第八四話 意思
サイオウからコチョウに調べがついたと言ってきたのは、約束の刻限よりも、一〇分も早かった。
「幽閉場所は、アイアンリバー南西地区、城の裏手の軍砦だ。シールドエンド砦という」
サイオウの知らせを聞くと、コチョウはすぐに隠れ里を出た。サイオウからは例の転送具(渡世玉というらしい。なかなか面白い名前だとコチョウには感じられた)で地上まで送れるとも言われたが、コチョウは地上ではなく、地下八層に戻ることを選んだ。コチョウの討伐の話に乗るような冒険者共は、要するに悪徳貴族とつるむようなろくでもない連中でしかない。生かしておいても邪魔になるだけなので、地上への道すがら、できるだけ始末しておきたかったのだ。
「あの、スズネ達の態度を決める前に、ひとつお伺いしておきたいのですけれど」
スズネに聞かれ、
「何だ」
今しがた襲って来たばかりの、革鎧姿の冒険者を千切り捨てながら、コチョウは聞き返した。襲撃者は既にずたずたで、男か女かも判別が難しい状態だった。
スズネは相変わらず容赦のないコチョウの殺し方に、苦い顔をしてから頷いた。コチョウの戦い方は常に野蛮で品がなく、スズネには、慣れられる気がしなかったし、慣れる必要があるとも思えなかった。
「アイアンリバーの皆を、選別せずに現実世界に連れて行きたいと、スズネ達が……」
スズネが言いかけると、途中でコチョウはため息をついて、返り血に塗れたままの片手で制した。
「さては馬鹿だな、お前」
コチョウが言うにはこうだ。
「だったらいらん。アイアンリバーは丸ごと潰す」
勿論面倒だからというのが一番の理由だが、それだけではなかった。生物が新しい環境で生きて行くというのは想像以上に苦労が多いものだからだ。
「何万、十何万の連中をどうやって飲み食いさせてくんだ。屑と怠け者に居場所などない」
それで全滅するのでは本末転倒だ。一番非協力的なコチョウが言えたことではないが、協力し合えない住民を残せば、リスクはそれだけ跳ね上がるのだった。
「そもそも勘違いしてるようだから言っとくが、お前、私に拠点が必要だと思ってるのか」
根本的に、そういうことだった。コチョウが生きて行く為だけを考えれば、拠点など必要はないのだ。行きたいところへ行き、寝たいときに寝て、腹が減れば食えそうなものを襲えばいい。何も難しいことはなかった。
「お前等が生きてくのに拠点が必要だから、わざわざやってやってんだ。どうだ親切だろ」
まったく親切そうな言い方ではないのは、本当にコチョウには必要がないことだからだった。しかしスズネやエノハはそういう訳にもいかない。夜寝る場所は必要で、物資の補給もしなければ荒野で行き倒れてしまう。ゴーファスは陽光に当たれば焼けてしまうから、日中身を潜める家屋が必要だ。あくまで拠点がいるのは、手下共がお荷物になるのが嫌だったからに過ぎなかった。
「私は、拠点は用意してやるが、お前等に用がない限り拠点の為には何もしない」
コチョウは面白くもなさげに告げた。
「お前等が生き抜く為に、必要な条件と規模、拠点の維持の方法は、お前等で勝手に考えろ」
勿論、その思惑が全く現実的でなくてもコチョウの知ったことではない。自分達が生き抜く為の始末も付けられないようなお粗末さなら、それこそそんな手下はいらない。欲しいのは使える手下でお荷物ではない。
「……スズネ達が、それを考えられる程、統治に詳しいとお思いですか?」
「そうじゃないよ、スズネ」
スズネが聞き返した言葉に、ため息をついたのはコチョウではなくフェリーチェルだった。フェリーチェルは今回も玄武の上に乗っていて、玄武はそんなフェリーチェルに同意するように、彼女が上半身を起こしやすいように巻き付いた蛇の胴を動かして手伝った。四神は隠れ里では一旦コチョウ達と離れて退避していたが、迷宮に戻ってからは、再びエノハを取り巻いて控えていた。
「なんでも自分で出来る訳じゃない。そんなの当たり前だ。だったら信用できる、そういったことが得意な人を探しなよ。それこそアイアンリバーには沢山人……今はまだ人形だけど……はいるでしょ?」
道理の把握は、流石にフェリーチェルと言ったところだった。というか、人形を捨てることができるのであれば、民を纏めることを学んだ者、という意味では、ある意味一番身近にいる戦力の筈だ。何せ、妖精の国とはいえ、正真正銘の王女だったのだ。
「どの道、アイアンリバーを現実世界に持って行くなら、統治者は必要。統治に明るい、人望を集められる人がね。ひとがついてこない王様じゃ、どんなにその道に明るくても意味がない。旗印があれば人は集まる。ひとが集まればおのずと社会ができる。そうやってできた社会が、信用に足るものであれば、それを現実世界に持って行けばいい。そういうこと」
フェリーチェルはそう言って笑った。その表情には幾らかの優しさと、そして、多分な冷たさが入れ混じっていた。
「……信用に足りなかったら?」
エノハがおずおずと問う。それに何とフェリーチェルが答えるかは、コチョウにも想像がついた。
「その時は困ったことになるね。やりなおす時間がいつもあるとは限らない。コチョウは少なくともその時間はくれないよ。諦めて社会と自分も運命を共にするか、それとも、その社会を捨ててゼロからの現実世界への進出を覚悟するか。いずれにせよ、選べるのは、自分の失敗を認め、結果を受け入れるって選択だけだよ。それか、結果が良かろうか悪かろうか、どっちでも同じって嘲笑えるくらいに自分が強くなるか。コチョウにはそれができるんだろうけど、私には無理かな」
フェリーチェルが生きて行くには、社会は必要だ。単独で荒野を生き抜いていく力も、技術も、フェリーチェルにはない。それでも、フェリーチェルの言葉に恐れはなかった。自分は本来、自分の物語に死という結末を迎えて既に退場している筈という開き直りがあり、だから自分の末路に頓着をしていない、そんな割り切りがあった。
「できれば死にたくはないけど、私は変化に対応できる程強くはできてないから。失うものが多すぎると、凹んで壊れちゃうから。あなた達に何かを望んだりもしない。あなた達が望むなら、アイアンリバーじゃなくて、あなた達の街のセットの人達を選ぶことだってできる。忍者達の隠れ里が迷宮の奥深くにあったように、あなた達の、アシハラの街もこの迷宮の何処かにある筈で、そこの人達を救うことだけに全力を傾けたっていい。朱雀は現実のアシハラ諸島国は、それが何処なのかもう分からないだろうと言ったよね。ってことは、現実のアシハラはもう滅んでるって思っていいと思う。あなた達は、箱庭の中のアシハラを、現実世界のどこかに出現させて、もう一度、アシハラの国を作り直したっていい。アイアンリバーなんか知らないって言ってもいい。私は、マラカイトモスの優しい夢をもう一度見るつもりはない。私の記憶には、燃えて、切り倒されて、滅んだマラカイトモスの記憶があるから、平和だった頃の皆と顔を合わせても、素直に笑える気がしない。私からしたら、それは亡霊みたいなもので、失われたものでしかないから。でもあなた達には選ぶことができる。結局は、そういうこと。自分の意思を、選ぶしかないんだよ?」
フェリーチェルの話は長かった。言い聞かせるようでもあり、吐き捨てるようでもあった。フェリーチェルの話が続く間も、迷宮を進むコチョウ達に、冒険者は襲い掛かったが、彼女達の話を邪魔させない為だけに、コチョウは淡々と襲撃者達を手早く千切り捨てた。玄武以外の四神、青龍、朱雀、白虎もコチョウを手伝うように、襲撃してくる冒険者の排除に回った。
「アシハラを選んだとして」
スズネは頭を振った。自らの父も含め、彼女は救うつもりはないと答えた。
「現実世界で十分な拠点になるとは思えません。なれば良かったのですが、無理でしょう」
現実的に言って、農村等の生産を担う社会も必要だ。異国のセットに過ぎないアシハラの街には、社会を支える為の十分な基盤が揃っているとは、スズネにも思えなかったのだ。地上に広がるアイアンリバー近郊の地域一帯だけが、その条件を満たす唯一のものだというのは、スズネも理解していた。その他の異国の街を救うと選んだとしても、結局は現実世界で機能せずに程なく滅ぶだろうと。
「選べれば良かったのですが。本当に。滅んでしまうと分かっているセットを現実世界に出すと選んでも、救ったことにはならないでしょう。そのくらいは、スズネにも、分かります」
「そうだね。私もそう思うよ。現実的に言って、アシハラを救うのはリスクが高い。アイアンリバー周辺一帯を救う方が、間違いなく社会はすんなり現実世界で纏まると思う。あなた達がそれで良いのなら、私は、そのことについては、もう何も言わないよ」
フェリーチェルは玄武の上で、静かに目を閉じて、そして、開いた。
「私は、誰も連れ去ってほしくないけど」
箱庭に残る。間接的にそう告げたのだった。