表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1フィートの災厄  作者: 奥雪 一寸
1フィートの災厄
34/200

第三四話 閉塞

 石像がある。

 ダークハートの深淵の地下九層に降りてすぐ、最初の分岐を左へ進んだ袋小路の片隅だ。大きさは高さ三〇センチメートル程、洞窟には不釣り合いな、フェアリーの姿をした石像だ。まるで生きているようで、左足部分に、誰かが削ったのか、裂傷のような僅かな割れ目がある。

 造形はまるで生きているようで、口を半開きにし、どこか驚きで呆然としたような、どこかどうにもならなかったと諦めているような、生々しい表情をしている。翅を広げた状態で横倒しになった像だ。広げた翅が邪魔で体が横たえられないような、窮屈そうな姿勢で転がっている。打ち捨てられたようなその像を、例え誰かが哀れんで立たせてやろうと努力したとしても、無駄なことだと諦めたことだろう。つま先は伸びきり、地面を踏みしめられる足の造形をしていなかった。

 ほかでもない。その石像の正体はコチョウだ。実のところ、石化は死亡としてはオーブに感知されない。復活の魔法の効力は発揮されず、石化したまま、その場に残り続ける。石像が壊された時に初めて死亡として感知され、オーブに登録された場所か、オーブがある場所に戻るのだった。コチョウは壊されず、その場に転がり続けていた。他の恐竜が現れてコチョウを踏みつぶすようなことも、彼女にとって不運なことに、起こらなかった。

 コチョウには、石化解除の魔法を掛けてくれる仲間はいない。ゴーファスがコチョウの命令を忠実に果たしているのか、地下九層まで降りてくる、通りがかりのパーティーもない。コチョウを心配して探しにやってくるような者もいない。

 時間だけが過ぎていくことになる、そう思われるような状況だった。コチョウは動けない。意識があるのかさえ不明だった。石化した彼女は、日の光や風雨に晒され劣化することもない、迷宮の奥の、半ば暗い、溶岩が固まったような、ごつごつとした岩肌の洞窟で、訪れる者もなく転がっていた。

 それでも、彼女の石化が解ける日は、意外な程早く訪れた。僅かと言って良いのか、コチョウが恐竜共と相打ちになってから、二日が過ぎたのちだった。

 とはいえ、コチョウの石化が解けたことは、彼女が困難な状況から解放されたことを必ずしも意味していなかった。彼女が気付いた時、明らかに自分が恐竜と相打ちになった場所にいないことを肌で感じることができた。二日間という石化時間は僅かなようで、身体に問題が残らないのには長すぎたのか、その時、コチョウは自分の目が全く光を捉えていないことに気付いた。目隠しをされているのではない。瞼の上から触って確かめたが、眼球を失った訳でもない。視覚がまったく機能していないだけだ。一時的なもので、すぐに回復すればよいのだがと、コチョウは考えた。見えないことは大問題だったが、それ以上の問題が、彼女に身体には起こっていたのだった。脚の傷はどういう訳か既に癒えていたが、それも彼女に起きている問題を考えれば、些細なことだった。

 背中に明らかに違和感があった。その違和感の正体は、信じたくなかったが、すぐに分かった。

 翅がない。飛ぶための翅が。

 翅のないフェアリーなど、虫けらも同然だ。三〇センチメートルしかない身体で、地べたを這いずって、一体何ができるというのだ。コチョウには、神官達が扱うような回復魔法は初級レベル程度の知識しかない。欠損した部位を復活させる呪文は、彼女の知識にはなかった。

 さらに分かったことは、どうやら自分が容器の中に閉じ込められているらしいということだ。手を伸ばしても、感触から伝わるのは、やや生温かい硝子の感触だけだった。ジャンプしても、手の届く高さに口があるようには思えなかった。とにかく状況を知る為には、視力が必要だ。ヒールで回復するものなのか。何もしないよりはマシな考えに思え、コチョウは試してみた。半信半疑ではあるが、このまま見えないままでいるのは、明らかに危険な予感があった。

 幸いなことに、ヒールの呪文は視神経の回復にも効果があるようだ。一度唱えるとぼんやりと見えるようになり、三度ヒールの呪文を繰り返したところで、彼女の視界は、十分に周囲の状況が見えるまでに回復した。

 思ったよりも状況は悪い。

 コチョウは自分が背の高い、口の広いデカンタの中に閉じ込められていることが分かった。自分が納められたデカンタは、他の空のデカンタと一緒に、木製の質素な棚に並べられていた。

 そこは洞窟内の集落のようで、モンスターのものだろう皮と骨を組んだ粗末なテントが少なくとも五つは見えた。人間よりもやや背の低い、肉付きの良い二足歩行型の爬虫類生物がうろついている。茶色の肌をした姿は、小型化した肉食恐竜が人類のように進化したような者達にも見えた。

 ディノシス。所謂恐竜人だ。残念ながらエルフやドワーフのような、ひと、ではない。野蛮で原始的なモンスターだ。シャーマンを中心に、洞窟やジャングルの奥で狩猟生活を送っているという。食人モンスターとしても知られているが、流石に彼等の胃袋には小さすぎるのか、フェアリーやピクシーを食うという話は聞いたことがない。

 彼等のうちの一人が、コチョウが動き出したことに気付いたようだった。数人が寄って来たが、唸り声や、奇声を口にするばかりで、意思疎通は不可能だった。彼等は物珍しげにコチョウを眺めていたが、少なくとも食べる気ではないように見えた。テントと同じような皮製の腰布を纏い、裸足だった。多くの卵生生物がそうであるように、雛を母乳で育てるという生態をしていない彼等には、乳房も乳腺もない。雌にも胸を隠すという文化もなく、皆、筋肉質な胸板があるだけだった。その為、腰を布で隠しているだけでも、外見で雌雄の区別を見破ることは不可能だった。

 ディノシスの一人がシャーマンを呼んできたらしい。大型の恐竜の骨を削って作ったのだろう杖を付いて、他の者達よりも線の細いディノシスがやって来た。

 他のディノシスと異なり、上半身から長いローブのような皮製の衣を垂らしている。頭には恐竜の鱗で飾った飾り輪を乗せていた。そして。

 コチョウは近づいてくるそいつをギラギラしたした目で睨みつけた。飾り輪の装飾の中に、四つだけ、真新しいものが混ざっている。コチョウの翅だった。

 シャーマンはコチョウが納められたデカンタの前までやってくると、流暢な言葉で言った。

「石化から治ったばかりの体ではこの辺りは危険だ。私が癒した。その対価として、翅は頂いたがね」

「それは癒したとは言わん」

 コチョウは舌打ちした。腹立たしいことだが、今の彼女では、ディノシスのうちの最も弱い一人にすら敵わないだろう。踏みつぶされるだけで終わりだ。飛行呪文で飛ぶということはできるだろうが、何処までそれが通用するかも怪しい限りだった。せめてシャーマンを倒せれば。しかし、原始的な連中だ。例えその魔術知識を奪えたとしても、翅を再生させるような高度な呪文を知っているとは思えなかった。面白くはないが、できる手段は一つだ。オーブの力で復活した時は、腹を食い破られても五体満足で復活した。コチョウが首を斬り落とした奴も同様に、(当たり前だが)首がつながった状態で復活した。つまり、死ねば翅も復活するだろう。彼女は、

「私は必ず戻ってくる。お前達全員を殺す為に、必ずこの場所を見つけ出す」

 呪いのように告げて、迷わず、自分で自分の首を折った。あからさまに狂人の行動ではあるが、コチョウにとって、事態を良くする方法が他になかったことも、間違いなかった。それが確実で手っ取り早いと認識すれば、躊躇なく自分の命を断てるのは、コチョウの長所であり、コチョウの欠点でもあった。首を刎ねなかった理由は単純で、彼女のローブには即死耐性が付加されていて、彼女の首刎ねが彼女自身に通用しないからだった。

 コチョウは意識が暗転しつつある中で、ディノシスのシャーマンが頭につけた、自分の翅が薄れていくのを見て満足だった。復活した時には、翅も復活していることだろう。コチョウは、自分の手で、死んだ。

 そして、それが悪手だと思いもしていなかった。後から思えば、そこがダークハートの深淵の奥で、あらゆる可能性に警戒が必要だったことは理解して然るべきだった。それでもその時の彼女には他に選択肢がなく、切羽詰まっていた。要するに、冷静ではなかったのだ。彼女が自害したのは既に表層階でなかった。

 だから、最初、自分がどうなったのかを理解するまでに、随分時間が掛かった。最初に感じたのは、自分の意識が戻るのが早すぎるという違和感だった。

 次に分かったのは視界があまりにも赤いということだった。明らかにアーケインスケープではないどこかで、コチョウは目覚めた。

 彼女が目覚めた時、背中には翅があり、自由にまた飛べることを彼女は認識した。しかしどこか現実感はなく、漸くのように自分が危機的な場所にいるのだということに気付いた時には手遅れだった。

 虚空から伸びてきた刃が、彼女を貫いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ