第九五話 王妃
正面の大扉を開け、真っ向から王城に入る。最初から小細工などは考えていない。抵抗があったとしても正面突破するまでだ。
コチョウが真っ先に飛び込み、続いてエノハとスズネが入る。通商会の護衛が守っているリノリラとフェリーチェルが続き、殿は四神が務めた。
正面扉を抜けた先は、謁見室へと続く大廊下になっていた。深紅の絨毯が敷かれた床は、絨毯のない剥き出しの部分は鏡面のように磨かれていて、壁の柱を映していた。天井は高く、ところどころにある壁掛けの蝋燭の火が、正体なく揺れていた。
廊下の左右に、規則的に兵が整列している。襲ってくる様子はなかった。王城勤めの兵にしては悪趣味な、黒々とした鎧を着た連中だった。
「アイアンリバー軍の近衛兵は、随分趣味が特殊だな」
振り返らずに、コチョウが皮肉混じりにリノリラに笑うと、
「このような兵は、私も知りません」
困惑した声が返って来た。そうだろうなと、コチョウも頷く。
「まったく。既に制圧済みということか」
やってくれたなと笑い、コチョウは前方に向かって声を張り上げた。
「ゴーファス。王城を制圧しろと命じた覚えはないが」
「だろうね。私も命じられた覚えはない」
答えは意外な程近くから聞こえてきた。からかうように喉の奥で笑いながら、天井に蟠る、蝋燭の火が届かぬ暗がりから染み出すように、ヴァンパイアは姿を見せた。
「だが、少々気になることがあったのだよ。とにかく、謁見室へお越しいただこうか。詳しい話はそこで」
ゴーファスはそう言って一度姿を消した。明言を避けるゴーファスの態度は不快だったが、廊下に突っ立っていても言葉の意味が理解できる訳でもない。コチョウは舌打ちをして、先に進んだ。
通路は、二、三段の僅かな階段を幾つか経て、玉座の間に繋がる大扉の前で終わった。コチョウは自ら扉を開け、玉座の間に踏み込んだ。大廊下に整列した兵は結局動くことなく、正面を見たまま視線すら微動だにしなかった。
玉座の間に、大勢の貴族が集められていて、皆、縄を打たれていた。完全に制圧済ということだ。肩透かしを食らった状態ではあったが、それ以上にコチョウが驚かされたことは、廊下の兵と違い、大広間を警備しているものが、半竜族と半魔神が入れ混じった混成部隊だということだった。
「こいつらはどうした」
玉座には座らず、傍らに立ったゴーファスに、コチョウは視線を向けた。彼は明らかに、玉座に座るべきは自分ではないという表情を浮かべていた。
「誰も来ず暇だったものでね。貴女に頼んで現実世界へ連れ出すことを条件に配下にした。ただの気まぐれと思っていただいて結構」
ゴーファスは、コチョウが予想していたよりも強かったらしい。ボスを失い烏合の衆と化していたとはいえ、半竜族や半魔神を従える程のものとは予測していなかった為、コチョウも少なからず驚かされた。そして、もうひとつ奇妙なことは、アリエストが、貴族共とは異なり縄を打たれていないことだった。
毒婦と呼ばれた王妃は、緩やかなカーブを描く、白桃色のドレスで身を包んだ、どちらかと言えば背の高い女だった。やや赤みの差した銀髪と、どす黒く真意を見せない瞳という外見で、成程、王が夢中になったのも納得の美貌の持ち主でもあった。
「それで? 何のつもりか聞こうか」
コチョウが更に問いかける。
ゴーファスは鷹揚に頷き、傍にいるアリエストに目配せした。
「お初にお目にかかります。コチョウ様。わたくしは、アリエストと申します。かつてはここにおりますゴーファス様の従徒に御座いました」
恭しく一礼をして、ゴーファスの代わりに、アリエストが答えた。毒婦というにはあまりにも濁りのない、慎ましやかささえ感じさせる声と口調だった。
「かつて、か」
つまり逃げ出したか、袂を分かったか、今は解消されているということだ。いずれにせよそのあたりの事情に深入りするつもりには、コチョウはならなかったが、今こうして自分の前に展開されている茶番の経緯だけは知っておく必要があった。
「まあいい。続けろ」
「現在は確かに従徒では御座いませんが、道を異にした、という訳では御座いません。ご存じの通り、ゴーファス様が支配していた、ダークハートの深淵の地下五層から地下八層迄は、以前は、既に冒険者によって倒された別の者が支配している場所でした。それ故に、ゴーファス様もまた、同様に冒険者共の凶刃にかかり斃れる憂き目にあう懸念がありました。それを防ぐ為だけに、私アリエストは、ゴーファス様の元を離れ、地上に出ました。そしてゴーファス様直伝の魅了の業により、国王に取り入り、権力を得たので御座います。すべてはゴーファス様の安泰の為」
アリエストはそう語った。目元には狂気にも似た心酔の思いが浮かんでいるが、瞳は冷静で、何の感情も浮かんでいない。本心からの言葉か、何らかの別の思惑があるのかはそこからは窺えない。だが、コチョウがアリエストの心を読んだ限りでは、その言葉は本心だった。
「そもそも、貴女もご存じであるだろうが、ダークハートの深淵には、莫大な財宝など迷宮の中に放置されてはいない。危険は大きく、実入りの乏しい、探索し甲斐のない場所なのだ。踏破することのみに意義があるとはいえ、その記録のみが競い合われるにはそれなりの平穏が必要となる。国が乱れた結果、力を持ったパトロン達が、記録などよりも、立場を保証する目先の財や、安全を保証する直接的な力を求めたとして、何の不思議があろうか。この女はダークハートの深淵でなく、もっと俗物的な、財宝が眠る迷宮へ世間の目を向けるべく、私自身に相談もなく、勝手に私の下を去ったのだ」
ゴーファスが補足の言葉を述べる。意外にも話としては込み入った事情もなく、シンプルなものだった。
「成程な」
コチョウは、ひとまずはその説明に納得した。その思惑についてだけ言えば好きにすればいい。コチョウの知ったことではなかった。
だが。
「ということは、殺しても構わんよな。ゴーファス」
コチョウの答えもまたシンプルなものだった。とはいえ、今の説明から何故その返答に繋がるのか、コチョウの意図が読み取れたものは、その場では少なかった。案の定理解できたフェリーチェルと、食えない鳥、朱雀だけはその意味が分かった顔をしたが、他の者は耳を疑うような素振りを見せた。
「うん、やっちゃえ」
と、フェリーチェルだけがおどけたような声を上げた。つまり、回り回って、アリエストの行動の迷惑を被った二人は、例え今アリエストが敵ではないと言われても、その言葉で満足はできなかったのだ。
「あなたのその行動のせいで、沢山の人達が不幸な目に遭った。第一、あなたが王妃であるという一点において、そんなことの為に国の民を苦しめたということが私は信じられない。私もとても迷惑だった。永久に死に続ける地獄に囚われるところだった。だから私は怒ってる。コチョウからすれば他の沢山の人達はどうでもいいことだとしても、彼女自身が迷惑を被った。だからコチョウも怒ってる。私達は、はいそうですかと、あなたを許したりしない。だって、私達は、あなたに怒ってるから。だから、ちゃんと死んで頂戴、アイアンリバー王妃、アリエスト・ランカール」
コチョウはどうせ語らないと思ったのだろう。フェリーチェルが代わりに何故そういう答えになるのかを語った。コチョウはそんなフェリーチェルに短く笑い声を上げ、
「まあ、そういうことだ」
と、同意を口にした。
本気だと、ゴーファスも理解したのだろう。しばらく考え込んでから、
「私は貴女の配下だ。貴女のすることに異を唱えるならば、貴女と対決せねばならないのだろう」
気難しそうに答えた。その言葉を聞き、アリエストが一歩進み出てきた。
「良いでしょう。ゴーファス様を苦悩させるのは本意ではありません。死ねと仰るのであれば私の命を賭けましょう。ですが、私も自分の命が惜しくないという訳でも御座いません。故に、私にも抗う機会を頂きたいのです」
それから、更に歩を進め、大扉の前にいるコチョウと対峙するように、一段高くなっている玉座の傍から降りてきた。ゴーファスは無言で、彼女がそう言うのであれば、異論はないと言いたげに佇んでいた。
「そこまで言うならチャンスをやる。一分生き残ってみせろ。出来るようなら許してやる」
コチョウも頷き、前に出た。手加減するつもりなど毛頭ない。当然の如くさっさと殺すつもりでいた。
長身な人間と、フェアリー。その大きさの対比は滑稽ですらあり、しかし同時に、あまりに小さな体のフェアリーの方が、あからさまな存在感を示している。
コチョウは笑い、合図もなしに飛び出した。