第四四話 逆襲
当然、コチョウの扱いに、スズネは猛抗議した。
「あなたからすれば軟弱にすぎるのは存じています……ですが、この扱いはあんまりです」
無造作に浮かされたスズネはまるで担がれているように不格好な姿勢で宙を漂っていて、自分で落ち着く状態に直ることもままならないでいた。エノハはしっかり頭が上になるように気を遣われているあたり、扱いの差は歴然だった。
「何でスズネだけにそんなに酷いの?」
エノハもそれは感じているらしく、怒ったようにコチョウに語気を強めて問いかけた。
「お前は壊れる」
コチョウの答えは端的で、要はエノハも同じに扱ってやりたいが、そうすると体力がないエノハには耐えられず、後始末が面倒なことになると分かっているからできないだけだった。
コチョウは短くエノハに答えてから、地下九層への下り坂を降りる前に、ゴーファスを振り返った。
「くれぐれも無理だけはするな。お前は手勢を含めて使える。ここで失うには惜しい」
「承知した。戦力も無理に消耗させないよう、折を見て撤退しよう」
アンデッドだけに、撤退の方法は幾らでもあるだろう。コチョウは内容については確認しなかった。彼等には迷宮の構造は関係ない。いざとなれば、ひとの身では入り込めない岩盤の中に入り込んでも、死ぬということがないのだ。やりようは幾らでもあった。
「それでいい」
コチョウは頷き、再び地下九層に向かった。恐竜が跋扈する階層だ。以前の苦戦の教訓も鑑みて、ライフテイカーを抜いて進んだ。
探索の途中、再びギガノトサウルスの一団と遭遇した。今回は五体。前回の奴は相打ちで全部殺した筈だから、別の個体と言うことになるのだろう。前回より数は多いが、魔神の力を得た今のコチョウの敵ではなかった。やはり純粋な力ではギガノトサウルスの方が勝っていて、腕力で突進を止めることはできなかったが、それだけだった。程良い生贄ともいえ、ライフテイカーを突き立ててその筋力とスタミナ、速さを吸い上げたところで、完全に彼我の実力差に決定的な差ができた。ライフテイカーの切れ味は流石の一言で、分厚いギガノトサウルスの表皮を、障害ですらないように貫いた。どうも物理的な防具を無視して貫通するようにも思えた。魂の階層でヌルを斬り裂けなかったことから、精神的、魔法的な防護は有効なのだろう。
特に苦戦もせずギガノトサウルスを一掃すると、コチョウは自分に新しい力が宿ったことを確信した。今まで自身に耐性がなく扱えなかったが、魔神化したことで毒に対する耐性が付いたのだろう、ポイズンブレスの能力を得た。そして、更に、コチョウ自身にとっても厄介だった、あの石化睨みの能力も体得したことを理解した。
「うげぁ」
背後の方で、スズネが嘔吐感を催したような、悪酔いしたかのような声を上げた。
「はあ……はあ……ぅあぅ」
エノハも息を荒げて呻いた。
力酔いだ。強制的に流れ込んでくる“強さ”におそらく身体と精神がついてきていないのだ。二人と比べればギガノトサウルスは何倍も強い。二人に分配されている“強さ”はギガノトサウルス本来のものの半分程度にも満たないが、それでももともとの二人の能力からすれば、強すぎる能力を流し込まれていることに他ならない。コチョウと違って自力で強さを奪う超能力がある訳ではない二人には、奪ったものを自分に馴染ませる能力もない。コチョウはそれを持ちあわせているから力酔いを起こすことはないが、スズネ達には恐ろしい苦痛である筈だった。
「頭、いたい……死んじゃう、死んじゃう」
エノハなどは全身から血を吹きだすのではないかと言うくらい苦しんでいた。
「慣れろ」
と、コチョウは言うが、
「無理、無理。ごめんなさい、無理」
エノハはそう繰り返すだけだった。それでもコチョウは気にしなかった。
「答える余裕がまだあるならまだいけるな」
まだ恐竜と互角に渡り合える強さが得られてはいないだろう。二人を戦力と数えるには、もう少し経験を流し込む必要があると、コチョウは断定した。もっとも、その前に、彼女には終わらせておくことがあった。
「寄り道をして探索する。戦闘回数は増えるがお前等を戦わせるつもりはない。安心しろ」
コチョウの宣言に、スズネとエノハはげっそりしたように呻いた。言葉にならなかったから、コチョウはそれを無視して進んだ。
結局、コチョウが目当てのものを見つけたのは、随分地下九層を奥地まで探索してからのことだった。その間に大小さまざまな古代生物と遭遇した。昆虫、恐竜、翼竜もいたが、どれも改造された形跡があり、自然の生物が持ち合わせているとは思えない能力を持っていた。中でもサイズは大きくないが、昆虫類は、即死能力を持ち合わせているものが多く、不意打ちに警戒を要した。コチョウには効かないが、スズネやエノハを狙われるとあっさり殺されてしまう恐れがあった。
コチョウが得られた新たな能力もなかった。翼竜は詠唱無しで呪文を使ってきたが、その技術は魔神であるヌルも持ち合わせていた。昆虫類が持つ力は、コチョウにもあるものだ。
スズネやエノハは、白目を剥いてぐったりしている。既に呻き声すら上げられていない。死んではいないが、使い物にもならなかった。詰め込まれた経験が体に馴染むには時間が掛かるだろう。ある程度予想はしていたことで、コチョウは基本的には放っておいた。しかし、完全に放置することもできず、何度か、流れ込む経験に圧し潰されて壊れないよう、回復呪文によるケアは必要だった。
それは兎も角、コチョウは見覚えのある粗末なテント群を見つけ、遠慮も躊躇いもなく飛び込んだ。必ず戻るといった彼女の言葉に最初から警戒していたのか、すぐに石を削った穂をもつ投げやりが無警告で飛んできた。テントの外にいたディノシス達が、警告の叫びだろう、ギャアギャアと耳障りな叫びをあげ、それを聞いてテントの中からも、ディノシス達が槍を手に這い出してきた。当然、シャーマンも出てきて、炎の術を飛ばしてきた。貧相なファイアボルトだ。
コチョウはギガノトサウルスから奪ったポイズンブレスの効果を試してみることにし、テントの上を飛び回り、毒を地面に向かって撒き散らした。やりすぎるとスズネやエノハが死ぬ。ある程度の加減はしたが、それでもディノシス共はバタバタと倒れていった。飛んで来る槍は急速に数を減らし、やがて一本も飛んでこなくなった。コチョウに対抗できるような猛者は、ディノシスの中にはいなかった。猛毒のブレスだということは間違いなく、それに抗える個体もほぼなかった。
唯一、シャーマンだけが残った。何かの防護があるのかもしれない。コチョウにとっては好都合だった。
「戻ったぞ。覚悟はできているな?」
彼女の翅を毟った報いを受けさせるのに丁度いい。コチョウはほくそ笑んだ。ライフテイカーも使わず、コチョウは自分の手で、シャーマンの首を刎ねた。結局、攻撃魔法にしろ、回復魔法にしろ、たいした呪文の知識をシャーマンは持ち合わせていなかった。
生きているディノシスがいなくなると、コチョウは村をファイアブレスで完膚なきまでに焼いた。テントの中に女子供が隠れていたのかもしれないが、いちいち改めることもしない。卵もあるのかもしれないが、それを確認する気にもならなかった。いずれにせよ、あったとしても、テントと一緒にこんがり焼けることだろう。皮製のテントは良く燃えた。
スズネやエノハが元気であれば鼻白んで野蛮だと抗議したことだろう。あるいは彼女達の意識が朦朧としていたのは幸運だったのかもしれない。彼女達はその凄惨な光景をまるで覚えていなかった。やったのがコチョウで、その時にコチョウが心から晴れやかな顔で、楽しそうに村を焼き払っていたのも、スズネ達は知らないで済んだのだった。
テントのすべてを火で包み、漸く満足すると、コチョウはディノシスの集落をあとにし、地下九層の最奥に向かった。そこには、広大な地底湖が広がっていた。
地底湖の水中に向かい、まるでチューブのように水壁を押しのけた下り道が続いている。上も下も、右も左も水だ。通路に少しだけ入り、コチョウが壁を検めると、確かに壁は水だった。魔法で固められたように水壁のトンネルができているが、硬いような柔らかいような不思議な感触だった。床も水だが、立つことはできそうだ。もっとも飛んでいるコチョウにはその点についてはあまり気にならなかった。
水壁の中に手を突っ込めるのか確かめてみる。壁だと思えば硬く、表面を触るだけで、水だと思えば手は壁の内側に沈み込むし、濡れもした。
ということは、逆も然りということだ。地底湖は深い。地下一〇層以下はしばらく水中迷路になるのだろう。そして、水中からいきなり敵が飛び出してくるということが起こるということだ。おそらくは魚竜や首長竜の類が襲ってくるのだろう。
「いい加減そろそろ使い物にならんと、こいつらがまずいかもしれんな」
コチョウはため息混じりで呟いた。天井や床からも敵が来ると思うとげんなりした。