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1フィートの災厄  作者: 奥雪 一寸
危急存亡のパペットレイス
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第五三話 ダーク・クラウド

 リリエラは、すべてを見ていた。

 空中から見下ろす景色にはどこか現実感はなく、人の海はまるで大地に広がる染みのように個体の区別がつかなかった。

「来ました」

 と、シャリールに告げられた瞬間まで、ぼんやりと眺めているしかなかったからかもしれない。それでも、その警告を聞いた瞬間、リリエラの意識は、瞬時に冷静さを取り戻し、覚醒した。

「やっぱり」

 とは思ったものの。

 空を埋め尽くすモンスターの数を目の当たりにしたことは、リリエラにとっても、シャリールにとっても想定外のことだった。

「って、何あの数」

 まるで黒雲のようだ。そしてそれは確かに雨を降らすのだろう。もっとも、水滴の飴ではなく、生物の内部に入り込み炸裂する、人工生物と、飛び散る血と肉片の雨を、だが。

「止めるのは……無理そうね」

 リリエラの判断に、

「ですね。死にます」

 シャリールもやや苦笑いの声で同意した。二人は瞬時に理解する。とれる手段は一つしかないと。シャリールは地上近くへと翼を翻し、リリエラは三種類の触媒を組み合わせ、ケミカルマンシーで地上の者達の注目を集めて回った。小瓶のひとつにはリンの粉末、もうひとつには石灰の結晶が入っていて、もう一つには、一見何も入っていなかった。実際には、空に見える小瓶には、ケミカルマンシーで無理矢理分解した水が封じられていた。

「屋内へ避難してください!」

「屋根のある場所に入って!」

 二人は詳しい説明を省き、短い警告だけを発しながら人々の頭上を飛び回った。アイアンリバーの者達も、大連合の者達も関係なく、彼女達はただ警告の言葉を向けた。

「なんだ」

「何事だ?」

 大連合の反応は芳しくない。彼等は言ってしまえば烏合の衆で、理性ある統制のある組織ばかりではなかった。

「む。退くぞ」

「こりゃ本気そうだ」

 対照的に、アイアンリバーの者達は、リリエラとシャリールの表情からただ事ではないと察知したように、すぐにその言葉に従った。彼等の多くは海千山千を潜り抜けてきた猛者であり、危険を避ける鼻が利く者も多かったのだ。当然アイアンリバーのデザートラインも動きはしないが、それでも外部からの攻撃を遮断する頼もしい砦にはなる。今更戻ってどうなる、と考える者は少なかった。それ故に、撤収も鮮やかだった。

 それを見て、大連合も釣られたように真似をしてようやく退いていく。もっとも、周りが動くまできょろきょろと周囲の様子を窺う者も多く、こちら側の退避は間延びしたものになった。

 リリエラとシャリールの周囲に、シャリールのコロニーのモンスター達が集まってくる。争いの間は距離を置いて待機していたが、ギャスターグ一党が攻めてきたとなると、シャリールの傍で指示を仰いだほうが安全だと判断したのだ。

「エニラ。皆を頼みます。アイアンリバーでも、その他でもかまいません。すぐに収容してもらってください」

 とはいえ、今のシャリールにそれだけの余裕はなかった。指揮をエニラに託すと、人々に避難を呼びかけることに専念を続けた。

 大連合の動きは鈍く、仲間内での小競り合いが発生している場所さえあった。逃げるつもりのない者達に割く時間はない。リリエラ達には、そういった状況を読めない連中については、放っておくしかなかった。

「あれは、女王では?」

 そんな中、地面に突き立てられた杭と、それにロープで結わいつけられた女性の姿を、シャリールが見つける。間違いなく、アンの姿だった。杭の先端についた滑車から伸びるロープは長く、アンは宙づりにはなっていない。だが、杭の先端は地面に穿たれ、それに結ばれたアンは、逃げることができない状態だった。

「助けましょう」

 シャリールが告げ、地面に降りようとする。周囲にはもう、ボルゴ達の姿はなかった。リリエラが周囲を見渡せば、自分達のデザートラインに向かって避難しようとしている後ろ姿が見えた。

「私のことは良いのじゃ。皆の安全を呼びかけることに専念せい」

 アンは、ギャスターグ一党のことは知らない。それでも、何か致命的な問題が起きようとしていることは理解していた。彼女の視線は空に向いていて、おそらくギャスターグ一党だろう、空に浮かぶモンスター軍団を見ていた。

「あなたは?」

 アンの傍にはエリスがいた。彼女はアンの縄を解く素振りも見せず、ただ、リリエラ達に背を向けて立っていた。そして、リリエラが声を掛けても、反応しなかった。

「無駄じゃ。もう死んでおる。私を攫おうとして、周囲の者達に滅多打ちにされたわい」

 アンが代弁した。女王にもう護衛はいらないと言われたエリスは、無理矢理アンを連れ去る素振りを見せたのだが、即座に略奪集団の者達に取り囲まれ、立ったまま命を落としたのだという。

「逃げ出せるとは思っておらんかったじゃろう。ここいらが死に場と決めたんじゃろな」

 アンは短く笑い、自分だけが生き残ったところで、別段、未来がないことを示した。

「ここを切り抜けたとて、ボルゴ達に括られなくてはならんだけじゃ。死は避けられん」

 リリエラに、行けともう一度身振りを見せた。

「おぬしらも、無理のないうちに撤収するのじゃぞ? できればアイアンリバーに収容してもらっておくれ。おぬしらの力は、大いにフェリーチェル女帝の助けになることじゃろうからの」

 アンは笑い、自分がこれから死ぬのだと分かっていることも、たいした問題でないように清々しく頷いた。綱で縛られ、衣装も質素な平民服だったが、彼女は依然として、間違いなくマーガレットフリートの女王だった。

「分かった。あなたがどうあっても助かる道がないというのなら」

 議論している時間もない。リリエラは反論しなかった。アイアンリバーに、自分達とともに収容してもらうという、アンが助かる術はあると気付いていたが、説得するつもりにはなれなかったのだ。その選択肢はアンもとうに考えたことだろう。アンの連合の多くは、略奪で生きてきたゴロツキまがいの集団だ。そんなことをすれば、彼等が暴走し、アイアンリバーに襲い掛からないとも限らない。

 勿論アイアンリバーの猛者達であれば、デザートラインのない略奪集団を一網打尽にすることは容易いだろう。だが、そんなアイアンリバーとて、幾分かの損傷は避けられない筈だ。これからのことを考えれば、アンがその原因になる危険を避けようとするのも、自然なことかもしれなかった。

「じゃあね、アン。あなたは立派だったわ」

 リリエラは告げ、シャリールにその場を離れるように、促した。シャリールが小さく頷き、羽搏く。その羽音に紛れ、

「うむ。ありがとう、リリエラ。おぬしが、私の友達で幸福だったぞ」

 そんな、アンの、囁くような返事が聞こえてきた。

 リリエラとシャリールは空を見上げ、もうほとんど時間が残されていないことに気付く。黒雲のような塊だったモンスターの群れは、先頭にギャスターグがいることも、見えるくらいまで接近してきていた。

「もう時間切れね。避難を始めていない人達にこれから呼び掛けても、間に合わないわ」

 リリエラの意見に、

「私達も危ないですね」

 シャリールも頷いた。

 まだ屋外には大量の人の姿があって、そのほとんどが大連合側の荒くれ達だった。二人は、案の定といった同じ感想を抱き、同時にため息を漏らすと大連合側でなく、アイアンリバーの車列へと、翼を向けた。

『そこのスフィンクス、すぐに車内へ入って。この際、モンスターとかは気にしないよ』

 アイアンリバーの列車のひとつのハッチが開いている。そこから、どうやったのか、女性の声が聞こえてきた。デザートラインの機能はすべて機能していない筈で、それに頼らない、車外への通話技術があるということだった。

『あのモンスターの群れについて何か知ってるって聞いたよ。情報を貰えると助かる。その為にも、中へ』

 リリエラには、その声に聞き覚えがあった。フェリーチェル女帝が、直々に招き入れてくれているのだ。

「仲間は収容いただけましたか?」

 その忠告に、シャリールが聞き返す。彼女も、こちらからの声がフェリーチェルに届くと確信していた訳ではなさそうだった。答えが返ってくるといいくらいのつもりの質問だったように、リリエラには聞こえた。

『安心して。皆収容したよ。エニラだっけ。彼女から、あなたが詳しいって聞いた』

 答えは返って来た。どうやら信用できそうな答えだった。すでにギャスターグ一党の羽音さえ聞こえてきている。もう、時間がない。

 シャリールは、女帝の薦めに、従った。


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