火急の件
ロレンヌを「母」と呼び、親睦を深めるケン。
しかし・・・
その翌日もロレンヌとの国語の授業は続いた。
アレックスも同席していた。
ロレンヌは筆談でアレックスに
「これからはケンも私の息子です。いいですね」
そう書いていたのに、アレックスは何故か
「・・・ではケンは俺の息子か」
い、いや違うだろ・・・
まあ、何か納得した風に頷いていたから、よしとして・・・いいのか?
メイドのケイトも交えて、応接室で和気あいあいとしながら「勉強」という名の談笑をしていた。
そんな所へ、ドアをノックするも自ら開けてベイツさんが入室してきた。
「火急の件なので、失礼をお許しください。エミカ様が負傷されまして、屋敷に戻っておられます」
ベイツさんに連れられて、エミカが搬送されたと言われる部屋の前についたのだが・・・
部屋に入る前から、エミカの怒号が聞こえてきた。
「この程度、怪我でもなんでもない!まだ他の兵が現場にいる!エータ殿、何故だ!」
俺は声が元気そうでほっとしたのだが、部屋に入ると立っているエミカは灰色に見えた。
「え、エミカ!だ、大丈夫なのか?」
俺は慌てて近寄ってそう声をかけると、エミカは
「ケンからも言ってくれ。この通り体の動きに支障はない。戻らなければ」
横ではエータがやれやれと言ったように肩を竦めていた。
「吾輩が近くを哨戒していたから早急に運べたが、あのまま放置すれば、君はまた火の中に飛び込んでいったのではないかね?そして君になにかあれば、ケンが悲しむのではないかね?そうはならないと言うなら、その根拠を示したまえ」
「私はあの程度の火なら耐性がある!」
「しかし、今の君の体はどう説明する?明らかに火薬や薬品を用いた形跡がある。君はそれを防げると言い切れるのかね?」
「そ、それは・・・」
俺は火?火薬や薬品?状況がまったくわからなかった。
「ま、まあ、とりあえず二人とも落ち着いて・・・」
「吾輩は常に落ち着いているがね。なだめるのなら彼女だけにしたまえ」
「な・・・私は落ち着いている場合ではないのだ!」
拳を握りしめるエミカと、肩を竦めているエータ。
「あーもうエータ黙っていてくれ!エミカ、とにかく無事なんだな?嘘はつくなよ」
俺はエミカをじっと見つめてそう問いかけた。
「この程度なんともない」
そう言うエミカは一瞬だけ、白目のない真っ黒な目だが、逸らしたのがわかった。
「エミカ・・・エミカが一族の為に奮闘したいのはわかる。けど、俺はエミカに無理をしないでほしい。元気でいてほしい」
俺はずっとエミカを見つめそう言うと、エミカはあからさまに顔を逸らし
「ケン、君はずるい。そう言われたら、君の言う通りにせざる得ないではないか」
そう言ってベッドに横になった。
存在感を消していた、脇に控えていた医師らしき人物に後を頼んで部屋を出た。
そうして別室でエータの説明を聞く。
「吾輩はセバスチャンの指示で、豚人掃討の為に領地外縁部の哨戒に出ていた」
エータは領地の境の山や森を中心に豚人の捜索と討伐をしていたようだ。
今朝早朝、領地内側で煙と火柱が上がっているのを発見し、接近したところ燃え盛る家から人を抱えて脱出しているエミカを発見した。
エータがそこに到着する時には、エミカは再突入していた。
エータ到着後も、明らかに火災とは異なる火柱が上がっていた。
エータもエミカを追って燃える家に突入し、エミカが担いでいる人もろとも担ぎ上げて家を脱出。
救助した人を近くの兵士に任せ、エミカだけを担いでローレン家屋敷まで走ってきたらしい。
「内情は詳しく知らないが、おそらく他家の工作であろう。狙いはエミカかゴールアと見て間違いはない」
話しを聞いていた俺は、腹の中が熱くなるのを感じていた。
エミカやゴーを狙っていた。
確かに戦力的に強く、統率力のある個人を狙うのは戦術的には正しいのかもしれない。
しかし、人が人を・・・
「吾輩はセバスチャンにも報告に行く。エミカの件はケン、君に任せた」
そう言ってエータは出ていった。
俺は両手の拳を握りしめたまま、俯いていた。
ロレンヌとアレックスは同席していない。
そんな俺の肩にメイドのケイトさんが触れて
「とにかくエミカ様が無事でよかったです。ケン様、いえケンも肩の力を抜いて、またエミカ様のおそばに居てあげたほうがよろしいかと思います」
ケイトとは、ここ数日で仲良くなったが、言葉使いは丁寧だった。
「しかし、ケンは卑怯ですね。断れない状況を作って承諾させる。そうやって女心をもてあそんでいるのですね」
微笑を浮かべて、そんな事を言うケイトの言葉を理解できた時、俺は握りしめていた拳から力が抜けていた。
「ちょ、ケイトまでそんな事言わないでくださいよ」
要らぬ気を使わせてしまった。
今の俺には、それがよくわかった。
笑顔を取り戻した俺は、エミカの所へ向かった。
エミカの部屋のドアの前に行くと、またエミカの大声が聞こえてきた。
「私の体は大丈夫だ!そんな何日も寝ていられるか!」
俺は頭痛を覚えながらドアを開けた。
部屋の中では、ベッドの上で拳を振り上げているエミカと、部屋の隅で聴診器を首から下げている男性と助手らしき女性。
「エミカ・・・お医者さんを困らせないでくれ」
俺はため息交じりにそう力なく言った。
「し、しかし、私の体は私がよくわかっている」
「それは無理する人の決まり文句だ。ちゃんとお医者さんの指示に従うんだ。じゃないと、また一緒に旅ができないだろ。あ・・・これは命令だ!」
そういうと、エミカは真っ黒な瞳から涙を一滴流した。
俺はもうどうしていいかわからず、あたふたとしていた。
「君が命令だというのなら、仕方ない」
ぽろぽろと涙を流しながらも、しっかりした口調でエミカは言った。
「そ、その命令はやっぱり無しで・・・でもエミカに怪我とかしてほしくないんだ」
「わかっている。だが、本当は君に『俺の為に戦え』と命じてほしい。しかし、君はそんな事、私には言わない。それが悔しいのだ」
俺は、とりあえずエミカが落ち着くまで待った。
それから、何があったのかを聞いた。
「私たちはあの村に滞在していた。豚人をよく見かけると聞き、警戒をしていた。しかし・・・」
夜警も交代でしっかりしており、全兵士が寝る時も武器を枕元に置いて寝ていた。
しかし、あの朝、突然の爆発音と共に数件の家から火の手が上がった。
兵士たちとエミカは一斉に武器を取って外に出た。
そこでエミカは見た。
空まで伸びるかのごとき火柱が吹きあがるのを。
そして火薬の臭いが立ち込めるなか、村は大混乱になった。
早朝と言う事もあり、多数の逃げ遅れがあり、エミカや兵隊は村人の救出と誘導を手分けして行っていたが、あまり収集がつかない。
そうしている間にも次々と火の手があがる。
エミカは自身の耐性を信じ、火の中に飛び込んで次々と人を助けていたが、数度、巻きあがる火柱をその身にうけ、家屋内に撒かれていた液体や粉も村人を助けるために浴びていた。
「自慢のウロコだったのだがな。まあ数年もすれば、また君を魅了できるようなウロコに生え変わる」
何か笑っているようなエミカの顔を見て安心した。
エミカのウロコは黒っぽい緑で光沢のある艶が全身を包んでいたのだが、今のエミカのウロコには艶はなく、肩口の辺りは真っ白だった。
「え、エミカ。立って後ろを向いてくれないか」
エミカはベッドで上半身を起こし、背中はベッドの木枠部分に寄りかかっているような姿勢だった。
「え・・・いや・・・」
口ごもるエミカに、俺は少しだけ語気を荒げる。腹の中が熱くなっているのがわかる。
「エミカ。立って背中を見せるんだ」
エミカは観念した感じにうなだれて、立ち上がり振り返る。
「これは君には見せたくなかったんだがな。さすがに皮膚を見せるのは恥ずかしい」
エミカの背中のウロコは全て白くボロボロになっている。
一部は剥がれ落ち、皮膚がむき出しになっている。
俺は無意識に背中に触れた。何かが俺の中ではじけた。
「傷むのか?」
そう聞くと、エミカは無言で頷いた。
「ごめんな、エミカ。きつい言い方しちゃって。ちゃんと治してくれよ。いや、ジンナに一度診てもらおう」
俺はエミカにこんな怪我を負わせた相手にふつふつと怒りをたぎらせていた。
全身に力が入り、拳を強く握り俯いていた。
しかし、そんな思いが呟きとなり漏れてしまった。
「・・・許せない」
俺はどんな顔をしていたのだろう?
ここまで怒りを感じた事は今までにあっただろうか?
顔にも力が入り、かみしめた奥歯を支えるあごが傷む。しかし、力が抜けない。
ケイトは口を抑えて震えているようだ。
エミカは俺に向き直り
「ケン、私は大丈夫だから落ち着くのだ」
そう言って俺を抱きしめた。
「こんなみっともない姿で抱かれるのは不本意だろう。だが、ケン。変な事は考えるな。君らしくもない」
そういって俺の背中をやさしくポンポンと叩いていた。
俺はしばらくそうされていたが、腹の中の怒りは収まっていなかった。
握りしめた拳は震えていた。