第五七話 フェアリー・ドール
四神をあっさりと下したコチョウは、まだ地面で燃え上がっている業火を一瞥したが、興味がないとばかりに無視をした。
彼女はすぐにとって返し、アイアンリバーの中央帝宮の傍に舞い降りると、
「どうせ魔法で見てるんだろう?」
と、列車に向かい、剣呑な笑みを投げかけた。
「私はすべての環境システムを停止させる。場所はハイ・エア・マーガレットの施設だ」
わざわざ自分の行先を告げる。間違いなく、フェリーチェルを焚きつける為の挑発だった。
「システムが止まれば人類は全滅する。それが嫌なら、精々慌てふためいて止めに来い」
言いたいことを言い終えると、コチョウはすぐに去った。そして、その言葉を、コチョウの予想の通り、フェリーチェルはすべて聞いていた。
『じゃあな』
と言い残し、コチョウが去って行くのを、フェリーチェルは魔法の映像越しに、見た。
「今すぐに調査隊を編成しなければ、アイアンリバーが全滅しかねないのは事実です」
レイモンドも、コチョウに同調する訳ではないが、といいつつ、進言する。その見立てに誤りはないと、フェリーチェルにも理解ができた。
「アーケインスケープから、探索に強い者、古代に明るい者を、少数精鋭で編成してくれる?」
フェリーチェルの返答はそうだった。多数の人間を、アーケインスケープから派遣してもらえば、探索の成功率は上がるが、その間に市民が困窮し、アイアンリバーの社会が崩壊しかねない。世界の破滅を防いだあとのことも考えなければならない。デザートラインが再稼働できないという想定もしておかなければ、コチョウを止めたところで、意味がないと考えた。
「リリエラさんとハワードさんも、探索には参加できるよね?」
フェリーチェルの問いに、
「勿論よ」
「私も行こう。当時の認識が何処まで通用するかは分からんが、多少は案内できるかもしれん」
リリエラとハワードも頷いた。ハワードの言葉には一瞬怪訝そうな表情を返したフェリーチェルだったが、今はそれよりも優先して考えるべき課題があると、疑問を頭から振り払った。
「とすると、あと二、三人が限界だね。スズネと、あとは冒険者を二人、募ってこよう」
人を乗せて飛べそうなモンスターは、シャリール含めて五体だと、フェリーチェルも認識した。フェリーチェルは誰かと一緒に乗れば良いとしても、リリエラとハワードを抜けば、あと三人が限界だ。
「アーケインスケープの人達には、自力で飛んでもらうことになるけど、大丈夫?」
一応、レイモンドに、フェリーチェルが確認の問いを投げかける。レイモンドは短く、
「ええ」
とだけ、頷いた。
彼はすでにアーケインスケープの誰を選出するかという課題に取り組んでいたのだ。だが、ふと思考を止め、フェリーチェルに視線を向けると、彼は不思議そうに尋ねた。
「しかし、カイン殿はメンバーに数えないのですか?」
「それは駄目だよ。誰かが残って市民の為に政府判断をしなきゃ。こんな時くらい、ちゃんとしてもらわないと」
フェリーチェルは笑うように答え、
「出発は一時間後。それまでに、準備を済ませよう」
人員選出のタイムリミットを、そう、指定した。当然無茶なスケジュールであることはフェリーチェルにも分かっていたが、準備に時間をかけていても、コチョウは待ってくれないだろうと思わずにはいられなかった。そうでなければ、コチョウは期限を告げてから去ったことだろう。どういう訳か、コチョウはそういう所には律儀だ。
「エノハのことは良いの?」
リリエラが問いかける。映像の向こうのまだ炎は消えていなかった。リリエラには、フェリーチェルの態度が薄情に見えた。
「彼女のことは一旦忘れよう。その余裕が今の私達にはないよ」
フェリーチェルの表情は変わらない。無表情なのは、勿論、ぬいぐるみだからだ。その言葉の真意も、リリエラには伝わらなかった。
そして、問いただす暇もなかった。
小走りに、カインが部屋の中に入って来たからだ。冒険者達を纏めていた彼だったが、コチョウの宣言を、勿論、聞いていた。
「姫。コチョウを止めに行くのだろう?」
と、彼はやや息が切れた声で、フェリーチェルの意志をたしかめた。自分の確信が正しいことを疑っていない声で、彼が言いたいことも、室内の誰もが理解できた。
「あなたは残るの」
アイアンリバーには統治者が必要で、周囲にはアンが連れてきた大連合の者達が途方に暮れている。皆、生き残る為にどうすればいいのかなど思いつける状態ではなく、だが、死にたくはないと切実に願っている。
彼等を救うには誰かが浮遊大陸へ行ってコチョウを止め、そして、環境システムを修復するしかないが、その誰かが手を打っている間に、人々の不安に向き合う為政者がいなければ、人々は暴動の内に破滅を迎えるだろう。
「皆が私をデザートラインの主にと選んだから、私はその使命を甘んじて受けてきたけど、本当は、統治は私がやるべきことじゃなかったんだと、私は今でも思っているよ。だってアイアンリバーの王族はあなたで、あなたが皆を治めていかなければならなかったんだから。だから、こんな時くらいちゃんとその役目を果たして。いつまでも、一冒険者の立場に甘えるのは、なしだよ」
逆に、フェリーチェルが残る、という選択をとったとして。
それでは何も解決しないだろうとフェリーチェルは確信していた。カインではコチョウは止められないだろう。少しでもコチョウとの会話が成立する人物がいるとすれば、自分自身だろうとフェリーチェルも自負している。コチョウと対峙して望みがあるのは、カインではない。
「私にはコチョウを力で止めることはできないけど、少なくとも彼女は私には話してくれる。何を考えてるのか、何を目的にしてるのか。全部じゃないけど、答えは返してくれる。だから私は行かなきゃならない。私が残って女帝を続けていたら、世界は終わりだ。他の誰かじゃ、コチョウは、きっと止まらない」
フェリーチェルは、一言一言を噛みしめるように、カインに語った。場合によっては、いや、むしろほぼ確実に、自分は戻れないと、感じていたからだった。言葉だけではコチョウは止められないことも事実で、死に物狂いになって漸く、コチョウに気持ちが届くかどうかだ。フェリーチェルについて行くということは、絶望と死の旅路の道連れだと言ってよかった。
「それにね。皆、人形遊びは、そろそろ卒業しなきゃ。人間であるあなたが、人を導くの」
と、フェリーチェルはカインから視線を外した。彼女は人形で、人ではない。意識と命はあるのかもしれないが、少なくとも、生物ではない。フェリーチェル自身が、そう感じていた。
「それは誰も気にして来なかった筈だ」
カインは反論する。それも事実だ。人形だからと言ってフェリーチェルがないがしろにされたことはなかったし、人形女帝と呼ばれていた彼女を、だから彼女が決めたルールには従わない、と言い出す理由にする市民はいなかった。多くの人に請われて女帝になったフェリーチェルは、人ではないと、謗られたこともなかった。だが、問題は、それではなかった。
「私が気にしてきたんだ、ずっと」
フェリーチェル自身の、コンプレックスとして、常にその意識はあったのだ。アイアンリバーのデザートラインと一緒に箱庭世界から出てきた者達は、皆、本物の生物になることができた。フェリーチェルを除いて。彼女はコチョウの力をもってしても、人形から変わることはできなかった。ただフェリーチェル自身に関することは、不幸な方向へ転がると定められていたというだけの理由で。
「何でかってずっと考えてた。それで、ある日、ふと、気付いたんだ。そもそも私は、皆とは最初から違ったんじゃないかって」
ただフェリーチェルという存在が、不幸なフェアリーの役だった、という訳ではなく。そもそもあの時点でのコチョウの力を跳ね除けてしまうような何かだったことが、結果的に不幸に働いたのではないかと。
「私の魂は皆とは違うんだと思う。私はもともと、きっと、人じゃなかったんだ」
だとしたら、と、フェリーチェルは言う。
「その答えも、私ね、空にある気がするんだ。もしかするとコチョウはもう知ってるのかもしれない。私の答えが、私を今更幸せにしてくれるとも思えない。でも、私はそれを確かめたい。もしかすると、世界の存続に繋がる答えかもしれないから。だからね、あなたにも、私が戻らなくてもいいってつもりでいてほしいんだ。これからは、人が人を治めてほしい。私みたいな人形に、これ以上、頼るのはやめて」
そして、その話が終わっても、カインの方を見ようとはしなかった。それが、彼女なりの、人との決別の、表明だった。