第五四話 エクスプローシブ
分かっていたことではあったが、リリエラとシャリールは、多くの者達を見捨てて呼び掛けを中断することになった。
それでも、彼女達がハワードと共に、アイアンリバーの中央帝宮に収容されたのは、時間的には本当にぎりぎりのタイミングになった。彼女達が列車内に飛び込むと、機構が停止している為に複数人の男達が手動でハッチのシャッターを下ろしている向こうで、屋外にいる者達があちこちで破裂を始めているのが見えた。
シャッターを下ろしている男達は、その光景に驚いた顔をしながらも、シャッターを急いで閉じるという使命を忘れることはなかった。明らかに異常な死に方をしている者が散見はじめている屋外の景色は、分厚い金属の走行の向こうに見えなくなる。完全にシャッターが閉まり、ガシャリという頼もしいロックの音が響くと、その場の人間は、誰からともなく安堵のため息を漏らした。
「あれが、あなたが知っているという、危険の内容なのね」
列車の奥から、そんな声を上げながら誰かがやってくる。その声は人の目線からはずっと低い所から聞こえてきていて、それを発したものも、自分の足で歩く小さなぬいぐるみという奇妙な姿をしていた。当然、それが誰なのかは、リリエラも知っている。驚くほどのことではなかった。
「はい」
フェリーチェル女帝の問いに答えたのは、シャリールだった。勿論、詳しいのはシャリールで、リリエラでもハワードでもない。いや、ハワードはもしかしたら知っているのかもしれないが、彼が自発的に知識を披露することはないことも、リリエラには分かっていた。むしろ、秘密主義とも受け取れる程、明かそうとはしない方だ。
「肉食性爆妖と呼ばれる、人工生物です。あれを造り出したのは、かつての人間達です」
一方で、シャリールは隠すことなく語った。別に怨みを込められている訳でもない。淡々とした口調と、努めて平静な声色で、シャリールは告げた。
「モンスター達がそれを用いている。となると、現存しているのは、空?」
フェリーチェルも、シャリールの言葉を問題提起とは捉えなかった。倫理観を議論するよりも重要な、現実的な問題がある。彼女には、今生きている人間達を守らねばならないという重大な責任があった。フェリーチェルは問題の出所と、その正体を理解するのが先決で、それ以外のことを考えるつもりは、今はないようだった。
「そうですね。地上に残っていたとすれば、デザートライン間の争いは、もっと血生臭いものになっていたでしょう」
当然のことだと、シャリールが、フェリーチェルの推論に頷きを返す。彼女が答えた予測は、紛れもなくあり得たものだと、その場の者は異論を挟まなかった。
「地表に落ちた物は、自律行動はするの? つまり、這って、隙間とかから侵入してくるかってことなんだけど」
フェリーチェルに問われ、
「いえ、肉食性爆妖の、大気中での寿命は、僅か三分に過ぎません。肉を食らい、生体の中に潜り込まねば、すぐに餓死するんです。安全性の為に、そのように設計されていたんだと思いますね。謝って放出してしまって、逃げ出したら大変でしょう?」
それも当然のフェイルセーフだと、シャリールは答えた。シャリールの言葉に納得したようにフェリーチェルも頷き、
「それで」
と、短く呟いた。
フェリーチェルが呟いた理由は、ところどころにある窓越しに見える空の様子にあった。窓は小さく、上空遥かまで見上げることはできないが、その僅かな視界でさえ伺える程に、モンスターは低空を飛び回っていた。
手に何かケースを携え、それをひっくり返して地上に何かをばら撒いている仕草をしていることも、はっきりと肉眼で確認できた。ケースの中身が、シャリールの言う肉食性爆妖であることは、言われなくともフェリーチェルにも理解できたようだった。
「あのモンスター達は?」
それをしている者達に、フェリーチェルは質問の内容は変わった。幸いというべきか、ガラス窓を通して見えるのは空の僅かな範囲だけで、地上の惨状を窺い知ることはできない。それでも僅かな時間に起きていた光景から、今起きているだろう惨劇を想像することは、容易だった。
「ギャスターグというモンスターが率いている一派です。人間を憎んでいて、人類を根絶やしにすることが、世界の崩壊を止める術だと信じています。そんなことで世界の壊死は止まらないのですが」
その問いにも、シャリールが情報を隠す理由はなかった。すべて開示し、互いに対処することが、現状を打破する唯一の方法だと理解していて、シャリールはフェリーチェルに訊かれることを、答えられる限り明かすつもりでいた。
「ということは、あなた達は違うと?」
漸く、フェリーチェルの関心が、シャリール本人に移る。それどころではなかったとは分かっているのだが、シャリールには、それが少しだけ寂しいことのような気がしていていた。
「どうでしょう。世界の壊死を止めなければ、滅びてしまうのは、私達も、ギャスターグ達も、同じではあります」
それから、そもそも自分が名乗っていないことに気付き、シャリールは、意地の悪い言い方をしてしまったと、反省した。
「ごめんなさい。私の名はシャリールです。見ての通りスフィンクスで、たいした実力は持っていません。世界が荒廃している理由は、空に存在する施設の不調であることだけはつきとめたのですが、それを解析するのは、私達の頭脳と技術力では不可能でした。ですから、私達はこう考えています。世界の壊死を防ぐには、人類の力を借りる他にない、と」
名乗りながら、自分達の考え方を、フェリーチェルに説明した。彼女の言葉を、フェリーチェルも、少し考えただけで、理解した。
「あなた達に頼めば、空に連れて行ってくれるってこと?」
と。フェリーチェルはそれが互いの利害が一致する判断なのだと結論付けた。
「はい。時間は掛かりました。この話ができるまでに、相当に回り道になったのは事実です。利害はもともと一致していたのですが、私達はモンスターで、あなた達は人類でした。無理に接触を図れば、敵対心を刺激するだけで、襲撃と勘違いされるのが関の山でした」
シャリールはその事情も、あけすけに語った。当然だ。冒険者が多く在籍しているアイアンリバーの内情からすれば、モンスターが突然現れたら、指示を待つことなく、討伐に向かうに決まっている。
「そうね。冷静な話し合いは難しかったかも。間に共通の敵を挟んだ今の状況は、ある意味幸運とは言えるね。でも分からないことはある。あなた達がマーガレットフリート側の車両から出撃してきたって報告は、私も受けているんだ。私達と会話をしたいのなら、敵側から出て来ちゃ駄目だったんじゃない?」
フェリーチェルの更なる疑問は当然なことで、それでも、それはシャリールからは応えられないことだった。それも当然のことだ。そう分かって、その質問への返答は、リリエラが自ら口を挟んだ。
「私は、マーガレットフリートの出身で、アンの友達よ。友達が戦おうとしている時に、友達を助けようと馳せ参じたのは、そんなにおかしなことかしら?」
本当にそれだけだった。リリエラはアンの力になれればと願ったのだ。実際にはアンからモンスター達の安全を託され、ほとんど力になることはできなかったが、アンはそれを希望と呼んだ。だから、リリエラも、自分の我儘を通すことは、しなかった。
「それなら、アンの所に戻った方が良かったんじゃないの? 彼女は大丈夫?」
フェリーチェルはアンの身の上を心配した。事実上の休戦状態にはなっているが、戦闘が終結した訳ではないにも関わらず、だ。
「アンは、負け戦の清算をしねくてはいけないって、私達だけをこっちに向かわせたの」
と、リリエラが言い返す。リリエラには、フェリーチェルの態度が不満だった。
「そう。でも私達が勝ったとも言えないね、この状況。コチョウの一人勝ちで、私達みんなが負けたんだと思う」
だが、フェリーチェルも別に勝ったとは感じておらず、むしろ、彼女もまた、してやられたという敗北感を抱えていた。市民のこれからを考えれば気は重く、それに対する正解も、責任の取り方も、思いついていなかった。
「こんなことが可能だったなんて予測しなかったのが甘かったよ。コチョウなら、手段があればやりかねないのは分かっていたのにね」
苦笑いをするフェリーチェルには、誰にぶつけていいのかも分からない憤りが滲んだ。今はそれを喚き散らす時でなく、内に潜ませていただけだったのだ。
「兎に角、それはあと。今はあの上空のモンスター達をどうしたらいいのか考えないと」
このままでは、何をするにも、身動きが取れない。肉食性爆妖対策はフェリーチェルには思い浮かばないが、それを考えられるだろう才能の在処なら知っていた。
「来て。メイジ達にも聞いてもらわないと」
フェリーチェルは、奥へと歩き出した。