悟のリグレット
少々古臭いこの喫茶店は、多くの若者で賑わっていた。最近はこういう古風な店が流行っているのだ。
入口の鈴が2回鳴り、懐かしい顔をした男が入ってきた。
「悟? 悟、変わらないなぁ。元気してたか?」
「ああ、久しぶりにお前から会えないかって言われて、びっくりしたよ」
今日ここに俺を呼び出したのは、高校を卒業してからも交流のある数少ない友人のうちの1人である寛太だ。寛太は席に着くなり、アイスコーヒーを注文した。店員が去るなり、口を開いた。
「悟、恵ちゃん、結婚するんだって」
コップを掴んだ手が緩んで、コップを倒しそうになった。
寛太はそれを見て気づいたようだ、俺の封じたい気持ちに。
「やっぱり、そうだ。高校の時、恵ちゃんのこと、好きだったんだろ」
「……まあな」
「意外だな、そんなすぐ認めるとは」
「まあな」
「恵ちゃん、お前のこと好きだったぜ」
「……そうか」
「そうかって、お前……。恵ちゃん、お前が告ってくれるのずっと待ってただろうぜ。何で告らなかった?」
「……」
コップを置いた———俺は彼の目が期待しているものに気づけない。彼は、俺を責めているのかもしれないし、あるいは、面白がっているのかもしれない。嘲笑うなら嘲笑うがいい、こんな言葉で着飾ることしかできない俺を。
「言葉は嘘をつくだろ。でも、気持ちは嘘をつかない」
「どういう意味だ?そんなこと言ったって……」
「好きですって伝えても、冷めた時にあれは嘘だったって言えてしまうんだよ。取り消せるんだよ。それに、その言葉自体が初めから嘘かもしれない。でもあの時好きだったっていう気持ちは、嘘にはならないだろ。自分に嘘をつくことになるから」
堰を切ったように急に話し出したので呆気に取られたのか、寛太は、しばらく口を閉ざして考え込んでいるようだった。好きという気持ちが、人間、1番理解の及ばないものなんじゃないのか、自分自身にとってみても。
あるとき好きと思ったこと、あるとき悩んだこと、あるとき好きという気持ちが見えなくなってしまったこと、また見えるようになったこと、その事実は変わらない。
幸か不幸か、苦か楽か。条件反射的に決めることができない。得体の知れない感情について、それを言葉で補っても、それが虚構に変わるかもしれない。臆病になっていた。それだけが今、言える確かなことだ。そしてもう、それしか言えなくなってしまった。そう思った。
「お待たせいたしましたー。こちら、アイスコーヒーでございます」
高校の時、俺は、自分から彼女に近づいた。なのに、近づけば近づくほど、怖くなった。傷つくのが怖くなった。
コーヒーを置いて店員が去ると、それを啜りながら、寛太はこう言った。
「同級生一同でお祝いメッセージを作って披露宴で流すことになったから、お前にも協力してほしいと思って、ビデオカメラ持ってきたんだ」
「……まあ、そういうことなら協力するよ——————好きだったなんて、絶対、本人に言うなよ」
「分かってるって。———この河川敷で撮るのがいいんじゃないかなと思ってるんだけど、どう?」
「……別に、いいけど」
あの河川敷で撮るなんて……。よりによって2人で歩いたあの河川敷で。
春の穏やかな陽気が、今は、それほどいい効果をもたらしてはくれない。
「撮るぞ。笑顔でな。……3、2、1」
ピコンッ
「恵、結婚おめでとう。暖かい家庭を築いて、幸せになれよ。幸せは感じるものじゃない、作るものだよ。幸せの作り方がわからなくなった時は、庭に花を植えて。花じゃなくてもいい、野菜でもいい。そしたらきっと見つかると思う、君の探し物は。最後になるけど、本当におめでとう、恵」