第七二話 不幸
理屈通りに考えれば、リノには別人としての記憶と技能が目覚めている筈だ。それを確かめる方法は簡単だった。
「お前の名前は?」
コチョウが尋ねる。まずは基本情報からだ。
「リノ。何の質問?」
リノ自身には、その意図が分からないらしい。首を傾げながら答えた。
「私の名前は?」
次のコチョウの問いに、
「ええと……ええと。誰だったかな。ここまで出かかってるんだけど、ええと……」
リノは、おかしい、と言いたげにしきりに首を捻り始めた。見覚えはある。だが思い出せない、そう言いたげなもどかしさを、体全体をくねらせて表現していた。
「思い出せないならいい。とりあえず置いとけ。お前は何故アイアンリバーに来た?」
リノの疑問を遮り、コチョウは次の質問に移った。混乱はキャラクターの定着を阻害するリスクに繋がる。今は穿り返すべきでないと判断した。
「ええと、私は……そう、冒険者になりに来たの。私は地元じゃ強運の持ち主ってちょっとした有名人だったから、遺物とか、良く見つけたのね。それを売ったお金を元手に、さらに一攫千金狙えるかもって。でも、割の良さそうなパーティーってなかなかいないんだよね」
目が泳ぐ。やはりうまくいっていなかったのだ。コチョウはその態度に違和感を感じた。
「……嘘をつくな」
ため息も漏れるというものだ。なかなか手強い。
「お前、正体を隠してるな」
「隠して、ないよ?」
さらにリノの目が泳ぐ。コチョウはさらにため息をついた。一攫千金を目指す冒険者志望の娘という設定で正体を隠したマラカイトモスのお姫様のフェリーチェルが爆誕したなと、確信した。
「何処かの森に、フェリーチェルって王女がいるそうだな」
分かりやすいカマを掛ける。今はリノである筈のフェリーチェルが、基本的に隠し事が下手だろうことはここまでの付き合いでなんとなく予想がついていた。
「マラカ……あ。なんでもない」
やはりボロが出た。分かりやすい娘で、話しが早い。
「ああ、そうだ。私はマラカイトモス、とは一言も言ってない。そうだな、お姫様」
コチョウが更に疑いの視線を向けると、結局ただのリノにはなれなかったフェリーチェルは観念したように、短く呻いた。
「はい、そうですよ。ええ、そうです」
なんとも難儀な話だ。フェリーチェルの不幸は、とことんまで彼女に対する働きかけを、望まれた、めでたしめでたしの結果にはしてくれない。想定された最悪の事態は起こった。
「うう、だめだったのね。……駄目だったって分かった。思い出しちゃったよ、コチョウ」
フェリーチェル自身、半ば本当に忘れていたのだろう。しかし、正体としてこびりつくことによって、マラカイトモスのフェリーチェル、が結局戻ってきてしまったのだ。逃がさないという不幸体質の執念を感じる程のしぶとさだった。
「実際に見ると、本気でろくでもないな」
と、コチョウもぼやいた。分かっていたとしても忌々しさが消えない。このままではフェリーチェルは箱庭と運命を共にするしかなくなる。状況は冗談のようだが、少しも笑えない類の冗談だった。
「心底ぞっとするよ。こんなの一番いらないのに。なんでなくなってくれないの?」
誰よりも、フェリーチェルにとって、一番笑えないジョークだろう。靴の裏にこびりついた汚物くらいおぞましいというのに、どうやっても落ちてくれないのだ。常人なら発狂してもおかしくない呪われた能力だ。
「設定でも逃げられないってことね」
それでも、フェリーチェルはまだそう言って笑えるだけ冷静だった。ずっとその不幸体質と付き合ってきたのだ。
「多分何をやっても、世を忍ぶ仮の姿で正体はマラカイトモスのお姫様ってことになるんでしょうね。うまくいかないってこういうこと」
「そうだ。多分他の正体を設定として付けても無駄だろう」
二重設定などで、結局マラカイトモスのお姫様設定は載ってきてしまうだろう。ひとえに、不幸体質が消えないという理由だけで。そういう意味では最強に近い設定だ。もっとも、その恐ろしいまでの強制力の矛先は、本人が被害を被る方向にしか向かないのだが。
「理解したな。お手上げだ」
コチョウはスズネ達の様子を横目で見た。スズネ達はうまくいったと早とちりしたことを恥じている様子だったが、コチョウは放っておいた。
「ひとまず、お前のことは棚上げだ。設定を消すと暴走するから、今のまま置いとく」
「わかった」
フェリーチェルも分かっているらしく、神妙に頷いた。
「他の連中はどうする」
フェリーチェルの変化を諦め、コチョウは、他の連中に声を掛けた。結局フェリーチェルの対処に失敗したことを気にしてか、皆、浮かない顔で近づいてきた。
「……わたしは本物になりたい、お師匠」
エノハの答えは、きっぱりとしたものではなかった。とは言え、それは迷いがあるというよりは、フェリーチェルに遠慮があって言い出しにくそうにしている、というだけに聞こえた。
「スズネも、本物にしていただけますか?」
スズネもそう心を決めたようだった。もっとも、人形のままでいいという決断は、箱庭と共に滅ぶ覚悟だ。なかなかそちらを選べる奴はいないだろうと、コチョウにも思えた。
「私も本物のヴァンパイアになろう。貴女に仕えると誓った以上、その選択肢しかない」
と、ゴーファスも告げた。コチョウが本物として箱庭を出て行くというのであれば、仕える者として、箱庭で主を見送り勝手に滅ぶという選択肢はないという決意だ。殊勝といえた。
「そうだな。勝手は許さん。お前は使える」
コチョウも、まだ手放すには惜しいと認めた。
「あの」
最後に、ピリネが意志でなく質問を投げかけてきた。
「本物になることですが、ピクシーから、種族を変わりたいと、希望することは可能なのでしょうか?」
ピリネの質問はコチョウにとって意外なものだった。何を望んでいるのか、ピリネについては、付き合いが短いまますぐに一旦退場してしまった為、コチョウも良く把握していない。コチョウは逆に聞き返すことになった。
「ん? どういうことだ?」
「できれば、ゴーファスと同じ、ダークエルフのヴァンパイアとして、いられたらなと」
ピリネの言葉に、コチョウは目を細めた。随分思い切ったことを考えたものだが、そこまでゴーファスに絆されたというには、聊か急すぎるように、コチョウには感じられた。
「私は構わんが、ヴァンパイアとして本物になれば、もう生者には戻れんぞ?」
コチョウが問うと、更に意外な言葉が返って来た。
「私が誤解をし、本来そこまで悪い人ではない彼を傷つけてしまいました。どうせ外へ出たら行くあてもありませんし、協力して居場所を作り、手助けしたいのです。ですが、ピクシーの身で、彼と同じ時間を歩み、力になることは難しいでしょう。ですから、同じステージに立つことができれば、少しは助けになることができるのではないかと思います。目標もなく、あてもなく彷徨うには、ピクシーの身は脆弱すぎますから。あなたのように強く、自信に満ち溢れていれば小さい妖精の身でも力強く生き抜いていくのでしょうが、私には、とてもできません」
よく考えてからの結論という奴らしい。それならば、コチョウから言えることはなかった。しかし、それとは別問題として、コチョウがピリネの望みを聞切れる為には、確認しておかなければならないことがあった。
「お前は何ができる」
と、聞いた。
「え?」
ピリネが短く驚いたように返し、コチョウをまじまじと見た。必死に問われている内容を理解しようとしているようで、しばらくしてから、合点が言ったように目を見開いた。
「私は魔術師の術と、探索に必要な、罠や追跡等の所謂探索技術を中心に訓練したことがあります。お邪魔にはならないと自負しています」
つまり、ゴーファスと協力するということは、共にコチョウに仕えるということだと理解したのだ。満足いく回答に、コチョウは頷いた。
「良いだろう。ただし、私が変えるのは種族までだ。ダークエルフにはしてやる」
コチョウは答え、苦笑いした。
「ヴァンパイアになりたければ、あとでゴーファスに頼んでしてもらえ」
それはコチョウなりの配慮でもあった。味気ないだろうということは、コチョウにも理解できたからだった。
「よしやるぞ。皆並べ。一気にやる」
コチョウは告げ、皆を見回した。