第四七話 無双
当然だが、幼いスズネは飛び去ろうとするコチョウを呼び止めた。
「おまちを」
宙に翼を広げたコチョウを見上げ、スズネは名の通り、鈴の鳴るような声を大きくした。コチョウはその声に一度止まり、
「行くなら自分達で勝手に行け。私は子供のお守は御免だ」
見下ろして答えただけで、飛び去った。戦の剣呑な空気は魔神の力を駆使すれば嗅ぎ取ることも容易だ。コチョウはそのきな臭い気配を追って、島国の山脈を超えて北西へ向かった。国土は狭いとも言えないが、広大という程でもない。標高が高めの山脈を超え、飛んだ先には、荒々しく白波が打ち寄せる海岸が広がっていて、未だ陣営すら見えず、戦の準備は整っていないようだった。ただ、海に面して、警戒を強める鎧武者達の姿は見ることができた。沖には不気味に留まっているガレー船の船団が見え、アンデッドの鼻に付く匂いがぷんぷんと匂ってきていた。船は五隻。多すぎるとは言えない。
「あれか」
と、コチョウは笑った。どれ、蜂の巣を突いてみるとするか。その後どうなるかなど、コチョウの知ったことではない。
「さて、大層な女神を自称するなら、さぞかし強い連中なんだろうな」
海上を飛び、ガレー船の上を一旦通り過ぎる。船上にいる連中の正体を確かめる為だ。その時になってふと、自分が五体満足であることにコチョウは気が付いた。眠る前は、左腕を失っていた筈だが、怪我がないことは幸いだ。気力も十分にあり、魔力も戻っていることを感じた。夢の中だけに、何でもありなのだろう。
船上をたむろしているのは、プレートメイル姿の魔物達だった。プレートメイルは実態だが、中身は薄く靄のようで、明らかに普通の武器では傷つかないアンデッドだということが見て取れた。
「レヴナントか。数が多いな」
かなり高等なアンデッドだ。通常集団を作ることは少なく、何かに従っていることはもっと少ない。つまりは、それらを束ねている船団長たる者はそれよりずっと高等な奴ということだ。いよいよもってコチョウの期待は高まった。
上空からボスらしき存在を探す。ひと際立派なガレー船の船上で、まさに神の如く振舞っている女が見えた。黒髪を金の額当てで飾った女で、宝石がこれでもかとあしらわれた錫杖のようなものを手にしている。人間のように見えるが、少なくとも普通の生物には思えないオーラを漂わせていた。
「面白い」
コチョウは少しだけ思案した。ライフテイカーを今呼び寄せたら、眠る前にスズネが手にした方は消えるのだろうか。丸腰にするには、未だスズネの実力には不安が残る。あっちで起きた時に面倒なことになっているのは御免だ。
コチョウはライフテイカーそのものを呼び寄せるのではなく、若干力は落ちることに目をつぶり、レプリカ品を造り出して使うことにした。レヴナント相手であればひとまずそれで問題はない。ヌルの力を使い、コチョウは無警告で船団中に見える範囲のレヴナントに対し、虚空から吸魂の刃を突き立てた。突然の襲撃で、完全に不意を打つ形になった。レヴナントは霊体のアンデッドで、吸魂は極めて効果が高い。瞬く間に船上は鉄くずのようなプレートメイルと不浄の剣が転がるだけになった。女が度肝を抜かれたようにあたりを見回している。上空にコチョウを見つけるまでの冷静さもないようだ。たいしたことがないな、とコチョウは軽く落胆した。
船上の異変に気付いたらしく、どの船も、船内から続々とレヴナントが飛び出してきた。コチョウは、ある程度船上にレヴナントが溜まるのを待ってから、片っ端から吸魂の刃で貫いた。レヴナントがもつ強さはたいしたことがない。魔神と比べれば子供じみたものだ。だが、得たものは小さくなかった。どうやら通常空間で吸魂の刃を使うと魂は直接剣に集まって来るようだと分かった。
やがて、レヴナントの一部が上空にいるコチョウに気付き、ボスだろう女もコチョウに気付いたように空を見上げた。憎々しげに見上げる女の顔は人間離れした美しさだが、コチョウと同類の、ねじ曲がった冷酷さを感じさせる目をしていた。黒い瞳は憎悪だけを映し、同族嫌悪に近い表情を浮かべた。むこうも、コチョウが同じく冷淡な破壊者だと分かったようだった。
薄く、煌めくような衣装を揺らし、女は宙に浮いた。猛スピードでコチョウに突っ込んでくる。魔法等という小細工もなく、女は諸手に光を溜め、それを巨大な双剣に変え、飛んできた。
「馬鹿が」
コチョウは様子見に、投げつけるように闇を放った。ヌルも使った闇の範囲呪文。ダークボムだ。しかしそれは女の前に到達する寸前で、無効化されるように掻き消された。
「ふん。まあ、及第点だ」
悪くない。コチョウは納得し、自分も女に向かって飛んだ。
「名前を聞く程律儀じゃない。名乗るなら勝手に名乗れ」
言って、レプリカの魔神の剣を叩きつける。女は双剣で受けたが、コチョウの剣はレプリカとはいえ彼女の超能力で生み出したものだ。浸透するように、闇が女の右手の剣の刃を浸食し、そのまま砕いた。
「何っ」
女の顔が歪む。あり得ないことが起こったと言いたげな表情が、印象的だった。
「忘れ去られたとはいえ、我は女神ぞ。我が剣が折られるなど、あって良いものか」
コチョウがあまりに平然としていたからか、女はコチョウが聞いてもいないことを勝手に白状した。とはいえ、魔神の力に抵抗できないようでは、たいした女神でもないのだろう。落ちぶれた神なのかもしれない。
「アンドロクタシアを名乗る割には、たいしたことがないな。名前負けが酷い。紛い物か」
コチョウはあからさまな落胆を伝え、ただ、まあ、いい、と言わんばかりに、女のもう一方の剣も折った。
「普通の魔法を退ける程度の力はあるらしい。あって損はない力ではある」
「ええい、剣を折った如きのことで、もう勝ったつもりか。片腹痛い。死ぬのはお前で、我ではないぞ。確かに我のアンドロクタシアの名は称号に過ぎぬ。誰とも知らぬ実の女神当人ではない。だが、我も殺人の女神であることに違いはないのだ。我が名は――」
女は再び腕に光を集め、再びそれを刃にした。今回は双剣でなく、太く長いロングスピアだった。しかしそれもコチョウにはどうでも良く、喚く声が滑稽だとしか思わなかった。
「無数にあるお前の勘違いのうち、三つだけ教えてやろう」
コチョウは告げる。
「一つ目。お前が相手をしているのは、死だ。死は常に殺人の一歩先にある」
ヌルは、死だと名乗った。本当かどうか兎も角、名乗るだけの力は、それを吸い尽くしたコチョウの手にも入った。ならば、コチョウが。余程行動に制限がある状況であるなら話は別だが、たかが殺人の女神に破れることはあり得なかった。
「二つ目。私はお前の名などに興味はない」
そして。
「三つ目。偉そうに喋るのは、強い方がやることだ。それが分かってる私が、これだけ喋ってる。その意味は一つだ」
そして、コチョウは自分の手の中の剣を消した。女の顔が、一気に青ざめた。そして、女の手の中の槍も、霧散していった。まるで、命の光が潰えるように。
「お前の命運は、とっくに尽きてる」
そう言って、コチョウは女の体を軽く押した。女の腹から背中に、コチョウが発生させた吸魂の刃が、レヴナントと同じように突き立っている。女はそれ一本では滅びなかったが、コチョウもそれで終わりとは、言っていない。女の周りには、逃げ場がない程の、吸魂の刃の切っ先が、宙に浮いて狙っていた。
「滅びろ。私の糧になれ」
コチョウの合図を最後に、一斉に刃が女を貫く。途端に光の泡のように、海上のガレー船も消滅して消えていった。船団は、名も知らぬ殺人の女神が、自分の力で作り上げたものだった。同時に、荒々しく浜に向かって打ち付けていた波も穏やかに静まっていく。それすら女神の力で荒らしていたものだったのかもしれなかった。戦もなくなるだろうが、あとのことはコチョウには興味がなかった。それが現実なのか夢なのかも不確かであることの方がコチョウには重要で、目覚めた時に手に入れた筈の女神の力がただの幻だったという方がショックだと考えていた。
どうやれば自分が夢から覚めるのかも分からなかったが、とにかく自分が望んだ夢でもない以上、顔見知りを無視したままで終わるとは、コチョウには思えなかった。あまり気が進まないが、引き返すしかないのだろう。
海岸では、鎧武者達が混乱した様子を見せていた。彼等の一部はコチョウを見上げており、何か知っているのだと思ったのだろう、彼女を手招きしていたが、コチョウは彼等を見ず知らずのモブと割り切り、無視して山脈を超えるルートへと素通りした。
再び険しい山脈を超え、スズネ達が居た都市に向かう。面倒ごとがまだ残っていそうな、嫌な予感がしていた。