第六〇話 デパーチャー
フェリーチェルを含めた調査隊メンバーは、出発予定時間の一〇分前には、中央帝宮に集っていた。
まずはリーダーであるフェリーチェル。
リリエラ。
ハワード。
スズネ。
エノハ。
そして、クァダラという名の、翼をもたない、小柄の二足歩行の獣人モンスター。白い体毛に覆われた容姿は小型犬を思わせる頼りないものだが、様々なモンスターと意思疎通ができる、モンスターとの仲介役を務められるとのことで、シャリールに同行することを推薦されたのだ。
アーケインスケープからは、メイジが三人。男性二人、女性一人だった。レイモンドはこれからの市民の暮らしに欠くことができない存在であることから、フェリーチェルが同行を許可しなかった。
彼等を運ぶモンスターも、三体すでに集まっている。シャリールもその一体で、彼女は、リリエラとフェリーチェルを乗せることになっていた。ペガサスにはハワードとクァダラが、グリフォンにはスズネとエノハは、それぞれ乗ることになっている。
また、人を乗せることはできないモンスターだが、シャリールの護衛の為に、セイレーンのエニラと、大鳥も同行する。それでメンバーは全員だ。
勿論、地上に残るレイモンド達もただ見送るだけが役目ではない。必ずギャスターグ一党は襲ってくると予測しており、フェリーチェル達がそれを突破する援護と、可能であればギャスターグ一党の壊滅を任務として与えられていた。ギャスターグ一党の壊滅を目指すのは、彼等の存在が、身動きの取れないデザートラインの群れで暮らす人々の安全を脅かすことが目に見えているからだ。
「あれ程の戦力をどこから掻き集めてきたのか分かりませんが」
シャリールは、先刻襲ってきたモンスターの大軍は、すべてがギャスターグ一党ではないと告げた。そこまでの規模はなかったと。
「おそらく、複数のコロニーの支援を受けているのだと思います」
それだけ、人はモンスターに敵視されているということだ。そして、
「それだけに、直接戦闘での戦力は、私達にもまったく想像がつきません」
ということでもあった。少なくともギャスターグ一党だけでも相当な強さであり、無数の頭数があるというだけで、それ以下ということはあり得ない筈、ということだけは確かだった。
もっとも、戦力についてはアイアンリバー側も膨大なものだ。アーケインスケープでなくとも、冒険者達にも魔法使いはいて、軍にも魔法部隊は存在する。彼等は対モンスター戦闘に関してもプロフェッショナルであり、一方的に殺される有象無象の民ではない。
「かつて、人が空に大陸や島を浮かべたとき、そこは人の楽園で、モンスターが付け込む隙はありませんでした」
と、シャリールは語る。
「モンスターは、地上にも、空にも安住の地をもたなかったんです。人の文明はそれ程強大でした」
モンスターには、長命な種族が多い。その記憶を留めている個体も、まだ現存している筈だった。そして、長命でないモンスター種族であったとしても、その時の屈辱と苦難を種の記憶として残している者達も多いものだ。そうやって、子々孫々と受け継いできた本能が、人々が空を目指そうとすることを恐れされせ、憎しみを湧き立たせるのだ。
「やがて人が浮遊大陸を捨てた頃は、モンスターの多くの種が滅んだ後でした。そのことも魂に刻まれています。ですから、人が空を再び目指した時、自分達は滅びるのではないかと、多くのモンスターは本能的に恐れるんです。突破戦は、想像以上の激戦になると、覚悟しておいてください」
シャリールの説明に、調査隊のメンバーが口をきつく結ぶ。恐れからではなく、必ず生きて空に辿り着くのだという、決意の表れだった。
ただ、一人、違う反応を見せた人物がいた。他でもない、調査隊のリーダーを務める、フェリーチェルだった。彼女が別の反応を見せたのは、ある意味、彼女が、人、ではないと、自分のことを認識しているからかもしれない。
「あなた達は、私達が空へ向かうことが、恐くはないの? シャリールさん」
そんな問いが、フェリーチェルの口から飛び出した。フェリーチェルには皆の命を預かる責任がある。裏切りの芽は、事前に察知しておきたい、という真剣さが、声色には込められていた。
「恐怖は私達にもあります。できれば私達自身で、浮遊大陸のシステムを掌握したかったのですが。人の作ったシステムは、私達モンスターには難解すぎました。私達がそれを理解するよりも、世界の滅びは先に訪れると、判断したんです。世界が滅んでしまえば私達も助からないんですから、人間を恐れている場合じゃありません」
シャリールの言葉には、苦々しさがあった。実際には、人間に頼ることに抵抗があったのだ。モンスターからすれば、過去、人類は常に脅威であったのだから仕方がないことだった。
「そう。背に腹は代えられないってことね」
フェリーチェルも苦笑いを漏らすしかなかった。間違いなくお互い様だ。危険を考えれば、人側としても、モンスターと手を組むというのは、避けた方がいい選択肢なのは間違いない。
フェリーチェル達には、現状自力で浮遊大陸に辿り着く技術はなく、シャリール達には、浮遊大陸にあるシステムを解析する技術がない。それを補い合わなければ滅びに対処できないのであれば、そうしないことより危険な選択は、互いに、ない、と確信できた。
「私達も、志を同じくして、危機を乗り越えた者達に、友愛の情をもたない訳じゃない」
フェリーチェルは言い、
「それはモンスターの私達とて同じです」
シャリールも頷いた。シャリールが率いていたモンスター達も、翼をもたない多くは、アイアンリバーに残ることになっていた。
おそらく滅びの危機を乗り越えたとて、すべてが解決する訳ではないだろう。むしろ、そこから繁栄することを目指した激しい生存競争がはじまるのだ。人間達は街をもたず、シャリール達もモンスターのコロニーとしては脆弱だ。それ以降も互いに協力し、生き乗りをかけていくことになるのだろう。
「きっと、みんな、うまくやってくれると思う。私はそう信じてるよ」
たとえ、フェリーチェルが戻らなくとも。
「そうですね。ええ、きっと。私の指示がなくとも、皆、頑張ってくれるでしょう」
シャリールが生き延びることができなくとも。
フェリーチェルも、シャリールも、自分が抗おうとしている敵を知っている。相手はあのコチョウだ。まともにぶつかれば、調査隊は正面から叩き潰されるだろう。勝負にすらなるまい。そのことは、二人ともよく理解していた。
「勝てると思う?」
二人の会話に、それまで少し離れて眺めていたリリエラが加わった。彼女の隣には、ハワードも立っている。その後ろには、出発準備を終えた調査隊の面々が揃っていた。
「勝ち目はないよ」
フェリーチェルが答える。
「まったく勝機を思いつきません」
シャリールもまず負ける勝負だと認めた。二人の目には、だが、悲壮感はなかった。
「でも、私達が勝つかもしれないと思っている奴が、一人いる」
フェリーチェルの言葉が、彼女達が諦めている訳でも、自暴自棄の突撃をするつもりでいる訳でもないことを示していた。
「コチョウは、ごく僅かに、自分が負ける可能性がある状況を、愉しんでいる筈だから」
「あの人は、期待していない相手には、興味をもたない人です。時間の無駄になる挑発はしてきません」
と、シャリールもコチョウへの理解を言葉にした。
「あいつ、知ってるんだ?」
その言葉に驚いたのはフェリーチェルで、
「あなたも、知り合いだったんですね」
シャリールは、若干労わるような表情を見せた。フェリーチェルも軽く首を窄めるような仕草を返し、二人の間でのコミュニケーションは、それで十分通じた。
「レイモンド達との交信は?」
フェリーチェルは声色に込めた感情を薄め、メイジ達に確認する。レイモンドは解析班のメイジ達と共に忍者の里に移っており、サポート体制を整えているところの筈だった。
「問題ありません。ギャスターグ一党の動きも捉えられているそうです」
メイジの一人が返答する。フェリーチェルに訊かれるだろうと判断したメイジは、
「やはり再接近を図ってきているようです」
質問される前に、そう、報告した。
「待っているのも芸がないね」
フェリーチェルが皆を見回し、
「行ける?」
とだけ、問う。否定する者はなかった。
「行こう」
時間はまだ予定の五分前だ。しかし、一行は、時間を待たず、デザートラインを出た。