実験
夕暮れ時の実験室は、オレンジ色の光に満ちていた。
「なんで実験室?」
結衣は不思議そうに辺りを見回す。夕日に照らされた実験台や顕微鏡が、長い影を床に落としている。
「催眠術の実験だからな」
直人は当然のように答える。「雰囲気も大事だろ」
「もう、チンパンジーの骨格標本とか見てると落ち着かないんだけど」
結衣は実験室の隅に飾られた標本を指差す。
「じゃあ、始めるぞ」
直人は祖父の手記を思い出しながら、結衣の前に椅子を置いた。
「ちょっと待って。これって危なくないでしょうね?」
結衣が少し緊張した様子で聞く。
「大丈夫だって。ほら、座って」
結衣は不安そうな表情を見せながらも、椅子に腰掛けた。直人はゆっくりと手を伸ばし、結衣の頭に触れる。
「結衣はだんだんと眠くなる…」
「えー、全然眠くならないんだけど…むしろスッキリしてきた」
結衣は首を傾げる。
「じゃあ、結衣は自分が猫だと思い込む…」
「はぁ?なにそれ。私、犬派なんだけど」
結衣は呆れたように言う。
直人は焦り始めていた。タマも翔太も失敗。今度もダメなのか。
「結衣は一時的に記憶を失う…」
「覚えてるわよ。今、変な催眠術かけようとしたでしょ」
「結衣は突然ダンスを踊り出す…」
「ちょっと!私にそんな恥ずかしいこと言わないでよ!」
結衣の頬が赤くなる。
「結衣は自分の名前を"めんま"だと思い込む…」
「アニメキャラじゃないんだから。いい加減にして」
結衣は呆れ気味に言う。「もう、そろそろ終わり?」
直人は諦めかけていた。そんな時、ふと思いついた言葉を口にする。
「結衣は俺のことを好きになる…」
その瞬間、何かが変わった。
結衣の体が、ゆっくりと前に傾いていく。まるで、眠りに落ちるように。
「おい、結衣?」
直人は驚いて結衣の肩を支える。
(まさか、術が効いたのか?)
しかし、すぐに翔太の時を思い出した。
「寝たフリしてるんだろ?もう、からかうのはやめろよ」
しかし、結衣の反応は違った。
ゆっくりと顔を上げた結衣の瞳には、いつもと違う光が宿っていた。
「私…直人のことが好き…」
その言葉に、夕暮れの実験室が静寂に包まれた。
(これは、演技なのか?それとも…)
直人の心臓が大きく跳ねる。これまでの失敗とは、明らかに違う何かが起きていた。