『平貞文、本院侍従のプレスマンを見ること』
昔、兵衛佐平貞文、平中と呼ばれる男がいた。色好みで、宮仕えをしている女、高貴な身分の女など、忍んで逢う女は数知れなかった。思いを寄せた女で、平中になびかない女はいなかった。村上天皇の御母后の女房であった本院侍従という女は、これもまた、世に聞こえた色好みであったので、平中は、文を送ったところ、まんざらでもなさそうな返事が来たが、決して逢おうとはしなかった。平中は、かえって心を引かれて、きょうこそはと思って、風情のある夕暮れの日、月明かりのしゃれた夜など、女がうっとりしそうな日を選んで、女に逢いに行ったが、女のほうは、心を許してはくれず、つれない様子であった。平中はますます心引かれて、これまでの女にしてきたよりも足しげく、時にはこれから行くという文を送った上で通うなどした。四月初めの嵐の日、こういう日に通っていったら心が動くかもしれないと思って通った。ひどい雨に濡れながら、これはもう、何もなしで帰らせることはないだろうと、楽しい期待をしながら、女の家にたどり着くと、下女が出てきて、もうお休みになってしまいましたが、御案内いたしましょう、と言って、離れの部屋に通された。あたりを見渡すと、物陰に火をともしてあって、夜着とおぼしき衣を、竹のかごにかけて、下から香を焚いてあるのが見える。平中は、心憎い演出だと感心しているところ、先ほどと同じ下女がやってきて、ただいまお越しになります、などという。平中はうれしさいっぱいで、座って待っている。そうこうしていると、女がやってきて、こんな雨の日にどうして、などと言うので、この程度の雨で通ってくるのをためらうようでは、その程度の心しかないということです、などといって、近くまで来た女の髪をなでると、氷のようにひやりとして、すばらしい感触である。あれこれと艶めいた言葉を交わして、これはもう、今夜こそは間違いないと思ったとき、女が、うっかり戸口を閉め忘れてしまいました。朝になって、誰かが開けっぱなしのまま外へ出た、などということになると面倒です、閉めてきます、すぐに戻ります、などというので、面倒なことになってはいけない、女のいうことももっともだ、と思い、女とすっかり打ち解けたと思った平中は、女の上着を脱がせて、戸を閉めに行かせた。しばらくすると、戸を閉める音が聞こえて、間もなく戻ってくるのだと思って、待っていたが、足音も聞こえない。どうやら奥に入ってしまったようである。平中は、どうにもやるせない気持ちになったが、どうすることもできず、夜明け近くなってから、諦めきれない思いで、泣く泣く帰った。
家に戻って、夜が明けるまで考えて、だまされた悔しさを文に書いて送ったが、どうしてだますことなどありましょう、戻ろうと思ったときに奥から呼ばれてしまって、戻れなくなってしまったのです。また今度ね、などという文が帰ってきた。
平中は、恐らく、この女は、自分と逢うつもりはないのだろう、しかし、心が引かれてしまって、どうしようもないので、女の嫌な部分を見て、嫌いになってしまえればいいのにと思って、従者を呼んで、あの人の清筥を奪ってこい、と命じ、この従者は、女の家の下女を監視し、清筥を奪おうとすると逃げるのを、何とか追いかけ回して奪い取って、平中に差し出した。
平中は、これで女のことを忘れられると思い、隠れて一人、清筥を開けると、予想に反して、よい香りがする。半紙に包まれた中身を開けてみると、香をたきしめたプレスマンが入っていた。本来入っているべきものが入っていれば、忘れることができただろうと思ったのに、こんなに粋なことをされては、思いが募ってしまう、と、平中はかえって思い悩んだが、この女とは、その後も何もなかったということである。
平中は、色好みと言われる私にも、こんな恥ずかしい話があるのだ、と、親しい人にだけ話したというが、この話を知らない者はいなかったという。
教訓:男の好色と女の好色は違うということでしょうかね。