第九六話 宣言
当然ながら、勝負になる筈のない勝負だった。体格差があるにしろ、アリエストは武器一つ持っておらず、コチョウには体格差を埋めて余りある速度があった。
一瞬の交差だけで、コチョウには十分だ。アリエストの首筋にライフテイカーの刃をあてがい、首に抱き着くような形でアリエストのうなじに張り付いた。
「最期に言い残すことくらいは許してやる」
ライフテイカーなしでも、コチョウが力を籠めればアリエストの首の骨は簡単に砕けるだろう。呼吸をすることさえままならない表情で、アリエストは、コチョウに問いを投げかけた。
「なぜ……貴女を直接狙った……あの女、は……リノリラは……許したのです……」
辻褄が合わないと、納得のいかない目をしていた。だが、そんな道理など、コチョウに求める方が間違っているとも言えた。くだらない質問だ。だが、コチョウは答えてやった。
「リノリラは表面上だけでも秩序を守る活動をしてたからだ。そこだけがお前と違う」
そして、その一点は。
「スズネやエノハにはリノリラは必要だ。だが、秩序を壊しただけのお前は、必要ない」
という大きな差でもあった。つまりは、コチョウが判断した基準は、自分の思惑ではなく、シンプルな現状理解だけによるものだった。
「それだけのことだ」
コチョウがライフテイカーも持つ手に力を入れる。問答を続ける気はない。さっさと、アリエストの首を刎ねようと決めた。
「一分……経ちましたよ……」
だが、その問答は、アリエストの時間稼ぎだった。元より敵う筈がないと理解していたからこそ、コチョウの油断に乗り、質問を投げかけたのだった。もっとも。
「そうか、良かったな」
コチョウの手は止まらなかった。目を見開くアリエストに、遠くから、フェリーチェルの冷たい声が掛かった。
「残念だったね。そのひと、嘘付きなの」
と、コチョウを端的に評した。最初から、一分生き延びたら許してやるなどという約束を、守るつもりはなかったのだ。コチョウは、アリエストの首を、ライフテイカーで刎ねた。鮮血が噴き出し、コチョウを染める。いつものことだ。コチョウが襲えば、僅かな体躯しか持たないコチョウは吹き出る血を、すぐ至近距離で浴びることになる。そして、その瞬間が、コチョウは堪らなく好きだった。
「貴様等も、必要ない」
縄を打たれた貴族共を睨み、コチョウは指を鳴らした。連中をひとりひとり殺して回るのはただの面倒で、そこまで名前も分からない城の大臣共や役人共に興味もなかった。コチョウの指の合図は、彼女の無慈悲な力が放出される合図だ。貴族共は、灰色の塊に変わり、そのまま崩れ去って消えた。灰化させて、その灰を消滅させたのだった。
その時になって、大扉の向こうから、走り込んでくる、金属鎧のブーツの音が聞こえてきた。コチョウは、漸く来たかと理解し、振り向いた。
「よう、久しぶりだな」
とだけ、入って来た人物に気安く声を掛ける。入って来た人物は、相変わらず青いラインの入った金属鎧を着ていて、宝石の付いたグレートソードを背負っていた。すぐ傍らには、あの忌々しいピクシーの小娘もいた。
「君は……」
カインの足が止まる。そして、コチョウの足元に転がる、首のないアリエストの遺体を見つけた。
「君が殺したのか」
「こんだけ返り血を浴びておいて、違うって言ったとして、信じられるか?」
コチョウはただ、苦笑いを返した。以前に負けた借りを返してやりたい思いは、烈火のように胸中に吹き上がっていたが、今はまだその時ではないと我慢した。
「フェリーチェル」
今度は一番の、そして唯一だろう友人の名を呼び、コチョウは左手の中に小さな宝玉を造り出すと、それを放って渡した。フェリーチェルは何も言わずに受け止め、頷いた。
宣言の時だ。
コチョウはもう一度指を鳴らして自分の体を染め上げた返り血を消し飛ばすと、
「全員外に出ろ。私は先に出て待ってる」
そのまま、弾け飛ぶ小さな光の粒を残して謁見室から姿を消した。終局のはじまり、その盛大なデモンストレーションを行うためにだ。
コチョウにとっておそらく最後の敵はカインなのだろうが、箱庭にとって、最後にして最大の敵が、おそらくコチョウ自身であり、その決戦を、彼女は宣言しようとしていたのだった。
皆、ぞろぞろと正面扉から出てくる。先頭はフェリーチェルだ。コチョウは崩れた城門の上に浮いており、その下へ、エノハとゴーファスだけがやって来た。コチョウの頭上に、四神が浮かぶ。ゴーファスの手勢は城から出てこなかった。
他の者は、フェリーチェルに、
「前に出ないようにね」
と留められた。フェリーチェルは、一歩でも前に出る者があれば、コチョウが容赦なく消し飛ばすことを確信していた。
コチョウが上空を指差す。その線上から、四神が散って退いた。皆が空を見上げるが、そこには何もなかった。
――否。
空が割れた。箱庭の空が崩れる程の力をコチョウは振るい、ひび割れた空に巨大なドームを砕けた空の穴からゆっくりと出現させた。ゴーファスにも、フェリーチェルにも、スズネにも、エノハにも、その正体が何であるかは分かった筈だった。
遥か地下にある筈の物。
ダークハートの深淵の地下五〇層。
つまりは、アーティファクトそのものを、アイアンリバー上空に、コチョウは転移させたのだった。
「あれはお前達の世界を保つシステムだ」
コチョウはさらっと語った。その意味するところは一つしかない。
「私はあそこで一〇日待ってやる」
コチョウの目は、フェリーチェルを見ていた。おそらくは、これは、コチョウとフェリーチェルの最大の意見の相違で、コチョウと対決する意思を今一番抱けているのがフェリーチェルだっただからだ。
「それまでに、この世界を護るつもりがある連中を集めろ」
あまり決戦が早すぎては意味がない。備えができていないフェリーチェルを叩き潰したとして、余興にすらならない。
「もしそれよりも早く戦力が集まったと思うなら、その宝玉を使え。あそこに飛べる」
つまりは。
「その場合は、お前達が攻める側で、私は待ち受ける側だ」
勿論、ずっと待っているつもりはない。だから一〇日の期限なのだ。コチョウはおかしさがこみ上げたように笑った。
「もし一〇日待ってもお前達が来ない場合、私から攻める。その場合、お前達は防戦側だ」
勿論、ただコチョウが襲ったのではフェアではない。アイアンリバー側には戦えない一般市民も沢山いるのだ。市民を護りながらコチョウを止めることなど、一〇日で整えられる戦力で来出る筈もないだろう。そのくらいはコチョウも理解している。
「勿論市民を巻き込むのはフェアじゃない。お前達が満足に戦えないだろうことは分かる」
だから、コチョウは戦場を限定することにした。
「私はこの城の中の連中だけを狙う。上と城だけなら大人しく相手してやるが」
分かっているな、という視線を、フェリーチェルに送った。フェリーチェルは頷いたが、皆に伝わるような言葉を待っているようだった。
「それ以外の場所から攻撃されたら街ごと潰す」
コチョウは、告げた。
「一方的な」
状況にまだ順応できていないカインが抗議の声を上げるが、コチョウはただ笑顔を返すだけだった。
「じゃあ、街ごと死ね。城に戦力がないと分かった時も、お前達の負けだというだけだ」
コチョウに街をいきなり破壊させない為には、城に戦力を集め、そこを決戦の地とするか、それとも、上空に浮かんだドーム、アーティファクトを攻めるしかないのだ。逆にコチョウの思惑に乗れば、少なくとも、決戦の際に街の住民が皆殺しにされることはない。
「理不尽だよね。でも、そういうもんでしょ。災いって。こっちの思惑なんて、こっちの事情なんて、理解してくれない」
カインに、フェリーチェルがため息混じりの言葉を投げつけた。
「城を追い出されたとはいえ、王家の人間でしょ。あなたがアイアンリバーの市民達を護ってあげなくて、誰が守るの」
その言葉に驚いたカインは、その小さなフェアリーを見た。フェリーチェルは笑った。
「コチョウは言葉じゃ止まらないよ」
その通りだ。コチョウも笑った。フェリーチェルと目が合う。頷きあった。
「私は世界を滅ぼす。嫌なら掛って来い」
それだけ言い残して、コチョウは真っすぐに空へと舞い上がった。青龍が迎えに行き、エノハも後を追う。ゴーファスは既に姿を消していた。