第九九話 存亡ノ決戦
「フェリーチェルは、上空のドームに向かった」
カインから、案の定な言葉を聞かされたコチョウは、彼を連れてすぐにアーティファクトのドーム内部へと引き返した。実際に飛んでいく必要はない。テレポートで一瞬きの間で帰れる。
「そうか。迂闊だったな」
戻ると、ドームはしっかり占拠されていた。一つだけコチョウはうっかりしていた。四神と共に、エノハが向こうに寝返る可能性を失念していたのだ。四神の前では、半竜族も、半魔神も、忍者共も、物の数ではなかったことだろう。だが、それならばそれでいい。取り返すまでだ。
「お前も向こうへ行け」
カインの背中を軽く蹴り飛ばし、アーティファクトの前で勢揃いしている軍勢の方へ行かせる。スズネ、四〇人余りの冒険者達と、五人の私兵を引き連れたリノリラ、四神を周囲に侍らせたエノハ、皆いた。そして彼等の前にいるのは、フェリーチェルだった。ドレスの上に妖精用の厚手の布の胸当てを着け、妖精種族製の小さな弓を手にしていた。
「あなたが設定を追加してくれたおかげで、ちょっとだけ戦えるようになったの忘れた?」
フェリーチェルにそう問いかけられ、そう言えばそうだとコチョウは軽く感嘆の声を上げた。
「おお、そうだったな。確かに忘れてた」
コチョウからすれば誤差レベルのようなものだ。そう考えると、フェリーチェルに強さを分けてもよかった訳で、逆にそのことを失念していたことは幸いでもあった。面倒な敵をひとり増やさずに済んだ。
「そうだと思った。ここを出て地上に向かった時のあなたの言葉で、あ、あなたが私に追加した設定を、忘れてるなって思ったの。やっぱりだったね」
と、フェリーチェルは笑った。コチョウがあとから設定したリノという偽名の冒険者の設定は、今もフェリーチェルの中で生きていた。
「私達がここをこのままあなたから死守できれば、私達の勝ちで良いのよね?」
それが困難であることは、フェリーチェルも分かっているようだった。コチョウはもともと箱庭を壊すつもりで、ここを奪取する為であれば空が砕けるまで力を使う。しかし逆に、コチョウに対抗できるだろう四神が、それに対して全力を出せば、それはフェリーチェル達自身で箱庭を破壊する行為に他ならなかった。
「できればな」
コチョウは頷いた。そんなことは万に一つも起こりえない。四神がいてなお、コチョウには、負ける気がしなかった。
「やってみろ。本当にできたら、褒めてやる」
「それでも私達は……」
フェリーチェルが手を上げて、合図を送る。
「あなたの破壊を許さない!」
「跪け」
それと同時に、コチョウは暗示の言葉を吐いた。しかし、その声は、フェリーチェル達までは届かなかった。フェリーチェルの合図と同時にけたたましいラッパの音が響き、コチョウの声を掻き消したからだった。軍が使う突撃ラッパの音だ。フェリーチェルは、コチョウが暗示で数を減らすだろうと踏んで、対策をとっていたのだった。コチョウからすれば、ここにいる箱庭内の住人は、生かして現実世界へ連れて行く対象で、つまり殺す気はないということも分かっている筈だ。そして、最も手っ取り早く戦力を殺さずに削ぐ方法は、暗示で戦意を喪失させてしまうことだ。コチョウは自分達を殺すような真似まではしない、そこに付け入る隙がある筈だと、フェリーチェルは賭けたのだろう。
成程、フェリーチェルの頭脳を多少甘く見ていたかもしれない。コチョウは過小評価を認めた。
しかし、戦力を削ぐ方法など、他に幾らでもある。フェリーチェル側の者達を殺す訳に行かないという制約があることは確かだが、その程度で困るコチョウでもなかった。
リノリラが引き連れた冒険者達から、矢が飛んで来る。超常の力が込められた矢だ。当たればコチョウでも傷つく攻撃で、無視をすることはできない。そのあたりの対策を、フェリーチェルやスズネが蔑ろにして攻めてくる筈もなかった。即興ではあるが、力の出所はあからさまに四神であり、当たってみたいとは、コチョウでも思えなかった。逸らしの指輪など気休めだ。コチョウは矢を弾く魔力のフィールドを自分の周囲に造り出し、当然のように遠隔の攻撃を防いだ。
その間に、スズネとカインが駆け込んでくる。訓練がてらに手合わせでもしていたのか、なかなかに連携の取れた動きだった。挟撃の形で回り込み、どちらかが必ずコチョウの死角をとるように動くつもりだった。コチョウは飛べるが、飛べばせっかく矢を弾く為に張ったフィールドから出ることになる。おまけに空中戦になれば四神も直接出てくるだろう。頭上に逃れるのは悪手だった。
動きを制限する作戦はいい。なかなか考えられている。ここまでしなければコチョウには勝てないと、良く練られた作戦だ。コチョウは自分がやや高揚してきていることに気付いた。こうでなくては面白くない。
とはいえ。
「もっとやれるだろう」
全方向に衝撃波を放ち、スズネとカインを弾き飛ばした。この程度ではまだ温い。幾らでも反撃の方法は思いつく。
「この程度では駄目だな。私は止まらんぞ」
笑いながら、矢を弾くフィールドも消した。当然狙いすましたように矢の雨が降ってくる。コチョウはそれを超能力で受け止め、弓兵共にそのままお返してやった。勿論、本人には刺さない。それぞれの矢は狙いを違わず弓兵共の手の弓の弦だけを切った。
「戦術が崩れたぞ? さあ、どうする」
コチョウは揶揄するように笑った。嘲笑と言ってもいい。あの程度で進退に困るコチョウだと思われていたのであれば、とんだお笑い草だ。
「小手先は通用しないよね。ほんと憎たらしい」
フェリーチェルもあれで勝てる程甘くはないと分かっているようだった。弓を持っていた冒険者達も、弓を捨て、剣や斧といった、白兵戦武器に持ち帰る。その頭上で、四神の瞳が怪しく輝いていた。
「ごめん、みんな。やっぱり、体を張ってもらわなきゃ、駄目みたい。頑張って」
フェリーチェルが下がりながら声を掛けると、
「やるだけやるさ」
どの冒険者からかは分からなかったが、そんな答えが返っていた。答えたのは一人だったが、フェリーチェルの前に進み出た冒険者達の目は皆同じだった。信用は、得ているらしい。短時間でよくやったものだと、内心コチョウは称賛した。
冒険者達の武装は、皆、戦士職のように見えるが、職を悟られない為のカモフラージュであるかもしれない。唐突な魔法には、コチョウも警戒した。三〇人のうち、二五人は突っ込んできたが、五人は走らずそのまま残った。案の定、そいつらからは、呪文が飛んできた。
たいした呪文ではないが、途中で四神による増強を受けて飛んで来る。ファイアボルトやアイスボルトといった初級呪文ではあるが、やはり無視はできなかった。丁寧に打ち消し、突撃してきた連中の相手を真っ向からする。白兵戦を挑んできた連中も、四神による肉体強化のサポートを受けているようで、並の冒険者の身のこなしではなかった。それでもコチョウが殴り返せない程ではなかったが、防御の術も受けているのか、手応えが妙で、一撃では誰も倒れなかった。さらに、すぐにスズネやカインも加わってくる。彼等も四神のサポートを受けているようだった。
四神が直接戦えば箱庭が壊れることから、四神がサポートに徹するフォーメーションを組んだという訳だ。エノハとは連絡を取っていなかっただろうに、即興でここまで整えたのは流石だった。
しかし、それならばコチョウも戦術を変えるまでだ。コチョウは冒険者達の上を跳び越え、テレポートで姿を消す。出る場所は読まれているだろうが、知ったことではなかった。
案の定、四神のど真ん中に現れたコチョウは、即座に四神達自身の集中攻撃の的になった。だが、当たらない。ダークハートの深淵の中で戦った時と同じだ。四神全員の能力をもってしても、コチョウを止めることは叶わなかった。逆に四神達が放った術を目晦ましに、コチョウはまたテレポートで飛んだ。出た場所は。
「エノハ、四神を戻せ」
そっと、耳打ちする。どれ程の騒音の中でも、耳元で囁けば聞こえる。エノハは、その暗示に打ち勝てず、四神を、式札に戻した。
それは勝敗が決したということと同義でもあった。コチョウは四神のサポートを失った面々を再度衝撃波で吹き飛ばし、一緒に吹き飛んだフェリーチェルの傍へと飛んだ。
その胸元を掴み、引きずり上げて、笑う。
フェリーチェルも、コチョウの目を見て笑い、起き上がろうとする皆に、謝罪の言葉を、投げかけた。
「ごめん……私達……負けちゃった」
その言葉がすべてだった。もうコチョウを倒すことはできない。そう認めたのだった。
その瞬間、箱庭の命運は、決した。