第九一話 国王
監獄の一番奥の牢屋に、ケイドーはいた。
牢屋の柵はコチョウが潜り込むとしても隙間が狭かったが、捻じ曲げるのは容易く、何の障害にもならなかった。超能力でも腕力でも曲げられたが、より単純な、純粋な腕力に訴えることをコチョウは選んだ。
「国王ケイドー・ランカールだな?」
コチョウが問いかけると、収監されている男は虚ろな目を彼女に向けた。グレーの髪には艶がなく、しばらく剃っていないと思しき無精髭だらけの顔には、疲労と虚しさから来ている皺が刻まれている。暗いブラウンの瞳には生気がなく、肌は土気色をしていた。衣服もぼろと見紛うばかりの囚人服で、あからさまにみすぼらしい姿は、一見すると国王には見えなかった。
「どうだったろうな」
しわがれた声で、ケイドーは答えた。ともすれば、自分が国王であったことの方が夢幻だったのではないかと言わんばかりの自嘲的な響きがあった。
「うーむ。このまま殺したら、誰もこの首が国王のものだと信じんかもしれんな」
コチョウは思案した。アイアンリバーに混乱を生じさせるには、晒す首にはそれなりの威厳が必要だ。例え本人であったとして、カリスマの欠片もない今の首では、晒したところで、浮浪の乞食と見紛うばかりで、誰も気に留めないおそれすらあった。
コチョウはため息をつき、一度牢を出た。何処かにケイドーから兵士達が奪った衣服や装飾品が保管されているかもしれない。流石にどれだけ腐った人間でも、すぐに国王の所持品と足がつくようなものに手を出す程愚かではないだろう。
監獄の中を探し回り、程なく、コチョウは倉庫を見つけた。ご丁寧に宝箱が置かれており、開けると上質な、金糸で縁取りがされた赤いローブがあり、王冠も収められている。倉庫の近くに井戸もあり、更にすぐ傍には出所する者が身支度を整える為の水浴び場のような場所もあった。上出来だ。コチョウはケイドーの牢に戻ると、鉄柵の扉を蹴飛ばして外した。蝶番が折れ、扉は通路側に倒れた。
「出て来い。殺す前に身ぎれいにする時間をやる。せめて国王として死ね」
殺すことは決定事項だ。そこは譲らない。そも、これからコチョウがしようとしている箱庭破壊を考えれば、見逃したところで大して意味はないのだ。
「そうか」
王は、手枷などの拘束具は付けられていなかった。そもそも、暴れたり抵抗したりといった気力もなかったのだろう。コチョウの言葉にも歯向かう意思は見せず、従順なものだった。
コチョウに誘われ、ケイドーは洗面台へと向かい、彼が髭を剃り、体を洗っている間に、コチョウは倉庫から宝箱ごと王の衣装を水浴び場に移動させた。腕力で持てないこともなかったが体格的にバランスが悪い。ひっくり返しても面倒なので、念力で浮かして運んだ。
「手間をかけた」
体を洗い、髭を剃ったケイドーには、確かに王の風格があった。衣装のせいだけでなく、まるで本来の王としての自覚を思い出したかのような目力が目元にあり、血色も活力が戻ったように良くなったようだった。厳かな表情には覚悟が決まっており、死地に赴く丈夫のような精悍さがあった。体格はアイアンリバーの住民の人間としては、それ程大きい方ではないが、威厳が一回りも二回りも大きく見せているかのようだった。
「王として最期を迎えられるような計らい、心から感謝する」
囚人としてではなく、王として死ねることを、ケイドーは至上の喜びと考えたように語った。勿論、コチョウの粋な計らいなどではなく、コチョウにとってケイドーが王として死ななければ何の価値もなく、ここまで来たこと自体が骨折り損となってしまうだけのことだったが、それもすべて承知したうえでの、感謝の言葉だったように、ケイドーの言葉は聞こえた。
「毒婦に迷い、結果、悪しき思惑に国を乗っ取られた罪、万死に値すると自分でも理解している。無論、君が怒れる国民の代表として私を討ちに来たという訳でもないのだろうが、それならばそれで良い。だが、できることならば、私の懺悔と無念を一つだけ聞いてもらえないだろうか」
王の願いは、コチョウにも分かっていた。聞いてやる義理はないとはいえ、死ぬ覚悟を決めている相手に対する余裕くらいは持っているつもりだ。コチョウはただ腕を組み、王の視線を正面に受けて浮いているだけだった。話すなら、勝手に話せばいいと、そういった態度として。
「あの毒婦、アリエストを野放しにしたまま逝くことだ。できれば、私だけでなく、あの女も、討ってはくれまいか。シールドエンド砦をここまでやって来た、そなたであれば、十分に可能なことであろう」
自分が収監されているこの場所が何処であるか、ケイドーは違うことなく把握していた。当然だ。彼は王で、シールドエンド砦は王城を護る城壁でもあるのだ。把握していない訳がなかった。
「その為に、アイアンリバーの動揺を誘う為、まずはお前の首を取りに来た。なにせ私は」
コチョウは、にこりともせずに答えた。答える義理も本来はなかった。ただの気の迷いだ。
「アイアンリバーを滅ぼすことにしたからな」
「そうか」
王は驚かなかった。さも、そのくらいの野望でも抱いていなければ、王城の守りの要であるシールドエンド砦を襲いはしないだろうと言いたげな訳知り顔で、コチョウの言葉に頷いただけだった。
「腐敗は、どれ程進んでいる」
ただ、それだけが気がかりだと言いたそうだった。それも当然だろう。その種を撒いたのは王自身で、自分が娶った女に国を良いように弄ばれたとなれば、心配でない訳がなかった。前妻と共にあった時には善政を敷いていたという話から分かる通り、王であるケイドー本人もまた善良であり、ただ愚鈍であることが彼の誤ちだった。
「酷いもんだ。一部の貴族共は権力を笠にやりたい放題、軍も半分は腐ってる」
コチョウは正直に答えた。隠す必要はなかったし、誤魔化すのも面倒くさかった。
「そうか」
ケイドーは深い悔恨の眼差しで天井を仰ぎ、それからしばらく目を閉じ、自分の中の葛藤と戦っているように押し黙った。そして、目を開いた時、
「では、死んで民に詫びよう。そんなことは償いにもならないことは十分承知しているが、今や私にできる唯一の方法がそれなのだ。一思いに頼む。できればこんな人知れずの場所でなく、もっと目立つ場所で処刑してほしいものだが。できるかね?」
見せしめのように処刑を求めた。
コチョウは逡巡し、答えをすぐに返さなかった。宣戦布告としては公然と王を処刑するという案自体は悪くないものの、タイミングとしては少々早すぎる。しかし、王城の防衛砦であるシールドエンド砦が朱雀達によって派手に襲撃された今、間髪入れずに王の首を刎ねなければ、むしろアイアンリバーに与える衝撃が分散してしまうと思いなおし、王自身の頼みを受け入れることにした。
「いいだろう。街の中心上空あたりがいいか」
アイアンリバーの街の中心は、石組みの広場を持った公園として市民に開放されている。その上空であれば、街の住民から良く見える事だろう。
コチョウはケイドーを連れ、街の中央公園の上空へテレポートした。当然のように国王に浮遊呪文を掛けてから、だ。公園には人の気配はなく、街のいたるところで広がりつつある暴動の怒号と破壊の音が、アイアンリバーの現状の酷さを、国王ケイドーに教えるように風に乗って聞こえてきた。暴動は破壊行動を生み、やがてエスカレートしたそれは歯止めが利かないものに発展しつつある。街のあちこちから黒煙が立ち昇っており、当然、一番ひどい有様なのはシールドエンド砦がある王城の裏手だった。
「成程、民の不満がここまでということは、そなたの言う通り、腐敗は最早取り返しがつかないということなのだろうな。愚かな王の時代であったことが、皆の不幸であったと詫びることしかできん」
ケイドーは認め、コチョウに尋ねた。
「私の言葉を、街に流すことはできるだろうか」
できないことはない。注目を集める為にも悪くない方法でもある。コチョウは頷き、街中に声が行きわたるよう、力を行使した。
生憎、コチョウがこれまで得た魔法知識の中に、そういった呪文は存在しなかったが、その代わり、魔神の力を行使すれば、特段難しい話でもなかった。
国王ケイドーは、今アイアンリバーが乱れているのはすべて自分の責任であること、無辜の民を傷つけるのではなく、不条理で傲慢な権力に対して戦うことを切々と訴え、その特権の不正すらもすべて自分に責任があるのだということを身振り手振りを交えて語った。コチョウはほとんどその言葉を聞かず、ただ、演説が終わるのを待った。
そして、国王は演説の最後に、自らその罪の断罪を受けると発言し、コチョウに目配せをする。話は終わったという合図だった。
コチョウは何も言わず、王の首を刎ねた。