お母さん
ローレン領からジンナの村へ戻ったケンたち。
ジンナは妊娠していた。
そして・・・
そうして俺とジンナとエミカで一息ついていたのだが、ノックもなく扉が開いた。
「一度、ジンナを調べさせてくれないかね?」
エータは前置きもなく、ジンナにそう迫った。
ジンナはエータを警戒して俺の後ろに隠れた。
「ちょ、ちょっとエータ。一度ジンナの気持ちとか確認するから・・・」
「ケン、君からも言ってくれたまえ。彼女の命を救えるかもしれない」
「え?で、でも・・・」
戸惑う俺と、隠れて警戒するジンナ。その姿を不思議そうに顔を傾けるエータ。
「君は本当に忘れてしまったのかね?つい最近、豚人発生装置を見たではないか?胎児の状態で取り出せるのなら母体の危険性は低い。培養装置で胎児も健全に成長する」
「あ・・・そうか。そうだ!それができれば、ジンナは死ななくていいじゃないか!」
俺は喜んでジンナに振り返る。
しかし、ジンナはおなかを抱えて
「あ、赤ちゃんは殺させない・・・」
そう言って俺とエータを睨んでいた。俺は慌てて弁明する。
「ち、違うんだジンナ。ジンナも赤ちゃんも助かる手段があるかもしれないんだ。だ、だから、嫌かもしれないけど、一度、エータに診てもらうのは・・・どうしてもイヤなら・・・でも・・・」
俺はジンナが嫌がる事を無理やりする事に抵抗を感じた。
俯く俺の前で、同じように視線を床に落とすジンナ。
しかし、ジンナは俺の手を取り
「ケンを信じます。私も・・・ケンと一緒に居たいし、赤ちゃんをみたい・・・」
俺は無言でジンナを抱きしめる。ジンナも俺を強く抱いていた。
そんな俺たちを横目に、エータは奥の部屋に向かい
「決まったのなら、診察台に寝てくれるかね?」
「あ、はい」
たまに「エータには感情がある」と思っていた俺は、やはり間違っていたのか?
でも、ジンナも赤ちゃんも助かる見込みがある。そう思うだけで、俺の口角は自然に上がっていた。
診察台に横になり、俺の手を握って放さないジンナをエータは診察した。
ジンナの全身をエータの三つの目から光が出て照らす。
「少し血液を採取してもいいかね?」
エータは視線をジンナのおなか辺りでクルクルと回しながらそう言った。
ジンナは俺の顔を見て頷いた。
俺が抑えているというか握っているジンナの腕から血を採取して診察は終わった。
リビングに移動すると、心配そうなエミカが待っていた。
「診察結果を報告する」
エータの言葉に不安そうなジンナは、俺の手を握って離さなかった。
僅かに震えて手に汗をかいている。
それを聞いたエミカは、家から出ようとしたが、
「エミカ、君たち地底人にも応用可能な技術だから一緒に聞きたまえ。同じ説明を何度もするのは合理性に欠ける」
「ジンナの体内から胎児を摘出することは不可能だ」
「・・・え」
誰かが小さな声で呟いた。俺かもしれない。
俺は目の前が真っ暗になった。
手を強く握るジンナを見ると、焦点の合わない目で虚空を見つめている。
期待してしまったから、落胆が大きい。それは俺よりもジンナの方がそうなのだろう。
「吾輩は医療用ではないので、細部まではわからないのだが、ジンナの体内で成長した胎児は一部繭のような状態になり、母体と結合している」
俺はかろうじてエータの話しを聞いている。
理解が追いつかないが、聞いているだけだ。ジンナはもう言葉も入っていないだろう。
エータは感情のない声で説明を続ける。
「君の母や祖母もそうであったのだろう。母体と大きく結合した繭が、出産時に母体を損傷させてしまう。妊娠五か月以内なら可能性はあったのだが、それを超えてしまうと不可能だ。この先の遺伝子的な説明は必要なら行うが、確証は持てない推測の域だ」
俺はもうエータの話しを理解できなかった。
俺の手を強く握り、震えるジンナが心配だった。
「え、エータ。もうわかったから・・・今日はもう・・・」
「そうかね?では、また来る」
そういってエータは出ていった。
その後、うつろな目のジンナを寝室に連れて行き寝かせた。
俺も一緒に横になると、ジンナは俺の胸に顔をうずめて静かに泣いていた。
しかし、段々と声が大きくなり嗚咽しはじめていまった。
俺は何も言わず、何も言えず、ジンナの背中を撫でる事しかできなかった。
こんな時も、いつも、いつだって俺は役に立たない・・・
暗い絶望感が俺を包んでいくのがわかった。
泣きつかれて眠るジンナを見ているうちに、俺も眠ってしまったようだ。
俺はジンナを起こさないように、こっそりとベッドを抜け出した。
リビングに行くと、エミカが一人で座っていた。
「おはようケン。眠れたか?」
「うん・・・俺は浅はかだから、寝ていたよ・・・はは」
エミカは俺の肩を掴み、玄関を開けて外に投げた。
「おい、ケン!ジンナが大事な時期なんだ。君が自分を見失うな!」
俺は地面に倒れたまま、「そうだな」とは思った。
けど、こんな手負いの女の子に簡単に投げ飛ばされてしまう自分はやはり「無力」なのだと実感してしまう。頬を雫がつたう。
「ごめん、エミカ。でも、俺、エミカみたいに強くないし・・・顔を洗ってくる」
俺はエミカに背を向けて井戸に向かって歩き出した。
「ケン・・・」
エミカはケンの小さな背中を呆然と見送っていた。
俺はよろよろとした足取りながら、井戸にたどり着いた。
そうして顔を洗っていると、大きな声が聞こえてきた。
「オーライオーライ。そこでストーップ!しばらくそのままで!」
声の方を見ると、アレックスが一人で長い大木を垂直に持っている。
周りには何か区画線のようなものが描かれている。
家の建築か何かを手伝っているようだ。ロレンヌの姿も見える。
ロレンヌは俺に気付き、走ってきた。
俺は「みんなしっかりと何かをしている」と思う気後れで、顔を伏せてしまった。
ロレンヌは俺の前に立つと、俺の顔を両手で優しく包み顔をあげる。
不思議と何を言いたいのかわかった。
「おはようケン。無理しないで」
そう言っているような気がして、俺はロレンヌに抱きついた。
「・・・母さん、俺、俺・・・」
母さん・・・そう言うと、俺はもう涙が止められなかった。
そんな俺をロレンヌは優しく抱きとめてくれていた。
ロレンヌに支えらるように、俺は家に戻った。
家のリビングではエータとエミカが何かを話していたようだ。
「おはようケン。今、エミカに生産設備について説明していた所だ。君にも聞かせたいのだが、エミカに君の精神状態がよくないと聞いて、合理性に欠けるがまた後日にしよう」
エータは相変わらずエータだった。エータの話しはあまり俺の頭に入らなかった。
しかし、ロレンヌはエータに触れて
「しばらく発声器官を貸しなさい。いいですね」
エータの声だが、発言内容はロレンヌだった。
「ケン、エミカ、そこに座りなさい」
そう言われ、俺たちは座る。
「いいですか、今から伝える事に従いなさい」
ロレンヌは俺たちの顔を見てからそう言った。表情はないからわからないが、声は凛としているように感じる。
「あなたたち二人は、ジンナのそばにいなさい。眠る時間は私がそばにいます」
エミカは戸惑ったように、俺とロレンヌの顔を見比べる。
「し、しかし、夫婦の間に、私が入ってしまってもよいのか?」
ロレンヌはエミカをじっと見つめ
「ジンナはあなたを『親友』と言っていました。そして『ひとりはさみしい』と。あなたたち二人が彼女の支えとなるのです。彼女を一人にしない事、いいですね?」
俺ははっとした。
そうだ、ジンナはずっと一人だったんだ。
何にもできない俺だけど、「そばにいる」だけならばできる。
情けないが、俺は俺にできることをしよう。
「ケン、エミカ。わかったのなら返事をしなさい!」
「「はい!」」
俺とエミカは揃って返事をした。顔を見合わせて笑う。
多少強引だったけど、ロレンヌは優しいし、俺に「なにをしたらいいのか」を教えてくれた。
やっぱり、すごい人なんだと思ったが、卑屈な気分の俺は少し引け目を感じていた。
それから、俺とエミカは起きている間は、必ずどちらかがジンナのいる家にいるように心がけた。
あの日、眠りから覚めたジンナは、どこか悲し気な表情をしていたが、俺とエミカがそれぞれ
「ジンナを一人にしない」
そう告げてからは、少しずつ笑顔を取り戻していった。
俺もジンナのそばにいるだけで、ジンナが喜んでくれている事がわかった。
たまにケンカすることもあったけど、ジンナの食事や水を運び、そばにいるだけで「俺がジンナを支えている」と思えて、少し自信が持てた。
そして、俺たちが眠る時間帯は、ロレンヌが来ていた。
ジンナは太陽に弱く、主に深夜に活動する。ロレンヌは睡眠を必要としない。
そして、エータを介したり、筆談を必要とせずに会話ができる。
お互いが、孤独を生き、差別されて、隔離されていた、そんな経験があるからこそ、分かり合えるものがあるようだった。
いつしか、ジンナもロレンヌを「お母さん」と呼ぶようになっていた。