんだ。そうしないとまたロニーと会えないからね。」


ロニス「負けないこと...」


アスタ

「ずるく聞こえるかもしれないけどね。生きていればまた会える。立ち合いを全て勝ち続けることが道じゃない。」


ロニス「なんとなくわかった気がする。」


ノエル

「なら良かったわ。最後にチャーリーの住んでる場所を教えておくよ。ポートの事で相談事があれば尋ねるといい。」


ノエルから町の名前と家の特徴が書かれた紙が渡された。

フィヨルという町のドラゴン研究所という看板が掲げてあるそうで、近所では有名だそうだ。


アスタ「本当に行くのか...」


ロイド「ロニス嬢!準備が出来ました!いつでも行けますよ!」


ロニス「はい!」


少なめの荷物を荷台に積める。

荷物は着替えの洋服に路銀だけなのでそう多くはない。

対してロイドの荷はかなり多い。

毛皮がこれでもかというほど積まれていて、ロニスは自分が寝転がるスペースしか確保できていない。


ロイド「嬢、最後の挨拶はいいんですか?」


ロニス「大丈夫!だってまた会えるんだから!それにほら、もう皆ギルドの中に戻っちゃった!」


ロイド「皆さん意外と薄情なんですかね...」


ロニス「そんなことないわ!また会える人達に別れを言う必要はないでしょ?」


ロイド「そうかもしれませんけど...まあ文化の違いですかねえ...」


ロニス「さあさあ、もう出発しましょ!私待ちきれないわ!」


ロイド「それもそうですね。じゃあ、出発します!」


ロイドが馬の手綱を引くとゆっくり雪を踏みしめながら進み始めた。

荷台の荷物が崩れないか心配しながら揺れに身を任せる。

いつもの街並みも目線が高くなると違って見える。

これからはもっと新しい景色を見ながら馬車に揺られる日々が続くのだろう。

フランの町と同じような街並みはあるかな?

もしその時が来たら、ちゃんと比べられるように今の景色を覚えていよう。

あそこの納屋に住み着いてた猫元気かな?

また餌あげられるかな?

そんなことを考えているとどうしてだか涙が一粒流れてきた。


旅立ちの涙 完

慣れない荷車に揺られながら彼女の旅は続く。

魔王の涙を覗き見るまで。

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