第五六話 ルイン
「あいつは、また」
臍を噛む気分で呻くフェリーチェルの視線が向けられた映像の中に、コチョウの傍へ舞い上がっていく四つの姿が映り込んだ。それは見間違いなどではなく、デザートラインが数多く立ち往生しているその場所の上空で、実際に起きていることだった。
朱雀。
青龍。
玄武。
白虎。
「であるなら、協力関係は解消、ということで間違いないかのう?」
喋るのは朱雀だけで、代表して彼等の意志を他者に伝える役目を担っている。説得に出たという空気ではなく、明らかに臨戦態勢をとった四神達の背に人の姿はなく、自らの意思でコチョウと対峙したことを示していた。
「ああ、その必要がなくなったからな。もう私には、コラプスドエニーは贄でしかない」
コチョウが頷く。長々とその実情を説明するつもりは、彼女にはなかった。
「ところで」
そんな議論はどうでもいい。それよりも、コチョウが気にしたのは、眼下の地上を走ってくる人物の存在だった。
「お前等の主人は納得してないようだが?」
と、コチョウが身振りを交えず、視線で朱雀達に一旦地上に降りろと促した。自分も彼等を待たずに、降下する。
「自分の式神の手綱はしっかり握っておけ」
ため息混じりに、コチョウは、走って来たエノハに文句を投げつけた。
「無理だって」
コチョウから少し距離をおいて立ち止まり、エノハが頭上を見る。朱雀達が渋々舞い降りてくるのを彼女は待った。
「朱雀達も」
以前は朱雀達四神に謙るような態度で接していたエノハも、今ではすっかり砕けた態度になっている。とはいえ、エノハが完全に四神に対する主導権を掌握できているかといえばそうでもなく、特に朱雀は、召喚されてもいないのに勝手に出て来ては、自発的に何処かへ飛んで行ってしまうことも多かった。
それでもエノハは自分が主のつもりでいて、自分の式神が粗相をすれば叱りたい気分にもなった。
「話し合いや説得も試みないうちから敵対心煽ってどうするの」
互いに妥協点はないのか、エノハはそう言いたいのだ。
「この破壊者を説得、とな。言って聞く相手だと思うか」
だが、朱雀も、主であるエノハを軽んじている様子を隠さない。呆れたように、主の言葉を揶揄するような口調さえ窺わせた。
「全くだな」
もっとも、そんな奴ではないと言われているコチョウも、朱雀に同意するような始末だった。立場はほぼ真逆のことが多いが、思考は何処か似通っていた。
「お師匠も。力尽くが一番早いのは分かるよ。でもちょっとは大物感出したっていいよね?」
小物臭い、と、エノハはコチョウを評した。コチョウも、少しだけおかしそうに笑った。
「知るかよ。小物で結構。面倒臭いよりはいい」
もともと似たような気質を感じていたが、いつも傍について働いているせいか、エノハは、言うこともフェリーチェルに似てきた。それがコチョウには可笑しかったのだ。
「それに、決着をつけるって話も有耶無耶になっていたしな。丁度いい機会じゃないか」
コチョウの含み笑いに、
「全くもって不愉快ではあるが、同感よの」
朱雀も同意を示した。
「こやつを放置はできぬ。邪魔をするのであれば、主従関係を改めねばならぬ」
いつもどこか人を食ったように煙に巻く態度をとることが多い朱雀だが、今回ばかりはストレートにエノハに警告を発した。コチョウを問題視しているからこそ、コチョウに敵対の態度を示すときは、そうであることがほとんどだ。朱雀は基本的に、コチョウを世界の脅威と見なしているようだった。
「その一方的な態度がお師匠を焚きつけるんじゃないの?」
だが、エノハもコチョウの性格を知らない訳ではない。根本的には自分勝手で破壊的な性根だが、何処か享楽的でもあり、気の迷いで甘さを見せることも少なくないことも、理解していた。
「お師匠は負けず嫌いの血が濃い。居丈高に挑戦されればより高慢に反発する人だよね。そのくらい分かっている筈だよ、朱雀。あなたがお師匠を挑発しているだけじゃないか」
エノハは懐から式札を取り出しながら告げる。話が通じないのであれば、式神達を式札に戻す姿勢を見せたのだ。
「なれば、致し方なし」
と、朱雀が呟きのように言葉を紡ぐ。その瞬間、エノハの全身が、突然地面から吹き上がる火柱に包まれた。当然朱雀の仕業で、主であるエノハを邪魔者と見なして業火で包んだのだった。
攻撃の予兆も見せなかった朱雀の暴挙に、エノハにはそれを避ける術はなかった。
「ふん」
燃え上がる炎の中に見えなくなるエノハを気にも留めず、コチョウが嘲りの声を上げる。
「主より世界をとるのか」
口ではそのことに言及するが、コチョウは、そうだろうな、と、納得はしていた。青龍、玄武、白虎も、朱雀がエノハを燃やすのを咎める様子もなく、視線はすべてコチョウに注がれていた。炎の中から、主を助け出そうという素振りさえ見せない。
もっとも、その隙がなかったということも事実だった。龍神の力を飲み込んでいるコチョウは、四神が束になって勝負になるかどうかといった程にまで位をあげてしまっている。エノハに気を逸らしている余裕はなかった。
「まあいい。何かと邪魔な物が多い。上へ行くぞ」
コチョウに誘われ、四神も上空へと舞い上がった。コチョウにしろ、朱雀達にしろ、戦闘に地面は必要なかった。むしろ、立ち往生しているデザートラインが障害物となり、動き回りづらいだけでもあった。
コラプスドエニーの高空に吹いている風は今日も強い。だが、それを苦にするものは、いま、ここにはいない。上昇速度はコチョウの方が速く、四神達が追い付いてくるのを、しばらく待つかたちになった。
「来い」
追いついてきた朱雀達と、これ以上会話をするつもりも、コチョウにはなかった。時間の無駄だと理解していた。
「うむ」
それはお互い様だった。朱雀も言葉を連ねるつもりを見せず、それに合わせ、青龍、玄武、白虎がコチョウを取り囲むように散開した。散れば各個撃破の危険が増えるが、纏まっていれば一網打尽の危険が増す。四神は、前者の危険をとった。
コチョウは彼等が包囲を終えるのを待ち、悠然と浮いていた。突風にも近い強風の中で、難もなく一点に留まり続けるフェアリーの姿は冗談のようでもあり、底知れぬ恐怖を掻きたてるような尋常ならざる光景でもあった。
「準備は終わったか?」
コチョウが問いかける。あくまで、挑戦するのは四神で、挑戦を受けるのはコチョウだと意識している態度だ。決着をつける時が来たのだという理解はありつつも、コチョウにとってこの戦いに何の意味も見いだせていない無関心を装っていた。
「行くぞ」
朱雀の声は異様な程に低い。その声に合わせ、四神は同時に動いた。植物のない空中という戦場は、四神のうち青龍にとって不利な条件と見えなくもなかったが、そんな条件を覆すように、青龍は自らの周囲に種を出現させ、一瞬でそれを宙に浮く球樹に成長させた。どうやら、そこから幹や蔦を伸ばす気であるようだった。
朱雀が炎を上げ、玄武が水を纏う。白虎は毒々しい色の瘴気のような靄に包まれた。白虎は金属を操る力を持つとともに、病毒を撒き散らす能力も持ちあわせているのだ。
「本気でやれ」
コチョウが人差し指だけを振る。
朱雀の炎は消え、青龍の樹は枯れ落ち、玄武の水は吹き飛ばされ、そして、白虎の瘴気は霧散した。それ程の力の差が、コチョウと四神の間にはあった。天を我が物とし、悠久を生きた龍神からコチョウが得た強さは、正しく世の理を超えていた。
「それが全力だというのなら、仕方がないな。有象無象と同じだ。さっさと死ね」
コチョウが腕を振り、一筋の闇が玄武を貫いた。玄武を狙ったのは偶々目についただけで、コチョウは実際、どれを狙っても良かった。
その一撃だけで、玄武はその場で消滅した。絹糸の如き細さの光線に打たれた瞬間、玄武は跳ね飛ぶこともなく、滅んだ。
「これは……何事か?」
龍神の力ですらない。朱雀もその正体を掴みかね、目を丸くするばかりだった。最早勝負にもならない、朱雀だけでなく、青龍も、白虎もそう悟ったようだった。
逃げ場もない。青龍が、白虎が、玄武に続いて闇に貫かれて消えた。そして。
「そうか。これが、おぬしが纏う、滅びか」
かつてそう占に出たことを思い出しながら、闇に最後に貫かれた朱雀の存在も、潰えた。