episode20 エプシロン
数メートルの視界すら怪しい密林の中を強引に掻き分けて進む。草木が擦れる音が響く度に、敏感に辺りを見回しては敵に気づかれていないことに安堵する。そんなことを繰り返していたせいで、予定よりも随分と時間が掛かってしまった。
あの2人は無事回り込むことが出来たのだろうか。
柊也は腰から通信機を取り出して何度目かわからない接続を試みる。が、やはり一向に繋がる気配はなかった。おそらく敵方の妨害電波が原因だろう。思ったよりも警備が徹底されている。それはつまり、今回の襲撃にもそれなりの計画性があったと考えられるのではないか。
そう思った途端に自信がなくなってくる。だが、それでも今は信じるしかない。自分のことも。仲間のことも。
すると、付けっぱなしにしておいた通信機を伝って、耳元でガサガサとノイズが走るのが聞こえた。その合間に、微かにだが囁くように名前を呼んでいるのが聞き取れた。
柊也は意を決して立ち上がると、目標地点に向かって一気に跳んだ。
†
いち早くガレージを飛び出した蒼依が見たのは真っ赤に燃え盛る炎と、おびただしい数の敵兵の姿だった。四方から囲むようにして迫ってくる様子から、あらかじめどこかに待機していたことが窺える。
『最初っからわたしたちがここに来るのを狙ってたって訳ね……』
蒼依は吐き捨てると、最寄りの機兵に向かって飛び込む。
地面すれすれまで体を沈めて足の一本に廻し蹴りを打ち込み、勢いのまま体を一回転して間髪入れずに胴体に膝蹴りをかます。ぐらついた重心に拍車を掛けられた機兵は思い切り硬質な地面に叩きつけられた。
横倒しになった機兵の頭に向かって拳銃の引き金を引き、沈黙させる。この一連の作業をあと何回繰り返せば良いのか、それを計算しようして途方に暮れた。
山岳戦の時と違って地の利が全くない。数ではこの前を下回るものの、危機感でいえば今回が上だ。
そして敵も反省を生かしたか、この前とは動きが異なっている。機兵どうしの距離を一定以上に保つようにプログラムを改変したのかもしれない。一度に攻める数を絞って、じわじわとこちらのスタミナと精神力を削り取る寸法らしい。
(うーん、ちょっと、ピンチかもっ)
四足を荒々しく動かして射撃しながら突っ込んでくる数体を持ち前の身軽さでいなし、敢えて止めを刺さずに敵の中心部に潜り込む。
予想通りに蒼依の後を追って砲身が向きを変えるのを横目に収め、一度間を置いてから跳んだ。
跳んだ蒼依の真下を弾丸が擦り抜けていく。それらは同じく敵の深部から狙っていた機兵の弾丸と交錯して相互を弾けさせた。威力を求めすぎた故の同士討ちだ。
(でも……)
着地した蒼依は自分の足元を見やる。踝の辺りのアーマー表面に微かながら数発分の弾痕が見受けられた。完全に見切ったと思われた先程の射撃は、しかし確かに自分の体まで届いていたのだ。
機兵の性能が上がっている。蒼依は苦い顔をした。
『危ねェぞッ!』
突然耳元で怒号が響く。蒼依ははっとして振り返った。
そこにはちょうど蒼依に照準を合わせて火を噴こうとしている機関砲の姿があった。だが、次の瞬間横合いに吹き飛んだ。
『なにボーッと突っ立ってんだ。死ぬぞ!』
『すみません、水野さん!』
『声が大きい……』
『海祢、黙ってろ! 真枝は謝ってる暇があったら働け! ほら前!』
居残りメンバーに共通の回線で派手に叱られ、集中を取り戻した蒼依は両手に構えた拳銃を前方の二体に向けて放つ。すぐさま右に飛んで蜂の巣になるのを避け、膝立ちの体勢から別の敵の足元目掛けて連射する。
数体がよろけるが、それを庇うようにして先程仕留め切れなかった二体が掃射を仕掛けてきた。
(あああ、しぶといっ!)
――長い夜になりそうだった。
†
白衣の男が暗視スコープのレンズ越しにキャンプの方角を望んでいる。生き物のようにうねりを上げる灼熱が暴れ狂う様を一通り見渡すと、満足げに口元を歪めた。
それは相手の神経を逆撫でるようなものではなく、どちらかと言えば冷酷な、自分を取り巻くありとあらゆるものを小馬鹿にしているような薄気味悪い笑みであった。
細められた吊り目は異様なほど深く、暗い。身に着けている服は純白であるのに、この男が纏う色相は間違いなく禍々しい黒だった。
「人が苦しむの見るのって楽しいよねぇ。こう、お腹の奥がうずくって言うのかな。自慰行為なんかよりよっぽど快感だね。
ねぇ、君もそう思うでしょ?」
白衣の男、エプシロンは隣に立つ護衛に問いかけた。モスグリーンの保護軍服を着た護衛は、マスクとヘルメットで顔の大部分が隠れているのをいいことに、曖昧に首を傾げた。
エプシロンはそんな護衛の態度にむっとするでもなく、ただ興味深そうにその全身を眺めた。
「君はもう身体の中に埋め込まれているのかい」
「何が、でしょうか」
「ホネだよホネ。その様子だとまだっぽいねぇ」
エプシロンは即座に興味を失い、再びキャンプの方を向いた。
暇つぶしに戦闘の状況でも観察していようかと再びスコープを持ち上げた瞬間、目の前の茂みから影が飛び出した。
「おっ?」
エプシロンが反射的に一歩右に動くのと、影が護衛を叩き潰すのは同時だった。
地面に打ち伏せられる護衛を尻目に、影に尋ねてみる。
「それが反政府組織の最新技術の服かぁ。仕組みは理解してるんだけど、中々うまくいかないんだよね。ちょっとでいいからコツ教えてくれないかなぁ?」
『…………』
「――だんまりか。まぁ、秘密主義は組織の基本中の基本だよね。というか、実働班にこんなこと聞いたって分かるわけないよねぇ、ごめんごめん」
銃を突き付けられてなお、口を休めることなく喋り続ける研究員風情の無力な男を前に、柊也は二の足を踏んでいた。
「でも興味あるなぁ。少しだけでいいから分解させて欲しいなぁ」
何故この男は笑っているのか。完全無敵のアーマーという手札を持ってしても、この男相手にはアドバンテージにもなり得ない。そんな気がした。
不確定な要素は不安を招く。不安は不安を呼び、動こうにも動けない。
長く硬直状態が続いたが、きっかけは外からの声だった。
『柊也、何してる! さっさとずらかるぞ!』
桂汰の叫び声がした。
気が付けば辺りはキャンプ同様火の海と化していた。おそらくは桂汰と未沙希が敵の司令塔を破壊した際の影響によるものだろう。
周囲の状況の変化に全く気が付かない程、柊也は動転していた。
だが、すぐさま雑念を振り払った柊也はアーマーの脚力を存分に使って地面を蹴り、一瞬で距離を詰めた。鳩尾を狙って下から拳を突き出す。が、エプシロンは真上にジャンプしてこれを避けた。
『――ッ!?』
予想外の大跳躍に困惑しつつも、柊也も敵を追って跳び上がる。
空中で頭部目掛けて裏権気味に薙ぎ払おうと腕を振るうが、またもや体を捻って避けられてしまう。だが、今度はそれで終わらずに、背中に提げた狙撃銃を引っ張り出して勘のままに引き金を引いた。
結果は左腕の肘関節にヒットし、衝撃に肩が千切れんばかりに背中側に曲折し、勢い余ってエプシロンの体がコマのように回転した。
柊也は着地すると、信じられないものを見るような目でエプシロンを凝視した。
(曲がった、だけだと?)
アーマー未着用の生身の人間が銃の一撃を食らって五体満足でいられる道理はない。
しかし、現に目の前には狙撃銃の弾丸を至近距離でぶち込まれてなお、平然と立ち上がってくる男がいた。さながら長時間の労働によって疲れきった会社員のごとく左肩をぐるぐると回して笑う白衣がいた。
柊也は腰の通信機を弄り、マイクの出力だけを【外部】に切り替えた。ヘルメットのスピーカーから声が流れる。
「――何者だ?」
不躾な糾問にエプシロンは無防備に両手を広げて応じた。
「見て分からないかなぁ。科学者だよ」
「その科学者がどうして平気でいられるかと聞いているんだ」
「う~ん、それに私が答える義務はあるのかなぁ?」
柊也は無言で銃を向ける。
反して、エプシロンは不気味に笑う。
まるで何も無かったかのように先程と同じ光景に戻ってしまったことに、柊也は苦虫を噛み潰さずにはいられなかった。
『シュウヤ! 急いで!』
未沙希が急かす声が聞こえる。
(チッ、時間切れか……!)
柊也が一歩後ずさると、エプシロンが驚いたように目を見開いた。
「おや、帰るのかい? それじゃあ、アルファ君に宜しく言っておいてくれ」
エプシオンはそこで一旦言葉を切り、
「”五番の男が殺したがっている”、ってね」
柊也はエプシロンの剥き出しの脳天目掛けて一発撃ち込むと、即座にキャンプの方向へと跳び退った。木々が焼ける甲高い音だけが響く。
首を曲げるだけでこれを避けたエプシロンは去り行く後ろ姿を一瞥して、すぐに興味を逸らした。
「それにしても……」
左腕を見下ろす。焼けきれた白衣の下に除く人の肌には傷一つ付いていない。
「こりゃ、予想以上の出来だねぇ……」
エプシロンははじめ声を殺して、しかしすぐさま声高らかに笑い出した。
渦巻く紅蓮の炎の中、いつまでも彼の笑い声が木霊していたという。