表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1フィートの災厄  作者: 奥雪 一寸
1フィートの災厄
21/200

第二一話 嫌悪

 コチョウは、ローブにべったりとついた嘔吐物を手で払いながら、笑った。一瞬文句は言ったものの、それも激怒という程でもなく、怒りの感情は通り雨のようにすぐに引いた。

「死ななかったとは驚きだ。お前、思ったより頑丈だな」

「私も絶対死んだと思ったよ……」

 フェリーチェルは嘔吐感が引くと、両手で涙を拭った。コチョウに乱雑に扱われた反動で、僅かに残っていた衣服の切れ端も、パラパラと擦り切れて散っていった。

「服ぐらい着る時間頂戴」

 裸の格好は、流石にフェリーチェルには我慢ならないようだった。恥じ入るようにコチョウから顔を背けると、横倒しになって積まれた大木の、ひと際大きい一本の中にフェリーチェルは姿を消した。

 コチョウはついて行くつもりはない。死んだラスキルの死体を漁り、何か使えるものを持っていないかを確かめた。

 剣や鎧は業物ではあったが、魔法が掛かっている訳でもない。中古では二束三文だ。わざわざ持って行く程の価値はないとコチョウは判断した。それよりも、右手の中指に嵌った琥珀の指輪に目が行った。

「ふん。逸らしの指輪か。気休め程度にはなるな」

 逸らしの指輪というのは、魔法の指輪の中でも、比較的一般的なものだ。癖があるが、便利ではある。剣や斧、槍といった近接武器にはまったく効果がないが、弓矢やダーツ、投げナイフなどという所謂遠隔武器による攻撃をある程度逸らしてくれるというものだ。一〇〇パーセント確実に身が守れる程の強力な効果ではないものの、一部の弾丸系の呪文も逸らしてくれる為、使い勝手は良いと言われていた。

「貰っていくか」

 コチョウはラスキルの死体の指から指輪を抜き、手に取った。飾り気のない、実用一辺倒の指輪だ。それもコチョウ好みだった。

 魔法の指輪はやはりコチョウの指にはめるのに丁度いい大きさに縮み、コチョウは左手の人差し指に指輪をつけると、細いため息を吐いた。

「全くもって、面倒なことばかりだ」

 遠くで燃え盛っている火災は、まるでこの世の地獄のように猛り、天高く煙を立ち昇らせていた。煙の色は白ではなく濁った灰色で、まだ生の草が不完全燃焼している為だとすぐに分かった。

「あなたが勝手にやったことでしょうに」

 木の穴から、フェリーチェルが出てきた。やはり硬そうなアンブレラスカートのドレスを着ている。それどころか、以前の物より煌びやかで、小さな金糸の刺繍と白いレースで飾られた、とても冒険ができる服装ではなかった。

「ふうん」

 興味があまり湧かなかったコチョウだが、少しだけ納得できた気がした。

「ああ、姫さんだ」

「敬ってもいいんだよ?」

 冗談めかして、フェリーチェルは笑った。コチョウが他人に敬意を払うなんてことをするとは、彼女も思ってはいない。

 ティアラやイヤリングまで丁寧につけて出てきたフェリーチェルは、まさに一国の姫だった。腕には細い蔓を編んだような腕輪までつけていた。

「誰かに持っていかれるのも癪だし。もっとも、国がこれじゃ道化も同じだけど。でも、もう、できもしない冒険者の真似事をする必要もないしね――それに、外で頑張ってる皆に、もう自由に、自分の為に生きてくれればいいんだって、知らせないとね」

「そうか」

 コチョウは頷き、宙に浮きあがった。

「ついてこい。お前の両親の屍の場所は聞きだしておいた」

 村長を尋問して吐かせた情報だ。見張りのフェリダンは知らなかったが、村長は把握していた。

「うん。ありがとう」

 と、フェリーチェルが頷いた。素直に礼を言う彼女の顔は何処か晴れやかで、だが、吹っ切れたような目には、表情と裏腹に生気はなかった。外で復興資金を今も稼いでいるのだろう皆に、王国の滅亡を知らせた後、死ぬのだな、とコチョウは気付いたが、その決断について、とやかく言うつもりも、お節介を焼くつもりにもなれなかった。好きにすればいい。とはいえ、しがらみとはそんなに簡単に切れるものでもないだろう。国の外にまだ国民が残っているのであれば、フェリーチェルは、彼等から生きることを求められるのだろうとも思った。それも、コチョウとは関係のない話だ。

 コチョウは何も語らず、フェリーチェルを伴い、焼けた森の中を飛んだ。伐採されたフェアリーの王国から北西。森を流れている小川の淵を臨む、下草も、燃え残った木もない地面が見える場所。こんもりとした土の山を探した。その上に、枯れ木で組んだ大きな焚火の跡がある筈だった。

 通常、アイアンリバー近郊では、死者を弔う場合、土葬が普通だ。火葬の風習はない。むしろ、肉体を火で焙り、骨まで焼くような扱いは、死刑の方法の一種とされていて、生前の罪に対する罰のように見なされることが普通だった。フェアリーなら猶更で、自然に生まれた彼等は、自然に還るのが最上の弔いとされていた。火で焼かれることは、彼等にとって、最も自然から遠いと、敬遠される死体の扱いだった。

 コチョウがやや高く飛び、森を見下ろしていると、焚火の跡はかなり短時間で発見することができた。焚火は片付けられておらず、火力が足りなかったのか、傍まで降りていくと、焼け残った肉の匂いが鼻についた。

「こりゃまた適当に扱ったもんだ」

 流石のコチョウも苦笑いするしかなかった。

 黒焦げになりながらも原形を半分残している、彼女と同様の大きさの人型が、幾つも炭の中に埋もれている。まるで中途半端に焼けて煤を被った人形のようだった。

「そうだね」

 もう涙も枯れ果てたと言うように、フェリーチェルは笑った。かろうじてひとの形は保っているものの、表面は真っ黒で、衣服も燃え尽きて外見からはその死体が誰なのかの見分けはつかない。フェリーチェルは、それでも、と言いたげに、自分の両親を探したようだが、しばらくして、それも諦めたようだった。

「私でも、どれが誰なのか、分からないや」

 ぽつりとつぶやいて、首を横に振った。

「酷いなあ。酷すぎて、現実感がないや。でもね、皆。あいつ等も全員死んだよ」

 乾いた笑いが、フェリーチェルから漏れる。彼女は焼けたフェアリーの死体を見ながら、目の焦点は合っていなかった。

「外の皆に、国がもうないんだって、伝えてあげなきゃいけないでしょ? だから、もう少し待っててね。私も、義務だけ終わったら、皆とやり直すから。次はもっと、ちゃんと幸せになろうね。分かってるよ。皆はそんなことを私に望まないんでしょう? 生きててほしかったって怒られるんでしょうね。外の皆にも、生きてることを望まれるのかもしれないよ。でも、ごめんね。私は、何を希望に生きていればいいのか、分からなくなっちゃった。お父様も、お母様もごめんなさい。無理だって言われたのに、無理矢理国を飛び出したりして。お父様の厳しいお叱りも、お母様の心配も、その通りでした。お二人の言葉の通り、私には冒険者は無理でした。すごく酷い目にもあいました。結局、私には、ほとんどお金は稼げませんでした。我儘でした。本当にごめんなさい。出来れば、一緒に死にたかった……」

 死体と炭と燃えかすの山に向かって言葉を掛けるフェリーチェルを、コチョウはただぼんやり眺めていた。コチョウにはフェリーチェルがどんなフェアリー達に囲まれ、どんな暮らしをしていたのかも、想像することすらできなかった。

 だが、フェリーチェルの心は読める。彼女の心は悲嘆を通り越して、冷たく閉ざされようとしていた。フェリーチェルの心は、ひとことひとことを零しながら、確実に死にゆこうとしていた。

「面倒臭いもんだ」

 コチョウには最初から自分以外何もない。周囲に失う者というものがいない彼女には、死を悼み、孤独の淵に沈んでいく思いというものが、ひどく不器用なものに思えた。

「そうかもね」

 フェリーチェルは振り返った。

「あなたの言う通りよ。私だって今頃永遠に蒸し殺され続けている筈だったし、何回死んでも自然に還れない地獄の中でとっくに狂っていたと思う。あそこから出られないという地獄の中で頭がおかしくなった囚人達と、それを毎日目の当たりにして正気を失った看守達の為の、狂ったショーの見世物としてね。私が何かを間違えたとするなら、お父様、お母様の反対を押し切って国を飛び出してしまったことで、確かにそれは許されないことだったと今は思ってる。そんな私が誰かを非難できるかと言えば多分違うけど。でも私はやっぱりあなたを認めたくない。国の皆の仇を取ってくれたことには感謝してるけど、それでも残虐すぎると非難しないでいられない。あなたにはひとの心がない。私は、やっぱり、あなたが、嫌いだ。頭がおかしくなりそう」

 フェリーチェルが初めて見せた、嫌悪の眼差しが、コチョウに突き刺さった。

「ふうん。そうか」

 コチョウは、まったく気にしなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ