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1フィートの災厄  作者: 奥雪 一寸
1フィートの災厄
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第六九話 幸福

 結論を急ぎすぎるコチョウに、フェリーチェルはため息を漏らして、コチョウの目の前に進み出た。コチョウに背中を向け、皆の方を向いて話し出す。

「まず、なんだけど。皆自分が人形劇用の人形だってことは、受け入れられたの? まずはそこのところが受け止められないと、会話が成立しないと思うんだけど」

 冷静に、気丈に振舞うフェリーチェルだったが、背中が小刻みに震えていることは、皆、気付いたのだろうか。少なくともコチョウは気付いていたが、そのことを気遣う気持ちは湧かなかったから、黙っていた。

「ねえ、どうなの? ちゃんと現実として受け止められてる?」

 フェリーチェルが、人形である現実を既に受け入れているのは間違いなく、彼女はそのことには、不安も恐怖も抱いていなかった。フェリーチェルが予感している現実は、フェリーチェルにしか降りかからないもので、彼女以外の者には理解できないものだった。あるいはコチョウには理解することができたが、当然のことながら、コチョウにその不安を共有してやる程の人情はなかった。

「それは、うん、まあ。現実味はないけど、こんな台本見せられたら、そうなんだなって」

 フェリーチェルの問いに、エノハが声を出して答えた。エノハは間違いなく理解していて、何より、白虎が地下二六層の街の中に人間がいると告げ、しかし、いたのは人形ばかりだった時から、ある種の覚悟はしていたようだった。スズネがそこまで考えていたかは怪しいところだが、それでもこの世界が何処かおかしいということには気付いていて、受け入れがたいが真実だと理解しているようだった。

 ピリネとゴーファスは事情が違う。二人は現実を予感させるものを何も突き付けられることなく、唐突に得体のしれない話に巻き込まれたに等しい。人形の実感もなければ、自覚もなかった筈だ。それでもスズネやエノハの態度や、自分達の名が台本にあることから、これが眉唾な与太話ではないということを察してはいるようだった。同じ境遇にいる二人の間には奇妙な仲間意識が芽生え始めていて、襲撃者と獲物だった関係だったピリネとゴーファスは、意外な程軋轢を氷解させて寄り添っていた。

「大丈夫? ここで私達が送ってる日常はすべて劇で、本物の世界じゃないってこともちゃんと受け止められてる?」

 その問いに答えられる者はいなかった。そうだろうとフェリーチェルも頷く。彼女はコチョウを振り返り、

「で、そこのところどうなの? あなたは現実世界が今はもう見えるの? 私達に見せてくれることはできないの? 現実世界と、現実世界から、今の私達がどう見えてるかを、見せてくれることはできない?」

 フェリーチェルの言葉に、コチョウはしばらく答えを返さなかった。答えに迷った訳ではなく、まだ自分でも試してみていなかったのだ。まず、自分が、かつて第六世代の人形ができたように、現実世界を見ることができるのかを試してみてから、コチョウは答えた。

「ああ、できそうだ」

 と、自分から見て、左側をちらりと見る。

「お前等には、ドームだけが見えるだろうが、今、私にはない筈の壁の向こうが見えてる」

 そして、その壁のように切り取られた平面に、手を向けた。地下五〇層の、ドームの景色は切り取られたように遮られ、そこには壊れた椅子が乱雑に転がり、天井は崩れ、壁も朽ち果てた景色が飛び込んできた。その向こうには廃墟というにはあまりにも原形を留めていない瓦礫が点在する荒れ野が広がっていて、空は抜けるように青かった。強い風が吹いているようで、ほとんど丸裸の樹木の枝と、僅かに残った寂しげな葉が激しく揺れていた。

「え……何で?」

 誰かが言った。その声は遠くのように聞こえたが、実際にはコチョウのすぐそばで上がったものだった。フェリーチェルも流石にそれは予想していなかったらしく、コチョウが出現させた壁の方を見つめていた。

「箱庭の人形劇をたのしんでた奴等は、とうの昔に滅んだんだろうな。見れば分かる」

 コチョウは喉の奥から乾いた笑い声を出した。フェリーチェルに対する答えは、そうではないことは、とっくに分かっていたが。その訂正をする代わりに、コチョウは指を鳴らした。

 崩れた劇場の中に、突然、巨大な鏡面が出現する。その表面には、半ば壊れた舞台が映っていて、薄汚れて壊れたセットに囲まれて立っている、六体の人形がいた。人間をデフォルメしたような、布製の人形で、実際には、コチョウも、フェリーチェルも、ピリネも、飛んですらいなかった。ただ、妖精のような、汚い羽根を背負っているから、そうと分かる程度だった。大きさも、ほとんど変わらない。コチョウ達側ではリアルに展開されていた凄惨な場面も、すべて向こう側ではデフォルメされ、人形がこてんと倒れる程度の演出でしかないのだろうと、推測することができた。ほぼ皆、自分達の体と、鏡に映った自分の姿を、何度も見比べて言葉を失っていた。

「このままあの壁を超えると、私達はああなる」

 コチョウはまた笑った。そして、女神の力を、“自分自身”に使い、変化の力を用いて、人形をフェアリーに変えろと念じた。すると、当然、こちら側のコチョウには何の変化もなかったが、鏡の中のコチョウだけが、皆が直接見ているコチョウと同じ姿に、変わった。

「こういうことだ」

 コチョウの言葉に、今度こそ完全に納得し、皆、頷いた。

「もう一度聞く。本物で良いんだな?」

 その質問を、もう一度フェリーチェルが遮った。

「人形でいる限り、この箱庭の中では、死は死じゃなくて、物語がリセットされれば復活する。でも、本物になると、もうその力は及ばない。死は純粋な死で、もう生き返ることはできないよ。それに、本物の生物になったら、きっとこの箱庭で暮らしてくことはできない。誰ももう自分の立場を保証してくれないし、自分が何処へ行き、何をするかは、全部自分で決めて、全部自分で背負わなくちゃいけない。もう導いてくれる物語はなくなるんだ。お腹も減るし、食べなければ死んじゃう。本物のお金を私達は持ってないし、それも早急になんとかして稼がなくちゃいけないんだ。皆が思ってるより、本物になるって大変なことなんだって、私は思う。未知の世界に出てかなくちゃいけないことなんだって。良く考えて。それがエノハの、スズネの、ええと……あとの二人まだ名前覚えてないや、とにかくあなたたちの、本物の幸せなのかしら?」

 フェリーチェルは、物語の中での教育とはいえ、自分の決めたことに対する結果を背負うことの教育は、一国の姫として十分に教えられてきたのだろう。その怖さと重さを理解していた。そして、どこかその言動は皆に遠くから言い聞かせるようで、まるで自分は当事者の一人ではないと言いたいように、傍観者のように語った。

「逆に、人形でいることは楽だ。いままで通りだし、これまでと変わらず、何も変わらない。外から見たら劇だとしても、皆がこの箱庭世界で一生懸命生きてきたのは本当のことだ。でも、多分だけど、それを永遠に繰り返すこともできない。ある日突然世界は滅びて全部闇の中に消えると思った方が良い。その時は何も分からず、何が起こったのかさえきっと分からないだろうけど、必ず終わりを迎える。だってコチョウが外に出て、この箱庭をそのままにして行くとは思えないもの。現実世界に出たら、必ず壊すよ。でもそれは箱庭世界の内側からはそういうことだって分からないんだ。箱庭の夢は決して優しいものじゃないのも皆分かってるだろうけど、それすら消えて皆いなくなるんだ。どうかな。どっちが幸せなんだろう。私にはこっちの方が良いよとは決められない。居場所のない現実世界で居場所を作ってくのが、生きてるだけで幸せだよなんて言えない。何も分からないまま永遠に人形として眠り続けるのが、楽で幸せだよとも言えない。だからちゃんと考えた方が良いと思う。あなた達は、何が幸せ?」

 フェリーチェルは何度も、幸せ、という言葉を繰り返した。その意味は、ともすればフェリーチェルが一番よく理解しているのかもしれない。そして、フェリーチェルにとって手を伸ばしても最も遠いところにあるものなのに違いなかった。何処までも落ちていく物語を背負った人形は、どこまでも不幸に落ちていく運命を背負わされているからこそ、幸福を問いかけた。

「フェリーチェル様……あなたは」

 スズネが目を見開いた。フェリーチェルの言葉の裏にある感情に気付いたのだ。フェリーチェルが恐れていることは、おそらく、現実になるものだろうと予感していることを。

「私は、不幸になる運命を背負ってる。私は選べない。私は自分の望みが、目の前にある時にこそ、不幸に堕ちるんだって知ってるから。だから、皆にはちゃんと選んでほしい。コチョウはこんなひとで、皆にちゃんと問いかけてはくれないから、私が皆に聞きたいの。だって、私には見えない。見えないの」

 悲痛な声だ。フェリーチェルには壁の向こうが見えていなかった。何故ならば、彼女は不幸になる設定を背負った娘で、皆が本物になる選択をした時、置き去りにされる宿命が、彼女には初めから用意されていたからだった。


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