第七九話 四神
青龍はその後、忍者共が戻ってこないと見るや、来た時の通路のルートを外れ、コチョウ達を広い袋小路の部屋へと誘った。
部屋に入ると、忍者共の気配がないことを確かめるように室内を窺ってから、唯一の入口を厚い蔦の壁で塞ぐ。出入口のない空間になった部屋の中で、朱雀がコチョウを振り返った。
その両隣に白虎と青龍が並び、最後に、甲羅の上のフェリーチェルを降ろすようにエノハに促した玄武が一番右に立った。
「ちと、時間を貰おうか」
コチョウに、朱雀が告げる。その意味するところは、コチョウにも伝わった。朱雀、青龍、白虎、玄武の思考は読みづらく、その意図までは理解することはできなかったが、何をしようというのかは十分理解できた。それで十分だった。
「スズネ、エノハ、フェリーチェル、下がってろ」
コチョウがある意味無関係な三人に声を掛ける。エノハは式神共の主ではあったが、それはこれから行うことには直接関係がなかった。
「我等は東西南北を守護し、春夏秋冬の吉凶を占うものである。我等の占儀によればおぬしは極めて深刻な凶と出た。おぬしは不滅を纏い、同時に、滅びの道を往くであろう。故に儂はおぬしに真実を話すべきかを、おぬしの実力に聞くことにした」
朱雀が祝詞のように朗々と語るのを、
「長い前置きはいらん。真実とやらには興味がないが、お前等の実力には興味がある」
コチョウは勝負なら相手になるが、それ以上はどうでもいい態度を示した。朱雀は楽しそうに笑い、
「まさにおぬしらしい答えよの。しかと了解した。では、参ろうか」
全身を震わせて量の翼を広げた。羽根の先から炎が吹き上がり、赤々と部屋の壁を照らす。同時に、青龍の周囲には植物の種子のようなものが浮かび、白虎の周りには毒素の渦とも言うべき禍々しい薄闇が漂い、玄武の足元には蟠る水溜りが現れた。
「お前等巻き込まれるなよ。特に白虎に近づくな。隅で大人しくしてろ」
コチョウはもう一度フェリーチェル達に警告を飛ばした。コチョウにはそれ程危険な代物ではないが、スズネやエノハ、特にフェリーチェルには危険だと肌で分かった。白虎の回りに浮いた黒い靄は、病毒の塊のようなものだ。魔神の魂を啜ったコチョウは疫病に対する耐性があるが、三人にはそれがなかった。
戦いはどちらからともなく始まった。燃え盛る木の根がうねり、禍々しい腐れを含んだ水泡がコチョウを狙って宙を舞った。
それぞれに力を組み合わせ、連携して襲ってくる。緩急があり、真っ向勝負を挑み、正面から襲い掛かってくる朱雀と白虎、騙し討ち上等で常に陰を伝うような玄武の不気味さと、常に一歩引き、サポートに徹する青龍といった組み合わせは、極めてバランスの取れたものだった。
だが、コチョウはするりするりと包囲の穴を悠然とすり抜け続けた。式神達の力をたしかめるように、自分から攻撃することはなく飛び続けた。そして、ある程度の時間、それを続けてから、空中で独楽のように一回転して、式神達が具現化させたすべての力を、吹き飛ばすように薙ぎ払った。
「ふざけるな。本気で来い」
コチョウを試すつもりで戦っていると、理解したからだった。遊びに付き合うつもりにはなれなかったのだ。やるなら殺すつもりで来い、コチョウはそう望んだ。
コチョウに言わせれば、青龍の一撃には遠慮があり、朱雀の炎は温く、白虎の爪は甘く、玄武の影打ちには加減が見えた。
「もっとやれるだろう。私を馬鹿にしてるのか」
コチョウは式神達を睨みつけたが、
「そうではない」
と朱雀は言う。
「箱庭世界はおぬしにも我等にも脆すぎるのよ」
互いが死力を尽くしてしまえば崩壊するのだという。そう言われては、コチョウにも反論の言葉が出なかった。とはいえ、それでは渡り合う意味がない。コチョウはそれなら話が違う、とすっかりやる気を削がれた顔になった。
「つまらん」
消化不良だ。手加減された式神達と戦っても面白くとも何ともない。馬鹿馬鹿しいとばかりに、部屋を塞いだ蔦の壁を、指を鳴らして消し飛ばした。
「行くぞ。時間を無駄にした」
がっかりだ、とコチョウは肩を竦め、肩だけで青龍に先に行けと促す。だが、青龍は動こうとしなかった。
「話を聞けってか。仕方ない。さっさと話せ。半分くらいは聞いといてやる」
コチョウはもう一度肩を竦めると、腕組みをして朱雀に向き直った。
「あれじゃ足りないってなら、お前ら全員来たところに帰してやる。馬鹿馬鹿しい」
「否、十分だ。まさか掠りもせんとは思わなかった。加減したことは真実なれど、ああも容易く避けられては最早試すまでもない」
朱雀達も既に威勢を削がれてしまっているようだった。微妙な空気だ。お互いにフラストレーションを溜めただけで、しっくりこない幕切れに釈然としていなかった。
「何もかもこの箱庭のせいか。さっさとおさらばして、現実世界に出たいもんだ」
コチョウがため息をつく。朱雀がその言葉に反応した。
「うむ。真実とはその現実世界についてのことになる」
そんなことだろうと予想していたコチョウは驚かなかった。どうせろくでもない話だということも分かっている。世の中、ろくでもないことばっかりだ。
「だろうな」
腕組みしたまま、コチョウは頷いた。
「大方、既に文明がほぼ崩壊した、滅亡に近い世界とでもいうんだろ? 予想はついてる」
「え?」
エノハの声が聞こえた。
「どういうことでしょうか」
聞き捨てならないと言った風に、スズネも話に加わって来た。戦闘が終わったと見たらしく、部屋の隅を離れて近づいてくる。フェリーチェルはごく当然のように、穏やかな様子に戻った玄武の上に飛んで行って、指定席とでもいいたげに勝手に甲羅に乗った。
「お前等も荒れ果てた街を見ただろ? 私はあんな感じの景色が延々と続いてても驚かん」
コチョウはたいして興味もなかった。感情のこもらない声で言い、スズネとエノハを横目で見てから、朱雀に視線を戻した。
「それがどうした」
「どうしたって……たいへんなことじゃ」
エノハが言葉を失う。たいしたとこではないと問題にもしないコチョウの態度が信じられないといった様子だった。
「結果は変わらん。やることも変わらん」
コチョウは本気でどうでもいいと考えていた。気に食わないものをぶちのめし、壊したいものを壊し、生かしておいて良いものだけは生かしておいてやる。それ以外に、コチョウの生き方などない。
「面倒くさくなくていいじゃないか。やれ法だ、やれ秩序だと言われることもない」
コチョウにとっては、窮屈な平和よりもずっと楽園と言えた。自分自身を守る為のものはそんなものではなく、力であればなお良い。そのくらい退廃的な方が、生きやすい。
「その結果、壊れるような世界ならその程度だったってだけだ。そっからも出てきゃいい」
「全くもって、極めて暴力的かつ自分勝手な理屈ではあるが、一定の真理は突いておる」
奇妙なことに、朱雀とも意見が一致した。
「その程度の世界であればいずれ勝手に崩壊することであろうよ。早いか遅いかの違いでしかない」
そう認め、朱雀はコチョウが語ったことが真実であることも認めた。
「おぬしの言う通り、現実世界にも楽園などは存在せぬ。夢を見て箱庭世界を出て往くのは勝手だが、その結果、想像と大幅に異なる世界を見る事になっても絶望せぬことだ。それは肝要となる」
「そんなあ」
エノハには、ある種の憧れに近い空想があったようだ。それが打ち砕かれたような顔で、この世の終わりのような声を上げた。
「アシハラは、現実のアシハラはあるのですか?」
スズネも、縋るように朱雀に聞いた。朱雀はまだ纏っていた羽根先の炎を消して、何度か羽搏いた。
「ある。ことにはある。だが、おそらく、何処から何処までがアシハラかは、最早分かるまいて」
つまるところ、もう島国ではないということなのだろう。もしくは、水没してほとんど島影など残っていないか。いずれにせよ、たいした差があるとは、コチョウには思えなかった。
「地軸、というものが世界にはある。それが狂い、現実のアシハラは巨大な氷原の一部よ」
その答えを、朱雀は語った。それだけでも、相当現実世界の姿が想像しているもの異なると知れた。
「面白いじゃないか。そのくらい未知の状態の方が、見て回り甲斐がある」
コチョウだけは、平然と笑っていた。