第八九話 城砦
通商会をあとにしたコチョウは、アイアンリバーの街並みを、上空高く迂回してシールドエンド砦に向かった。
近づくまでもなく、異変にはすぐに気が付いた。コチョウが近づく前に、既に砦からは黒煙が噴き出していた。コチョウが襲撃する前に、誰かが攻め込んだことは明白だった。
「あいつら」
砦の上空を、朱雀が旋回している。地上を見下ろすその姿は、まるで獲物を探している猛禽類のようだった。勘繰るまでもなく、エノハが攻め込んだことの証明だ。だとしたらスズネが遠巻きに見ているなどということもないだろう。忍者共が同調したかまでは定かでないが、十中八九協力はしただろう。あの二人に砦丸々一つを電撃作戦で制圧するような頭脳は――いや、朱雀がいたか、とコチョウは智謀に長けているだろう、上空の朱影を睨んだ。コチョウが近づくまでの間にも、朱雀は、自分の分身とも言える程の鳥型の炎を撃ち出し、砦のあちこちを狙った。ただの炎ではない。質量をも備えているのか、炎の鳥は頑丈である筈の砦の石組みの外壁を食い破り、大穴を開けて内部を燃え上がらせた。相当の荒々しい所業で、即ち、エノハが何かに怒ったのだろうことを見て取ることができた。
「何か見たな」
コチョウはため息を漏らし、砦へと急いだ。国王ケイドーを原形なく殺されては、あとの計画が御和算になる。胴体は兎も角、首だけは無事に残さねば意味がない。
エノハがここまで激怒するようなことだ。見た物も、どうせろくなものではあるまい。それ自体は軍連中の自業自得で、コチョウにはどうでも良かった。王城を守る最終砦が襲撃されたとあれば、街の各地から増援の兵が集まってくるのが普通だが、どう言う訳かその様子は、街の中には見られなかった。濛々と黒煙が上がっていて気が付かないなどということもあるまいに、余程軍が腐っているか、集まれない理由があるかどちらかだったが、街路の様子を見てコチョウはすぐに合点がいった。
街の各地で暴動が起き始めている。暴動はどれも起き始めたばかりの小規模なものだが同時に街のあちこちで多発状態になっており、それだけ日頃からの、軍に対する市民の不満の高さが表れていた。忍者共が、それを煽り、軍兵力を分散させるのに利用しているに違いなかった。
「良くやる」
軍が腐っているのはコチョウも自分で目の当たりにしたことがあるから、不思議には思わなかった。市民の鬱憤に火をつけるのは簡単だったのかもしれない。
「街が全滅してくれれば、私としては、あとのことを考えなくて良くて楽なんだがな」
などと、コチョウも剣呑な言葉を口にする程で、街で暴動が起き始めていることには大きな関心を寄せなかった。
砦に着く。王城の裏手に居館があり、王城を取り巻いて伸びる外壁に続いている。外壁の四隅に小さな塔を備え、上空及び地上への見張り塔の役目を持っているようでもあった。居館及び見張り塔の屋上にバリスタ兵器が設置されていたようだが、すべて無残に破壊されていた。バリスタからは煙が上がっていない。やったのは、白虎か、青龍かといったところか。派手に壊したとすれば通商会から聞こえた筈だ。破壊音が聞こえなかったということは、正真正銘の電撃作戦で砦の兵力を瞬時に圧倒したのだろう。その証拠というべきか、スズネとエノハは砦には侵入しておらず、宙に浮いた玄武の上にスズネが乗り、青龍の上にエノハが跨って襲撃の状況を眺めていた。
「玄武もとべたのか」
コチョウの口から漏れたのは、状況とは裏腹の呑気なものだった。エノハはペンダントをひとつ胸に抱えており、ますます何かあったと見るのに疑いないことが伺えた。
「おい。勝手に襲撃して良いなどと言った覚えはない」
二人に近づき、コチョウはいきなり毒づいた。何らかの我慢がならないことがあったのは分かるが、襲撃に失敗でもしていたら面倒なことになっていた。
「相手が自分達に仕える小間使いだからといって、自分達に意見した者を人道を無視して弄んでいい理由にはなりません」
スズネはコチョウを振り返らない。そう言われてエノハが抱いたペンダントを見れば、確かに、まだ血で汚れていた。コチョウには、見ただけではどういった由来のものかは分からなかったが、スズネの視線が、その正体を教えていた。
「ああ」
コチョウは頷いた。血塗れの死体が、山のように積まれていた。死体は皆裸で、男もいれば女もいたようだった。年齢は総じて若く、だが、戦えそうな者は混ざっていなかった。
「理由もなく、反抗的だというだけで並ばされ、問答無用で殺められたのです」
スズネが唇をかみしめるように言う。やはりコチョウの顔は見なかった。
「お師匠さまのおっしゃることが、愚かなスズネにも、少しは理解できました。確かに、この地には、生かしておいてはいけない者達も、いるのだと。自分達が使用しているものは道具で人ではないといった顔で笑いながら平気で殺められるような、不心得者達がいるのですね」
「ん? ああ。どうだろうな。人を人とも思わないことに掛けちゃ、私は誰にも負けん」
率直に言ってそうだ。異なるのは、人であるとか、人でないとか、そういった区別は、コチョウはしないことだ。むしろ、人であろうとなかろうと気にしないというだけで、コチョウの方がより始末に負えないとも言えた。
「で? そのペンダントはどこでくすねた?」
敢えて意地の悪い言い方をする。こうなってしまった分には仕方がない。二人の怒りに水を差し、後始末をすることになるのも面倒だった。
「まだ子供も混ざってた。奴等は無関係に斬り刻もうとして、その母親か姉かはわからないけど、一人の女の人が庇って斬られた。その時に、兵士の一人がこのペンダントをちらつかせて――女の子は取り返そうとした。兵士に飛び掛かった女の子の前で兵士はペンダントを放り投げて、それに気を取られた女の子は、そのまま真っ二つに斬られた。ペンダントが弧を描いて舞って……わたしのなかで、隠れて偵察するだけにしなくちゃいけないって、自分を我慢してた、何かがぷっつり、切れたの」
気が付いたら、エノハは四神に砦を襲撃するように命じていたのだという。コチョウから見ても、成程、納得いく経緯だった。エノハにしてはよく我慢した方だろう。
「わたしはお師匠の言いつけを破った」
エノハはそれを詫びなかった。
「でもお師匠言ったよね。人の言うことを聞くばかりが人生じゃないって」
「そうだな。だが、お前の考え方がそれなら、お前に後悔しないといかん部分はある」
コチョウは頷いて答えた。
「次は死人が出る前に動け。キレたってことは限界を超えたってことだ」
「……うん」
エノハにも自覚はあったようだった。コチョウの言葉は腑に落ちたらく、素直に頷いた。
「分かるな。そんな限界は超えるもんじゃない。勿論勝手に動けば私は怒るがな」
コチョウは笑った。もともと主義も思想も違う。行動の結果、衝突が起こるのは当然のことなのだ。
「私がお前等の主義を気にしないのと一緒だ。お前等が私の主義を順守する義理はないぞ?」
コチョウはスズネやエノハに服従は期待していない。スズネやエノハは手下ではない。彼女たち自身がそう選択したのだ。
「師匠は超えるもので従うものじゃない」
「うん」
エノハはもう一度頷いた。それでいい。コチョウは言いたいことはすべて言ったと感じ、砦に視線を戻した。
「私はこの混乱に乗じ、ケイドーの首を取ってくる。砦内の雑兵は好きに始末しろ」
それだけ伝えると、窓や扉でなく、未だ黒煙が吹き上がる崩れた壁の穴を侵入地点と定めた。いつ崩れるとも分からぬ壁の裏に潜む兵はいまい。例えいたとしても、頭の回らぬ阿呆だけだ。阿呆に後れをとる謂われはない。
居館の壁の穴に近づく途中で、朱雀の炎がコチョウを掠めた。流石に肝を冷やす。コチョウは朱雀をジロリと睨み上げて低い声で悪態をついた。
「気を付けろ、馬鹿野郎」
「なんだ。おぬしいたのか。ちっこくって見えんかったぞ。いっそのこと焼けてしまえば良かったものを、惜しいことをしたわ」
しれっと答える朱雀に、コチョウは言い返したい気持ちにもならなかった。議論している時間も無駄だ。兵士達が正気を失い、砦の中でおかしな行動に出ないとも限らない。窓の奥に、ちらっと、既に塞内に押し入っている白虎の姿が見えた。となれば、建物内は、既に極限状態と言ってもいいのだろう。
「ああ、そうかよ」
コチョウは再度砦に向き直り、背中越しに朱雀に吐き捨てた。間違いなく気付いていてやったのだ。朱雀は砦でなく、コチョウを狙った。四神はエノハが使役する式神ではあるが、コチョウの味方ではないという意思表示でもあった。
「いずれ決着はつける。その機会があれば」
朱雀は、それを、改めて言葉で示した。