第六二話 ディサイプルズ
フェリーチェル達を見送り、エノハとスズネは、竜の群れの注意を引くように必要以上にグリフォンを上昇させた。
そして、竜の一体が彼女達に気付いたのを確認すると、エノハはグリフォンにスズネだけを残し、空中に身を躍らせた。
式札はもういらない。彼女が念じ、印を切るだけで、真っ白な体に金の体毛をもった、天を駆ける牝馬が、エノハを背に受け止めた。それも式姫の姿のひとつだった。
陰陽師としてのエノハの能力の粋である式姫には、定まった容姿がない。その体躯や姿は、エノハの求めに応じ、千変万化するものだ。式姫は飛行能力を持ち、実際には、スズネとエノハには、モンスターではなく式姫に乗って飛ぶという選択肢もあったのだが、エノハは皆に式姫が飛べることを秘密にしておく方を選んだのだった。
また、四神達のように、定まった能力ももたない。万華鏡の中の模様のように複雑で緻密な式神だ。それだけに、エノハ以外が乗っ取り、操れるものでもなかった。
現在のエノハは、その難しい式神を、ほぼ無意識に、自在に操る。実際、何度かスズネも訓練で手合わせをしたが、敗れることこそなかったものの、式姫を退けられたことはただの一度もなかった。
故に、ただの竜で止められるものでもない。エノハが竜の一体を見据えると、突然空中に出現した剛槍が、その竜を貫き、遥か眼下の地上へと叩き落とした。
竜は、残り四体となった。彼等は所謂普通に想像されるドラゴンそのものであり、頭部には角を生やし、牙が突き出た大顎と、緑色の光沢を放つ鱗に覆われた体躯には四つ足と、大きな蝙蝠の翼があり、尾は長く太かった。大きさは一五メートル弱と小ぶりながらも、人間であるスズネや、エルフのエノハと比べれば、十分に大きかった。
竜というのは、遠くへ飛ぶことに長けてはいても、小回りを要する空中戦での飛行技術を苦手としているものだ。エノハが一体を撃ち落とした隙に、スズネも別の一体にグリフォンを向け、片手に持った刀で、竜の鱗をものともせずに、その首を刎ね落とした。
その状況に至って、ようやく自分達が危機的状況にあると、残りの三体の竜は気付いた。浮遊大陸は数多の竜が縄張りを奪い合うには狭く、また、多くの種が生きる為には巨竜は邪魔な存在であることが続いた。そんな歴史的背景により、崇龍クラスの存在以外、竜も小型化が進んでいた。
詰まる話、一五メートル級の竜達は、これでも現在では大型な方であり、これまで自分達よりも強大な相手と巡り合ったこともなかったのだった。そして、竜特有の傲慢さで、翼ももたぬ人を、見下し続けてきた。早い話が、スズネやエノハを舐めていたのだ。それ故に、相手の方が自分達よりも強いと、認めることが遅れた。
エノハも、スズネも、元来どちらかというと無暗な殺生を好む訳ではない。だが、必要と認めた時にまで、モンスターを排除することを躊躇うような、甘さを持ち合わせている、という訳でもなかった。
瞬く間に、竜は打ち倒され、千々に落下していく。遠くに離れていく調査隊の面々を襲おうという影は見えず、ひとまずは、邪魔者を排除できたといったところだった。
しかし、二人は動かなかった。どちらからともなく、なんとなしに覚えた予感から、自分達のもとに訪れるだろう人物を待ったのだ。その人物は二人の予想に違わず現れ、エノハやスズネを長く待たせるようなこともなかった。現れたのは、二人の師匠だ。
「お前達に伝え忘れたことがある」
と、挨拶もせず、コチョウは現れるなり、要件を切り出した。長く会話を楽しむつもりもないといった風な態度だった。
「ハワードは殺せ。フェリーチェルが私のところまで辿りつけん原因になるかもしれん」
別にフェリーチェルに味方をするつもりで忠告しに来た訳ではなかった。単純に、状況を混沌化させる邪魔な存在だとハワードを見ていて、介入されてはつまらないと考えているのだろう。
「どういうことですか?」
スズネの問いに、
「あいつはハイ・エア・マーガレットの生き残りだ。奴はシステムのことを理解している」
コチョウは薄ら笑い混じりに応じた。
「その正体を理解しているからな。あいつはお前達とも、私とも違う考えに至りかねん」
「違う? どんな風に?」
エノハも、コチョウの話に食いついた。敵の敵は味方、という訳ではないが、エノハとスズネは、こういうことに関しては、コチョウは嘘をつかないと、信頼していた。
「正確に言えば、フェリーチェルはシステムの在処に、辿りつけはするだろう。だがな」
コチョウも頷く。表情から薄ら笑いが消え、神剣に真実を語る目になっていた。
「それがあいつの意志で、とは限らんという話だ。ハワードは世界の救い方を知っている」
「つまり、フェリーチェルさんが、何かの鍵だということですか?」
スズネが首を傾げ、
「フェリーチェルって、何者なの?」
エノハも疑問を抱いたように眉を歪ませた。
「良いだろう。お前達も知っていた方がいい。この荒廃した世界を、人が生きられるように作り替えていたシステムのことは教えておいてやる。その為の施設は、世界に五つ点在し、それを中央制御していた施設もある。シャリール達がたむろしてたっていうセントラルコアが、かつて中央管理施設だった場所だな。そして、環境制御施設五ヶ所と、中央管理施設の魔導装置は、それぞれ一体ずつ、六体の魔神と、それを封じていた一人の人柱の力が源になっている。システムの不調は、老朽化だけでなく、セントラルコアに封じられていた魔神が消滅したことだ。実際には、人柱と同化し、行方を晦ました。それが根本原因だ」
コチョウはそこまで説明をして、言葉を切ってエノハとスズネの様子を覗った。二人が理解できているかを確かめたかったのだ。理解できていないようなら、面倒なだけで、時間の無駄だ。だが、二人が頷くのを見て、コチョウは半分面倒くさそうにしながらも、半分満足げに笑みを見せた。
「少し脱線すると、それは浮遊大陸が空に浮かべられる前の話だ。そのせいで環境制御が狂い出し、全世界をシステムでカバーすることができなくなったが故に、各システムの連携を切り、個々の周辺のみの環境制御をさせることで生存圏を確保しようというのが、浮遊大陸の始まりだからな。空に浮かべたのは、周囲の荒廃の影響から、肥沃な土壌を切り離したかったからだ。当初その目論見はうまくいった。当時の人間共の計算外だったのは、モンスター共が、予想よりもしつこかったことだ。まあ、当然だな。モンスターだからといって荒廃した地上で生き残れる訳じゃない。空に生存可能な土地があるのなら、血眼になって奪いに掛かるさ。そして、モンスターとの争いが激化していくにつれ、空に上がった人間共の社会は存続が難しくなっていった。地上と違い、簡単に全世界の意志の統一が難しい空じゃ、個々にモンスター達と戦うしかなかったからだな。そうやって、人は、浮遊大陸を諦めた訳だ。モンスターに負けたと言っていい。まあ、正直、どうでもいい話だ」
肩を竦め、コチョウがもう一度言葉を切る。話題を戻す為に、何処まで話したのかを、一瞬考えたのだった。
「ハワードは経緯をすべて知っている。それだけに、人柱を元に戻せば、システムの安定は容易いことも理解している。本人でなくとも、代替となる同種の力の持ち主を人柱に据えれば良い、ってことをだ。フェリーチェルには、人柱になる素質がある。以前、朱雀から、フェリーチェルが自分の意志で浮遊大陸に辿りつく必要があるという話を、私も聞いていたが、理由を調べた結果分かった。あいつが自発的に、人柱になる、と決める必要があったのが真相だ。その為には、自らの目と耳で、真実に触れる必要があったんだろう」
だが、と、コチョウは言う。
「ハワードは、現状では大人しくしているが、根底に、命を捨ててまで世界を救おうとしたアンの遺志にどう向き合うかの迷いが燻っている。その結論次第では、フェリーチェルを無理矢理システムにぶち込むだろう。そうなる危険性はかなり高いと思え。そんなところになれば、私としても面倒なことになるし、お前達としても後味が悪い結末になる筈だ」
「話は分かったけど、それ本当なの、お師匠。そんな素振り、今まで全然なかったんだけど」
信頼はしているが、コチョウの思い過ごしではないかとエノハは首を捻った。それを信じるだけの根拠を、今までの記憶に見つけることができなかった。
「信じないならいい。私が困るような問題に発展するようなら、勝手に処理するまでだ」
コチョウは、エノハとスズネがハワードを信じる方を選ぶならば、それで良かった。コチョウが迷惑を被らない限りは、対処がいらない問題だ。だが、必ず最終的にはコチョウの狙いに関して、障害になることは確実だ。その気配を読み取った時、コチョウは問答無用でハワードを亡き者にする気でいた。
「お前達が先に排除しておくのなら、私も面倒がないってだけだ。好きにしろ」
「分かった。注意しておく」
エノハはそれが落としどころだと考えた。これ以上コチョウを足止めしても、得るものはない。スズネを促し、その場を離れた。
これは期待できない。コチョウは苦笑した。