第七一話 配役
しかし。
「駄目だ」
急にコチョウは直前になって中止を宣言した。
「この方法はうまくいかん」
「え? どうして?」
フェリーチェルは不満そうに聞き返した。せっかくその気になったというのに、いきなり中止は酷いと言いたげな顔をした。
「お前の不幸は思ったより強い。思うような結果にはならん」
コチョウは宣言したが、
「良いからやってみてよ。そんな絶望的なことは言わないでよ」
フェリーチェルはあくまでやってみなければわからない筈だと主張した。議論も面倒だ。コチョウは、
「警告はしたからな」
とだけ告げ、作業に入った。
ウィザードブックに記録された物語情報は、台本の他にも幾つかの書物が存在している。フェリーチェルの物語の、キャスト情報のフェリーチェルの項目を、消す準備を始める。そうすることで、フェリーチェル役の人形は、役から解き放たれ、まっさらな人形に戻る筈だと考えていた。まずはそれが第一段階だ。
「キャストリスト:フェアリー・オブ・ティアーズ」
キャストリストを呼び出し、表示させる。探すまでもなく、主役であるフェリーチェル役の人形割り当て情報は、リストの先頭にあった。コチョウは満足し、コマンドワードをさらに唱えた。
「デリートキャスト:フェリーチェル」
淡々と、処理を進める。
操作盤の表示が消え、コチョウはフェリーチェルを振り返った。フェリーチェルにはまだ変化はなく、まだ、ただ浮いていた。そして、一瞬だけにっこりと微笑むと、ぽとり、と急に力を失ったように、床に落ちた。目を開いたまま、だが、瞳には光はない。フェリーチェルの姿のまま、その第五世代の人形は、すべての活動を停止した。
「ふむ」
人形は、もともとその役をさせることを想定して製作されるものだ。姿が変わらなかったことには違和感はなかった。だが、だからといって現状に問題がない訳ではない。
「やはりか。面白いもんだな」
コチョウは僅かに笑った。フェリーチェルの姿をした人形が突然起き上がり、コチョウに向けて突進してきたのだ。だが、コチョウは避けなかった。避ける必要もなかった。
というのも、フェリーチェル役の人形は、既にフェアリーではなかったからだ。激しく背中の翅をばたつかせても、その体が宙に浮かぶことはなく、コチョウの遥か足元の下、床の上を小さい体で駆け回るばかりだった。姿はフェアリーでも、人形は飛べないものらしい。フェアリーやピクシーも、鏡に映った現実を通してみると、舞台の上に立っていた。つまりは、飛んでいることにされている、ということが、こちら側では事実飛んでいるという結果になっていて、その『飛んでいることにされている』設定を失った人形は、もうこちら側でも飛べないのだ。
しかし、面白がってだけもいられない。暴走を始めてしまった人形を止めないことには、次の段階へ進むことができない。コチョウはしばらくどうしたものかと思案した結果、拘束してしまうことに決めた。
人形に精神はない。暗示は精神を持たぬ物には役に立たない。コチョウは呪文での拘束を試みてみることにした。
「バインディング」
唱える。効果は掻き消えた。面倒な。演劇中の人形そのものの破損を防止する為に、耐魔処理がされているのだ。魔法が効かない。
「最悪だな」
コチョウはため息をついた。フェリーチェルの人形を非暴力で止める術がない。人形を壊してしまっては、このあとの処置に差し障る恐れがあった。幸いフェリーチェルの人形が振り上げる拳がコチョウに届くことはなく、遠距離攻撃手段を持っている訳でもない。考える時間だけは沢山あった。
「言わんことじゃない。人形に戻っても不遇とは泣けるな」
言葉ではそんな風に漏れたが、コチョウの顔は笑っていた。ばたばたと無意味に暴れているフェリーチェルの姿はおかしかった。だが、その余裕も長くは続かなかった。
「ちょっと、笑ってないで止めてよ! 自分じゃ止まらないの!」
足元で、フェリーチェルの人形が抗議の声を上げたのだ。明らかに、フェリーチェルの人形は、コチョウを認識していた。
「お前……人格すら消えてないのか」
フェリーチェルの人格が残っているおそれがあったことは確かだが、システム的に表面化することはない筈だ。設計された動作と全く違う現状に、コチョウも驚きを隠せなかった。
「分かんないよ! なんか戻されたの! 一瞬ふわっと、ああ、消えるんだなって思ったら、急にがくんて。体に引き戻されたみたいっていうの?」
暴れながら答えるフェリーチェルに、コチョウは困惑の表情を向けた。
「とにかく止めてよ。これなんとかして」
暴走の原因は明らかだ。役を失ったのに、フェリーチェルの人格が残ったせいで、人形が異常を起こしたのだ。フェリーチェルの人格を無理矢理引き剥せば止まるだろう。しかしどうやって? 魔法は人形自体には効かないのだ。
「お前がやれと言ったんだぞ。文句を言うな」
コチョウは唸った。女神ですら魂を書き換えるなどという破天荒な術はもたない。相手がフェリーチェルの意志と記憶を持ったぶっ壊れた人形だけに、叩き壊すのがもっとも手っ取り早いのだが、それはフェリーチェルの消滅を意味していた。
「怖いこと考えてるでしょ! 怖いこと考えてるでしょ!」
コチョウの視線も見えているらしい。フェリーチェルは猛抗議の声を張り上げた。体の自由は効かないのに、声は出せるのだな、とコチョウはふと気になった。
「ああ、そういうことか」
コチョウは漸く解決の糸口を見つけ出した。
「フェリーチェル。止まれ。お前が制御できないのは思い込みだ」
暗示をかける。フェリーチェルの人格があるのであれば、暗示は効く筈だ。実際には制御できるという方が思い込みなのだが、声が出せるということは、思いこめば体の自由を取り戻せる可能性があるということだった。
「あっうん」
暗示は効果があったようだ。フェリーチェルは頷き、ぴたりと暴走も止まった。思った通り、フェリーチェルの精神を通してなら、人形を制止させることができた。
「さてどうする。キャスト情報を元に戻すとお前、リセットされるだろうな」
なんて不幸な奴だ。コチョウには苦笑いしか出なかった。想定でも分かっていたとはいえ、ここまで筋金入りだとは。フェリーチェルに頑固にこびりつこうとする不幸には、流石に舌を巻くほかなかった。
「じゃあどうするのよ。このまま放置はやめてよ。それは困るよ。人形は嫌」
フェリーチェルの文句は当然の内容だった。そんなことは薄情なコチョウでも分かった。
「そりゃそうだ」
どうせリセットされることが分かっているのであれば、戻す理由はほとんどない。もともとフェリーチェルを捨てようとしていたのだ。別の方法をとった方がまだマシというものだった。コチョウはそう考えこみ、フェリーチェルに告げた。
「別の劇に組み込むか」
「どういうこと?」
フェリーチェルに聞かれ、
「マラカイトモスのフェリーチェルでなく、全然関係ないモブとして適役を割り当てる」
コチョウは答えた。一旦無関係な、別人として配役してしまうのだ。その際に、勝手に不幸体質を幸運体質に書き換えることも試せる。十中八九そんなことはフェリーチェルの不幸体質が許さないだろうが、うまくいけば、別のフェアリーにスライドさせられることもあり得た。
「あ、成程。いいね。やってみてよ。この状態より最悪って、ちょっと思いつかないし」
フェリーチェルも同意してくれた。もとよりフェリーチェルには、拒否したところで別のアイデアもなかっただろう。
コチョウはなるべく知らない話を避けるべきだろうと考え(内容がとんでもないものだとあとあと困るからだ)スズネの話に登場させることにした。フェリーチェルという名を中途半端に残すべきでもない。マラカイトモスの姫ではなく、自分の幸運を武器にアイアンリバーに一旗上げに来た旅人として、コチョウは、リノという勝手に適当な名前を登録した。名前に特に意味はない。ただ入力しやすかったからだ。キャラを設定したのち、キャストリストで、フェリーチェルの人形を登録する。登録が終わると、コチョウはリノという名前になった筈の人形を見下ろした。
「どうだ?」
コチョウが問いかける。
「ええと……何か変わったの?」
フェリーチェルの人形は答え、そして、飛んだ。
表面上はうまくいったようにしか見えなかった。スズネ達の安堵のため息が聞こえた。