第八三話 計画
シシオドシが鳴っている。
コチョウは相変わらず庭の見える部屋の、囲炉裏の傍の座布団の上で座っていて、サイオウが出て行った代わりに、フェリーチェル、スズネ、エノハの三人を部屋に呼んだ。
「あの……正気ですかと、伺っても宜しいでしょうか」
これからどうするつもりなのかを話したコチョウに、スズネが見せた反応がそれだった。
「いくらなんでも」
と、エノハも乗り気でない態度を示す。コチョウは気にせず笑い飛ばした。
「つきたきゃあっちにつけばいい。勝手にしろ?」
あっちというのは当然アイアンリバー側ということだ。コチョウが箱庭世界を無駄に滅茶苦茶にしようとしているのは事実で、そのことを詭弁で飾り立てるつもりもなかった。
「お師匠、相手がわたしでもスズネでも関係なくぶっ飛ばすの、分かり切ってるしなあ」
エノハは身震いしながら頭を振った。抵抗しても勝ち目がないと思っているようだ。四神に頑張って貰えばエノハ自身は無事かもしれないが、本気で四神とコチョウが激突すれば箱庭世界が無事では済まないとは朱雀の弁だ。
「頑張ってお師匠止めたら箱庭壊れました、じゃ意味ないし……」
まったくもって本末転倒だ。それが分かっているが、コチョウを止めようとすればそれしかない。箱庭が壊れても気にしないコチョウと、箱庭を壊しては話にならない四神では、勝負の結果は火を見るより明らかだった。
「本当、人の心がないんだから」
呆れてものが言えないとばかりに、フェリーチェルはため息をついた。しかし、そんなことをしてはいけないとは、彼女も口にはしなかった。言って聞く訳がない性格だからではない。それもあるが、フェリーチェルも、アイアンリバーの特権階級は、一度叩き潰すべきだという気がしているところまでは同じだったからだった。
「一般市民を巻き込んで良いかという話では、正直賛同しかねるけど、でもなあ」
と、フェリーチェルは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。フェアリーやピクシーをコレクションのように捕らえ、飽きたら殺して捨てるような屑の顔を思い出しているに違いなかった。
「こっちにその気がなくても、あいつら、自分が狙われたと知ったら、一般市民盾にすると思う。全員避難なんて現実的じゃないし、結局街ごと潰すしかないのは、なんとなくだけど、本当、かなり危険思想なんだけど、どっか納得しちゃうんだよなあ」
その言葉に、スズネもエノハも黙り込んだ。そのあたりの事情は、二人は実際よく知らないのだろう。アイアンリバーの特権階級がどれだけ腐っているのか、イメージさえ湧かないようだった。
「そこまで酷いものなのですか?」
とても信じられない、とスズネの表情は語っていた。普通の反応だ。そんな不条理な街で安心して暮らせる住民がいるのかという顔だ。
「酷い? ああ、酷いもんさ」
コチョウは笑い、ちらっとフェリーチェルを一瞥してから続けた。
「屑とろくでなしと負け犬の巣窟ってとこだ」
「本当なのですか?」
今一つコチョウの言動を信用しきれないらしく、スズネはコチョウでなくフェリーチェルに問いかけた。フェリーチェルは困ったように苦笑いを浮かべたあと、もっと困ったような口調で答えた。
「残念ながら、こればっかりは、コチョウが正しいかな」
コチョウはどうせ詳しい話を説明しないだろう。フェリーチェルには分かっていたから、代わりという訳ではないが、スズネとエノハに説明を始めた。
「まず最悪なのが、兵士の半数以上が山賊紛いの、人攫い紛いのろくでなし共ってこと」
その根拠は、フェリーチェル自身が知っている。
「攫われて貴族の屋敷に売り飛ばされた当人が言ってるんだから、これ以上ない事実だよ。まあ、わざと、ではあったんだけど。フェアリーやピクシーを捕まえては玩具のように扱って殺してるっていう貴族の息子がいてね。そいつから、皆を助けたかったから。途中までは計画通りだったんだけど、結局失敗して、私も捕まっちゃった。私は玩具にされる代わりに、監獄送りにされたんだけど、そりゃあ、酷いとこだったよ。閉じ込められた檻ごと鍋で蒸されるし、看守と囚人が一緒になってそれを眺めながら酒飲んで笑ってるし、首狩りフェアリーは出るし、まっとうな監獄じゃあ考えられない酷さ」
最後の首狩りフェアリーの言葉を口にした時だけ、フェリーチェルは一瞬コチョウに視線を流した。気付いたのか気付いていないのか分からない風で、コチョウは平然としていたが。
「でももっと最悪なのは、それが、安定して統治されてるって噂が、私の国にも伝わってた都市の話だってことかな。絶対王城で何かあったのは確実なのに、確かめようとする住民も誰もいなかったのがとても不気味だった。悪徳貴族がのさばってて、目を付けられると何されるのか分からないってのが一番の理由だったんだろうけど。だとしても、大人しく従いすぎだった。まるで街そのものが腐ってるみたいに見て見ぬふり。絶対安心とは程遠い暮らしだった筈なのに、皆、平和ですって顔をして、臭いものには気付かない振りしてた」
ため息をついて。
フェリーチェルはコチョウを見た。
「あなたがそこまでアイアンリバーを壊そうっていうんだから、何か知ってるんでしょ?」
「まあな」
フェリーチェルが勘付いていることには、コチョウは別段驚かなかった。統治というのは今だけを見ていればいい訳ではない。先を見据えた情報収集の癖がついていることは当然のこととして予測できていた。
「アイアンリバーの王ケイドー・ランカールは権限を剥奪されて監禁状態だ。実権は」
コチョウにはそれ程興味がある訳でもなく、隠す程の事でもなかった。コチョウは、最終的に倒そうとしている相手の名前を口にした。
「アリエスト・ランカール王妃が握ってる。こいつがそもそもの腐敗の元凶だ」
アリエスト・ランカールの名は、実のところあまり広く知られてはいない。王妃になって日が浅い為だ。そのあたりの経緯は、もしかしたらフェリーチェルは詳しくないかもしれない。そう考え、コチョウは何処まで知っているのかを、フェリーチェルに聞いてみた。
「ケイドーが再婚したという話は、お前は知ってるか?」
もともとのアイアンリバー王妃は、アリエストではない。オリファ・ランカールといった。伝承、お伽話等の物語の世界で、王妃が変わる、といえば、離別の理由は聡い者であればすぐに思い浮かぶであろう。病没だ。
そしてのち添えとして妃がやってくるとなれば、物語ではお決まりの毒婦のパターンだ。まさにそれだった。王女でもいれば完璧ではあったのだが、残念ながら、いるのは王子であって王女ではない。ただ、後妻であるアリエストに城を追われたという意味では、変わりはしないが。
「そうなの? 王妃様が亡くなられたのは聞いてたけれど」
そのあとは、フェリーチェルも良く知らないらしい。ここ数年のことだから、マラカイトモスが燃えたのが先か、ケイドーが後妻を娶ったのが先かという話だ。知らなくても仕方がない。
「ケイドーとオリファの間に息子がいることは?」
「それは知ってる。カイン王子だよね」
フェリーチェルは頷いた。
スズネやエノハが知っている筈もない。二人はただ聞き漏らすまいと、コチョウとフェリーチェルの話に口を挟まずに聞いていた。
「まあ、良くある話だ。継母にあたる後妻アリエストと馬が合わず、城を追われた」
コチョウがそう告げた瞬間、フェリーチェルはすべてを悟ったような顔をした。
「まさか、アイアンリバーそのものを現実世界に持ってこうってこと?」
「おう、現実世界で生きる為には拠点が必要だ。場所は忍者共が調べる。形態も作り直さんといかんだろうし、それも調べさせる。ケイドーは、人は良かったらしいが名君って程じゃない。統治がうまくいってたのは、オリファのお陰だ。だがオリファが病没し、後妻として娶ったアリエストが最悪だった。アイアンリバーの治安が地に落ちてから、漸くアリエストの剥き出しの野心にケイドーも気付いたが手遅れさ。既に実権はアリエストがもってたからな、自分が逆に監禁されたって訳だ。正直どっちも厳しいだろう現実世界で拠点を安定させるには邪魔になる。貴族共もろとも特権階級には退場してもらわんといかん訳だ」
コチョウはそう言って笑った。
「だからお前等があっちに付こうがこっちに付こうが同じことなんだよ。王子は今、カイン・ハンカーを名乗ってる。そいつを探せ。そいつと協力し、現実世界に連れてってもいい奴等を見繕って保護しとけ。私が自分でやったら面倒で全滅路線まっしぐらだからな」
腹積もりを語るコチョウに、今後は、成程、とスズネ達も理解したようだった。