第二話 悪党
その都市はアイアンリバーと呼ばれていた。名の由来は、街の北側を流れる河川で、良質な砂鉄が採取できることからだ。
アイアンリバーは、大陸の西端にあり、単一都市そのものが国家でもある、都市国家だ。北を流れるアイアンティア川から南岸は、フラットグレー平原と呼ばれる、平原とは名ばかりの荒れ地が広がっており、街の西方で、大洋に落ちる断崖絶壁の海岸で終わっている。川から北には、暗く広大なフェイチャームの森と呼ばれる森林が広がっていた。
フラットグレー平原には、放棄された古城や砦、塔などが点在していて、古い神殿等の遺跡も数多く存在している。また幾つかの自然洞窟や、人工的な地下迷宮などもあり、アイアンリバーは昔から、冒険者が自然に集まってくることでも知られていた。
その為、冒険者達に寝床を提供し、依頼や討伐手配書を斡旋する冒険者の宿は、数多く存在していた。
そして、更に忘れてはならない点として、アイアンリバーの街の中にも、街の北西区にあたる場所に、地下迷宮への入口が存在しているという点があった。無論、そんな場所に立ち入るのは、罪を犯して放り込まれた者か、地下迷宮内の踏破を目指す冒険者以外にはいない。ダークハートの深淵と名付けられたその地下迷宮は、地下一三階まで到達した冒険者パーティーがあったのが最高到達記録で、しかもまだ下の階へ続いていることが分かっており、未だ最奥を見た物はいない。迷宮からモンスターが地上に這い出してきたことはないが、迷宮の中は大量の罠と、尽きることがないのではないかと噂される程のモンスターの群れで溢れかえっており、冒険者になりたての者が立ち入って生きて帰れる場所でもなかった。立ち入り許可証のようなものは存在しないが、冒険者達の間では、フラットグレー平原に点在する洞窟や遺跡で実力を付けてから、ダークハートの深淵を目指すことが通例になっていた。
アイアンリバーの人口は、約一二万人と言われている。その半数が人間であり、三割程度がエルフ、残り二割がドワーフだ。それ以外の種族が街の中にいた場合には、間違いなく、冒険者だった。
冒険者の宿の一つ、アンバー・エール・インは、街の南東区に存在している。コチョウが冒険者として、魂の一部を預けている宿だ。
フラットグレー平原を徘徊していたファイアドレイクを討伐したコチョウは、宿に戻り、その報酬を受け取っていた。金貨にして、三〇万枚。標準的な市民の自宅が、金貨三〇〇〇枚もあれば購入できると言われれば、その討伐の達成が如何に困難なことであるかが伺えた。報酬は、本来であれば仲間と山分けするものだが、当然ながら、コチョウに仲間などいない。その報酬を独り占めするコチョウを眺め、宿にいた他の冒険者達が呆気にとられたのも無理のない話だった。
ファイアドレイクの討伐は、アイアンリバーを根城にしているどの冒険者達も成功したことがない。凶悪なモンスターで、その討伐に成功したとなれば、勿論、他の冒険者達に対する箔がつき、一目置かれるようになるのが当然のことだ。当然、そうなれば、戦力に不安のあるパーティーや、一攫千金を狙うパーティーから声が掛かるものだった。
――普通であれば。
しかし、コチョウに声をかける者は、それからも皆無だった。理由は、至極単純な話だった。思わぬ悪運で大金を手にしたコチョウだったが、その後も、服を新調しなかったのだ。平然と裸で活動する彼女を、他の冒険者達は、実績があったとしても、ああ変人では、と敬遠したのだった。
そして、もうひとつ、敬遠される理由はある。例えまぐれでファイアドレイクの討伐に成功したとして、果たして、その勝利でいきなり実力が上がるものか、ということだ。彼女がブルボグル一体もまともに倒せなかったことは、既に冒険者達の間でも噂として知られている。普通であれば、まぐれでファイアドレイクを倒したとて、会得できた経験は僅かであり、実力はやはりその程度だという認識が大方のものだった。
それは良い意味でも、悪い意味でも、コチョウを見下す評価だった。それはある意味コチョウにとって不幸でもあり、幸運だった。
というのも、他の冒険者達のすべてが、ただ見下すだけとは限らないからだった。コチョウの実力を、まだ低いままと見縊り、彼女が得た大金を奪い取ろうと、野外で彼女を襲撃するパーティーが現れたのだ。それは彼女に、他の冒険者という認識を、あてにならない、から、モンスターと同じ、つまり、敵性認識に改めさせる出来事だった。
コチョウが襲われたのは、敵に近づくリスクを減らすことを考え、棒状の刃が付いた投擲道具を鍛冶屋から購入した日にあったことだった。彼女が自分の超能力に対して得た感触が正しければ、投擲武器でも、一撃必殺の力が乗る筈だった。その試し撃ちにフラットグレー平原に出た時、五人組の冒険者に襲われたのだった。
正直、コチョウにとっても、お誂え向きの的だと、彼等が映った。
襲撃してきたパーティーの編成は標準的で、既に初心者ではないことも、武装から明らかだった。連中の武装は次のようなものだった。
一人目はプレートメイルとロングソード、カイトシールドで武装した人間の男。見るからに戦士だ。
二人目はスケイルメイルを纏ったドワーフの男。やはり戦士だ。両手で、巨大なバトルアックスを持っている。
三人目はダガーとレザーアーマーで武装した人間の男。一人目の奴よりも若干背が低く、体格も細い。おそらくは、盗賊に見えた。
残る二人は女だった。二人とも人間。同じようにローブを着て杖を持っているが、片方は首からペンダントのようなものを下げている。神官と魔術師だと、コチョウには見えた。
「有り金全部呉れれば痛い目に遭わなくて済むぜ」
雁首揃えて現れるなり、戦士の男がコチョウを侮蔑するような声で告げてきたが。
コチョウは言葉を返さなかった。追剥ぎ同然の悪党共であれば、遠慮はいらない。そうとしか、思わなかった。会話に応じることなく、コチョウは左手の針礫で魔術師を、右手の針礫で神官を狙った。そして、襲撃者達は、その投擲の正確さが、熟練の冒険者にも既に匹敵していることを思い知ることになった。
「何っ」
ドワーフの声が上がった。魔術師と神官、二人の女の体は、彼等が油断している間に斃れ、その胴体の上には、首がなかった。女たちの死体は、おそらく魂の一部を預けているのだろう宿に飛んだらしく、刎ね飛んだ首と共に消えた。
「きさ」
貴様、と人間の戦士が言いかける。その上半身を、傍にいたドワーフもろとも、業火が焼いた。それはまさしく、コチョウが倒したファイアドレイクさながらの、ファイアブレスだった。盗賊の男だけが辛くも反応し、転がって避けたが、既に勝敗は決していた。ファイアブレスをもろに浴びた戦士二人も、また、即死だった。上半身が消し炭になった戦士達も、倒れると同時に、消え失せた。
「屑が」
初めて、コチョウが言葉を吐き捨てた。
「ば、化け物っ」
ようやくとんでもないものを怒らせたのだと認識したように、盗賊が地べたに這いつくばるように、コチョウを見上げた。
「き、聞いてないぞ。お、お前、いつの間に」
「知るか」
答える義理などない。至極当然の反応だった。コチョウはまじまじと男を見下ろし、聞いた。
「お前、罠の扱いは得意か?」
殺意のみが込められたフェアリーの視線とは不釣り合いな、ある意味間の抜けた問いだった。男はただ、助かるのかもしれない、という、一縷の望みに賭けたように、無言で激しく頷いた。
「そうか。なら」
と、コチョウは笑い。男の首を、自分の徒手空拳で、刎ねた。刹那の動きで、盗賊には、とても反応できる速度ではなかった。
「その経験、頂いておく」
コチョウにファイアドレイクのブレス能力が使えた理由。それは、倒した相手が会得している強さや技術を奪い取る能力が、自分にはあるらしいということだった。そして自分には、そうやって会得した経験や、強さを、自分のものとして理解できる頭脳があるらしいことも、理解していた。彼女が生まれ持った超能力は、彼女自身が想像していたよりも、ずっと凶悪なものだった。
「なんだ、ろくなもんじゃないな」
消え失せる盗賊の死体を見下ろしながら、コチョウは鼻で笑うように吐き捨てた。今の彼女には、ファイアドレイクから奪い取った強さと速さがあった。それに比べて、盗賊から奪い取れた経験は微々たるもので、ほとんど足しにはならなかった。罠の扱いに関する技術も、男が必死に頷いた割に、単純な罠が理解できる程度の知識でしかなかった。
それに、針礫を投げた場合、即死の力は有効にできるが、経験の奪取はできないようだった。
「次は魔術師と神官も、素手で殺すか」
平然とコチョウは言った。その表情にも、声にも、後ろめたさの欠片もなかった。