第八五話 選択
「誰も連れ去ってほしくないけど」
フェリーチェルが何でもないようなことのように言った言葉に、スズネとエノハは目を丸くし、一瞬言葉を失った。
「それは、コチョウと敵対を選ぶってこと?」
それから、エノハが、信じられないことのように聞いた。それも、街側について住民を守るとかいう内容ではない。コチョウが箱庭を壊すことに反抗する、と言っているように、エノハには聞こえたのだった。
「あの。街の人が死なないようにとかじゃなくて、箱庭が壊れないようにって意味で?」
エノハがそう問いかけると、
「そうだよ。そう言ってる。確かにここは物語の為の虚構の世界で、造り物だ。でも、それを知らない皆は、精一杯自分を生きてる。私はそれが偽物だとは思わない。だってそれでいいじゃない」
フェリーチェルは笑った。それは彼女自身が辿り着いた答えで、コチョウに媚びることもなく開き直れる彼女だからこそ辿り着けた開き直りだった。
「私が本物になれなかったから拗ねてる訳じゃないよ? 私はまだ人形だけど、それは関係ないの。だってそうでしょう? あなた達は、人形だった時、自分を精一杯生きてなかったことにするの? そんなのおかしいじゃない。人形だった、本物になった、そんなこと関係なく、あなた達はあなた達だった筈よ。みんなそう。だから私は思うの。ここはきっと壊しちゃいけないんだ。みんな自分を生きてるから。コチョウにそんな話をしても分かり合えるとは思えない。コチョウはそんなこと関係なく、あと腐れなく本物でいる為に、この場所を壊すよ。そういう人だから。でも壊されたくないって言ってくれる人達は、必ずいる筈。私達はその人達と一緒に、私ができることをしたい」
フェリーチェルの声には恐れはやはりなく、表情も穏やかだった。その意志がコチョウと真っ向から対立するものであることは理解していて、彼女はコチョウに今すぐ殺されてもおかしくないことも理解していた。
「邪魔なら殺して良いよ、今すぐに。どうぞ、好きにして」
コチョウにそう声を掛けた。コチョウは襲ってきていた冒険者を丁度千切り捨て終えたところで、フェリーチェルを振り向きもせずに答えた。
「地上までは連れて行ってやる。あとは好きにしろ」
フェリーチェル一人を放置しても、大きな障害にならないのは確かで、放置しても勝手に死にかねないことも確かだった。だが、コチョウの答えはそうではなかった。
「その結論はあって然るべきだ。集められるなら賛同者を集めてみろ。茨の道だが面白い」
そのくらいの対立勢力があった方が面白い、コチョウはそう考えたのだ。期待する気持ちはなかったが、箱庭の命運を占うにはちょうどいいイベントになるだろう。何の抵抗もなく破壊できたのでは、達成感もない。味気ないと終わった気がしないという気持ちもあった。
「だが、分かってると思うが、歯向かう者には容赦はせん」
「当然。手加減なんかしたら永遠に恨んでやる」
フェリーチェルはコチョウの言葉に同調してから、ふっと困ったように笑った。
「でもハル・ラウゼンは生き残らせておかなくて良いからね。あいつは死んで当然」
本当なら自分もその男が死ぬところを見届けたかったと言いたげに、フェリーチェルが話すと、コチョウはフェリーチェルが敵対を選んだなどということは、何でもないことのように答えた。
「じゃあ、国王をぶっ殺したら、真っ先にそいつ始末するか。いたければそれまでいろ」
「んー、じゃあ、そうしよっかな。あなたが大暴れしてくれないと、私の呼びかけに応えてくれるひともあまりいないだろうし。皮肉なことだけど、あなたが暴れれば暴れただけ、私の話に信憑性が多分でるんだ」
人は目に見える形で問題が迫らない限り、信じられないものを信じないものだ。実際には問題が起きる前にフェリーチェルの話を信じてくれる人が集まるのが理想だが、いきなりコチョウがこの世界を滅ぼそうとしているなんて言っても、ほとんどの人からは頭のおかしい奴だと思われるだけなのは間違いなかった。
「どうだかな」
コチョウにとってはどうでもいい話だった。だが、一つだけ確信していることはあった。
「それこそカイン・ハンカーって奴を探すといいぞ。あいつならお前の話を信じるだろ」
一度戦った時の印象では、底抜けの正道といった印象だったように、コチョウは思い返した。外に連れ出すにしても、あの男ならまず箱庭を守るつもりで動くだろうという予感もある。叩きのめさなければ現実世界にアイアンリバーを出すことに賛同はしないだろう。それならばいっそのこと、フェリーチェルと纏めて相手したほうが状況もシンプルになるだろうと考えたのだ。コチョウから見たカインの評価では、叩きのめしても、住民を生かしておく住民を選別することに納得はしないだろうが、少なくとも、倒すべき屑共が街に一定数いることだけは同意するだろうと思えた。
「分かった。探してみる」
頷くフェリーチェルに、
「北東地区の、シルフ・アンド・ウンディーネって宿を根城にしてる。そこを探してみろ」
と、知っている情報を、コチョウは渡しておいた。
「どんな人?」
「正義感が強そうな、いけ好かない奴だ。ルエリってピクシーが一緒にいる」
思い出すだけで腹が立ってくる。コチョウは一回負けた切り、再戦もしていないからだ。言うことを聞かせるついでに一度こてんぱんにのしてやらなければ腹の虫が収まらなかった。
「魔法のプレートメイルとグレートソードで武装してる。お前とは馬が合うかもしれん」
「コチョウよりは付き合いやすそうだってことは分かった。なんとか聞いてみる」
フェリーチェルが頷き、ふっと短いため息を漏らした。その時に本心が漏れたように見えたのか、それまで口を挟まないようにしていたスズネが、
「スズネも、フェリーチェル様側につくことに致します」
と意思を示した。その言葉に驚いたのはエノハだ。
「え、何で?」
理由を問おうとしたエノハに、
「今それを話してしまうのは野暮というものです。エノハ、心配しないでください。お師匠さまのお考えと、フェリーチェル様のお考えは、実のところ、さほど異なっている訳ではありません」
スズネは笑った。箱庭は守らなければならないのだ。少なくとも、コチョウが勝ち、箱庭が壊されることが確定しようとも、それまでは。それはまさしく必要なことだった。
「あ、ああ……そういうこと」
エノハも質問を飲み込んだ。言わんとしていることが理解できたからだった。皆が暮らしている箱庭を守ろうという義侠心と気概の持ち主こそ、最優先で生き残らせなければならない人物に間違いないのだ。
「うー……あー。わたしは、お師匠側かな。四神じゃないと、お師匠が暴走気味になったとき、待ったがかけられそうにないよね?」
エノハはむしろ興が乗りすぎた、もしくは何かの拍子でブチ切れたコチョウがやりすぎてしまうことを心配した。四神はコチョウのお目付け役につけておかなければ余計な被害を増やすだろう。そう心配したのだった。その為には、是が非にでもコチョウに目が届く場所に、自分もいる必要があると考えたのだった。
戦力的な話をすれば、もともとコチョウ一人で十分なのだ。むしろ、住民を生き残らせる側の方が、もともと十分不利だ。コチョウの戦力は一人で既に過剰で、だからこそ、ストッパーが必要なのだと。
「ありがとう、スズネ。心強いよ。でも勘違いしないでね。あくまで目的は、住民の選別じゃなくて、本当に箱庭をコチョウから守ることだから。皆が犠牲にならなくていいことが、一番の筈なんだ。箱庭を守るって言ってくれる人達を守るんじゃ駄目だよ? 必要ない筈の、破壊は許しちゃいけないんだ」
フェリーチェルはあくまで本気だった。勿論、すべての住民に対して、助かっちゃいけない人などいないと言う程、理想に傾倒してもいなかったし、事実、フェリーチェルはハル・ラウゼンという男に死んでほしいと言って憚らない。だがそれは、箱庭の、無辜の住民を傷つける男だからという理由で、そう言った人物を排することも、フェリーチェルに言わせれば箱庭を守ることに含まれるのだった。
「厳選は必要ないとは言わないよ。世の中には、許しちゃいけない奴っていうのがいるとも思ってる。でもだからって、役に立つ人だけ残して、あとは皆殺しなんて、そんなのは間違ってる」
正しさは、必ずしも自分を守ってはくれない。いつかコチョウに指摘されたことだ。そんなことはフェリーチェルにも分かっていた。しかし、フェリーチェルはこう思うのだ。
正しさが例え自分を守ってくれなくても、どこかの誰かを救ってくれると信じていると。