第七三話 疑問
フェリーチェル以外の皆を本物にする行為に関しては、すべて問題なかった、以外に言うべきことはない。同じことの繰り返しに過ぎず、退屈な光景だった。ピリネのダークエルフ化も、滞りなく済んだ。銀髪と深い藍の目の外見をしている。
あったとすれば、ゴーファスが本物になったあとで、自分の姿が確認できないことを気にしていたくらいで、
「本物のヴァンパイアになった証拠だ」
コチョウがそう笑ってやると納得したようだった。確認する為には、現実世界に置いた鏡を通して、映った自分の姿を見るしかない。だが、ヴァンパイアは(そういう設定の人形とでも言わない限り)鏡には、映らないものだ。
そのあと、コチョウは幾つかの機能について、アーティファクトの操作を行ってから、フェリーチェル、スズネ、エノハを伴い、地上に向かった。ゴーファスとピリネは、念の為に、アーティファクトの警備の任につかせてダークハートの深淵の最下層に残してきた。
今頃地上は大騒ぎになっているかもしれない。アーティファクトは人形劇の箱庭を管理する魔導システムだ。当然、オーブによる冒険者再生の仕組みもアーティファクトの一機能として存在している。コチョウはそれを停止させたのだ。つまり、『オーブに魂の一部を記録できるものとし、その処置を受けた者は死亡しても再生できるものとする』という世界のルールが死んだに等しい。箱庭の中ではそのルールは実際に起きる現実と同じで、そのルールが消滅したということは、死亡した者は、オーブがあっても、もう生き返らないということだ。コチョウにとってみれば、そのシステムの範疇内に自分は入っておらず、冒険者が繰り返し生き返るのは、最早鬱陶しいことでしかなかった。それ故に、機能を止めてしまうことに全く躊躇はなかった。
コチョウが地上に向かった理由、そして、フェリーチェルを伴った理由は同一だった。フェリーチェル自身が、
「何しに戻るの?」
と問いかけたのだが、コチョウは知れたことといった風に笑った。
「放っておいても箱庭ごと滅びるにしても、監獄にぶち込んだ屑はぶちのめしたいだろ?」
そいつらは個別に潰さないと気が済まない、ということだ。
「ついでにそんな貴族を放置してる王族の面も拝みたい。例えばの話だが」
コチョウはフェリーチェルに皮肉っぽい笑顔で問いかけた。
「お前、曲りなりにも同じ王族として、何考えてるのか、確かめたくないか?」
「確かに」
フェリーチェルも頷いた。亡国とはいえ、一国の姫であるフェリーチェルには、考えられないことの筈だった。
「そこまで気が回ってなかったけど、冷静に言われると、凄く気になる。あんな貴族をのさばらせてるのは、国としてあっていい筈がないよ」
人形劇の中だから、もうどうでもいいとはならなかった。コチョウが忌々しいと思った記憶も彼女達にとっては本物で、フェリーチェルが辛い思いをした記憶が消えた訳でもない。どうせ全部消えるからいいなどという理由で満足できる筈がなかった。
「ハルの奴はできる事ならこの手で縊り殺してやりたいくらいだよ」
フェリーチェルの言うことがだんだん物騒になってきているのは、新しい設定が混ざったからか、それともコチョウの悪い影響か。いずれにせよ、コチョウにはむしろ理解しやすい感覚だった。
「お前弱いからな。下手したら返り討ちにされて死にかねん」
とはいえ、任せられるかと言えば、別問題だ。野垂れ死にたいのなら勝手にしてくれていいが、勝手にピンチに陥り、助けてくれと言われるのが一番面倒だ。
「やられても私は助けないぞ?」
コチョウは薄情に言い返す。フェアリーやピクシーを捕まえてどうのという男だと、フェリーチェルが話していたのを忘れた訳ではないが、コチョウには、捕まっているフェアリーやピクシーを助ける気もなかった。どうせ助けたところで、それこそ箱庭ごと消える命だ。
それに、まずは地上まで辿り着くのが先決だ。迷宮の中にはまだコチョウを討伐する為の冒険者パーティーが探索しているだろう。まずはそいつらを片付けて進まなければ話は始まらない。
「そうか、お前は知らなかったか。上層階の方は貴族連中が放ったらしい、私を討伐する為のパーティーが探索してる。あの監獄から脱獄されたのが、よほど気掛かりらしい。お前も、見つかったら同じ扱いになるだろう。用心しろよ、フェリーチェル。お前は、逸れたら、冒険者連中に見つかっても、モンスターに見つかっても、まず助からん」
コチョウはフェリーチェルに伝えておくべき警告を話し、それを聞いたフェリーチェルは、自分がどこにいるかをやっと思い出したように顔をくしゃくしゃにした。
「そこは守ってよ」
「やなこった。私に言っても無駄なのはお前も良く分かってる筈だ。頼む相手を選べ」
コチョウはにべもなく断った。そんな面倒なことはコチョウはしない。コチョウがやらなくても面倒を見てくれそうな奴が、他にいた筈だ。
「あ。そっか。スズネさん、エノハさん、護衛、お願いできる?」
フェリーチェルはコチョウに言っても無駄だったとすぐに思い直し、他の二人に頼んだ。そっちの方がまだ見込みがある。コチョウの言う通りだった。
「はい、お役に立てる限り、スズネはお守りさせていただきます」
と、スズネが和やかに微笑む。エノハも、ため息混じりではあるが笑った。
「お師匠、へそ曲がりだから。自分じゃ守ってやれって口が裂けても言わないもんね」
「ほう、舐めた口を利くじゃないか。喧嘩か。喧嘩売ってるか。買うぞ? 掛って来いよ」
コチョウが面白くなさげに言うと、
「だから、口で言ってるうちはやらないって、もう露呈しまくってるんだから、いい加減諦めなよ」
フェリーチェルが苦笑いした。まったくやりにくい相手だと、コチョウは肩を竦めるほかなかった。
地下二六層まで続く階段は長く、彼女達の声以外に、物音は聞こえてこない。地下二五層以下は敵がいないことを考えると、奇襲の為に息を潜めて隠れているのでもなければ、冒険者共に、地下二四層までを踏破できたパーティーはいないということになる。コチョウ達の踏破速度が異常だっただけで、常識的な尺度では、当然のことだった。普通であれば、一層降るだけでも、攻略に数日から十数日を掛けても不思議はない。
「できればあまり無駄に戦闘を重ねたくはないものですが、そうそう穏便にいくものでもないかとは存じます。犬死という訳にも参りません。スズネも、必要とあらば、罪なき敵としても斬りましょう」
スズネがフェリーチェルに告げ、エノハもそれに同意して頷いた。
「だねえ。死にたくないし、襲ってくるからには、応戦しなくちゃね」
「ありがとう」
フェリーチェルは短く礼を言い、考え込む。皆死にたくないのは一緒だ。これまでもそうだった。それがあらかじめ用意された物語だったとしても、その中を、彼女は必死で生き抜いてきたつもりだった。コチョウが現れなかったら、悲嘆のままに自死で幕を閉じていた物語だったが、それでも自分は、自分なりの意志で生きていたつもりだった。他に現実世界があり、そこから見た彼女のすべてが人形劇だろうが関係なく。それは、フェリーチェルにとって現実だった。
「壊して良いのかな」
ぽつりとつぶやいた。聞こえたが、コチョウは答えなかった。勿論コチョウには壊す以外の選択肢はあり得なかったが、それはコチョウの決断で、フェリーチェルが別の意見を結論にするなら勝手にすればいいとさえ考えていた。もしそれで主張がぶつかり合うことになるのであれば、相手がフェリーチェルだろうと、力ずくで押し通るだけだ。
「どういうことでしょうか」
それに、コチョウがわざわざ聞かなくとも、スズネやエノハが気にしてやる。そういった意見を交わすのであれば、絶対に意見を曲げることがないコチョウと話すより、幾らもマシというものだろう。
「この箱庭での出来事が本当は人形劇だとしても、そんなこと関係なく、皆、現実として必死に生きてるんじゃないかって。皆そのことを知らないのなら、知らないままに、そっとしておくのが正しいのかもしれないなって、そんな風に思えただけ。私も、振り返って全部劇だったって言われても、でも、私は私なりに必死に、自分で生きてた気がするんだ。それって、結局、この中では、劇とか関係なくて、ここではそれが本当に現実なんじゃないかな」
フェリーチェルは答えたが、何処か自信はなさげだった。自分でも何が正しいのか分からないのだろう。スズネは、また微笑んだ。
「スズネは、それが本当に自分の意思だったのか、自信が持てません」