第二二話 愛憎
フェリーチェルは、コチョウが平然としていることに腹を立てたように、大きくため息をついた。その瞬間、瞳に生気が戻る。
「本当にその平然とした態度が憎たらしい」
そう言いながら、フェリーチェルの嫌悪が揺らぐ。口元には、微笑みすら浮かんでいた。
「でも、あなたの言う通り。面倒くさいなって私も思う。あなたみたいに、単純に、自分本位に、すっぱりと身勝手を通せれば、どんなにかすっきりするだろうと思っちゃう私が嫌い」
複雑そうに笑うフェリーチェルに、コチョウはフェリーチェルよりももっと複雑そうな顔をした。
「私にそれを話して、気の利いた答えが返ってくると思ってるのか?」
コチョウ自身、分かっている。自分勝手で、ぶっきらぼうで、がさつで、面倒臭がりで、優しさの欠片もない、明らかにひとでなしの性格の自覚はある。それだけに、フェリーチェルが振った話題に、面倒臭いと思うよりも先に、困惑した。
「コチョウだもん。そんないいひとじゃないのは分かってるよ」
フェリーチェルも頷いて笑った。彼女はひとしきり可笑しそうに笑い続けてから、もう一度、ため息をついた。
「でも、本当に、悔しい。私にその力があれば、あなたみたいに酷いことの為じゃなくて、もっと、皆の為に役立てられるのに。どうして私にはなかったんだろう。どうしてあなたみたいな酷いひとが、そんな危険な強さを持ってるんだろう」
「知るかよ」
それこそ、コチョウにはそう答えるしかなかった。もし自分が月並みに、フェアリーらしい魔法の力を授かって生まれていたら、そう考えてみても、想像もつかなかった。
とはいえ、
「もし試してみるなら、だが。オーブはもう一回作れよ」
それだけは確実に言えた。
「そうだね。それは間違いなさそう。でも、分からないの。そうまでして、あなたはどうして生きていられるの? 楽しいことも、幸せも、何もなさそうなのに」
フェリーチェルは、本当に分からないという表情で、コチョウに問い掛けた。そんなことを考えたこともなかったコチョウは、更に考え込み、首を捻った。
「何でだろうな。意地を張ってるだけかもしれないな。くたばるのは負けを認めることだからな」
そうとしか答えられなかった。フェリーチェルは難しいことを聞く。コチョウは苦笑いを浮かべた。
「それなら分かるかも。本当は、ただ純粋なだけなのかもしれないね。だけど、誰にも愛されたことがないから、自分以外に正直になれるものがないのかも。それを可哀想って言ったら、あなたは余計なお世話だって怒るんだろうけど」
フェリーチェルはそう言って顔を背けた。それでもコチョウにはその考えが読める。フェリーチェルの心にあるのは、ただ、諦めに似た理解だけだった。
「私は、きっとあなたが羨ましいんだと思う。傍若無人で、怖い物知らずで、諦めない根性があって、そして無理矢理でも困難をこじ開けてく。私には折れない精神も、力ずくで押し通る強さも、他人を頼らない自信も、どれもないから。あなたは残虐で、暴力的で、排他的で、そんなあなたに私は、認めないって口では言いながら、どこか、もっとやれって思ってる自分もいて。そんな自分が、私は認められないんだと思う。本当は、私もあなたと同じなんだ。残酷で、無責任で。私はきっと、あなたが嫌いなんじゃない。そんな卑怯な私が嫌いなんだ」
「そういうことか。何となく、分かった気がするな」
と、コチョウもため息混じりに頷いた。
「本来、私とお前はよく似ているのかもしれない。正直、お前がいると、私も調子が狂う」
そう認めた。何となくフェリーチェルを無下にできないでいることを。忌々しいことであるが、コチョウには、フェリーチェルを、苛々しながらも見捨てることはできなかった。
「そうだね。多分そうだと思う。私が、もしあなたと同じ境遇だったら、あなたと同じようになってたと思う。あなたが、もし私と同じ境遇だったら、私と同じようになってたと思う。だから私はあなたが嫌い。自分の一番残酷な部分を見せられてる気分になるからだと思う。私は違うって、目を背けたくなる」
フェリーチェルにとって、コチョウは澱だったのだろう。空を見上げた彼女には、一時戻った生気はまた、なくなっていた。
「なら、見なければいい。安心しろ。お前は私じゃない。私もお前にはならない」
コチョウも空を見上げて、ゆっくりと森の上へと舞い上がった。少しずつ、眼下のフェリーチェルの姿が小さくなっていく。空を見上げる彼女と、コチョウの視線が一瞬合った。
「行くのね。私をあの場所に捕えたのは、南西区の屋敷にいる、ハル・ラウゼンって奴なの。父親がアイアンリバー城で役人をやってるそうよ。あいつは、私達の同族、つまりフェアリーを、玩具みたいにして飼っては殺してる変態よ。私はそれが許せなかった。でも私には力がなかった。逆に捕まって、でもあいつは、私があいつを怪我させたことに激怒して、玩具として飼われる代わりに、私はあの監獄に送られたの」
フェリーチェルは、不意に、何故監獄に囚われたかをコチョウに話した。コチョウは頷いた。しかし、ぶちのめしとく、とは約束はしなかった。
「アイアンリバーに国の奴はいないのか?」
代わりに、コチョウは、そのことを問いかけた。
「どうだろう。全員把握できてはないから」
フェリーチェルが小さく首を傾げた。それならそれでいい。コチョウは、ふと、彼女にとっては一番どうでもいい疑問が、頭に浮かんだ。
「そういえば、お前の国の名前を、一度も聞いてなかったな」
「あ、そうだね。言ってなかった。私の国だったこの森の名前は、マラカイトモス。国王だったお父様の名前は、グリオー。お母様はアネッティア。お父様は国の皆からは、翅が夜の黒色をしていて、浮かぶ月のような模様があったから、ミッドムーン王と呼ばれていたの」
フェリーチェルは、そう言って、コチョウを追いかけてきた。それから、しばらく目を細めてから言った。
「そういえば、お父様の部屋で、昔不思議なものを見たことがあるのを思い出した。月見草が彫られた髪飾り。私には、誰の物なのか分からなかったけど。お父様に誰の物か聞いてみたこともあったけど、『お前は気にしなくていい』って言われただけだった。お母様に聞いてみたこともあったけど、『誰の物でもありません』って。とても辛そうなお顔をしていたっけ。城の大臣も、兵士達も、家庭教師の先生方も、皆そっぽを向いて『知らない』の一点張りだった。何でだろう。急にそのことを、思い出した」
「まさかそれが私の物だとでも? よしてくれ。寒気がする」
コチョウは否定した。もし本当に王族の生まれだとして、捨てられたとでも言うのであれば、それはもう忌み子だということだ。いずれにせよ、ろくな出自とは言えない。そうでなくたってろくな育ち方はしていないのだ。それ以上の背景を背負うつもりにはならなかった。
「誰の物って証拠もない。私は関係ないさ。だいいち、お前と身内なんて、ぞっとする」
それでいい。王族のごたごたに巻き込まれたくもない。それこそ、国の外に出ている連中が、新生マラカイトモスを望んだとして、その再興に付き合わされるのも、面倒なことこの上ない。コチョウには関わり合いになりたくない話だった。苦笑しか出ない。
「そうだよね。きっと私の気のせい。私もあなたが身内だなんて、考えたくないかも」
フェリーチェルも笑顔で同意した。そして彼女は、また、積み上げられた焚火の傍へ降りていった。
「もし城にまだ残ってたら、あなたにあげようかと思ったけど、やっぱりやめた。あなた、意地悪だもの」
嘘だ。フェリーチェルの心の中には、本当は渡したいという感情が溢れている。コチョウにはそれが分かった。だが、同時に、コチョウがそれを喜んで受け取りはしないことが分かっているという、寂しげな理解も、抱いているようだった。フェリーチェルは言った。
「別れの挨拶なんてしないよ。私はあなたが嫌いだから。適当に行ってくれていいよ」
そう告げたフェリーチェルの心は、しかし、確かに泣いていた。
「そうさせてもらう」
コチョウはその感情に気付かないふりをした。ただ、一つだけ、最後の最後になるまで、コチョウも気付いていないことがあったのだった。
「でもね」
元からコチョウも持っていた力で、奪うまでもなかったから気付かなかった。フェリーチェルも、心を読む力を、持っていたのだ。
「そうやって、いつでもひとの心を覗くの、よくないよ」
最後にそう言われて、コチョウはようやく、フェリーチェルの力に気が付いた。