episode12 闇、蒼い心
この施設には現在、柊也たち強化兵を除いた兵士はいない。
彼らは皆、戦闘区域に派遣されているか、そこに近い補給地点で滞留しているかのどちらかに限られるからだ。
つまり、この反政府組織東方支部は今、柊也たちの独占状態にある。
何故、強化兵は出向かないかという問いに対しては、それらがまだ実験段階であるという答えが当てはまる。余程の緊急事態が発生しない限りは、彼らが出ることは無い。
強化兵の研究が試験段階に達してからこれまで、その出撃回数は片手で足りるほどでしかない。
だから、柊也を覗く面々は歴戦の熟練者という訳ではないのだ。経験について述べれば、”そろそろ慣れる頃”という程度でしかない。
たった今も柊也は施設の廊下を歩いているが、誰一人として出会うことはない。カツカツという靴音が光沢を放つ特殊ガラスの床に寂しく木霊するだけだ。
まあ、逆に言えば特に気負いする必要もなく、我が物顔で歩けている訳だが、だからこそ――
「だーれだ?」
およそ”背後から両手で両目を隠され、耳元で『だーれだ?』と囁かれる”といったイベントなどとは、まるっきり縁が無いのである。
「はあ……分かんない」
不測の事態に柊也は一瞬戸惑ったが、すぐに声の主に気付き、呆れ半分微笑ましさ半分で溜め息を吐いた。
おそらく蒼依だろう。だが、万が一ということもあるので逃げを打っておいた。その辺は抜け目が無い。
後ろに立っている蒼依もどきは「んー」と少しの間考えて、
「シュウヤ、あたしが誰だか分かんないのー!?」
おそらくは未沙希の真似をした……のだと思う。
完成度が低過ぎて自信を持って言えないんだ。すまん、蒼依もどき。
「いいよ、真枝。全然似てないから」
「……気付いてるのにわざと当てない、瀬崎クンもどうかと思いますけど」
少し落ち込んだ蒼依の声とともに、柊也の目から手が離れる。
後ろを振り返ると、ふくれ面の蒼依がこちらをじっと睨んでいた。
長身で、顔もどちらかと言えばお姉さんじみている蒼依が、その外見に似合わない幼い反応を返したものだから、柊也は可笑しくなってつい、
「ぷっ」
吹いた。
「うーわ……。人の顔見て吹き出すとか最悪。うん、無意識ってところがまたムカつくね。
罰としてわたしにジュースを奢りなさい」
当然のように、蒼依はさらにむくれてしまい、理不尽な要求を仕掛けてきた。
「横暴だ! というか、それ以前に自販機なんて物がここにはあるのか?」
柊也は根本的な疑問を抱く。
柊也でさえ厳重な隠蔽工作の末、ここに連れて来られたのだ。外部の業者なら施設内に立ち入ることさえ叶わないだろう。
だが、蒼依の答えは意外なものだった。
「それはね。ほら、この施設って地上部分はただの事務所にしか見えないでしょ? そこまで搬入してもらって、あとはダニエルか誰かが自分で運んでるんだよ。
もしかして、知らなかったの?」
蒼依は信じられないという顔で見ている。
「生憎、新入りなもので」
「あー……そう言えばそうだったね」
微妙なタイムラグに違和感を覚えたが、別段気にすることでもないので詮索しないでおく。
そうして柊也たちの部屋がある方向へ進んでいく。
どうやら、一旦部屋まで戻るつもりらしい。
「はい、着いた」
「なあ、別に戻らなくても……は?」
いいんじゃないか? と問い掛けようとしたら、蒼依の理解不能な台詞によって遮られてしまった。
そもそも先程から自販機のある場所を目指していたことすら気付かなかった。何故なら向かっているのは明らかにソルジャーの居住スペースがある方向だったからだ。事実、目の前にはいつものエントランスホールへと続く自動扉がある。
だが、蒼依が指しているのは、その真向かいの部屋らしい。
”休憩室”というプレートこそ掛けられてはいるが、外からガラス戸越しに見ても部屋の中は真っ暗で、余程の物好きでない限り、自主的に入りたいと思うことはないだろう。
柊也自身、部屋の存在は知りつつも、似たような理由で入るのを憚られていた。
しかし、蒼依は微塵の躊躇いも無く、さっさと中へ入って行ってしまった。
「おいおい……」
不本意ながらも慌てて追いかけると、暗闇の中、部屋の奥に佇む孤独な1台の自動販売機が、ぼんやりと部屋を照らしていた。
自販機の前には3人掛けくらいのベンチがこれまたぽつんと置かれている。
「……綺麗だよね」
薄闇の中、ちゃっかりとベンチに腰掛けてしまっている蒼依は、休憩室を見回しながら呟いた。
「……ああ。そうだな。
でも電気、付けないか?」
疑問形だが、許可を得る意味合いを込めて。
薄明かりの中、壁に手を這わせてスイッチを探し、勝手に押した。が、いくら待っても部屋の闇が払われることは無い。
「何故かは分からないけど、ここの電気付かないみたい」
「…………」
(先に言えよっ)
正直なところ、柊也は暗闇が大の苦手なのだった。
敢えて理由は述べないが、程度としては、電気を付けながらでないと夜眠れないくらい。
この歳にもなってそれを言うのはバツが悪いので伏せておくが、今も内心、逃げ出したい心とプライドとの間で葛藤が生じてしまっているような状態だ。
結局は、女子の手前でビビリが面子に勝る訳が無くて。
柊也は奥まで行って自動販売機に硬貨を投入し、無言で蒼依を振り返る。
蒼依はすぐに意図することを理解して、
「あ、オレンジジュースでいいよ」
言われたボタンを2度押し、出てきた缶の片方を蒼依に差し出した。
「何だか、あの日を思い出すな」
「立場は全くの反対だけどね」
蒼依はくすりと笑ってそれを受け取った。
そうしてしばらくの間、ベンチに座って2人並んでジュースを啜っていた。
長い沈黙。
柊也は特別話が上手い訳ではないので、というより基本的に必要以上の会話を求めない性格なので、自発的に話題を振るようなことはあまりしない。
世間一般では、そのような人間は”つまらない奴”と軽蔑される。
だがしかし、柊也は性格に関する理由で嫌われた経験はない。おそらく言葉に出さずとも、生まれ持った独特の雰囲気が自然に人を寄せ付け、それをさせないのだ。本人の自覚の有無は別として。
そして、そんな柊也は相手が黙っているという状況に落ち着けず、何気なく隣を見やる。
すると自動販売機の微光に照らされ、口元にほのかな笑いを浮かべて目を細める蒼依の横顔が目に映った。
柊也はその表情に一瞬ドキリとした。
が、すぐに何事も無かったかのように元通り前を向き、手持ちの缶に口を付け、飲み干す。
「何、笑ってんだよ」
一息吐いてからぶっきら棒に尋ねる。
「んー?」
癖なのだろうか。蒼依はお馴染みの、顎に手を添えるポーズで考え込んでいる素振りを見せた。
そして憂いを帯びた表情で話し始めた。
「わたしが組織に来てすぐの頃のことを思い出しててさ。
今は皆と仲良くやってるけど、その頃はそうでもなくてね。未沙希とはあんまり話せなかったし、栞ちゃんは組織にすら居なかったから。
その上、離れ離れになった家族や友達は、生きてるのか死んでるのかも分からないような状況で、連絡をとることもできない。……ま、それは今でもあまり変わらないんだけど。
それで、その頃は寂しくなるとよくここに来て、一人で泣いてたんだ。
今からは考えられないかもしれないけど、中2にもなってほとんど毎日ここに通ってたような泣き虫ちゃんだったんだよ。
どう? 失望した?」
蒼依は試すような視線を柊也に向け、その口元は自嘲的な笑みを形作っていた。
柊也は黙り込む。
今の話から考えれば、蒼依は4年前には既に組織にいたことになる。イコール4年間戦い続けたとは言えないが、その辛さは大して変わらない。
さぞかし寂しい思いをしていたのだろう。
暗闇の中、ベンチに座って一人で涙をこぼす蒼依の姿が思い浮かんで、胸が締め付けられた。
「はぁ、するわけないだろ」
柊也は呆れ半分で呟いた。
「え?」
しばらく間が空いたせいで、何の答えなのかが分からなかったらしい、蒼依は目を見開いて柊也を見た。
そんな姿をに対して柊也は、呆れた、かつ慰めるような口調で教えてやる。
「俺だって両親が死んだ時は毎晩のように泣いてるようなガキだったんだ。泣き虫のランクでは真枝に引けを取らないぞ。
千秋が居るっていうのに、いやだからこそ、自分がしっかりしなきゃ、っていう重圧に耐え切れなかったのかな。かといって縋る人も物も無かった。
そんな話されても説得力無い、って思うかもしれないけどさ。要するに、そんなに思い詰めないで気楽に考えろってこと。
もし寂しくなっても、俺で良ければいつでも一緒にジュース飲んでやるから。
……はぁ、俺、何でこんなくさい台詞言っちゃってんだろ」
柊也は唐突に居心地が悪くなって、蒼依から顔を逸らし、空になった缶を手の中で弄んだ。
蒼依はしばらく呆気に取られていたが、いきなりクスッと笑ったかと思うと、唐突にベンチから立ち上がった。
その前に「ありがと」と小さく呟いたのは、柊也の耳には届いていない。
「……よし! これで合法的に瀬崎クンに奢らせられる理由ができたね。これからはジュース飲み放題ってことで」
(いや、一緒に飲んでやる、とは言ったが奢るとは言ってないぞ)
にかっと笑う蒼依の目尻には、気のせいか涙が滲んでいたように見えた。
「おい、真枝――」
「あーそれ! 真枝って呼ぶの禁止! これからは名前で呼びなさい。はい、どーぞっ」
怒っても、笑ってもいない、有無を言わせぬ表情。だから思考が読めない。
一度定着した呼び名を変えるのには、相当な抵抗が加わるということを分かって言っているのだろうか。
「蒼依……」
「声が小さい!」
「蒼依! これでいいだろ」
もう訳が分からない。
さっきまで落ち込んでいたくせに、一体この態度の変化は何なのだろうか。
柊也はまだ考えあぐねていたが、蒼依はすっかり満足したようで、
「うん。改めてよろしくね、柊也」
その名を呼んだ。
下の名前だからどうなるのか、という気もする。姓だろうが名だろうが、余程ふざけたものでない限り、呼び方なんて特に気にすることでもない、と思う柊也はズレているのだろうか。
そして今、笑いに細められているその目に、先程滲んでいたはずの涙は、しかしもう見えない。
とにかく、ブルー気味の蒼依に元気が戻ったようなので、深くは追求する必要はないだろう。
柊也は無意識に手持ちの缶を呷って、とっくに中身が無くなっていることを思い出し、低く溜め息を吐いた。
蒼依は再び笑い出した。