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1フィートの災厄  作者: 奥雪 一寸
危急存亡のパペットレイス
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第六五話 エンプレス・ハート

 迷いながらもではあったが、フェリーチェルの決断は早かった。

「ここはハワード殿のアドバイスに従うことにしようか」

 フェリーチェルの判断の理由はこうだった。ハワードが必要もなく提案をするような人物だとは思えない。コチョウをいち早く止めねばならないと分かっている現状を考えれば尚更だ。だとしたら、直接中央管理センターに向かったのでは、何かしらの問題に直面し、その判断基準を持てなくなる危険性が高いということだ。それはフェリーチェルとしても困る。コチョウを止めることは、目的達成への必要条件の一部でしかなく、結局、コラプスドエニーの滅亡を防ぐことができなければ意味がないのだから。

 フェリーチェルは一行を促し、ハワードの案内のもと、彼のかつての住居であった南地区の廃城へと歩を進めた。

 道中、話が通じないモンスターとの小競り合いに何度か経験したが、一行にとって、襲撃してきたモンスターとの戦闘は大きな障害とはならなかった。アーケインスケープのメイジ達の魔術が強力だということもあるが、ほとんどはハワードが単独で撃退したという功績によるものだった。

 浮遊大陸とは呼ばれているが、実際には、マーガレット・ハイ・エアは広大だとは言えない。ハワードが彼等を廃城へと案内するのも、ほんの数時間程度歩いただけで終わった。

「ここだ」

 ハワードが城と呼んだものは、荒れ果て、草木の壁にしか見えないような有様となっていて、放棄されてからの年月の長さを、フェリーチェル達に心の芯まで感じさせる状態だった。

「地上部分の侵入は、今となっては、難しいだろう。だが幸い、目的のものは地下にある」

 ハワードの言葉通り、地下へと繋がる入口は、城の外壁の外側に存在していた。巨大な石板のような石畳が並ぶ一箇所が、スライドして開く隠し扉になっている。その岩は苔むして地面に半ば埋もれていたが、目的の隠し扉を、ハワードが見つけることができないようなことはなかった。

 岩の扉が開くと、地下への道は、階段ではなく、スロープになっていた。ハワードが言うには、

「緊急用の航空機の秘密発進口を兼ねていたのだ」

 とのことらしく、スロープは広く、隠し扉も大きかった。シャリール達が通っても問題ない程の広さが確保されており、モンスター達を外で待たせる必要がなかったのは、ハワードは偶然だとは言うが、一行としては僥倖といえた。

 スロープの中央には溝があり、航空機を撃ちだす為の設備だとハワードは説明した。かつて空には優れた文明と高度な技術があったというが、その一端を窺い知れるものだった。

 スロープの下には、航空機はなかった。航空機は、この地を捨てる時に最後の脱出器として使用し、その後、地上では継続した整備が困難であることを理由に、他のものに流用する資材とする為に解体されたのだった。格納庫は伽藍洞だった。

 一行はそこを抜け、奥の通路へと入る。ここからは人間サイズのスペースだ。シャリール達は、格納庫でフェリーチェル達の帰りを待つことになり、扉を抜けられるもので、ともに格納庫に残る者はいなかった。

 長らく開かれることのなかった扉は、油の切れた蝶番が、その役目を拒否するような悲鳴を上げ、嫌々ながらといった風に開いた。錆び付いたノブは茶というよりもむしろ黒に近い色に変色していて、下手な力の入れ方をして無理に扉を開こうとしていたら、ノブが先に壊れて取れてしまっていたことだろう。

 ともあれ、現実には、扉は開いた。ハワードは皆を先導して扉を潜り、通路に並ぶ幾つかの扉を素通りした。そして、五番目の、他よりも装飾の多い、一つだけ観音開きになっている扉の前で止まり、その扉を両腕で押した。

 蝶番が耳障りな音を上げ、割れる。扉はそのまま向こう側に向かって、埃を巻き上げながら倒れた。

「鍵がもうないのだ」

 弁解するようにハワードが告げ、またもや先頭を切って床に倒れた扉を踏み越える。

「脆くなっている。気を付けて歩いてくれ」

 彼の言う通り、皆が踏むと、扉は今にも割れて砕けそうな、頼りない異音を発した。

「ここは、書庫?」

 一人、脆い足下をなんの障害ともせずに抜けるフェリーチェルが部屋の中を見回した。ハワードに答えられるまでもなく、書架が並べられているその室内は、どう考えても書庫以外には見えなかった。

 だが、書架に収められていた本は、たとえそれが肝心なものだったのだとしても、もう読める状態ではなかった。放棄されてからそれだけの時間が経過しているのだ。虫干しをする者もなく、長い年月のうちに、風化と言っていい程、書物はどれも劣化していた。

「いや。蔵書はどれも今となっては意味のないものだった。必要なものはこれらではない」

 ハワードは書架の間も素通りし、部屋の奥へとフェリーチェルを促した。彼に案内され、訝しげに続くフェリーチェルだったが、彼女の視界に、やがて、鈍い光を今も放っている、宙に浮く宝玉のようなものが見えた。知っている。アーケインスケープでも同様の魔法装置を利用しているのを、フェリーチェルも何度も目にしていた。

「記録珠?」

 記録珠というのは、マジカル・レコーダーと呼ばれる、情報を蓄積しておく為のものだ。紙の書物のように経年劣化することもなく、紙魚に食われることもない。破損しないという訳ではないが、それとて紙の書物の脆さを考えればずっと信頼できる媒体だと言えた。

「流石だ。ご存知か」

 興味深そうな顔をしたのは、むしろハワードの方だった。フェリーチェル達についてきているアーケインスケープのメイジ達や、彼等との交流もあるエノハ、スズネが驚くことは当然なく、その媒体をはじめて見たリリエラだけが、意味が分かっていない表情をしていた。

「では、宝珠の前で、手をかざしてみていただけるか。貴女に必要な知識が得られる筈だ」

 ハワードの薦めに、フェリーチェルは僅かに頷き、従った。コチョウからハワードを始末しておけと警告されていたエノハとスズネもその場にいたが、彼女達もハワードの行動と、それに応じるフェリーチェルの様子を見守った。今のところ、彼女達二人の目から見ても、ハワードの言動に怪しい素振りを感じることはなかった。

 フェリーチェルが自らの足で移動し、宝珠の前に立ったが、それは彼女の体格では頭上遥かにあって、手を届かせることはできなかった。当然、魔法装置は人間が扱うのに適した高さに浮かんでいたからだった。

「ごめん、私を持ち上げてもらえる?」

 と、フェリーチェルは、頼む相手をハワードに決めた。彼を振り返ることはなく、皆には人形の背だけを見せて、どんな理由でハワードに頼んだのかを窺わせることはなかった。

「ああ」

 ハワードは頼みに応じ、フェリーチェルの背後に立った。両手で人形女帝を持ち上げる動作は、ゆっくりとしたものだった。

「自分で頼んでおいてこんな言い方もおかしいとは思うが、いいのだな?」

 しかし、フェリーチェルが宝珠の高さに届こうという直前に、ハワードは躊躇したように手を止めた。明言は避けたが、彼の言葉から、フェリーチェルが宝珠を使用した瞬間、記録の閲覧とは別の何かが起きるのだという確信を皆が抱いた。

「それは記録珠ではないということですか?」

 スズネの問いかけに、

「ふむ」

 とだけ応じ、ハワードは答えなかった。そんな彼の様子を見ても、フェリーチェルの態度は変わらなかった。

「私がいいと言っているのだから、今更辞める必要はないよね。大丈夫、最初から何となくだけど、気付いていたから気にしないで。迷っている時間が、今は惜しい筈でしょ?」

 フェリーチェルはそう笑うばかりだ。彼女の口調は強かったが、声は揺れていた。

「納得しない相手を生贄に使うのは間違っていると、皆は言うかもしれないけれど。自分が生贄になるなんて、どれだけ考えたって怖くなくなる訳がない。いつまで待ってもらえば決心が決まるかなんて、私にも分からないよ。でも時間は待ってくれない。コチョウも待ってくれない。私はやるよ。今はそれだけ」

 決心はつかない。けれど、他の誰かに変わってもらうことも不可能なことだ。ならばやるしかない。アイアンリバーの主導者として祭り上げられてから今日まで、フェリーチェルはそうしてきたつもりだった。ならば、と。これも、同じことだ。

「ありがとう。アンも浮かばれる」

 ハワードの反応には、

「アン女王を引き合いに出すのは卑怯だよ。彼女は自分の夢に破れた。誇りをもって進んだ先が、必ず拓かれることばかりじゃないってことを、示すように。それは彼女の物語の結末で、私はそれを背負い込むつもりはない。これは私の、私だけの決断で、他の誰かの為だなんて、思ってほしくはないよ」

 フェリーチェルは語り、宝珠に手を伸ばした。そして、人形は、動かなくなった。


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