第九〇話 制圧
単独行動をとっている朱雀や白虎に良いようにされる砦には、当然、コチョウの突貫を押し返せる戦力などありはしなかった。それでも砦内に抵抗らしい抵抗はあり、真面目に服務している部隊が、木箱などで通路にバリケードを築き、その陰に隠れてクロスボウで応戦してきた。あくまで愚直に任務を遂行する気真面目さを見せており、未だアイアンリバーにも兵が残っていることを、コチョウは内心嬉しんだものだった。
「ここで起きている小間使い達への仕打ちをどう見る」
しかし、悲しいかな、使っているのは凡庸な軍式クロスボウであり、コチョウにダメージを与えられるようなものではなかった。駆逐する代わりにコチョウが問いかけると、
「我等はやらんが、止めたことはない。貴族のバカ息子共のやることだ。まともに言って止められるものでもない。歯向かうこともできん我々も同類だ」
そんな風な似たり寄ったりな考え方の答えが返って来た。スズネ達の新しい拠点を防衛させるのに軍隊は必要で、その兵はこういう奴られなければならない。コチョウは彼等を、ここで殺すべきではないと選別した。
「ならこんなくそったれな持ち場を守るのはやめとけ。街で暴動が起きてる。市民を護れ」
コチョウがそう伝えると、たいていは呆気にとられた顔をしながらも、礼を告げ、持ち場を放棄して走って行った。シールドエンド砦内の腐敗には我慢がならなかったのだろう。もともと守る価値を感じているようにも見えなかった。
もっとも一部の兵士達はコチョウの提案を拒否し、そのまま応戦続行の意志を示した。そういう連中は死地を悟った顔をしていて、退けない何らかの理由があるからなのかもしれなかったが、覚悟は定まっているようだった。愚かだが嫌いにはなれなかったコチョウは、その潔さを好しとして、遠慮なく彼等の命を刈り取った。鮮血が通路の石組みの壁や天井を染め上げ、コチョウはそれを名も知らぬ兵達がここで生き、果てていった証とした。
多くを見逃し、それよりも少ないとはいえ、十分に多くを殺め、コチョウは砦内を地下に向かって突き進んだ。牢獄は地下にある。見逃した兵士達がそう教えてくれた。
地下牢には国王ケイドーしか収監されていないらしい。殺す相手を取り違える心配もなさそうだった。
砦の居館は三階建てで、コチョウが飛び込んだのは二階部分であった。中はそれなりの広さがあるが構造は単純で、すぐに一階に降りる階段は見つかった。階段にも兵はいたが、これまで同様市民を護ることを優先しろというコチョウの言葉に、無駄な死を避けて去って行った。
一階に降りると、地下への階段は目の前だった。一階の捜索は行わず、地下に降りる。背後を突かれて挟撃されるおそれがあるのは十分承知の上で、有象無象の兵であれば、挟撃されたところでたいした危険はないとコチョウは判断していた。
地下に降りると、木箱だけではなく、鉄箱なども用いて、通路が完全に塞がれていた。それも、一重ではない。幾重にも折り重なった鉄のバリケードが、落盤で埋まった洞窟のように、長い通路を埋め尽くしているようだった。相手が並の化け物であれば、取り除くに相当苦労する量だ。勿論、コチョウには何の意味もないが。
「アナイアレーション」
の一言で事足りるのだ。ただ、遠慮なしにぶっ放すと肝心な牢獄まで消滅させかねない為、範囲は極小にして、コチョウは目の前の障害物だけを消して進んだ。まるでブロック消しだ。コチョウが進むごとに、重く頑丈そうな鉄箱は、無慈悲に粒子状の光となって儚く消えて行った。どれだけの時間と人力を投入したのか分からないが、消滅は一瞬だった。
それだけ厳重なバリケードがつくられているのだから、奥にはさぞかし重要なものか人物が隠されているのだろうなと思えば、何のことはない、装備だけ立派な雑兵共が怯えて立てこもっているだけだった。数は五人。装飾だけに金をつぎ込んだような、あからさまに実戦的でない豪奢な鎧を着込み、柄や鞘が煌びやかに光る剣を腰に帯びてはいるが、誰一人として剣を抜いている者はいなかった。
皆及び腰で、コチョウを見ている。不安と、期待、それに幾らか残った虚勢が視線に浮かぶ。
「ああ、ろくでなしの貴族の馬鹿息子共か」
まだ生き残りがいたのか、朱雀と白虎が討ち漏らしたのか。いずれにせよ、コチョウには同じことだった。
コチョウがため息混じりに言い、首を刎ね飛ばす為にライフテイカーを抜くと、ひとりだけ、一歩踏み出した。膝が震えているものの、偉そうに体を伸ばし、右手でコチョウを指差した。
「ま、待て。お、お前、冒険者だな。お前で我慢強してやる。か、カネは幾らでもやる。他の奴はどうでもいいから、俺を、護衛しろ。雇ってやる。無事、屋敷まで、護衛できたら、たんまりカネをやる。好きだろ、カネ」
コチョウは一旦止まり、その姿を無感動に眺めていたが、素質の言葉が終わるか終わらないかというタイミングで、不快にも指差された腕を切り上げ、返す一撃で、そいつの首を刎ねた。
「お前等の報酬など私はいらん」
斬ってから、そいつに答えた。宙を舞ったそいつの首をキャッチし、コチョウは、震えて声も出ない他の四人目がけて投げつけた。
「ひいっ」
フェアリーの身でありながら人間の首を一撃で刎ねるコチョウに、残る四人は化け物に襲われているのだと悟った様子で、飛んできた首から遠巻きに散った。
散り散りばらばらとなった馬鹿共を、左端から順番に、コチョウは刎ねまくった。煌びやかな装備は見てくれは立派だが、特別な耐性が付加されているものではなかった。というより、ひょっとしたら耐性が付与されているのかもしれないが、それはあくまで箱庭の中の話では、に過ぎなかっただけなのかもしれない。
馬鹿共は自分達の防具がまるで役に立たないことに恐怖した表情を浮かべて死んでいった。その様子を見る限り、おそらく後者なのだろうことは窺える。とはいえ、いつもの如く、コチョウにはたいして興味も感じなかった。
残り一人となるまで、男達は結局抵抗らしい抵抗もせず、無様に尻餅までついて怯え切った姿しか見せなかったが、最後の一人となった男が、漸く、一人だけ腰の剣を抜いてみせた。コチョウにつきつけたつもりだろうが、手は震え、力も入っておらず、剣先は頼りなく彷徨っていた。剣は抜いたものの、床に半ば寝そべるように座り込んだ姿では話にならない。コチョウが冷ややかに笑い、
「腰のものは飾りかと思ったぞ、攻撃してみせろよ。何ができるか見せてみろ、ほれ早く」
やや低い声でそう脅してやると、最後の男は情けない悲鳴を上げて剣を放り出した。
「おお、おれは、ラウゼン家のものだぞ……おれを殺してみろ、い、家の者が黙っていないぞ……お前のような、お前のような冒険者など……っ!」
ほとんど反射的といった風に男が口走り、
「おい」
コチョウは男が名乗った家の名に、男の言葉を途中で遮った。
「ハルという男を知っているな? お前じゃないのか」
コチョウが面倒臭がりながらも問いかける。男は、何度も頷いた。
「そうだ。おれだ。おおれはハル・ラウゼンだ。知ってるなら……おれの家を敵に回すと、どうなるかも……し、知ってる筈だな」
「知らん」
コチョウにとってはラウゼン家がどれ程の権力を持っているかなど、どうでもいい。どれ程財力と権力をつぎ込んでも、届かない純粋な暴力を、彼女は既に手に入れていた。フェイチャームの森を出て求めたものを、今の彼女は既に手にしていた。
「そうか。お前か」
ならばここで殺してしまう訳にはいかない。この男は、少なくともフェリーチェルの前で、殺す必要がある。あるいはフェリーチェル自身に止めを刺させるか。
「お前自身にもラウゼン家の名にも興味はないが、お前を恨んでる奴がいる。今は殺さん」
コチョウはただ冷たい視線をハルという男に注いだ。特徴のない男だ。何処にでもいる、フェリーチェルが恨んでいるのでもなければコチョウの目に留まる理由も全くない、何処にでもいる青い目と、何処にでもいる、色素の少ない肌の色をした、凡庸な人間だ。アイアンリバーには、彼のような人種は掃いて捨てるほどいる。
「あとでまた捕まえるのも面倒だ。逃がしはしない。ペトリフィケーション」
淡々と話す内容に続けて、石化呪文を唱える。ハル・ラウゼンという男は、尻餅をついた情けない姿のまま、一瞬で鎧ごと石像になった。徐々に石化させてじわじわとこれ以上ない恐怖を与えることもできたが、コチョウはただ、時間が勿体ないだけだと思った。
男達の死体と、石化したハルが転がる空間を、コチョウは見回す。もともと牢獄の警備の為の守衛所のようだったのかもしれないが、それらしい家具類は何も残っていない。奥に鉄柵で出来た扉があり、その先に通路が続いている。柵扉は施錠されていなかった。