第六一話 気配
エノハの告白が意味するところは、スズネには分からなかっただろう。だが、少なくとも何か異常なことだということだけは伝わったようだった。
スズネがなぜ今まで黙っていたのかを聞き返そうとする驚きの表情を見せたが、それを制止した声は、エノハに話をするようにせがんだフェリーチェルのものだった。
「それは聞いちゃ駄目だよ。エノハだってなかなか言い出せなくて辛かったんだ。ね?」
コチョウと言い合いをしている時とは全く別のフェリーチェルがそこにいた。フェリーチェルを良く知っている者達にとって、こちらの方がむしろ見慣れたフェリーチェルの様子なのだろう。コチョウにはそれが、周囲に求められる自分を演じているフェリーチェル、のように感じられたが、敢えて口に出して指摘することはなかった。
「そういうものなの。辛いときに辛いって素直に言うことは、実はとても難しいことなの」
言葉が痛々しいのは、フェリーチェルだからこそ、誰よりも分かることだからだ。彼女自身、何度もそういった経験があったに違いない。
「話さなかったことを責めないで。エノハが黙っていたことを、あなたが寂しいと感じるのは分かるよ。それも確かに傷つくことだっていうのはそう。でもね、水臭いかもしれないけど、話すって、とても勇気がいることなんだ。私もそうだった。ずっとそうだった。最近になってやっと、そんな私でも、臆病になるより先に思わず言葉が出ちゃう程酷い人に出会って、悩んでるのが馬鹿馬鹿しくなって吹っ切れたけど、そうじゃなきゃ今でもいろんな辛いことをひとりで抱え込もうとするばっかりだったと思う。好きか嫌いかって話だと、建前では嫌いの方に分類される筈の人だけど、本音を言うとちょっと好き。そのくらい型破りな人と面と向かって悪態でも付き合わなけりゃ、本音ってなかなか話せないものなの。踏ん切りがいるのよ。あるいは失言みたいに口から勝手に飛び出しちゃうような切っ掛けとかね。あなただってそうでしょ? ねえ、スズネ。分かってあげて。あなたが好きで、友達で、仲間や家族だと思ってるからこそ話せないことってあるんだよ。だから、何故話さなかったってことを、責めちゃ駄目。それでいいの。それは仕方がなかったことなんだよ」
「……はい」
スズネが頷く。
階段も終わりが近い。コチョウが口を挟んだ。
「エノハの記憶に関する疑問は解き明かすべき謎だが、今は確証が足りん。まずは呪いだ」
スズネやエノハの魂が死んでしまっては話にもならない。何をするにしろ、呪いを解かねば始まらないのだ。
「推論はできてる。それを事実めかす具体例も見つかりつつある。足りないのは確証だ」
だがそれも。
「この階段の途中の何処かに必ず確証はある。調べる時間を得る為に、お前等は呪いを解け」
という結論に着地する。それは端的で、事実だ。
「うん」
「はい」
エノハが、少し遅れてスズネが答えた。
それから程なくして、コチョウ達は、階段が続いていた一番下の階である、地下四九層に辿り着く。最上階と同じで、階段ホールになっており、その先には両開きの扉があった。
そのノブに一度手を触れ、コチョウはすぐに離した。それから、他の三人を振り返った。
「少しここで休憩してから入るぞ」
唐突に、そう宣言する。いきなり心変わりしたような態度に、スズネとエノハは首を傾げた。
二人を無視したように、コチョウが勝手に言葉を続ける。長々と話すことはあまり得意ではないが、致し方なかった。
「私は私達のこの世界が、人形劇の為に用意された舞台に過ぎないと思ってる。だからといって私達が人形劇の人形なのかは分からんが、上の方の階の、ゴーレムの街を見る限りそういう類の世界なのだと思う。フェリーチェルはあまりに不遇すぎるし、お前等が現実にあった過去として覚えてることが、私にはただの夢の中の話だっていう矛盾も、そう考えると、いろいろ雑な話ではあるが、そんなこともあるかと思う。だから先に警告しておく。この扉の先に、おそらく地下五〇層への道を塞いでいる敵がいる。私はこうも考えている。それはある英雄譚の人形劇の悪役で、多分とある魔女だ。だがそれだけじゃない。おそらく過去に人気があったか、それとも劇作家の気まぐれか、悪役である魔女の掘り下げの劇のシナリオが作成された。しかしこれは間違いなく途中で公開が中止となった。理由は二つ。一つ目は、純粋に悪趣味にならざるを得なかったからだ。予想以上に気持ちが悪かった。そして二つ目。ありがちな失敗だが、話を盛りすぎた。最終的に英雄に倒されて終わる筈だったが、話を盛りすぎたせいで、英雄が主役だった時と強さがかけ離れて、どうやっても魔女を倒せなかった。それはこの世界の誰にも倒せないことを意味していた。だから、その倒せない存在は、もっともこの世界で重要な施設を守る為の門番として再利用された。私の勝手な妄想だと思ってくれて良い。何を言っているのか分からんだろうから聞き流せばいい。そんな前提は、まあ、どうでもいいんだ。だが、ここから話す話は現実だ。これから言うことは、心して聞いておけ。でなければ死ぬ。気を緩めれば死ぬ。緩めなくとも死にかねん」
コチョウは一気に喋り、そして、言葉を切った。スズネやエノハはまだ立ったままで、本気でコチョウが何を言い出したのか理解できないという顔をしていた。
「十分に休め。人生最期の休息になるかもしれん。この向こうにいるのは」
コチョウは告げた。
「本来そうなる筈だった、私だ」
「そうなる筈だった?」
流石にその言葉の真意が分からなかったのか、フェリーチェルがコチョウに問う。コチョウ自身も忘れそうになるが、アーケインスケープのメイジの一人から奪ったイヤリングのせいで、フェリーチェルにもすべては分からないのだということを思い出した。
「スズネやエノハに経験を分けてもいない、フェリーチェルに出会って若干日和ってもいない私ってことだ。他人に配慮なんざしないし、自分本位が服着て飛んでるようなろくでなしだ。間違いなく持ってる能力は私よりも上だ。おそらくそれだけに殺人の女神の力は持ち合わせてないだろうが、そっちははっきり言って、強さって意味じゃ何の足しにもなってない。とにかく私ですら敵だと思った奴には容赦しないんだ。戦いになれば遠慮なく殺しに来るのは分かるだろ?」
コチョウの答えに、フェリーチェルは頷いた。彼女だけは納得したようだ。そのそもスズネやエノハは、コチョウの能力の根幹が超能力であるということすら知らない。そういえば、何の説明もしていなかったと、コチョウも気付いた。
「私はもともと超能力者だ。だからあの向こうの私と、精神感応でシンクロする。だから分かるのさ、あっちにいるのが私だと、こっちの私にも。こっちにいるのが私だと、あっちの私にも」
「でも……それって勝てないってことじゃ?」
エノハが、本当は口にしたくない言葉だと言いたげに聞く。確かにそうだ。あっちの能力の方が格上だと、コチョウ自身が認めた。
「あっちにはお前等がいない。頭数はこっちの方が有利さ」
と、コチョウはさらっと、スズネやエノハも数に入っていると分かる発言をする。エノハは当然のように青くなった。
「お師匠より格上のお師匠と戦えって? 死ぬよそんなの!」
「馬鹿だな。頭を使え」
コチョウはそれだけ言ってから、まずは、とおどけたように笑った。
「とりあえず座れ。体を休めろ。万全じゃなきゃ話にもならん」
それは間違いない自信はあった。スズネやエノハも異論はないだろう。万全でだって勝てる気がしないだろうが無理はない。とにかく、言われるままに、二人は階段ホールの床に、腰をおろした。
「いいか、よく聞け。私は、あっちの私の方が、私より強い、と言った覚えはない」
それを見届けたコチョウが再度口を開く。あっけらかんと自信ありげに話すコチョウに、スズネとエノハはぽかんとして口を開いたまま、コチョウの話を聞いた。ただ、エノハの腕に抱えられているフェリーチェルだけが、さもあらんと告げるように、笑顔でうんうんと頷いていた。
「存在しただろう人形劇通りに話が進んだ先の私があっちにいる。ってことは、あっちにいるのは、誰かが書いた物語をトレースすることしかできない操り人形だ。だが、本当に私なら、筋書きなんてものに、こう言うってことは、お前等も分かってるよな」
コチョウが笑い、
「あ」
と、エノハが呟いた。スズネも、頷いた。分かったようだ。そしてコチョウが自分で言う前に、フェリーチェルが口を開き、
「知るかよ」
その声は、スズネとエノハの声と重なった。
「おうよ。分かってるじゃないか」
と、コチョウはまた笑った。