第三七話 憤懣
自分らしさを感じられるということはいいものだ。それが例え、他人から孤立するような個性であったとしても。
コチョウはやりたいようにやれる自分が戻ってきたような解放感に、満面で、だが、歪な笑みを浮かべた。奇しくも裸に逆戻りすることになったが、それも特段気にはならなかった。ただ、様々な耐性を失うことになったことだけは、少しだけ惜しいことをしたという気分になった。
ひとまず、前進を阻む、いけ好かない闇をぶち抜いて、消し飛ばさない理由がない。コチョウは呪文を唱え、両腕を突き出した。
使うのは、コチョウがこれまでに奪った中で、最も高等な呪文、アナイアレーション。効果は、端的に言えば、消滅ビームだ。半径は一メートルから二メートルの間で制御可能で、何処まで伸びるかは、術者の能力次第だ。とにかく、後先など考えずに、最大半径でぶっ放した。
この呪文は、生物であろうと、霊体だろうと、物品であろうと、壁であろうと、撃ちだされた魔法であろうと、魔法的な闇であろうと、目視することができるものであれば、範囲内のものは何でも消滅させる(実際に見えるという意味ではなく、もし視線が通っていれば見ることが可能なものであれば、例えば壁の向こうの壁のように直接見えていないものでも、消滅させることが可能だ)。逆に、空気や不可視の生物、効果が目に見えない魔法のような、目で見えないものに関しては、全く効果を及ぼさない。
蘊蓄は兎も角として。
コチョウは押し縮められたバネが解き放たれたように、理性の箍が外れたように、思うさま破壊を楽しんだ。やはりこうでなくては。まったくもって、このやり方が自分に合っているのだと認めないではいられなかった。無論、否定するつもりも最初からさらさらない。
ゆっくりと前進しながら、目に見えるすべてを消滅させて進んだ。行く手を遮る闇を、ひとを小馬鹿にするような内容のプレートも、鬱陶しい陰気なモンスター共も、すべて纏めて。まさにそれは、
「知るかよ」
の極致だった。自分のかなり後ろを、げんなりした顔でちょろちょろついてきている半端者達の姿は認識していた。ローブが消える前に自分が言った内容はコチョウも覚えている。それを思い出すと腹立たしく、後ろに向けて消滅ビームを飛ばしたくなるが、あんな連中を消したところで魔力の無駄だ。コチョウは自分の居心地の悪さも纏めて前方にぶつけた。
闇の中は本来曲がりくねり、床に穴が開き、と、それなりに意地の悪い造りになっていたようだが、今となってはそれもどうでもいいことだ。ただひたすら、コチョウは真っすぐに進んだ。無論、直進した先に出口がある保証はどこにもなかったが、いけなくなるところまで行ってから、別の方向へ進路を変えればいいくらいの気安さで考えていた。
魔力は尽きることを知らず、気分は高揚した。破壊の限りを尽くすのは気分が良かった。しかし、その一方で、一点の染みのようにこびりついた感情が、コチョウの苛立ちを、完全にすっきりとはさせてくれなかった。
言ってしまえばフェリーチェルの時と同じだ。コチョウは物心ついてからずっと一人で、孤独の意味も誰よりも良く知っている。無論、ピリネ達からの第一印象は最悪で、さっきまでのやり取りも、必要最低限度であって、壁が全くないという程打ち解けていたという訳でもないのだろう。もっとも、それを言ったら、フェリーチェルの時だってそうだった。コチョウがフェリーチェルの首を一方的に刎ねたのが始まりだった。しかも、復活した彼女を、コチョウは血と死体とぶちまけられた料理の海の中に放置した。
そういう意味でも、同じなのかもしれない。距離をおいてついてくる三人、特に、エノハの寂しそうな視線が気になった。せめて堂々とついてきていればいいものを、できもしないのに、中途半端にへたくそにこそこそ隠れながらついてくるから、逆に気になる。半端者共が。コチョウは心の中で毒づいた。コチョウですら心配になるレベルで感受性が高すぎる。落とされるところまでいきなり落とされてから、ちょっと優しくされたらこのざまか。それで騙されずに人生渡って行けるのか。
「いい加減にしろ!」
コチョウは一旦破壊の呪文を止め、振り返って怒鳴った。
「隠れるか、堂々とするか、どっちかにしろ、鬱陶しい。隠密が下手なら無理に隠れるな」
いや、そうではない。結局、僅かながらにある良心が疼くのだ。
「エノハ……来るなよ。もう一回鶯の札を引き裂いたら、もう元に戻すことは……」
コチョウが文句を言いかけると、エノハの表情が更に歪むのが見えた。コチョウは一度額を右手で抑えてから、その拳を振り上げて、更に怒鳴り散らした。
「だからその目を、やめろと言っている!」
そんな脅しでひとの感情が操れるなら、そんなに楽なことはないだろう。一度懐き始めてしまった子供に理屈は通じない。コチョウはもう一度額に右手を添えて、大きなため息を吐いた。
「その『仲良くしたいけど受け入れてもらえない』って目は、私でも堪えるんだ。やめろ」
「意外に、情が篤いのかも、しれませんね」
と、本気で意外そうにスズネが言うのが聞こえた。いい迷惑だとコチョウは唸った。
「やめろ」
確かに仲良くしたいとはこれっぽっちも思っていない。自分がろくでもない性格をしていることも十分理解している。気分屋で思いやりも欠片もないから、友人など作っても傷つけるだけだとも。コチョウはそれでいいと思っているし、自分の人生に他人が必要だとも思っていない。だからと言って、向けられた好意が嬉しくない訳でもないのだ。まったくの見ず知らずであれば興味もないが、ある程度面識のある面子から向けられるものであれば話は別だ。むしろ、自分がそれを信用できないことが、虚しく思えて、コチョウには堪えた。
「お前達のそれは、私に自分がねじ曲がってることを突き付けてくる。それが面白くない」
それは苛立ちに変わり、コチョウは苛立ちの解消方法を一つしか知らない。
「私に好意を向けてくる相手を、私に殺させるな」
むしゃくしゃがこのまま募れば、本気で殺しかねない。コチョウには自分の行動は理解できている。特にエノハは危ない轍の中を歩いていて、いつ殺してしまうか分からない程だ。
「忘れるな。私はお前達の敵だ。お前達はピリネ側で、私はゴーファスの主だ」
「では私がゴーファスを許すと決めたら、もう敵でなくいられますか?」
ピリネの質問が飛んできた。そんなに重要なことだというのか。最早、コチョウには彼女達が何を望んでいるのか分からなくなりそうだった。
「馬鹿か」
コチョウは首を横に振った。
「お前は気付いてないのか。お前はゴーファスを憎むことで吸血鬼に堕ちずにいられる」
そこがなくなってしまえば。コチョウには容易に想像がついた。
「お前が単に自分の境遇を嘆き始めたら、もう飢えに逆らう理由もなくなる。破滅するぞ」
「それは、まあ。絶対ないとは言い切れないですが。それこそ、許してみなければ」
ピリネが更に反論したが。コチョウはそれを遮った。
「それでどうにかならないで済むなら、世の中はさぞ人に好意的な吸血鬼で一杯だろうよ」
コチョウは告げ、そして、飛んだ。翅ではなく、テレポートの術を使用し、瞬間移動で、飛んだのだ。
次の瞬間、コチョウの姿はピリネ達の真後ろにあり、すぐに次の詠唱を始めていた。最初にエノハが気付き、振り向こうとする。しかしそれも彼女達の危機感の薄さを示しているのか、それとも、彼女達の未熟さゆえの認識力の低さなのか、既にコチョウが呪文を完成させる寸前のことになった。
コチョウの手から、薄く光る膜のような光が生じ、広がる。それはコチョウ、エノハ、スズネ、ピリネの四人を包むドームのように煌めいた。
そして。
さらに遅れて、その外側に、極大な、かつ、破滅的な、爆発と高熱、嵐のように吹き荒れる爆風が渦巻いた。コチョウが唱えたのは、アンチマジックバリア、魔法を消滅させる対魔術バリアだった。
「え……あ」
と、理解の声を最初に上げたのも、エノハだった。コチョウが、自分達も巻き込んで発動した、何者かの極大魔法から防御したのだと。そして、わざわざテレポートで飛んできて、自分達を守ったのだと。
「護衛はしてやると約束した。どうかしてたからという言い訳はしたくない」
そんな自分に苛立ちがなかった訳ではないが、それを加味しても、コチョウの顔は満足げに見えただろう。コチョウは絶対に自分の意志だとは認めないのだが。
コチョウは極大の爆裂呪文を弾いた。爆発が収まると、天井は大きく抉れ、奈落の迷宮だった場所は、まるで巨大な地下空洞のようになっていた。コチョウはエノハ達に告げた。
「ようやくボスのお出ましだ。死ぬなよ」