episode13 正確射撃
訓練開始から約2週間後。組織に加入してから丁度1ヶ月。
柊也の仮想訓練過程はレベルSを残すのみとなっていた。
その話を聞いた首領のアルファは「期待通りだ」と口元を緩め、ダニエルは苦々しげに舌を巻き、他の強化兵の面々は素直に感嘆の声を漏らした。
そして、その反応を最も他人事のように傍観しているのは、当人である瀬崎柊也自身だった。
周囲の言葉に本当の意味で耳を傾けず、己の技量を高めるその姿勢は確かに賞賛に値する。が、それが人間として正しい行動だ、と決め付けるのには、些か躊躇いが生まれるだろう。
要するに、こういうことだ。
「柊也ぁ~。もっと喜べって」
柊也がエントランスホール中央のソファーに疲れた身体を預けて休んでいると、隣の男に藪から棒にそのようなことを言われた。
今日は仮想訓練はない。あの機械は脳に多大な疲労をもたらすので、健康を考えると連日での使用は控えなければならない。なので、間の日は大抵、トレーニングルームで基礎体力づくり――アーマーがあるため筋力の増強はあまり必要ない――をするか、自室でくつろいでいる。
そして、今はそのトレーニングの帰りだ。
いつも通りに、目障りなほどの金属類を纏ったその男は、隣で苦笑している。
向かいには、ショートカットの活発そうな女が一人、スナック菓子を片手にソファーに寝そべっている。
「何と言うかー。シュウヤって本っっ当に反応薄いよね。騒いでる外野のこっちが馬鹿みたいじゃない?」
女は、話す相手を一瞬たりとも見ない上に、寝転がりながら菓子を食う、という行儀悪さの最高潮を実践しながら言った。
「だから何度も言っているだろう。あれは――」
「はいはいはーい。”訓練だから”でしょ? それは耳にたこが出来るほど聞いたけど、やっぱ納得できない。
何かワケアリのにおいもプンプンするしね。吐いちゃえー!」
柊也は即座に否定しようとするが、言葉を途中で遮られ、むすっとした表情で黙り込んだ。
桂汰と未沙希は腑に落ちない顔で、柊也の返答を待っている。
こいつらは何故、訳有りだと分かっていて、敢えて追求するのだろうか、と恨めしい視線を向けるが、彼らは余程図太いのか、鈍感なだけなのか、今一効果が無かった。
「俺の目的は千秋を守ることだけだ。その過程はどうでもいいってこと」
半分建前、半分本音。その場凌ぎの為の、都合と、聞こえの良い体裁。
十まで話してやる義務はない。話したところで何か変わるものでもない。
「つまんねぇなぁ。もっと好戦的な感情はねぇのか? ほら、その……ぶっ壊すとか、ぶっ飛ばすとか!」
突如、桂汰は未沙希が寝ているソファーの背に向かって、「悪霊退散!」という意味不明な掛け声とともに、強かに裏拳を叩き込んだ。
(……あ、生地が破れた)
勿論、そんなことをして黙っている未沙希ではないので、ゴス、という鈍い効果音が思わず脳内で再生されるかのように、桂汰の額は先程のソファーと同じ運命を辿ることとなった。幸い、出血はしていない。
それを見て「お前らが乱暴なだけだろう」という言葉は永久に飲み込まれることとなった。俺だって命が惜しい。
ひとつ溜め息を吐く。
とにかく、これ以上話して探られるのも嫌なので、柊也は名残惜しそうな視線を向ける2人を置いてさっさと自室に戻った。
なお醜い争いを続けていた桂汰と未沙希は自動扉が閉まる音を聞いて、
「あいつ、まだ完全に心開いてないって感じだな」
「どーにかならないのかなぁ……」
なかなか内を見せない組織上の後輩に対して、小さな呻きを漏らした。
†
「合同訓練?」
ここ最近、通い詰めて見慣れた仮想訓練室。
奥のモニタリングルームから出てきた大男の言った言葉の意味を測りかねた柊也は、訝しげに尋ねた。
「とは銘打ったものの、実際にするのはお前と、ウミネの2人だけだがな」
「2人だと? だったら必要ない。俺は1人でやる」
連携を考えるにしても、最低でも3人以上の頭数が必要だ。2つの個人プレイが掛け合わさっても、お互いにとってプラスに働かないことは、今までの訓練で十分に理解してきた。
そして最も大きな理由。柊也の戦い方が集団に向かないことだ。
それらを踏まえた上での反対だったのだが、どうやらダニエルは無理矢理にでもさせたいらしい。
無言で柊也の肩を掴み、凄まじい腕力で強引に仮想機器の前に座らせると、先に来て待機していたらしい栞を手招きした。
奥から出てきた栞を、柊也の向かい――と言っても、機器を隔てているので、その姿を視界に収めることはなかったが――に座らせ、電源レバーを力強く引いた。
ゴウン……という重低音の後、目の前の画面に光が点る。
柊也はヘッドセットをしっかりと被り、いつでも飛べるように身体の力を抜く。
栞も準備を整え、いざ始めん、とダニエルが開始ボタンに手を添えたところで、
「おっと、これを言うのを忘れるところだった」
柊也たちに聞こえるような声でわざらしく呟き、柊也と栞を交互に見た。
「いいか、これからするのは従来のレベルSじゃない。新たに開発された”レベルSS”だ。
まだ誰も挑戦していない未知の領域だからな。精々、気を抜かないことだ」
ぽち。
言葉が終わると同時、柊也と栞の意識はここではない場所へと飛び去った。
その証拠に、2人は椅子にぐったりと身体を預け、ぴくりともしない。
事情を知らない人間がそれを見れば、悲鳴を上げながら110の番号を打ち込むことだろう。
毎度のことながら、やはりこの状態の人間が喋るのはどうかと思う。肉声だけは仮想内で設定できないため、口元のマイクから入力するしかない。致し方ないのは承知しているが、その気味の悪いこと。
本人たちは想像もしないだろう。
「……さて、仕事だな」
ダニエルはそれをしばらく眺め、柊也の口がぱくぱくと動き始めたのを認め、無事に飛べたことに安心しながら、モニタリングルームへと入った。
そして深々と椅子に腰掛け、画面を操作し始めた。
†
何度目か分からない意識回帰を済ませ、全身の神経が上から徐々に繋がっていくかのような奇妙な感覚の後、眼前の光景が目に映った。
特筆することもない町並み。都会と田舎の中間。木造の住宅街と新設のマンションが無秩序に建ち並ぶ。
気掛かりなのは夜ということだけ。真っ暗という訳ではないが、やはり視界には不安が残る。
彼らはその中の一番高いマンションの屋上にいた。
強い風が栞の髪をなびかせる。栞は冷たい刺激に目を細めた。
「レベルSSとはまた、センスのない」
飛ぶ前の言葉を思い出し、柊也は口元を緩めているち、
『聞こえているぞ』
「おおっと、そうだった」
間髪いれずに内臓イヤホンからダニエルの声が響いたので、わざとらしく驚いてやった。
『お前分かっていて……まあいい。
今回の目標は敵新型機の破壊。これは昨夜、斥候から届けられたばかりの情報から創られたものだが、限りなく実物に近くなっている筈だ。組織のデータ採取の為にも本気でやってくれ。
ああ、それと、市街地の損壊もできるだけ少なく収めるように。以上』
回線の途切れる音とともに、ダニエルの声は聞こえなくなった。
「毎度毎度、いい加減な説明だな」
柊也は思わずぼやいた。
実戦であればもっと詳細な情報まで与えられる筈だ。確かに個々の思考力が長けていることに越したことは無いが、これでは訓練の意味を失ってしまう。
すると栞は少し驚いた様子で、
「私の時は丁寧に教えてくれますよ。柊也さんだけではないでしょうか」
そして語尾に「人徳の差ですね」と付け加えて、得意げに笑った。
「……ああ、そうなのか」
何だろうか。一瞬、違和感がした。
返答の内容も腑に落ちないが、他にも、栞の言葉に引っかかる箇所があったような……なるほど、合点。呼び方が”柊也さん”になっていたからだ。
蒼依と話した時には、呼称なんて気にすることはない、と感じていたが、やはりそうでもないらしい。
「差別はよくないな、ダニエル」
おそらく、これも聞こえているのだろう。
栞は小さく笑い、すぐに普段の無表情に戻って柊也を見た。
「これから、どうしますか?」
「そうだな……。これじゃ敵の位置すら見当がつか――」
ゴォォォンッ!
「きゃっ」
巨大な物体どうしが激しく衝突する轟音が、夜の街に響き渡り、栞が小さく悲鳴を上げた。
瓦礫の落下音が、尾を引いて唸りを上げていく。
やがて、煙の立つ方向から規則的な歩行音が聞こえ始めた。
どうやら敵方のお出ましのようだ。
「前言撤回。行くぞ、栞」
栞はこくりと頷き、素早く武器を手にした。軽量の短機関銃だ。小柄な彼女らしいともいえる。
柊也も黒い箱から狙撃銃と拳銃を取り出し、音のした方角へ向かって、フェンスを越えて跳ぶ。
勢いのまま、住宅の屋根の上を転々と跳び移っていく。
目標の位置まで一気に駆け抜けて行こうとしたが、眼下に大きな十字路が見えたところで、足を止めざるを得なかった。
そこには既に、10数体の標準型の自動機兵が迫っていた。
数が多すぎる。目標はあくまで新型機体であるから、無理をして倒す必要はない……のだが、
(――損壊はできるだけ少なく)
先程のダニエルの言葉を思い出して、
「栞、先にこいつらをやるぞ!」
後ろからぴったりと付いてくる栞に呼びかける。
「分かりました」
栞は返事とともに、柊也とは道路を挟んで反対側の屋根に膝立ちになると、狙い撃ちを開始した。
カタタタタという軽快な音とは反して、続けざまに当てられた自動機兵の身体は、軋み、歪み、破砕した。
柊也の持つ狙撃銃に比べて、威力で劣る短機関銃は、高い連射力をもってそれを補う。だから一発一発の威力は極めて低い。
先程の自動機兵のような損傷の仕方は、偏に栞の正確な射撃の賜物であるといえる。
「あの距離からとはな……」
柊也もお世辞抜きで驚いた。
そして若い対抗心とともに、その目は眼前の、ゆっくりと近付いてくる自動機兵の姿を捉えた。
間隔はざっと5メートル。アーマーの脚力を持ってすれば一瞬で詰められる距離。
いち、にの、さんっと。
さんのリズムに合わせて牽制の一発を放つ。狙った機体は軽々とサイドステップで避け、前方へ機関砲を構えた。
が、そこに柊也の姿は無かった。
その時には既に機関砲の真下をスライディングで潜り抜けており、滑る動作の中で腹下から余裕の一撃を入れて1体目を停止させた。
すぐさま、機関の甲高い回転音が響いたので、膝を曲げて回転を掛けながら真上にジャンプ、周囲に銃を乱射する。
至近距離にいた数体がその弾丸の嵐に巻き込まれ、足を折って崩れていった。
気が付けばそれ以外の自動機兵たちも皆、所々に小さな穴を穿ちながら沈黙している。それは柊也の銃とは別に刻まれた損傷痕である。
何事かと思っていると、栞が着地の音を立てずに、どこからか柊也の横に降り立った。
(なるほど、残りは全部……)
柊也はその小さな身体のどこに、10体近い自動機兵を一掃する戦闘力が隠れているのかと思うと不思議でならなかった。
いや、”能ある鷹は爪を隠す”という言葉にもある通り、人は見かけによらないのだろう。少し意味が違う気もするが。
聞くところによれば、組織の人選は実に的確らしい。即戦力かつ組織に従順――本意、不本意は別として――な人材を各地から集めてきている筈だ。
ある程度慣れてからは、これくらいの芸当くらいはこなせなければ、不要な存在に成り下がってしまうのかもしれない。
その不要か、そうでないか、の基準が集団殲滅力であるならば、柊也の戦い方は最も非効率的かつ大きな危険を伴うため、適しているとは言い難い。
だが対人の、特に、同等の機動力を持つ相手に対しては、かなりの効果が見込めると自負している。
その時が来るまでに組織に見限られないよう、精々頑張ることにしようか。
……アルファの必要以上に高い期待のせいで、それは絶対に無いとも思うが。
そんな妙なことを悟っていると、それ程遠くない距離から爆音がした。
「柊也さん、行きましょう」
栞に小声で呼びかけられ、柊也は頷いた。
2人の強化兵は家々の屋根を伝いながら、音のした方角へと急いだ。