第八〇話 胡蝶
再び迷宮を出る為に進み始めたコチョウ達だったが、その後も散発的な忍者共の妨害にあうことになった。当然その間には冒険者共との戦闘もあり、階層を登れば登る程、状況はカオスになっていった。
忍者共が何処から来て、誰に雇われているのかは判然としない。大掛かり、かつ、公然とアイアンリバーで活動している連中がいるという噂も聞いたことがない。とすると、むしろ、下層のどこか、アシハラを模したセットから湧いてきている連中だと考えるのが妥当だった。アーティファクトが箱庭世界を守る為の防御機構なのかもしれない。冒険者共よりも格段に腕がたち、引き際も心得ている為なかなか思うように数も減らせず、忍者連中は本格的に厄介だった。
四神やエノハ、スズネは閉口していたが、コチョウだけは連中について、別の評価を下していた。有象無象の冒険者共は、どのパーティーも似たような形で四神に軽く千切られたが、忍者共はうまく潜り抜けて撤退していく。当然被害がないという意味ではなかったが、少なくとも全滅という無様な姿はさらしていなかった。
「おい。朱雀」
エノハの式神だというのに、コチョウはすっかり朱雀を手下扱いしている。朱雀もエノハに対してどう思っているのかは態度で示さず、コチョウの呼びかけにまんざらでないように答えた。
「どうしたね」
謙ったりということはない。ただ、返答は気さくだった。
「連中をひとり捕らえられるか。自死されんようにだ」
コチョウが忍者を捕まえろと指示すると、朱雀はしばらく穏やかな調子で笑ってから、
「難しいがやってみよう。おぬしの言いたいことは分かる」
と、話に乗ってきた。まったく分かっていないのはエノハだ。朱雀の主として流石にないがしろにされたようで気に障るらしく、話に口を挟んできた。
「式神への直接指示はルール違反、お師匠」
拗ねたように言うエノハだが、駄目とは言わなかった。
「どういうこと? 捕まえてどうしたいの?」
「忍者連中はこいつらの力に対応してる。ってことは、ただの人形じゃない力を持ってる」
四神は現実の存在で、箱庭世界の虚構ではない。それに人形が対抗できるとすれば、方法はただ一つだ。
「現実世界の力を持った人形」
それはつまり、ある意味劇世界のルール外の人形達だということだ。おそらくは普段はアシハラ諸島国を模したセットに潜み、劇中の忍者そのものとして振舞っていたのだろうが、箱庭世界の異常を取り除くために、防衛機構としての側面をさらけ出したのではないかと、コチョウは考えた。アーティファクトが、機能の幾つかに異常が起きたことを検知した結果なのかもしれない。
「だが、司令塔はいる筈だ。忍者連中だと考えれば、誰かは想像がつくだろう?」
統領だ。コチョウは統領に接触し、あわよくば、忍者集団をアーティファクトの制御下から引き剥がし、乗っ取りたいと考えていた。
「奴等は統制が利いていて、効率的に動ける。手下にできれば箱庭の中でも外でも使える」
場合によっては、全員纏めて『本物』にし、手勢にしてしまいたいところだった。このまま箱庭と一緒に潰すには惜しい集団、コチョウの目にはそう映っていたのだった。統領に会い、纏めて雇い入れても良いと、コチョウは打算した。
「野獣のようかと思えば計算高さも見せよる。おぬしはなかなかどうして食わせ者よの」
朱雀は分かっていたと言いたげに笑い声を上げた。その為に、忍者をひとり生け捕りにして、統領に会わせろと交渉しようというのが、コチョウの考えだった。連中の力の出所に興味がない訳ではないが、それよりも、連中そのものに興味があった。
「成程、理解できました。スズネも、賛成致します。うまく捕獲できれば、ではありますが」
スズネもコチョウの意見に賛同した。エノハもコチョウの説明に納得したようで、
「朱雀様、わたしからもお願い。頑張って」
と、改めて朱雀に彼女からも指示をした。
「うむ、任されたぞ」
朱雀が答え、他の四神達もそれぞれに了解と言いたげな唸りを漏らす。うまくいくものかは、それこそやってみなければ分からないことだとしても、チャンスが一度しかないという訳でもない。コチョウが直接触るのは危険なだけに、自分で対処できないというのがやや歯痒くはあった。
「しかし、封霊石もどうにかしないとな。動きづらくて仕方がない」
忌々しいばかりだ。魔神の魂と同化してなお、コチョウを対象と認識できることも含めて、厄介に思えた。
「しかし、どうやって対象を認識してるやら。ヌルと同化しても逃げられないのは何故だ」
「うむ、ベースがおぬしである限り変わらぬ」
朱雀に言われ、ふと、コチョウは自分に疑問を抱いた。
「しかし封印したかったのは第六世代の人形であって……」
コチョウはそこまで言いかけてやめた。考えてみれば疑わしい。妙な話ではないか。第六世代の人形は一体しかいない。ということは、門番をしていた魔女は、第六世代の人形ではない。第六世代の人形だとすればあの魔女が大人しく門番をしていたこととも辻褄が合わないし、アーティファクトに残っていた記録と矛盾する。だとしたら、何故魔女には封霊石が埋め込まれていなかったのか。最も重要な門番に封霊石が埋め込まれていないのは理屈に合わない。絶対にあの場所を通ることは分かり切っている筈なのに。
「……門番をしてた私にも、封霊石は埋め込まれてなかった。安全の為には埋め込む筈だ」
思い当たる可能性は一つだった。
「ああ。門番には封霊石を埋め込まなかったんじゃない。埋め込めなかった訳だ」
つまるところ、第六世代の人形だけでなく、災厄のフェアリーという役柄も封じる対象にしなければ安心できなかったからだ。おかげで、石を埋め込むと門番自身が後者に引っかかってしまう訳だ。
「それなら答えは簡単じゃないか。私は既に第六世代の人形じゃない」
逃げる方法は分かった。コチョウが災厄の魔女から完全に決別すればいい。自分の中から分離させて、殺せばいいだけだ。答えは至ってシンプルだった。コチョウは第六世代の人形が勝手に弄りまくった筋書きをもたないフェアリーに過ぎない。災厄の魔女ではないと否定するだけでいい。その為の女神の力は体の内にある。
奇しくも場所は、地下八層深奥だった。
コチョウはスズネ達を捕えていたあの部屋で、自分自身の魔女と対決することを決めた。スズネやエノハは良く分かっていない様子だったが、フェリーチェルはその意味を汲んだ。つまりは本来の自分を捨て、誰でもないフェアリーに生まれ変わるということだった。
小部屋に入り、皆を部屋の隅に避難させる。おそらく勝負は一瞬で片付く。災厄の魔女と言えば聞こえは良いが、所詮はそうなる筈だった哀れな泡沫の演劇の役、何の力も持たない小娘に過ぎない。
四神に邪魔者が飛び込んでこないように部屋の扉の守りを任せ。コチョウは一人、部屋の中央に浮いた。
名もなき殺人の女神の力を自分に注ぐ。ゆっくりと、自分の中から、何かが剥がれ落ちていく感覚があった。それはコチョウではなかった。まったく別のフェアリーの姿をしていた。幼く、弱々しく、小さな体を丸めたフェアリーでしかなかった。凍えたように眠り、床の上で丸くなっている。容姿はコチョウとよく似ていた。
「ううん」
フェリーチェルの唸りが部屋の隅から聞こえてきた。コチョウの魔女は、全くと言っていい程育っていなかった。おそらくは、物語が消滅したことで、災厄の魔女として育つことは叶わなかったのだろう。育ったのは、コチョウだけだった。
コチョウは無言でその娘の頭を抱えた。左手を添え、右手を振り上げる。そして、眠り続ける幼子の首を、一思いに刈った。迷いはなかった。
災厄の魔女になる筈だったフェアリーは死んだ。それで十分だった。光景は限りなく凄惨だが、コチョウの胸中は憑き物が落ちたように晴れやかだった。
コチョウの中の魔女になる筈だったフェアリーの娘。コチョウ自身、物語では何と名付けられるはずだったのかも知らない。もはや知る術はなく、知る必要もなかった。コチョウは死体となった幼いフェアリーを焼き、その場を離れた。
それからすぐに忍者が襲ってきた。頭痛はない。眩暈もなし。コチョウは満足だった。凄みのある笑みを一瞬浮かべ、それまで手が出せなかった鬱憤を晴らすかのように、襲ってきた一〇人の忍者共を、瞬く間にコチョウは蹂躙した。魔法などいらなかった。超能力など必要もなかった。ただ純粋な五体で繰り出せる暴力さえあれば事足りた。まるで生まれたての悪鬼か邪鬼かのように、コチョウはただひたすらに、殺すことだけを考えた。
「生け捕りではなかったのか」
朱雀の呆れた声がした。どうでも良かった。