第八話 決裂
折れた棍棒を見下ろし、しばらく驚きの顔を浮かべていたハーフ・ジャイアントの男は、それを投げ捨ててから、状況を理解したように頷いた。男の向こうに隠れていた女はハーフ・ジャイアントが武器を折られたことに腰を抜かし、壁にへばりついてガタガタと震えた。
「はっ、そういうことかよ」
そして、コチョウに視線を戻した。コチョウも男をそれ以上襲うことはせず、ただ、翅だけをゆっくりと動かして不敵に浮いていた。震えている女には、もう興味もなくなっていた。
「出口は何処だ」
コチョウはボス格であろう男は殺さずに見逃しておく考えだった。情けを掛けた訳でも殺せなかった訳でもない。ボス格を倒すことで、その手下の連中から次のボス格に祭り上げられでもしたら面倒臭いと考えたのだ。
「今は出られん。魔法的な仕掛けで、決められた周期でしか出入口が開かんのさ。ま、開いたとして出られるって訳でもねェがな。古代のゲートだかポータルだか知らねェが、抜ける為のキーがないとこっちからあっちには出られねェ仕掛けになってるってよ」
男はそう言うと、コチョウに屈みこんで顔を覗き込んだ。
「おっと、ちっこいの。看守から奪おうって顔してるな。無理だぜ。ここはどうも古代から監獄として使われてたらしいぜ。キーとその持ち主を結びつける魔術があるんだとよ。結びついた組み合わせじゃねェと、最悪消滅するって話だ。その呪文が分からねェ限り、出られねェんだよ。残念だったな」
「そうか」
コチョウは頷いた。ここまで倒した看守が持っていた経験には、その魔術の知識はなかった。もっとそれらしい看守がいるのかもしれない。そいつを倒して術の知識を奪えば出られるということだ。
「次にゲートが開くのはいつだ?」
面倒なことに、監獄の構造や、監獄を脱出する為に必要な情報は経験とはならないということか、コチョウの力をもってしても看守から奪うことはできていない。情報を地道に探さねばならなかった。
「さてね。俺達囚人が知る訳ねェだろ。知ってたとしても、只って訳にゃいかねェな」
男が答え、
「お前、ファイアドレイクを倒したっていう、コチョウとかいうフェアリーだな?」
そう名前をコチョウに聞いた。彼女は頷きもせず、腕を組んで逆に聞き返した。
「で、お前の名前は?」
「ガーグだ。こいつがジェリ。しばらくは出られねェんだ。全員ぶちのめして回るのも面倒だろ? 手を組まねェか? 俺も、こんな場所はそろそろ飽きたしな」
ガーグは、そう言って軽く首を傾げるような仕草をした。そして、聞いてもいないにも関わらず、身の上を勝手に喋りはじめた。
「俺はハーフ・ジャイアントだってだけでぶちこまれた。こいつは賄賂を拒否してぶちこまれた。ここはそういう場所だ。まっとうな監獄じゃねェんだ。ここは大なり小なりお偉方の機嫌を損ねた奴がぶちこまれる場所なのさ。犯罪をやらかしたかどうかは知ったこっちゃねェんだ」
その話はコチョウにとってはどうでも良い話だったが、自分が投獄された経緯を考えると、あながち理解できない話でもなかった。ひとまず、最後まで聞いてやってもいいと態度だけで示し、肩で先を促した。
ガーグは僅かに頷き、先を続けた。
「なんにせよ、ここから出られるのは相当先なんだ。どうだ、大人しくしてるなら皆に口を利いてやってもいい。どうする?」
「それで?」
ごく冷たい、まったく興味のない声でコチョウは聞き返した。ガーグの提案は、恩恵のある取引には思えなかった。要は傘下に入れと言っているのと一緒だ。コチョウは、誰かに飼われるつもりもなければ誰かの庇護が欲しいとも思わなかった。
「よっぽどろくな育ち方をしてねェんだな。どこまで捻くれてやがる。まるで力を振り回すだけの阿呆だ」
ガーグの呆れたような態度に、
「余計なお世話だ」
コチョウは、棍棒でいきなり殴りかかってくる奴だけには言われたくないと、思わずにはいられなかった。
「とにかく取引はなしだ。お前等の助けは必要ない。私もあてにするな。邪魔もするな」
警告だけしておき、コチョウはガーグとの会話を切り上げることにした。
「邪魔さえしなければ殺さないでおいてやる」
「そうはいかねェんだ」
脇をすり抜けようとするコチョウに、ガーグは掴みかかった。振り返りざま、上から圧し掛かるように、丸太のような両腕をコチョウに振り下ろした。
一見不意を討ったように見えなくもない状況も、しかし、コチョウはまったく想定していなかった訳でもない。体を捻り、逆にガーグの首筋を狙って飛んだ。
そして、交錯し、ガーグの首に、確かな真っ赤な筋ができる。瞬間は僅かに赤が見えただけの筋に見えた傷から、血が溢れだした。
だが、首は落ちなかった。ほんの少し切れただけだった。コチョウの即死の力に耐性があった訳ではないだろう。半分流れるジャイアントのバイタリティーで、無理矢理ねじ伏せたのだ。再度振り上げた拳が、今度はコチョウを捉えた。
もっとも、コチョウも直撃を受けた訳でもない。螺旋を描くように飛び、ガーグの拳を掠める程度に抑えた。
「犬め」
コチョウは振り返り、悪態をついた。これだけ監獄内で自由にしているのだ。看守共とも何らかの取引があると考えるのが普通だった。
「まあな。看守に睨まれると飯も出ねェんだ。どうせ何人かもうぶちのめしたんだろ? 取引に応じねェなら見逃せねェよ。そういう取決めだからな。勘弁しろよ」
ガーグは頭上にいるコチョウに向かって、更に拳を振り上げた。モーションこそ力任せの大振りだが、もともとの筋力のせいで、やたらと速度があった。
呪文を唱える隙や、ブレスで応戦する隙はなかった。背が高い為、ガーグは天井まで手が届く、頭上から一方的にということもできそうになかった。
「知るかよ」
コチョウは吐き捨て、仕方なしに拳で応戦した。フェアリーの拳はもともと脆弱で、殴ったところで効きはしないものだが、実際、即死が効かなくとも、今のコチョウの拳は強力な打撃だった。棍棒を叩き折った一撃も、純粋なパワーだった。
もっとも、耐久力ではどう考えてもガーグの方が高い。コチョウもこれまで様々な相手から奪い取った経験による強さで強化されているが、純粋に生まれ持ったバイタリティーの差は大きい。余程強さに差が出来なければ、コチョウがガーグよりも頑丈になることはない筈だった。ガーグの首筋の血もすでに止まり、傷が塞がりかけているのも気のせいではなさそうだった。バイタリティーの高さから来る高い自然治癒力、所謂リジェネレーションの能力を持っているとみてよさそうだった。
一方、コチョウのアドバンテージは頭上をとっていることだった。幾ら拳が届くと言っても、自分より高い位置にいる相手に、全身の力が乗った鋭い一撃を加えるのは、難しいものだ。
しかも、コチョウには、卑怯とか汚いとかいう考えがそもそもない。得意のスピードで、徹底的にガーグの眼球や鼻、喉元などを狙った。
スタミナという点では心配はいらなかった。これまでも一人で生きてきたコチョウのスタミナは、フェアリーどころか並の冒険者を軽く超えている。
互いに決定打がないまま交錯が続き、死角を突きやすいコチョウの方が有利なまま戦闘は続いた。そして、先に疲労の色が見え始めたのは、全身で飛んでいるコチョウではなく、ガーグの方だった。
もともとコチョウの方が手数は多くはあったが、時間がたつにつれ、その差が明らかになっていく。途中でジェリと呼ばれた女もガーグを援護しようとして、震える拳でコチョウを不意討ちのように狙ったが、逆にコチョウに跳ね飛ばされるだけに終わった。情けを掛けた訳ではないものの、ガーグとの挟撃だった為、コチョウの反撃は、首を刎ねずに壁に叩きつけるだけに留まっていた。
やがて、ガーグの拳の威力が弱まり、ほとんど力が入らない拳打になってきた頃、コチョウは、とどめとばかりにガーグの顎を思い切り殴り飛ばし、その一撃でガーグの巨体は沈んだ。気を失っているだけの可能性があった為、コチョウは喉元を深く裂き、とどめを刺しておいた。
ボス格が死んだと皆が気付くまでに、果たしてどれだけかかるものなのだろうか。面倒くさいことになったと、コチョウはため息をついた。
そして、これだけの死人が出ているのにも関わらず看守が警備を固めに走り回らないことから、この監獄が如何に異常な場所であるかを、確信した。