第四六話 夢想
コチョウは眠りの中、波に揺られるように揺蕩っていた。彼女は夢を見ていた。そして揺らめきが収まった時、遥かに遠い国を見た。
石灰の壁と、土を焼いた屋根が並ぶ大きな都市だった。石を敷いた小道と、砂や砂利を巻いた土の道が白い。アイアンリバー周辺では見られない文化様式で、平屋の家屋が並ぶ街並みに、朱塗りの寺院や神殿、石積みの土台の上に高く聳えた異国の城郭が、水を張った水路に囲まれて威容を誇っていた。
「ここは……スズネやエレハの故郷の国か」
コチョウは呟き、自分がそれを空から眺めていることに気付いた。何の夢か意味は分からない。夢に意味などはないのかもしれないが、自分が夢を見るという経験が新鮮で、異国の街の景観をしげしげと眺めた。
その城下の一つの家屋に、スズネとエノハの面影を持つ子供を見つけた。スズネは見るからに幼く、面影だけが分かる程度だが、エルフであるエノハは、コチョウが知る彼女とほとんど変わらない外見をしていた。
誰かと何かを言い合っている。相手は大人の男だった。見慣れない鎧を着て、今からまさに戦にでも出ようといういで立ちをしていた。
「ちちうえ、こたびのえんせいは、どうにもスズネにはいやなきをかんじます」
たどたどしい口調で、スズネが男にそう勢いづいていた。よくあることだ、出兵理由など、そうそう正しいものである訳でもない。コチョウはだいたいの状況を察した気分になった。
「言うな。妙な噂は聞いておるが、殿が戦じゃと仰るからには絶対なのだ。お前も武家の娘なら弁えよ」
答えた男は、おそらくスズネの父親なのだろう。恐れを知らぬ瞳は、勇猛でもあり、蛮勇にもコチョウには映った。仕える主に絶対の忠誠を誓う関係というものは、古今東西幅広くあるとは聞いている。だが、コチョウには愚かしいとしか思うことはなかった。もっとも出て行って話を混ぜっ返す気にもならないし、自分の声が彼等に届くとも限らない。コチョウがその場に飛び込むことはなかった。
「せめて、せめて、てきがたのしょうたいを、このエノハにうらなわせることをおゆるしくださいませ。それはむだにならないはずです。スズネは、ちちうえがしんぱいなのでございます」
スズネの言うことには一理あった。敵の正体も分からぬまま、徒に攻撃すること程危険なことはない。だが、スズネの父はそれをにべもなく断り、切って捨てた。
「子供が口を出す問題でも、知るべき問題でもないのだ。お前達が占う必要はない」
ある程度の覚悟ができた目。ある程度敵が剣呑であることを理解した目を、スズネの父はしていた。断ったのは、間違いなくスズネやエノハを思い、危険に飛び込ませないようにする為の親心だった。しかし、それはいつの時も親を思う子の心には届かないものだ。面倒なことに、そう言われて納得する者は少ない。悪手だと、コチョウは感じた。関わらせないようにするなら、相手を納得させる努力は、必要だ。あるいは、納得できないまでも、根本的に関わる能力が足りていないことを思い知らせるか。コチョウがとるのは、主に後者ではあるが。
「出立する。母の言いつけを守り、大人しゅう待っておるのだぞ」
男は、そう言って家屋を離れ、門を出ていった。それを見送るスズネの顔は明らかに納得しておらず、今にも言いつけを破りそうな危うさがあった。
眺めているだけというのも飽きた。コチョウはスズネ達の傍に降りていった。そして、言葉が届くかを試す為に、声をかけてみた。
「おい」
頭上から掛けたコチョウのその声に、スズネとエノハはすぐにコチョウを見上げた。どうやら聞こえてはいるらしい。言葉として理解できているのかを確かめる為に、コチョウはさらに続けた。
「占ってみるのはいい。お前等だけでそれを止められるとは思うなよ。事態を悪化させる」
「あの、どなたで……エノハ、これが、あっき、というものでしょうか?」
コチョウに答えかけ、スズネはその姿を見て、エノハに問い掛けなおした。エノハも自信なさげに、小首を傾げて答えた。
「多分、だけど。蝙蝠の羽根も生えてるし。でも、なんだろ。違う気もする」
エノハの言葉に、コチョウは初めて自分がフェアリーの姿でなく、人間大の半魔神の姿であることに気付いた。フェアリーの姿に戻ろうと試みたが、どういう訳か、本来の姿である筈の、フェアリーの姿を、コチョウは思い出すことができなかった。
「私のことはいい。お前等みたいな子供に正体を明かす程気安くもない」
コチョウはスズネ達の前に降り、腕を組んで仁王立ちになった。だが、そう言って止まるものでもなかろう。温い愛情の世界に浸る子供に、世間の冷たさを思い知らせてやるのも一興かと、薄ら暗い感情が生まれた。
「それより、そいつに占わせてみたらどうだ。余計なことを気にしてると手遅れになるぞ」
今回の戦はただの合戦ではないだろう、それがコチョウの推測だった。相手はおそらくモンスターの類の手勢だろう。そして、コチョウの想像が正しいのであれば、人間側の勝算は、薄い。百歩譲って勝てる戦だとしても、多大な犠牲が出るのだろうと見ていた。
コチョウは勘づいていた。夢という形で、スズネとエノハの過去を見ているのだ。放っておけばスズネの父は死に、スズネとエノハは路頭に迷うことになるのだろう。コチョウからすればそれでも構わないとも言えたが、そこから考えられる結果は少しも面白くはなかった。余計なお節介になるのは癪だが、だからといって見ているだけというのも退屈になりそうな気がしていた。
「馬鹿だな」
コチョウは口の中で呟いた。このまま放置すれば、スズネはエノハに敵の正体を占わせる。そして、父の危険を悟り、言いつけを破り、父の元に報せに走るだろう。だが子供に戦場は厳しすぎる。その行動は、父の死の因果になり得る。この手のすれ違いの末路など、だいたい結果は知れていた。それを防いでやる義理はなかったが、生憎、コチョウはそういう鬱陶しい悲劇とやらが嫌いだ。ある意味人災で、会話がお互いに足りなかったことが原因で、互いの思いを理解できていれば防げるだけのつまらない茶番だ。
勿論、ただのコチョウの推測であって確証はない。だから、コチョウはエノハに占わせ、自分の推測が当たっているという満足を欲した。
「は、はい。エノハ。おねがいできますか」
スズネは、頷き、エノハに占うように頼んだ。それでいい。コチョウは静かに結果を待った。
エノハは静かに、
「うん」
とだけ答え、懐から式札を一枚取り出す。亀の札、と記されていた。主に占いに用いられる札のようだった。エノハは式神の名を呼んだ。
「シオサイ」
札を宙に投げ、出現したのは、宙に浮かぶ一匹の亀だった。陸上の亀ではなく、ウミガメだった。古くから亀卜や甲卜と呼ばれ、亀は甲羅などが広く占い使用されたという。占いで亀を呼んだのは、そこから来ているのだろうかと、コチョウは興味深く眺めた。
「……うん。うん」
まるで亀と会話しているように、エノハは頷きを繰り返した。勿論コチョウ達に分かるような人語を、亀は話さない。エノハだけに理解できているような、会話もどきが、しばらく続いた。
「うん。ありがとう」
エノハが満足したように手を差し出す。その上に亀は乗り、式札に戻った。
「シオサイが言うには、敵は、異国の魑魅魍魎の軍だって」
と、エノハはスズネに語る。嘘や適当な話をしているような顔ではなかった。
「それに、特別な力を持たない武具では、そいつらを傷つけることはできないって」
「それでは、ちちうえたちは」
スズネも、息を飲んだ。最悪の事態を、脳裏に浮かべているに違いなかった。
「分からない。ひょっとすると、対抗手段は用意してるかも。でも、何もなければ負ける」
エノハの言葉は、スズネにはこの世の終わりのように聞こえたに違いない。もっとも、コチョウはそれだけの情報では満足できなかった。
「どんな連中かは、亀は話したか?」
エノハにコチョウが問いかけると、
「良く分からない。あんどろくたしあの軍勢、とは言ってたけど……何のことか知らない」
エノハはそう答えた。
「アンドロクタシア。“殺人”か」
ヌルの知識にある。パナケイアと同じく、何処とも知れぬ地の女神の名を元にした言葉だ。今では災厄をもたらす邪な言葉としても知られている。コチョウからすれば、是非とも食ってみたい存在だった。
「面白い。どれ程のものか、見てみるかな」
コチョウは呟き、空を見上げた。
子供を連れて行くつもりは、なかった。