第五二話 苦闘
地下二一層を抜け、地下二二層に入ったことで、迷宮内の空気が一変した。半魔神か、半竜族か、どちらかのボスがいる、と、コチョウは確信した。おそらくは前者だろう。地下二一層は半竜族だらけだったが、地下二二層の迷路では、再び半魔神が混ざっている。コチョウは、半魔神のボスがいる部屋があるのであれば半竜族より半魔神の襲撃が多くなる区画の筈だと想定した。
その推測は当たっていた。迷路の一角に、やけに半魔神がおおい区画があり、そこで襲ってくる半魔神を片っ端から返り討ちにして探索を続けた結果、広間のように通路から扉もなく続いた場所で、他の半魔神よりも目立つ個体が襲ってきた。他の半魔神と比べて大きいということはなく、むしろ頭一つ程小さい。と言うのも、半魔神のボスは、どうやら女であるらしかったからだった。
コチョウが半魔神化した姿よりも華奢で、背も低い。背の翼は武骨ではなく、艶やかに光る、妙に色気のある翼だった。服装も戦闘に適した衣装というよりも、露出度が高い煽情的なもので、魔神と言うよりも悪魔的な印象のある女だった。頭髪は赤く癖があり、瞳は紫色に近かった。
コチョウはそいつに名前も聞かなかったし、そもそも会話をしようなどという素振りも見せなかった。向こうも丁度同じ意見だったようで、女は一歩下がると、自分の前に、四人の屈強そうな体躯の半魔神の男達に立ち塞がらせた。
明らかに、悪手だ。そのフォーメーションをとる為に、一瞬ながら、女の視界が制限される。コチョウにはその一瞬で十分だった。
そもそもコチョウは相手が戦闘態勢を整えるのを黙って待ったりはしない。その隙にテレポートの呪文を唱え、女の背後に飛んだ。勿論、女の背後はがら空きだ。自分に不意打ちを受ける隙などある筈がないと妄信してやまない傲慢さがあったのだろう。それが仇となった。
ほんの僅かな時間、敵の視界から消えただけでも、コチョウは反応する。まさに女が瞬きするような間に、背後を取り、ライフテイカーで貫いた。フェアリーの姿であればガードの男達も纏めて倒せたのだが、流石に人化中はそこまでの機動性は発揮できなかった。それでも、男達が慌てて振り向いた時には、既にボスの女半魔神は、腹から突き出た刃によって、左胸、左肩と力任せに骨まで断たれる耳障りな音を上げ、斬り裂かれた。
血と、脂、骨片や内臓の破片を撒き散らし、女は死んだ。突然のボスの死が受け入れられなかったのか、男達も唖然とするばかりで、対応を忘れる。それがまた恰好の隙となった。コチョウは男達の戦意が復帰するのを待たず、一人につき四本の吸魂の刃を、一人一人を囲むように出現させ、前後左右から貫いた。
半魔神のボスとの戦闘はそれで終わった。迷宮内に残っているのは、あとは雑魚ばかりだ。襲ってくるものを撃破して行けば、そのうち半魔神の勢力も抵抗の力を失うだろう。
「えぐい」
と、エノハはげんなりした顔をした。
「全く躊躇しないの、尊敬もするけど、ちょっと怖い」
「ちょっとか?」
コチョウが剣についた血糊を振り払いながら笑うと、
「すごく」
と、エノハは言い直した。それでいい。コチョウは頷いた。
「こんな奴が私以外にいたらろくなことにならない。私だけだって十分ろくでもないだろ」
「それは認識されているのに、直すおつもりはないのですよね?」
分かり切ったことをスズネに言われた。コチョウは言葉で答える代わりに、肩を竦めてみせた。
「そろそろこのくらいならお前等でも倒せるだろうが、分かってると思うが手は出すな」
コチョウはそれだけ言い含め、ボスがいた空間を見回した。宝箱の一つもない。ここまでも宝箱を見かけたことがなく、意外にしけた遺跡だと肩透かしを食らっている気分になった。
ないものは仕方がない。コチョウはまた探索を再開した。スズネ達に手を出させない理由は、スズネ達が倒した分は、経験が奪えないせいだ。コチョウからすれば雑魚でも、半魔神や半竜族は普通の冒険者には手強い相手で、それなりの強さが奪える。コチョウにすればそれ程の蓄積にはならないが、スズネ達には貴重なものだ。先はまだ長い。ここでの経験の取りこぼしは極力避けたかった。そろそろそれも頭打ちになる頃だろうが、それならばそれで良かった。
地下二二層では、その後、雑魚が繰り返し襲ってくるくらいのことしかなかった。地下二三層にさっさと降り、そこからはまた半竜族ばかりが襲ってくるようになった。ここまでの階層と比べると、地下二三層は天井が高かった。面倒な予感がしたが、そういった不安は的中するものだ。この階層の半竜族は、恐竜を引き連れていた。サイズは二、三メートルと小型だが、上の階層にいた出来損ないのように狂暴すぎる訳でもなく、ずっと賢い奴だった。半竜族の指示に忠実に従うのが厄介この上なかった。
そもそも二、三メートルというサイズは恐竜でいえば小型であるが、人間大の生物から見れば十分デカい。頭上から降ってくる牙は避け辛いものだ。さっさと処理するに限るのだが、兎に角よく群れる生物らしく、数が多く難儀させられた。何度か軋む背中に鞭打ち、フェアリーの姿に戻ってより頭上をとることを選んだ。地下二三層を抜けた時には、流石のコチョウもうっすらと額に汗が浮いていた。
二四層はそれに、硬い表皮を持った草食系の恐竜が混じった。危険度は肉食恐竜程ではないが、放置しておくとスズネやエノハに体当たりを仕掛けようとするのが問題だった。走ると、予想以上に速い。流石にここまで来ると、すべてを吸魂効果のある攻撃だけで片付けるということが困難になってくる。しかしコチョウが消耗を強いられるレベルの戦闘では、スズネやエノハでは流石に消耗が激しすぎる。戦わせるのは、二人に余裕が持てるだけの強さが身につくまでは危険だった。
「……一人で無傷で倒せてることの方が信じられない」
エノハはむしろそっちに驚愕していた。半魔神は魔術に加えて近接武器を好んで使う相手だったが、半竜族はそれに加え、ブレスを吐き、手足の爪も駆使した可変的で複雑な攻撃をしてくる。しかも連れている恐竜は一体一体のポテンシャルが高い。常に先手を取り、攻撃に晒される中少ない反撃のチャンスを縫って確実に数を減らし、追いつめていかなければ危険な戦闘が続いていたのは、エノハもはっきりと認識していた。
「本当です。お強い、と言うレベルではありません」
スズネも頷いた。勿論、コチョウも敵のすべてに対応して戦うことができる訳でもない。幾らかの攻撃は、魔神や女神等から奪った耐性があり、無視できるからこそ成り立っていた。
おかげで地下二四層を抜け、地下二五層に降りる頃には、コチョウも疲労で足元が若干覚束ない状態になっていた。明らかに休息が必要で、コチョウは地下二五層に降りたところで座り込んだ。
「ふう。流石に敵も雑魚じゃなくなってきてる。まあ、だが、まだお前等でも倒せるさ」
コチョウはきしきしと痛む背中を気にするように、自分で肩を揉んだ。やはりまだフェアリーとして飛行すると、違和感が大きい。ひと晩寝ることができれば少しはマシになるだろうか。左腕が思うように動かないという不自由さが、コチョウにとって何より恨めしかった。
「だが、どうやらここがこの辺りの正念場みたいだな」
地下二四層から降りてきた先は小さな小部屋で、階段とは反対の壁にアーチのような扉が一つある。その向こうから、ひしひしと他とは違う気配を感じた。間違いなく、扉の向こうに、半竜族のボスがいる。疲労を回復しなければ、万が一もあり得るかもしれなかった。
「むこうも、気が付いているのでしょうね」
スズネの呟きに、
「だろうな」
コチョウも面白くなさそうに答えた。不意打ちは望めないだろう。正面からの戦いになる。だが、考えようによっては、この先スズネやエノハが戦力になる為の、良い餌とも言える。どの道、半竜族の猛者で躓いている訳にはいかない。
「ここまでは、冒険者は追ってこないかな?」
エノハがその懸念も口にした。確かにコチョウ達は、これまでの最大到達層を大幅に更新した場所にいる。これまでの倍だ。とはいえ、その為に排除する敵を選んでもいない。追ってくる連中はコチョウ達よりも楽になってしまっている筈だ。それでも僅かな敵であろうと、勝利できないパーティーの方が多いのも確かだ。大量に冒険者が押し寄せてくることはないだろうが、その分、まだ追いかけてきている連中がいるとすれば、間違いなく一筋縄ではいかない強敵と言えるのだろう。
「分からん。だが、最下層まで辿り着いたら、出なければならん。戻りで遭遇するだろ」
コチョウはまだまだ問題は多いと肩を竦めた。何はともあれ、今は進むだけだ。コチョウは三〇分程休憩を取り、立ち上がった。
「さて、半竜族のボスの顔を拝むとしよう」