第五五話 コール・オブ・カラミティ
フェリーチェルは、シャリールの体躯でも通れる順路を選び、リリエラとシャリールを二車両離れた場所まで誘った。そこは他の車両よりも明るく、窓がある訳でなく、色とりどりの魔法的な光によって、ホールになっていることも、鮮明に照らし出されているのだった。
魔法の光の正体は実に様々だ。車外の景色を映像として表示している何枚ものパネルのような幻影や、文字がびっしりと映し出された解析魔法の出力、ただ室内を照らす為だけに浮かべられた純粋な照明魔法もあった。
「アーケイン・スケープ」
リリエラが呟く。その名は、アンのところに鞍替えしたメイジ達から、リリエラも聞いていた。
「そう」
フェリーチェルは短く頷いてから、視線を別に向けるように、体ごとリリエラに背中を向けた。
「どう? 代替でなんとかなるかな? 動きそう?」
そして、問いかける。相手は、頭上に表示された幻影を見上げている男、アーケイン・スケープのリーダーである、レイモンドだった。
「機関に換算すると、二〇パーセント程度の出力は出せそうです。走行は不可能ですが、市民が日常生活を送るのに最低限度機能だけは復旧できる計算です」
フェリーチェルを振り返らず、レイモンドが答える。彼が見ているものは、フェリーチェルには理解できない数字の羅列に過ぎなかったが、彼には大きな意味をもつ情報だった。アーケイン・スケープのメイジ達が開発した、緊急用出力魔法装置のモニタリングデータだ。
「ですが、根本的解決にはなりません。デザートラインが走行できなければいつか資源は尽きますし、長くもって一〇日間が限界かと。大胆に、根本的打開策を打ち出さねば、全滅必死です。もし案があるのであれば、今すぐに決断するしかありません」
レイモンドの予測は悲観的だったが現実でもあった。彼の言葉に一瞬黙り込み、フェリーチェルは、それから質問の内容を変えた。
「で、あいつは? コチョウが何処ふらついてるかは見つかった?」
と。間違いなくコチョウのせいなのは分かっている。彼女に何をしたのかを問いただせれば解決の糸口も見つかるだろうとは、フェリーチェルにも分かっていた。
「そちらは手掛かりなしです。空間のひずみに飛び込んで消えたというのが、大方の推測になります」
と答えてから。
レイモンドは、しかし、とため息混じりに進言した。
「コチョウを見つけたところで、素直に情報を提供して貰えるとも、思えないのですが」
実際、直接関わったことはほとんどなくとも、コチョウのことを知らない者の方が、アイアンリバーには少ない。自分達を箱庭世界から現実の世界に連れ出したのが、コチョウだということも、アイアンリバーのデザートラインは、ほぼコチョウが作り上げたものだということも、ほとんどの住民が知っている。レイモンドも、コチョウが箱庭世界でやりたい放題した場面を、遠巻きに観測していた。生き残ったアーケイン・スケープのメイジ達は、皆、そうだった。だから、コチョウの性格も、ある程度、把握している。
「そうだよね。本当は問い詰めてやりたいところだけど、捕まえられなくても仕方ないね」
それはフェリーチェルにも理解できている。だからこそ、シャリールを連れてきたのだ。
「シャリールさん、あなたが知っていることを、もう一度、話してもらっていいかな?」
フェリーチェルはお互いの紹介も省いて、そのまま本題を切り出した。
「分かりました。ええと、何からお話しすれば?」
勿論、シャリールもそのつもりだ。二度でも三度でも、必要なだけ話す心積もりはできている。ただ、何を優先的に知りたいのかだけは、教えてもらわねば、シャリールにも判断がつかなかった。
「スフィンクス? ええと、あなたはモンスターで、つまり、浮遊大陸から降りてきた、ということで宜しいのでしょうか?」
ようやくシャリールという、異質な存在に気付いたように、レイモンドは視線を彼女に向けた。喜色を満面に示しているような状況ではないことは彼も理解していて、だが、異色の会談の機会が飛び込んできたことに、研究者としての興奮が抑えきれない表情を見せた。皆の為に実績を用いるのも吝かではないというだけで、レイモンドも魔術や神秘の研究が本分と考えている事実は変わらず、モンスター由来の知識を得られる機会は、貴重な体験だと思えたのだ。
「失礼、私はこの場のメイジ達を取り仕切る、レイモンドと申します。私も幾らかの魔法の知識を有しています」
「私はシャリールです。浮遊大陸と言う程大きな浮遊島ではありませんが、空に浮かぶ陸地から来たのは間違いありません」
レイモンドとシャリールは名乗り合い、すんなりと会話に移る。互いに猜疑心はなく、表面上、友好の態度を見せた。全面的に知らん雷できると考える程お人好しではなかったが、最初から疑心暗鬼を窺わせる程迂闊でもなかった。
「島の名前は、ありましたか?」
レイモンドは、まずシャリールが住んでいた場所に興味を示した。地上からの観測で判明することは多くはなかったが、浮遊大陸についてまるで無知という訳でもなかった。ある程度、近隣の空に浮いている浮遊大陸や浮遊島については、かつての名称くらいは、把握している。
「コアアイランド、と呼ばれています」
シャリールが答えると、
「ほう」
と、今度こそ、喜びの表情を、レイモンドは露にした。
「各地の浮遊大陸にある環境制御の施設を、集中管理していたと予測されている場所です」
と、彼が嬉しがっている理由が分からないだろうフェリーチェルに、レイモンド自身が注釈をつけた。
「となると、さて。これは悩みますね。浮遊大陸のことから伺うべきか、我々の置かれた状況の危険度を問うべきか、目先の問題を片付けるべきか。さりとて、現状の脅威については、攻撃が永久に続くとも思えず、デザートラインから出なければ、そこまでの危機感を抱く必要がある状況でないとも言えますし」
レイモンドは迷うような素振りを見せ、それでも、現状、空を飛び回っているモンスター達については、それ程危険ではない状況ではないかと思案の声を上げた。だが、その考察に、待ったをかける声が、彼の部下の一人から上がった。
「そう悠長に構えてもいられなさそうです、リーダー」
と、報告したのは、外の様子を観測しているメイジだった。
「戻ってきました。考え得る最悪のタイミングかもしれません」
そのメイジが観測しているのは、上空を飛び回っているモンスターの群れの行動だったのだが、それを映し出している幻影像に、異物が映し出されたのを、見たのだった。
広角で映し出されている映像だけに、異物は、本来肉眼では捉えられない大きさでしかなかったが、生体反応を観測している魔術には、そこに生物が出現したことを、漏らさずに感知していた。
「コチョウの奴、こんな時に!」
呻きに近い声を漏らすのは、フェリーチェルだ。彼女は、コチョウが自分達を助けるために姿を見せたと信じるには、コチョウを知りすぎていた。
『邪魔な連中だな』
映像越しに、コチョウの声が聞こえた。映像がコチョウに寄り、拡大されて映し出される。どうでも良さげにギャスターグ一党を見回していた。
『その薄汚い虫を撒き散らすのを辞めろ。私は虫が嫌いなんだ』
侮蔑するような、憎むような、低い声がコチョウから発せられる。コチョウから何故虫が嫌いなどという発言が飛び出したのかはフェリーチェルにも分からなかったが、以前、まだ先代のリーダーのもと、アーケインスケープはコチョウの経歴を調べ上げたとことがあり、レイモンドも、その記録を見たことがあった。
「コチョウの初めての死亡経験は、ジャイアントモスキート相手だったとされています」
レイモンドの推測に、フェリーチェルも、成程、と頷いた。実にコチョウらしい話だ。
映像の中のコチョウが指を鳴らす仕草をする。同時に、大気が震えるような轟音が、映像を通してではなく、直に車外から響いてきた。デザートラインの車体も、爆風に煽られたように、鳴動した。一斉に、肉食性爆妖が大気中で、強制爆破させられたのだ。
『失せろ』
コチョウに睨まれ、モンスターの大軍が蜘蛛の子を散らすように飛び去って行く。実際、肉食性爆妖の強制爆破に巻き込まれたらしいモンスター達が、地面に夥しい数の屍を晒していた。どちらにも、コチョウは興味を示さなかった。彼女は、映像越しに、フェリーチェルを見た。そして、
『私はコラプスドエニーを滅ぼすことにした』
単刀直入に、宣言をした。災厄の訪れを。