第五話 投獄
コチョウは、目覚めると真鍮製の籠に閉じ込められていた。魔法で強化されている特別製の籠で、本来エレメンタルなどを捕獲する為のものだ。ろくに回復も受けていない、今のコチョウに破れるものではなかった。
体中が痛み、起き上がるのも億劫だった。おそらく癒すと暴れると判断されたのだろう。
ややぼやける目をうっすらと開け、周囲を見回すと、場所は宿屋のようだった。だが、コチョウが普段寝泊まりしているアンバー・エール・インではない。内装から判断した限り、もっと高級な宿だった。
「彼女が悪い訳ではない。それは不当だ」
宿の主人と、カインが何か言い合っている声が聞こえる。何やらトラブルの予感をコチョウは覚えた。
「あなたが出かけたあとで状況が変わったのです。とにかく、最近冒険者を殺しまくっている殺人鬼がいるらしいとのことで、捕えたら詰所へ連行するようにとお触れが回っています」
宿の者らしい声は酷く冷淡だ。深くかかわりたくないという感情が滲んでいた。カインが話している相手は女性のようだが、ひどく事務的で、愛想の欠片もなかった。
「彼女は自分の身を守っただけだ。悪いのはむしろ襲った連中で、返り討ちにあい、命を落としたのは自業自得だ。この街には法はないのか」
カインはさらに食い下がるが、宿の女性はさも面倒そうに大きなため息をついただけだった。
「そこまで言うならご自分で詰所に連れて行き、弁護してみたらどうですか。ご自由にどうぞ」
なんとなく、状況は読めた。
「あらら、あなたやっちゃったみたいね」
籠の上で声がある。籠の上に腰掛けた、コチョウよりもさらに小柄な少女だ。うっすらと黄緑がかった癖の強い頭髪と、蜻蛉のような翅を生やした妖精種族だった。ピクシーだ。
カインからルエリと呼ばれた少女だった。コチョウは忍び寄った彼女に、背後から不意打ちされ、気絶させられたのだ。
「大方、倒しまくった冒険者の中に有力者の身内でもいたんでしょう。怒りを買ったね」
「知るか」
コチョウはぶっきらぼうに答えた。喋ると、左肩と後頭部が痛んだ。
カインは、結局宿では埒が明かないと認めたらしく、自分でアイアンリバーの方々にある詰所に向かうことにしたのか、籠をぶら下げて宿を出た。看板が見える――シルフ・アンド・ウンディーネという文字が見えた。白い壁の外観の宿だ。コチョウには周囲の景観には馴染みがなかったが、宿の名と外観を覚えた。
カインが通りを足早に抜けるにつれ、景観は、コチョウにも見覚えのある景色に変わっていった。アイアンリバーの東門に近い通りの筈だった。東門のすぐそばに詰め所が一つある。そこに向かっているのだと、コチョウは認識した。
だが、カインは詰所には足を向けなかった。そのまま素通りし、東門から荒野に出た。
そして、籠を開けた。
「ルエリ、癒してやってくれ」
彼は、詰所にコチョウを突き出すつもりがなくなっていたのだ。逃がすつもりで、街を出たのだった。それならば、と、コチョウは籠から重い体を引きずり、這いだした。飛ぶ体力は戻っておらず、地べたに、死にかけの蝶のように這いつくばるのが精一杯だった。
「逃がすんだ。こんなこと知られたら、ここで活動しづらくなるよ?」
いいのかと言いたげに、ルエリは聞くが、
「それは構わない。不当な扱いに加担するくらいなら、百倍ましだ」
カインは頷いた。もっとも。
「そうはいかん。籠に戻してもらおう。そして、こちらにその者を渡してもらおうかな」
彼等の背後から、さらに声が上がった。兵士が立っている。その顔は、コチョウにも見覚えがあった。
アイアンリバーは都市国家で、冒険者も多い。治安の悪さも推して知るべしで、兵士の質も、上を見ればきりがないが、下を見ても切りがない。勤務中は治安を守るポーズを決め込みながら、非番の日になれば野盗紛いになり下がる、ならず者と大差ない悪党もいるものだ。その兵士の顔は、コチョウを襲ってきた一団の中に、いつか見たことがあった。
カイン達は兵士に見られたことで、弁護で誤解を解かざるを得なくなったと理解したようだった。話が通じる相手でないことは、カイン達には分かる筈もなかった。
「彼女は自分の身を守っただけだ。非は彼女を襲った者達にある。捕えるべきはそっちだ」
必死にカインは説明したが、兵士は無論、取り合おうとはしなかった。
「その妖精を引き渡せ」
の一点張りで、話を聞こうという姿勢すら見せなかった。当然だ。
「不当だ」
カインがさらに食い下がるも、
「無駄だよ。こいつの顔は覚えてる。こいつも野盗紛いの一人だ。話を聞く訳ないだろ」
と、コチョウ自身が、それが徒労であることを教えた。
「兵士を侮辱するとはたいしたふてぶてしさだ。こんな奴をまだ擁護するのか」
兵士は顔色も変えずに言ってのけた。ふてぶてしいのはどっちだと言ってやりたいのはやまやまだったが、傷が痛むコチョウの口からさらに出た声は、呻きだけだった。カインに向かって少し喋りすぎた。
「兵士までか。すまない。狂ってるのは、街の方だったみたいだ」
カインがコチョウに言い、グレートソードを抜こうとする。兵士と戦っても面倒臭いことにしかならない。コチョウは止めた。
「やめとけ……兵士を全員斬るつもりか?」
うめき声交じりではあったが、何とか声にすることはできた。這うように自分で籠のほうへ戻り、兵士を見上げた。兵士は表情こそ真面目だが、勝ち誇ったような嘲りの目をしていた。
「連れてけ……どうとでもしろ」
何もかもが面倒だった。ひとに助けられるのも気分が悪く、そのせいで大事になるのもコチョウには面倒くさいとしか思えなかった。
「駄目だ」
カインはそんなコチョウの体を掴み上げ、籠に戻ることを阻んだ。
「それならば僕が自分で連れて行く。お前の不正も告発させてもらう」
兵士に毅然と向かって言うカインだったが、コチョウには、それも無駄な足掻きだと勘づいていた。連行のお触れが回っている以上、よしんば詰所の責任者がまともな人物だったとしても、どうせ軍隊には何もできない。
だが、体を掴まれていて、激痛が言葉をすべて押し流した。コチョウには悪態をつく余裕もなかった。
「それでいい。好きにしろ」
兵士は頷いた。平静を装った表情と声には余裕すらあった。告発が受け付けられないことを確信しているかのようだった。
カインは籠にコチョウを戻し、兵士には指一本触れさせないよう、自分で持った。そして街に戻り、詰所へ向かった。
結果は兵士の確信の通りであり、コチョウが諦めていた通りだった。カインの告発はまったく相手にされず、兵士達の態度はカインを馬鹿にした様子ですらあった。
「あん? 殺人鬼の言うことを真に受けて、善人気取りかね? そんなことで大丈夫かね、冒険者君。そうか、幾つでも命があるから死んでも構わんのだったな。安い命だな」
とまで、侮蔑の言葉を掛けられて笑われる始末だった。その下品さはまるで山賊のねぐらのようだった。
「貴様等、それでも都市国家の治安を守る兵士か」
カインはそう言って激高したが、詰所で大立ち回りなどしようものなら、逆に罪人として捕えるいい口実を与えてしまう。詰所を訪れた時点で、彼の負けは確定していたのだ。
結局、彼に出来ることは、既にコチョウを兵士達に引き渡すことだけだった。受け取った兵士は、コチョウには見覚えのない奴だったものの、コチョウを籠ごと乱暴に扱った。
籠は大きく揺れ、何度も柵や床に叩きつけられ、コチョウは呻きを上げ続けた。それでも兵士はまったく気にもかけなかった。無論、コチョウにはどこかに捕まり、耐えるような体力も戻ってはいなかった。翻弄されるままに任せるしかなかった。コチョウは、揺さぶられ、叩きつけられながら、やがてまた、気を失った。
――そして、次に目が覚めた時。
彼女は自分がひどく寒い場所にいることを知った。相変わらず籠の中で、何処か暗い場所に籠が吊るされていることが分かった。
体力は戻っていない。体はまだ痛む。コチョウは籠の底に体を横たえたまま、ただ、寒さに震えた。
それが、コチョウの獄中の日々の、始まりだった。