episode4 人形少女
自室に戻った柊也は、忙しなく部屋の中を歩き回っていた。
専ら、家具や食材のチェックに余念がなかったのだ。
「ふぅん。反政府組織とか言うから、食事も携帯食料漬けなのかと思ってたけど」
大きめの冷蔵庫の中を覗くと、そこには鳥、豚、牛などの肉類はもちろん、色とりどりの野菜や果物まで、凡そ家庭で使うような食材が整然と納められていた。
「食べ物には困らなそうだな……」
キッチンの方へ目を向ければ、あらゆる料理に対応できるだけの器具・設備が整っているのが見える。
ベッドも柊也の家よりも良いものを使っているし、服も全て家から運んでおいてある。
生きていく上で必要な衣食住は、取り敢えずのところ確保できているようだ。
(あとは……)
柊也は部屋を見回すと、ふと出入口の自動扉が視界に入った。
部屋のことは大方頭に入れたが、施設全体に関しては、柊也はまったくの未知。
ここの構造を把握しておいて損はないだろう。
そう考えて、柊也は先程ダニエルから受け取っていた部屋のカードキーを落とさないように内ポケットへ仕舞い、扉を出た。
一瞬、隣室に居るであろう千秋のことが頭を過ぎったが、ついさっき訪ねたばかりですぐに、というのは些か気兼ねした。
この際、シスコンだろうが、過保護だろうが、柊也が言われて気にすることはないのだが、千秋に嫌がられることだけは絶対に犯したくない。
仕方がないので、ホールへ目を向けると、誰かがソファーに座っているのが見えた。
一応、柊也も組織の一員となったのだ。
深く関わることはないにしても、仲間として一緒に戦う機会はこれから少なからずあるだろう。
社交として挨拶は大切だ。
興味本位の行動に、それらしい理由をつけて、柊也はその人物に近付こうとして気付いた。
ソファーの背に隠れているので、頭の上、つむじの辺りしか見えないが、そこにいるのは確かに……
(女?)
漠然とだがそう感じ、さっきまでの勢いは何処へやら、すっかり話し掛ける気力が削がれてしまった。
柊也自身、あまり人見知りするような性格ではないのだが、非日常的な状況も相まって、何だか憚られる。
(でもまあ、社交だから)
結局は後付けの理由がメインになってしまい、我ながら情けなく思う。
ソファーの反対側まで、ゆるやかに弧を描いて歩を進める。
先程の女性は2人用のソファーの中央に浅く座って、手元の作業に集中しているらしく、急角度で下を向いており、長い髪が邪魔して顔が全く見えない。
な、なんか怖いんですけど……。まさか、呪いとかそういう類のことしてるんじゃないだろうな? TVで見たことあるぞ。こう、釘をブスッと。
ぞわぞわと背筋が寒くなり、やはり話しかけるのはやめておこうか、と柊也が数歩後ずさりしたところで、靴音が耳に入ったのだろうか、その女性は髪の毛を振り乱しながら、物凄い勢いで顔を上げた。
柊也は直感的にまずいと感じ、目が合う前に急いで立ち去ろうとしたが、相手が「あっ」と声を上げてしまったので、そういう訳にもいかなくなってしまった。
その人は、女性というよりは女の子だった。
歳はおそらく妹と同じくらいだろう。小柄で、その上華奢。
少しでも触れたら崩れ落ちてしまう、まるで砂糖菓子を思わせる少女。
水晶のように深く澄んだ、大きな両の瞳が柊也を射抜いてくる。
千秋が昔遊んでいた人形のようだ。
柊也がふとそんなことを考えている間にも、人形のような少女は、柊也の身体を下から上まで、値踏みするように眺めてくる。
(この子、綺麗な顔してるけど、とんでもなく不気味だ)
「あの……?」
長い沈黙と、舐め回すような視線に耐え切れず、柊也はつい声を上げてしまう。
少女は「なにか?」とでも言いたげに首を傾げている。
「俺、どこか変かな……ですか?」
言葉の途中で強引に敬語に切り替えて、かなり変てこな文になってしまった。
柊也より年上ということはないだろうが、何となく、少女が持つ神聖な雰囲気に飲まれてしまったのかもしれない。
少女はしばらく、右斜め上の方向を見て考えていた――柊也も念の為、そちらを見てみたが、無論の事、壁しか見当たらなかった――が、再び柊也の目を見て、
「どなた?」
カクン、と先程とは反対側に首を傾げて、尋ねてくるのだった。
†
――人形少女と出会ってから3分。
エントランスホールの談話スペースには不思議な空気が漂っていた。
「それで、あなたは妹さんを助ける為に組織に?」
「そう。もともと組織は俺に目を付けていて、そのために千秋……妹の名前なんだけど、千秋を誘拐したんだ。
ちなみに千秋と歳、一緒だよな?」
「ええ。千秋さん……ですか。大変でしたね。
ご両親はどうされてらっしゃるんですか?」
「うちは親いないよ。俺が中学入ってすぐの頃に死んだから」
あっさり言う。この手の質問は柊也も慣れたものである。
履歴上は交通事故になっているし、柊也自身もそれを信じていた。
しかし、最近になって、全く別の考えが浮かび上がってきたのだ。
両親は何らかの形で組織に関わっていて、禁忌に触れて殺されたのではないか? と。
事実、事故以後に両親の死体は二度と帰ってこなかった。車ごと海に落ちて行方不明なんて本来は有り得ないのだ。
そうして、その子供たちを組織の監視下に置いて、反逆心を起こしたりできないようにしておこうとしているのだと。
根拠はない。確信はある。
だが今のところは交通事故、ということで納得しておこう。
「……そうですか」
「ぷっ」
柊也は思わず小さく吹いてしまった。
そんな柊也の様子に頬を膨らませ、不満そうに睨んでくる人形少女。
「いや。やっぱり面白い子だな、と。
普通の人だったら必ず、”不躾なこと聞いてごめんなさい”ってなるところを、”そうですか”の一言で片付けてしまうとは」
「……失礼しました」
「ああ、別に批難してるわけじゃないぞ? 寧ろ個性的で良いと思うけどな。
亡くした側からすれば、変に気を遣われるよりは、君のようにサッパリしててくれた方が助かる」
人形少女は少し顔を赤くして、俯いてしまった。
「ところで……」
柊也は最初から薄々感じていたことを聞いてみる。
「えーと、君、お名前は?」
人形少女はしばらく、何と言われたのか分からないような顔をしていたが、すぐに理解したようだ。
「海祢栞。うみは海で、祢は……コレ。栞は本に挿むしおりです」
”祢”の字はうまく口で説明できなかったらしい。ガラステーブルに指で書いて見せた。
「俺は瀬崎柊也。瀬崎、は分かるよな。柊はひいらぎ、そう、木偏に冬の。也は……その……コレ」
説明に詰まって、柊也も栞と同じようにテーブルを使って示す。
その様子が可笑しかったのか、栞は口元を手で隠してクスクスと笑い出す。
柊也は、笑い方にも品があるなぁ、と自分が笑われているのもそっちのけで感心して、そして釣られて笑った。
先程、不自然な出会いを果たしたことなどもう忘れてしまった。
こんなに笑ったのは久々だった。
「そう言えば、それってさ」
口を緩ませながら柊也は、先程から気になっていたものを指差す。
「ぬいぐるみ……好きなのか?」
栞は柊也の指先を追って、自分の手元を見る。
そこには作り掛けのぬいぐるみと、縫い針を持っている自分の手があった。
「――ッ!」
栞はそれを見たまま固まって、見る見るうちに首まで真っ赤にして、吼えた。
今までの静かな物言いが嘘であったかのように甲高い声で、
「見ちゃだめ―――――ッ!!」
その後、柊也の視界に所々針が刺さりっ放しのぬいぐるみが飛び込んでくるまで、大して時間は掛からなかった。